思考過多の記録
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2009年04月01日(水) |
衆愚政治の行き着く先〜千葉県知事選挙批判〜 |
週末に行われた千葉県知事選挙は、「永遠の青春男」森田健作氏が当選した。 民主党等が支援した堂本知事の後継候補を大差で破っての当選だった。 千葉県民として、あんなとんでもない人間が知事に選ばれてしまったことは、怒りを禁じ得ない。また、恥ずかしくもある。
僕は過日、森田氏の政見放送を見た。 彼は気味の悪い猫なで声で、こんなことを言っていた。 「皆さん、千葉県の影が薄いと思いませんか?一緒に、日本一の千葉県を作ろうじゃありませんか」 一体何の日本一か分からないが、とにかく内容のない政見放送にただただ呆れた。しかし、メディア各社はそれ以前から、森田氏の優勢を伝えていた。 そして、あの結果である。 僕は、千葉県民がこれ程愚かだったとは夢にも思っていなかった。 勿論、小沢民主党代表の秘書が起訴されたことの影響も大きいだろう。 しかし、翌日の新聞やテレビで、「何故森田氏に投票したのか」を問われた千葉県民達は、 「政見放送で一番見栄えがした」 「元気がよくて、何かやってくれそう」 「発信力がありそう」 などと答えていた。 当選後、森田氏は 「これからは、国にもの申す千葉県にしていきたい」 とか訳の分かったような分からないようなことを言っていた。 実際、今日麻生首相に会ったようだが、何かもの申した形跡はない。 大体、千葉県が国に対してもの申すことなどあるだろうか。
当選後の記者会見では、マニュフェストの具体的な数字や期日などには全く触れずじまいだった。 いわく、羽田と成田をリニアモーターカーで結ぶ、いわく、中学生までの子育て支援、いわく、アクアラインの通行料金を値下げ… 全て、財源の裏付けが必要だ。 しかし、森田氏は、例えばリニア構想について「いつまでじゃなくて、やるんですよ」としか答えていない。 僕の手元には千葉県選挙管理委員会が発行した選挙公報がある。 森田氏を入れて5人の候補の選挙公約等やプロフィール等が書かれているが、森田氏を除く候補は、みな政策が細かく、数字を含めて具体的に書かれている。 例えば、今回破れた吉田たいら候補は、「ちばニューディール政策」として10の重点政策を掲げた上で、「1期4年以内に必ず実現します。必要な県の新規財源は4年で約350億円」と書いている。また、その財源確保のための政策として、八ツ場ダム中止を含めた6つの政策を上げ、「4年で700億円以上の捻出を目指します」と書いている。 この数字の妥当性は検証できないが、少なくともいつまでを目標に、何を基にしてやる計画なのかがざっくりとではあるが示されている。
それに対して森田氏のスペースは、まず一番上に「政党より千葉県民第一」という、「無所属」を印象付ける文字がでかでかと書かれている。当選の翌日になって、森田氏が実は自民党の支部長の肩書きを持っていたことがすっぱ抜かれたが、そういうことはどうして早くみんなに知らせないのか。ある意味、森田氏は経歴を詐称していたことになる。 それはさておき、政策が書かれるべきスペースには「輝け!千葉日本一。」とか、「千葉県民暮らし満足度日本一宣言」など、「日本一」がやたらに並ぶ。 その「日本一」の中身だが、「安心・安全日本一」「子育てサポート日本一」等、抽象的な言葉ばかりが並び、具体的な政策やその裏付けとなる財源をどうするかに関しては、全く書かれていない。 おかげで、森田氏のスペースは、他の候補に比べて余白が多く、スカスカに見える。 そして、最後に殺し文句のように、次の言葉がかれていた。 「知事は全国から注目を集める千葉ブランドのセールスマン!」
先に書いたような有権者の反応等を考えると、最後の一言、すなわち、知事に必要なのは何よりも「知名度」だと、千葉の有権者は判断したのだ。 僕にいわせれば、それは本末転倒というか、全く的外れな考え方だ。 県知事は、県民の生活を守るために、県民の目線で政策を策定し、議会に諮り、実行していかなければならない。 県民の意見が分かれる事案や、県民に負担を強いる政策については、十分な説明を尽くし、場合によっては修正したり取りやめたりする。 そういう地道な活動こそ、県知事の本来の仕事である。 県の知名度を上げるためのセールスマンなどでは断じてない。 この悪しき慣例の端緒となったのは、いうまでもなく、「そのまんま」東国原宮崎県知事であり、橋下「放言癖」大阪府知事である。 彼等がメディアに露出し、地鶏の売込みをしたり、馬鹿の一つ覚えのように朝日新聞や国の官僚機構や身内の教育委員会まで批判したりすることで、宮崎や大阪が注目されている、と国民は錯覚する。 そして、それこそが県知事の役割だと思ってしまうのである。 これは、レーガンが大統領に選ばれたり、シュワルツネガーが知事に選ばれたり、小泉首相(当時)に民衆が熱狂するのと同じだ。 「見栄え」さえよければ、中身は何でもいいと思っているのである。 これぞまさに衆愚政治であり、民主主義の欠点である。 分かりやすく言えば、少なくとも大阪、宮崎、千葉、そして石原慎太郎を選んでいる東京、ここの有権者の多くは、政治的には愚か者だということである。 そして、今あげた都県は、愚か者の集まりだということを、各都県の知事達が皮肉にも「宣伝」しているわけだ。
真面目にマニュフェストを比較し、自分達の税金を使ってどんな政策をやってくれるつもりなのか、それが選挙向けのリップサービスではなく本当に可能なのか。それをしっかりと見極め、本当に知事に相応しい人間、すなわち、知事としての仕事を真面目にきちんとこなしてくれる人間、特定の利益団体(例えば土建業界)の声だけ聞くのではなく、県民の声を遍く県政に反映してくれる誠実な人間を選ぶ、それが本来の知事選挙だ。 (勿論、これは全ての選挙にあてはまる。) それには、有権者もある程度賢くなければならないし、政治的な素養も必要だ。 正しい選択、またはよりましな選択をすれば、それはきちんと結果となって県民に返ってくる。 逆に、今回のように、「見栄え」「雰囲気」「知名度」で選んでしまうと、結局は県政が疎かになる。何しろ、候補者にきちんとした政策がないのだから。 羽田と成田をリニアモーターカーで結ぶことが、どれだけの県民のためになるのだろう。 そんなことより、待機児童を減らして欲しい、学童保育所を民間にするのをやめて欲しい、雇用を失ったときのセーフティネットをきちんと整備して欲しい、介護・看護の現場の惨状を何とかして欲しい、過疎地で医療が崩壊していくのを止めて欲しい等等、県民の生活に直結した課題は山積みだ。 勿論、県の財政も厳しい。 森田氏は、 「例えば他の知事さんに掛け合って、『東京は儲かってるんだから何とかしてよ』ということも私ならできる」 などと寝言を言っていたが、そんなことではないちゃんとした財政健全化の政策を出さなければならない。
たとえ森田健作の顔が売れても、千葉が「日本一」になっても、先に書いたような課題は残る。 その意味で、今回の千葉県知事選挙は、ただ森田健作という1人の男を政治の舞台にカムバックさせるだけの茶番劇だったと言っていい。 そして、たとえカムバックしたとしても、森田氏は自分の顔を売り込むことだけはうまくやっても、千葉県政を運営していくことはできまい。 何故なら、具体的な政策など何もないからだ。 たとえ何の成果が上がらなくても、森田氏は痛くも痒くもないだろう。何しろ、県民に対して切ったのは「空手形」であり、県民の多くもそれを認めたのだから。 もう一度いうが、森田健作が個人的に顔を売る場を得ることにみすみす手を貸してしまったのは、10万以上の愚かな千葉県民である。 そして、そのしっぺ返しを必ず県民は受けることになる。 勿論、僕のように森田氏に投票しなかった県民もだ。まったく迷惑な話である。
何かのインタビューを受けた高齢の男性は、 「今までは民主党に投票してきたが、今回は人物本位で選んだ」 と答えていた。 「人物本位」で選ぶと森田氏になるとは、その男性も、有権者としてはかなり人を見る目がない。そういう人間が10万人いたわけである。 そして、この男性の発言からも、最初に書いたように、今回の知事選に例の「小沢問題」が影を落としていることは否定できない。 前に書いたように、この問題は検察の政治への介入であり、その影響が千葉県知事の人選にまで及んでしまったことになる。 この後にある様々な選挙にも、この問題は確実に波及していくだろう。 検察は、このような事態に対してどう責任を取るつもりなのだろうか。 まともな県政を運営できない人物が県知事になることの片棒を担いだ検察の責任は、限りなく重い。 「小沢辞めろ」の前に、検察庁長官の首を切るのが先である。
衆愚政治が広がり、検察という国家権力が政治に介入してやりたい放題の今は、大袈裟ではなくまさに民主主義の危機である。 もう一段進めば、次は「独裁者」の登場を国民が喝采を持って迎えるという世界になる。 石原、橋下、東国原、そして森田の各知事の存在が、そういう時代の幕開けを告げているように思えてならない。
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