2005年12月26日(月)
寒くて、赤くて、美味しい


玉ねぎとにんにくのみじん切りを、徒然に炒めて、
真っ赤なトマトソースを仕込んだ。うむ・・・・渾身の作品( ̄¬ ̄)♪
パスタは勿論、こりゃ、ロコモコにもなるし、ピザソースにもなるぞぉ♪
ハイスピードで鍋の中身が半減したけれど、見なかったことにしよう(笑)。


今年の総括を・・・・と思ったのだけど、こんな日に総括かよ( ̄∇ ̄;)と思ってしまったので、
そこは自分の生理に忠実に。
最近、毎日書けてないので、もう、ここは思い切りまったりといくことにする( ̄^ ̄)




この日。
久々に昔の色んなことを思い出していた。
暖冬続きなここ数年、近年稀な大寒波に見舞われて、そういえばこんな寒さを感じたのって
いつくらいぶりなんだろう・・・・と、漠然とそんなことを思っていた。
わりと、冬という季節は誰かと一緒にいることが多くて、
身も心も冷えきるような、凍結気分を味わうことは、そうでなくても人生の中で少なかった。
イヴェント軽視派のこのあたくしが、どうしてそうなったかのかというのもちゃんと裏付けがあって、
例えば、寂しくならないようにイヴェント前に東奔西走しなくても、
何でかイヴェントの時には誰かがそばにいてくれるタイミングだったりしたので、
特別焦ったためしがない。
秋に誰かとの関係を清算しても、冬にはまるでスライドするように別の人がそばにいたりした。
勿論、寂しくはなかったし、退屈もしなかった。
高校に入ってから大学を卒業するまで・・・・いわゆる「青春時代」の間は、
そういうことに特別心血を注がなくても、結構楽しかったりして、そして幸せだったりもした。


大学を卒業してから数年間。
いいサイクルで好きな人はいたけれど、特定のステディはなく、
でも、生活をしていく上で、格別「寂しい」と感じたこともなかったような気がする。
冬場は経済市場において、本当にイヴェントの多い季節で、
ひとりでいることを気の毒がられたりもしたけれど、イヴェントとは離れたところで
小忙しく暮らしていることも多かったせいか、他人が言うほどではなかったようにも思える。


で、だ。
そんなふうに安定した生活を手に入れる前に、必ず、物凄い凍結気分を味わったはずなのだけど、
それがいつか??なんてことに思いを馳せると、物凄く遡らなければならないということに気づいた。

今年、みっちり振り返って、もうこれ以上掘り起こすこともないと思っていたけれど、
あたくしの思考は、15の頃まで遡って、そこで見事に止まった。
・・・・そうか。
あの頃に徹底的に「寒い」状況を味わったから、以後、動けなくなるほどの凍結状態にならないように
どっかで無意識に「調節」を施していたのかもしれない。

16以降の冬は、普通の女の子を気取るように、休日になればオーブンを使ってお菓子を作ってみたり、
別件でも頗る忙しかったはずなのに、ひとりで街を闊歩してウィンドウショッピングをしてみたり、
恋人に感ける振りをしてみたり、実際に感けてみたり、あるいはまるっきり除外してひとりでいたりと
かなり、自分の状態に対して自由なスタイルとスタンスで楽しんでいた気がする。
これらは全部、15の時に経験するはずのことだったんだ・・・・あたくしの中の予定では(苦笑)。
当時、総てを取り上げられたので、翌年からあたくしはまるで爆発するかのように
自分では「コレは違うな・・・・」と感じていても、あえてやってみたり・・・・なんてことを沢山した。


18の冬。
大学受験を間近に控えていたけれど、あたくしにはこれまでにないガッツリとしたステディができて、
始終、その人と一緒にいるような生活をしていた。
まぁ・・・・この性格なので、どっかでかなり醒めていて(笑)、全身全霊でのめり込んでいたわけではない。
15の時に学び、悟ったのである。
好きな人にのめり込むのを差し止められた方が、精神的に物凄くきつくて、
受験勉強にも支障を来す・・・・と。
よっぽど適度に遊んでガス抜きをした方が、自分の実力に見合った、ちゃんとした結果が出せる、と。
人生初の受験で、抱えなくてもいいストレスを抱え込んだことで、本当に不本意な結果に終わったことが
どの時代から振り返っても不甲斐ない事のように思えて仕方がなかったのだ。
無論、18になる頃には、自分の通っている学校に対してそれなりの愛着・・・・「愛校心」みたいなものも
ちゃんと芽生えて、誇らしくさえ思えるようにもなったんだけど、
16の春に感じた、あのとてつもなく情けない感覚は、いつまでたっても拭いきれない
嫌な思い出として残った。

まぁ、18の冬。大学受験という重圧の中であれこれ考えたことは、
結果的に自分が思う進路にズバリと決められたことで、全部水に流してしまえたのだけれど、
結果が出せなかった15の冬に思ったことは、いまだ未練たらしく抱えたまま・・・・。
そういうことなのである(笑)。


15の冬にしたかったこと。
カズコ(仮名)たちの誕生日が冬休みに入ってすぐに控えていたので、
皆で一緒に祝いながら、1日くらいは何もかもを忘れて楽しく過ごす。
ついでにクリスマスなんかも巻き込んで、あたたかい気持ちでいられたらと思っていた。
冬休みが明けたらすぐにシン(仮名)の誕生日もあったから、そのために時間も割きたかった。
如何せん、3年越しの片思いがこの年にようやく叶っていて、堂々と祝ってあげられるチャンスが
初めて到来したのだから、秋口からあたくしの心は必要以上に躍っていた。
13の時も14の時も、この日は彼のことばかり考えていて、何もできないのがすごくもどかしかった。
3年目、やっと願いが叶う・・・・冬を迎える前は、あったかい理想で胸がいっぱいだった。

全部ナシになったというのを知った時、あたくしは言い知れない「寒さ」を感じたのだった。




この日、珠玉のトマトソースが出来上がったのを見て、あたくしはそこそこ満足だった。
我が家にはオーブンがないので、冬場、温かい料理を作ろうと思っても、
ある程度の限界が生じるけれど、そういうのも関係なく2度目の冬。
多少寒くても何とでもなっていくという現実と、何とでもなってしまうという寂寞感が
同時に心を揺さぶるのだ。
今年の冬は異様に寒いのだけれど、何故かあたくしは、例年になく汗をかくようになっている。
それは多分、何もかもが満たされている証ではなくて、
やっぱり何かが足りなくてぽっかりと空いた「あそび」の部分の中で、
満たそう満たそうとするいっぱいの作用が、熱を佩びているからなのかもしれなかった。
この逸る気持ちを落ち着かせるには、いつの時代かに、この手からこぼれおちていった
大事なプレゼントや、とっておきのケーキのレシピなんかを掻き集めることでは足りない気がする。
後々余るくらいに、沢山のプレゼントやお菓子や料理のレシピは手に入れたけれど、
結局、満たされることはなくて、いつもどこかで不足している。


でも、今思うのは、その「不足」分がいいような気がする。
足りないなぁ・・・・と感じるからこそ、自分が生産する側に回ろうと必死になる。
外は寒いけれど、家の中で必死に動こうとすると、やっぱりうっすらと汗ばむ。
エアコンも昼間はずっとつけていない。

↑どっかおかしい(爆)


この冬は、寒いけれど、ある意味「熱い」(笑)。
色んなものが剥がれ落ちていくのと同時に、新しい何かも芽生え始めている、そんな感じ。

あさみ


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