思考過多の記録
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2010年04月19日(月) |
世情・「金八先生2」は歴史の中に |
僕が中島みゆきというアーティストを強烈に印象づけられた契機になったのが、一部では大変有名なTBSのドラマ「3年B組金八先生2」の「卒業式前の暴力(後)」という回だった。 これは、ある学校で所謂「不良」と言われていた生徒達が、たまたま金八先生のクラスに転校・転入させられたその中の一人の生徒(加藤)を中心に、卒業式直前に自分達の思いを伝えようと、加藤がもといた学校の放送室に校長と生徒指導の教師を監禁して、その思いをマイク越しにぶつけるというもの。 学校側は警察の出動を要請し、異様な空気の中、校長はついに生徒に謝罪する。
そして、放送室から出てきた生徒達を待ち構えていたのは、刑事や警官達だった。生徒達は次々と逮捕されていく。 この場面、スローモーションの映像に中島みゆきの「世情」という曲がかぶるのだが、これが実によくマッチしていて、当時も話題になったし、今でもみゆきファンの間では語り草になっている。 今日、久々にそのシーンをYou Tubeで見た。いい時代になったものである。 しかし、そこには二通りのコメントがあったが、誤解するな、加藤のような「不良少年」は、そのまま暴力団に繋がっていくケースの方が多いぞ、というものと、加藤は不良ではない、と養護するものだった。 残念ながら、賛同者は前者のコメントに多かった。
確かにドラマであるから、登場人物像を作るに当たっては、ある程度の「美化」が行われていることは間違いない。 が、このような「大人側」「体制側」の意見に賛同が多いというのは、何だか悲しい気がする。 あの当時にも「不良を美化する」と賛否両論はあったが、少なくとも同じ世代の僕達の多くは、かなり肯定的にあのシーンの加藤を捉えていた気がする。
同じ回の中で、生徒達が警察に連行されてしまった後、釈放を巡って両学校の教師や親、警察の人間がテーブルを囲んで遣り取りするシーンがあった。これもその一部がYou Tubeにあがっているが、その中で武田鉄矢演じる金八先生は、相手の学校の校長に向かって、 「私達は蜜柑を作っているんじゃないんです。私達は人間を作っているんです。たとえ時代がどうであろうと、教師が生徒を信じることができなくなったらどうなるんですか!教えて下さい!」 と、鬼気迫る表情で訴えていました。 僕などはこの台詞(故小山内美枝子さんの脚本)にじーんときてしまうのだが、同時に昨今の学校現場の状況を報道等で知るにつけ、 「ああ、こういう「正論」が通る時代は、いい時代だったな」 とも思わずにはいられない。
今の学校現場では、多分に単純化・抽象化していえば、教師は生徒を信じていないだろうし、勿論生徒は教師など眼中にない。 つまり、現代には「金八先生」は成立しないということになるのだ。 ドラマでも学園ものといえば、生徒間の恋愛メインか、「ごくせん」や「ドラゴン桜」のようなかなり変則的なものになってしまっている。 一体、いつからこんな世の中になってしまったのだろうか。 昔を懐かしんでも仕方がないかも知れないけれど、これから僕達の子供の世代が育ち、また担っていくこの国が、せめてもう少しまともなものであってもらいたいと願う。 自分と違う境遇にあるものを認め、自分より弱いものには当たり前に手を差し伸べる、そして圧倒的な強さを背景に我々の幸せや正義を踏みにじる者に対しては断固として闘う、そんな世の中であって欲しい。
街角にシュプレヒコールが響かなくなって久しい。 みゆきさんも、もう「世情」は歌わない。 「金八先生2」のドラマのあのシーンも、こうして歴史の一幕になっていくのだろうか。 そしてまた、僕は一つ歳をとる。
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