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ひとりごと〜リターンズ〜
不知火
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2001年03月09日(金)
家族の標本〜我が家の場合〜(その1)

今日は1日予定が空いていたので、百田君と人口壁に行く予定だった。
午後1半集合予定だったのでしばらくゆっくりしていたのだが・・・。

午前10時ごろ母親から電話があり、全ては変わった。
即刻百田君の留守電に行けなくなった旨を伝え、
諸々の準備を整える。

祖母危篤・・・との事だった。

1月3日に見舞いに行ったばーさん(その日の日記参照)と
2月27日の日記に登場するばーさん(  同上    )は別人である。

前者が父方の祖母、
後者が母方の祖母である。

母方の祖母は現在、自由に歩けると言うほどではないまでも、
随分回復してきている。
もっとも、目が離せる状態ではないのだけれど。

父方の祖母は正月過ぎから・・・ずっと入院中だった。


病院に到着する。
父親が一人ベッドの隣に座っている。
心電図を表す機械(なんていうのだろう)が規則的な音を発する。
酸素ボンベがコポコポと泡を立てている。

ばあさんが規則的な寝息を立てている。

話し掛ければ時に反応をする。
時々何か答えようとするけれど、声が出せない。
そんな状態らしい。

夕方、伯母が来た時点で父親は一時帰宅した。
長丁場になると踏んでの交代だ。

伯母と二人になることなんて珍しい。
私は伯母と色々な話をした。

ずっと一人暮らしをしていたばーさんのことは、
私はあまりよく知らなかったのだ。

伯母は伯父と結婚する前からばーさんのことを知っていた。
仲良くもあり、仲悪くもあったらしい。
私の知らない色々な事を聞かせてくれた。

さらに数時間後、従兄の忠志(仮名)と従姉の奈美(仮名)が仕事を終えてきた。
後は忠志兄に任せて、今日は帰ろうということになった。

「1週間で2回以上会うなんて珍しいね」
確かに、奈美姉の言うとおりだ。
奈美姉とは7年、その上の由美姉(仮名)とは9年、忠志兄に至っては11年も
年が離れているのだ。
兄貴も含めて、私以外はみんな仕事をもっている。
先週の兄貴の結婚式ぐらいしか、今年全員そろう機会はなかったのだろう。

そう思うと、人、一人が生死の間を漂うというのはやはり大事なのだ。

駅で、別れ際に奈美姉ができるだけ明るく云った。

「じゃ、また明日ね。」