この春、生まれて初めてロールキャベツを作り、初めて作ったにしては大絶賛の大喝采を浴びたのに気をよくして、「コレは半期に1度の勝負料理( ̄ー ̄)ニヤリッ♪」とすぐさま思いついて、以降、乱発せずにかなり放置していたのは、計画的犯罪。いい加減、冷蔵庫の中身を整理せねばなぁ・・・・ということで、やっとこさ作る気になりました、ロールキャベツ・・・・(笑)。いくら「タネにルール無用」とはいえ、あんまりなことは出来ず(笑)、入れるものによってはしっかりした準備をしておきたいし、前はよかったのに、次は失敗・・・・とかそういうのは是が非でも避けたいので、豆腐の水抜きをしたり、玉ねぎを飴色になるまで炒めてみたり、きちんとキャベツを下湯でしたり・・・・等々、きちんと段階を踏むものの、やはり肉の含有率が異様に低い我が家のパテ料理(爆笑)。けっこう大きめなロールキャベツと相成るのですが、ぷよ2にも5つくらい食べさせたところで自分を責めなくてもいい♪というくらいに低カロリーになっているはずなのだ( ̄^ ̄)たまに、彼奴のぽってりとしたお腹を見ながら、食卓に並べるべき分量を調節している自分に、禍々しき自己嫌悪を感じるんです(涙)。そんな低カロリー・爆発的ボリュームのロールキャベツを仕込むのには、あれやこれや時間がかかって、夕方のアニメ再放送タイムも始まろうとしており。こちら東海地方、そろそろ「アルプスの少女ハイジ」が最終回にさしかかろうとしています。先にネタバレしておくと、本日、クララが立ちましたよ〜(爆)。2度あるんですよね。クララが劇的にグワッとフランクフルトのお嬢様魂を見せるところが(笑)。1度目に立ち上がった時は、周囲に誰もいないところで、怖い怖い牛に囲まれて、恐怖のあまりに防衛本能(逃避願望)からすくっと立ち上がって、それでハイジを喜ばせてしまう。2度目が丁度この日の放送で、周囲の人間たちから「立て、立て」と急かされたことにクララは大いなるプレッシャーを感じ、「フランクフルトに帰るっ!!」と泣きながら絶叫。立ったり歩いたりの練習を嫌がって、とうとうハイジを怒らせてしまう。「クララの意気地なし! 甘えん坊!!」( ̄∇ ̄;)そうしてハイジはクララのそばから駆け出してしまうわけなんですが、そんなハイジを「待って」と止めようとするクララ。・・・・この時に、まさに勢いで立ち上がってしまう。皆様のご記憶にガッツリと残っているのは、こちらの方ではないかと。無論、ハイジは大喜び。「わーい! わーい!! クララが立った〜!! クララが立ったのよ〜!!」2人抱き合い、涙を流しながら、クララに起きた奇跡を喜び合い、認め合う。最終回に向けての佳境なんですけどね・・・・。それこそ、みんなが口を揃え「一番感動したシーン」という場面なんですけどね。こんなことを書いたら、「人非人」扱いされてしまうんではないかと、多少の危惧がありますが、まぁ、書いてしまいましょう。あたくしねぇ・・・・どうもこの「ハイジ」という少女のキャラクターというかパーソナリティというか、とにかく、幼少の砌より、同じ年頃であろう、この少女のことがどうしても好きになれなかった。でもそれは、同じ子供だから、リンクする部分が多い分、嫌いになっちゃうのかも・・・・としばらくはそう思っていた。都落ちしてきて、アニメ再放送率が全国一なんじゃないかと思われるこの地方に戻ってきて、大人になってからも「ハイジ」は何回も見たんだけど、時が経っても、何が理由だかはわからないけれど、やっぱりあの少女のことを好きになれない。ロッテンマイヤーさんが彼女のことを鬱陶しがる気持ちは、小さい頃から非常によく理解できたのだが。作品としては認めているけれど、「ハイジ」という少女は嫌い。そんな感じ。今日も見ていて、「あ〜ぁ。」と何だかやるせない気持ちになってしまう場面が沢山あって、特に先述した、練習を投げ出そうとしたクララに逆ギレするハイジに関しては「何で、アンタがそこで逆ギレ?」と、幼い頃と一緒の疑問をみそじになっても抱え続ける(爆)。まぁ、その逆ギレのおかげでクララは立てるようになるわけなんだけど、何だか、すごく気持ちが悪いのだ。だってさぁ。●あんなに「クララ、クララ」と懐いて、仲良くしていて、友達がなく閉鎖的な暮らしをしていた クララにとっては彼女が無二の存在になっているはずなのに、時に彼女はクララの存在を忘れ、 目先のことにすぐ突っ走って、自分の興味を満たすのに必死。●新しいことが始まろうとすると、すぐに焦って、周囲を巻き込む。●自慢話でクララを追い込む(爆)。●確かにクララが歩けるようになるのはいいことだけど、それは自分がクララと一緒に遊べるから 自分が楽しくなるための最短距離をクララに求める。もう、クララがアルムにやってきてからのハイジは、やりたい放題の好き放題。クララが不安そうな表情を浮かべていても、つまらなそうな顔をしていても、彼女自身が「楽しい」時は、そういうのも頭からすっぽりと抜け落ちて、たまに「クララもおいでよ〜♪」と、言ってはならないことを言ってしまう( ̄∇ ̄;)無論、クララを目の前にしている時は、きちんとクララに傾倒し、クララに危険が伴わないように再三の注意を払っているけれど、それもとても刹那的なもので、見ているととても無責任だったりする。いや、クララを甘やかそうとする観点でモノを言っているわけではなく、寧ろ、あのフランクフルトのお嬢様には、多少の不自由と苦労をもっと沢山実感してもらうべきだとそれはあたくしも思うのだけど、ハイジの奔放さは、常々本当に罪だよなぁ・・・・と思う。クララのために良かれと思って・・・・という確信犯なわけだけど、そんなハイジの「一方的な思いやり」は誰も責める者が居らず、ますます増長の一途を辿るばかりである。何故、この少女が為す事のおおよそ全てが「よし」とされてしまうのかが不思議で、不思議で。大人になったら、そんなハイジのことも許容できるのかもなぁ・・・・と、飽きもせず再放送になると、ちょくちょく見てきてはいるのだけど、一向にこの少女のことが理解できない。許容している大人の登場人物は、とてつもなく器がでかいのかもしれないなと感心すらする。公立小学校にあんな子がいたら、あたくしは耐えられそうにない(笑)。差し詰め、ロッテンマイヤー女史側の人間なのかもしれないのだけれど。だって、いくら「賢い子」とはいえ、学級崩壊の危険因子要素をバリバリに持っているわけだから、ちょいと考えものだよ。う〜ん・・・・彼女を可愛らしいと思えないあたくしは、まだまだ器が小さいな(爆)。↑あと2回くらいか?それはそうと、遠く離れた新宿は市谷。こちらでは、「山ねずみロッキーチャック」で大いなるジェネレーションギャップを感じてしまった同士・リエが、一回り以上年下の女性たちの会話で以って打ちひしがれてしまっていた(苦笑)。↑分かち合ったぞ!!(爆)確かに、二十歳手前の女性らにとってはどっちもどっちだろうが、「ロッキー」という言葉が出てくるまで、思いっきり勘違いしていたその感性はどうなの??このように、数々のアニメで以ってここまで育ってきた我々みそじ世代も、とうとう、アニメによって淘汰される時期を迎えてしまったということである。「懐かしい〜♪」「アレは感動したよね〜♪」と、共に感性・感覚を分かち合える人間は、年々減っていく( ̄∇ ̄;)最近は、アニメの看板でもある主題歌やエンディングテーマも特別に制作されるんじゃなくて、ミュージシャンとのタイアップになることも多く、曲の中にタイトルが入ってないやつばかりだ。串田アキラ、影山ヒロノブ氏らが絶対に廃業に追い込まれないように、我々がせめてカラオケに行った際には、細々と歌い継いでいこうではないか(爆)。ひいては、それが彼らの印税収入になり、月に数万とはいえ、確かな収入になっていくことだろう。昨日のカラオケではないけれど、びっくりしたのは、「アンジェリーク」と「ネギま」の楽曲数の多さ!ほとんどが声優さんたちの曲で、同じ曲を別の人たちで編成しなおしてリリース・・・・なんてのもゴロゴロあった。あたくしはどっちも見てない(っつうか、「アンジェリーク」はゲームだもんね。)ので、この両方に手付かずなんだけど、需要があるから供給されるのか・・・・?「まんが日本むかしばなし」のように「世界名作劇場」シリーズも、再編してこの21世紀につないでいくのもいいんじゃないかしら?配色も目に優しく、子供の教育上、わりとよろしいと思うんだけど。大人向けに放送されている、深夜枠のアニメでクォリティの向上を目指しつつ、ここは温故知新。昔の名作も、きちんと掘り起こしておいてほしいと思う、今日この頃なのである。