思考過多の記録
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2010年06月04日(金) 何故当たり前の幸せが許されないのか

 やはり、こうい結末になるのか、そう思わざるを得ない。



 前に、僕の誕生日にメールをくれた女性のことを書いたと思う。
 僕は、彼女のことがずっと気になっていた。
 そして、彼女を好きになった。理由は分からなかった。でも、好きだった。



 前に彼女によく会っていた時、それはもう3年も前になるのだが、その時彼女には彼氏がいた。しかし、その後、彼女のブログなどから彼女の動向を見ていると、何故かその「男」の影が見えなくなっているように僕には思えた。
 僕はチャンスだと思った。
 僕は、彼女を食事に誘った。



 そして昨日届いたメールには、
「彼氏がヤキモチヤキなので、…」
と書かれていた。
 食事にはOKしてくれたものの、僕は彼女が男と別れていない(または、別の男を作った)という事実を知ったのだった。
 僕のカンも随分といい加減なものだと思った。
 それとも、「彼氏がいて欲しくはない」という思いが、僕の目を狂わせたのだろうか。



 いずれにしても、彼女には恋人がいた。
 もしかしたら、彼女と一緒に人生を歩いて行けたら、とまで思っていた。
 彼女のことを考えれば幸せで、側にいてくれたらもっともっと幸せだろうと思っていた。
 そして、僕も彼女を幸せにしてあげようと思った。
 どんなことをしても、彼女の幸せを守りたい、彼女の笑顔を見続けていたい、本気でそう思っていた。
 そんな気持ちになるのは久し振りだった。いや、もしかすると初めてだったかも知れない。



 もし神様がいたら、問いたい。

 何故僕はこんなに試練に耐えなければならないのですか。
 愛する人と一緒にいる、愛する人が自分を愛してくれる。そして、ふたりで幸せを築き上げる、そんな人として当たり前の幸せを享受することを何故あなたは許してはくれないのですか。
 こんな惨い仕打ちに耐えなければならない悪行を、僕がいつやったというのでしょうか。
 一体これは、何に対する報いなのですか。
 一体僕がどうすれば、この呪いが解け、人として当たり前の「愛」を僕は受け取ることができるのでしょうか。



 どうして彼女は、「僕」でななく「彼」を選んだのか。
 単に出会った順番なのか。それとも、もっと別の理由なのか。



 久し振りに人を本気で愛した、体中に力を漲らせてくれるような喜ばしい気持ちは、一瞬にして体中を締め付ける茨へと変わってしまった。
 人を愛することが苦痛ではなく、苦難でもなく、本当に喜びであるような時を、僕は死ぬまでに迎えることができるのだろうか。



 彼女は、本当に幸せをもたらしてくれる「その人」ではなかったのだろうか。


hajime |MAILHomePage

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