ある日の事でございます。
お釈迦様が極楽の蓮の池の周りを散歩していらっしゃいました。
「蜘蛛の糸」というのは このような書き出しの物語だった。
今日、久々に外に出て、 とはいっても、明るいうちはどうしても出る気になれなくて、 日がとっぷりと暮れた頃に、 我が家から一本道の先にある、自動販売機の所にまで 煙草を買いに行っただけのことなのだけど。
マーガレットの群生が左手に咲き乱れる中。 あたくしの顔面を遮ろうとする、うっすらとした儚き存在。
田舎ではよくある、蜘蛛の糸の飛散だ。
そのまま歩き続ければ、やがてはその存在すらわからなくなってしまうほどに どうしようもなく、弱々しいひとすじの主張。
美しい蝶々や、捕食対象となるほかの昆虫は この糸に陥って、命を落としていく。
あたくしは思った。
まだまだなんだ、 ここから先にも進めるんだ、と。
蜘蛛の糸に、往く手を遮られるほどまでは落ちてはいないと。
二箱の煙草を手に、来た道を戻った。 ついてくる者はいない。 この道は、天国へ向かうものではないのだな。 あたくしは思った。 誰もついては来ないのだから。 そして、今いる場所も地獄などではない。 わらわらと、あたくしをつついたり話しかけたり、貶めたりしないのだから。
ここは、適度に温められ、そして守られた、柔らかな場所。
どうしてあたくしは、この場所のことをそんなに毛嫌いするのか その理由は全然わからないのだけれど 往復、たった100mほどと思われるこの道程が あたくしの鼓動や息を乱す原因になっていることは確かなようです。
あたくしの顔を遮ろうとした、蜘蛛の糸の持ち主である蜘蛛は どこにも姿はなかった。 それにしても、完全に日が沈みきった直後の西の空というのは、 何とも美しいものだわね。
田舎は田舎で、悠然としていて、またいいモノだなと、 少しだけ思う。 都会の暮らしが懐かしくも思ったが・・・・・・。
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