2001年10月14日(日)
飲酒的人間に覚えるストレス
 酔っぱらいの相手をするというのは、大変である。
 

 まともに取り合うべき相手でないというのを前提に
 話をしたり、身体を寄り添わせたりする「ホステス」に代表される職業は
 どれだけの時給をもらっていようとも、その人に還元されるものは希薄で、
 その割には過酷な心的疲労を課せられる(気がする)。


 一緒に酒を飲んで酔っ払ってしまえば
 その心的疲労も一時的に回避することができるだろうが
 酒を飲むのを職業にしてしまうところで、身体的疲労を課せられる(気がする)。







 ・・・・・なぁんてね。









 職に貴賎なし。┐( ̄∇ ̄)┌オホホ
 あたしだって、そういう処に身を窶しつつ
 ずっと生計を立ててきた口だ。


 今は何もしていない。
 職に貴賎なし・・・・なんていう次元以下の処にいる。
 


 昨夜、久々に定型酔っ払いオヤジというのを見た(爆)。

 それで、懐かしいバイト先のことや
 どうして自分みたいなのが、
 「ホステス」まがいの仕事ばかりを選ぶようにしてきたか・・・・
 などということを振り返ったりした。

 昨夜のあたしはその店の中で「客」として存在したわけだが、
 数年に渡って培われた「もてなす側」の振る舞いが
 きっちりと身体の中に染み込んでいたことを思い知らされた。
 それは、多分あたしにとって
 自分以外の人たちに対する気遣いや、正しい姿勢
 金銭感覚や、他の職業を生業としている人たちのストレスへの理解
 などを吸収するのに、かなり役立ったはずだ。

 このまま家庭に入るにしても、
 何か別の仕事をもつにしても、
 今のままの志を貫くにしても、
 そういうものはきっと役に立つはず。
 そんなふうに思っている。



 が・・・・・。






 やっぱり、酔っ払いは嫌いである(笑)。
 なぜなら、全然面白くないからである。

 自分が酔っている状態というのもあたしはあんまり好きではない。
 気持ち悪くなることはあっても、気持ち良くなることはほとんどない。
 つまり、面白くない。

 それは他人の状況を見ている時も同じだ。
 あたしの目には、大概の人が酔っていない時の方が面白く見える。
 「面白さ」というのは、解釈の仕方もあるが
 理性の働いている時の、コントロールの効いている時の
 その人となりというのは、本当に赴き深い。<interestingという意味か?
 仕事に打ち込んでいるオトコに魅力を感じる瞬間に似ている。


 酔っ払う行為というのは、きっとストレスを解消するのにいいのだろう。
 緊張感の張り詰めた(例えば)職場から解放された時の安堵感を
 更に酒で煽ろうなんていうのは
 あたしにしてみれば、ちょいと安直に映るけど。
 それというのも、ずっと飲酒的人間ばかりを見てきた所為かもしれない。

 中には、とても上手にお酒を嗜む人がいる。
 上手に酔っ払うのだ。
 自分の上限と、その場の雰囲気を知り、
 もてなす側以上の気配りをする人がこの世に存在するのである。

 そういう人の存在があったからこそ、
 今日まで飲酒的人間に囲まれた中でも、
 あたしは生き長らえてこられたのかもしれない。



 日本という国の社会構造を知るのに
 酒を飲む場所というのは実に有効で手っ取り早い。



 飲酒的人間に覚えたストレスも今やいい思い出になっている。
 ただ思うのは
 あたしはいつになったら、薬を全部やめて
 本当に素面(シラフ)で、ものの本質とやらを追及できるようになるのだろう
 ということ。
 
 今のこの状況は
 常に自分が、飲酒にも似た状況で
 脳内物質を外部的要素で出しているに他ならない。


 自分に対して覚えるストレスというのはやりきれない。
 今日も1日、特に何もない平穏な日でした。

あさみ


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