2005年12月29日(木)
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今となっちゃ笑える、伝説の偏差値 |
「ドラゴン桜」の再放送をまったりと堪能しつつ、一方では
「そもそも平均偏差40未満だった人間が、たった1年未満の勉強で以て センター試験であんだけの点数が取れるって、東大受ける前に奇跡じゃねぇ??」
と、ホントに極々普通の感想を抱いた、偏差値低めだったアサミンジャーです、どうも♪ あたくし自身は私立一本だったので、高校3年の冬、名物センター試験は受験しなかったんですが、 大概、翌日の新聞に入ってくるその問題をずいっと見渡しても、 半分できるかどうか、ものすげぇ不安なところだったことはよく覚えているので、 やり方によっちゃ、あんな奇跡的なことも起きるんかいな??と、ホントに感心しましたよ(笑)。 足切りが存在する国公立の二次試験に臨む前に、ほとんどの大学から門前払いを喰らいそうな そんなオノレの実力に、私立の受験を前にしたあたくしが暗黒世界に叩き落されたことは、 まぁ、云わんでもわかりそうなことで( ̄∇ ̄;) 無論、あたくしが受けたところは全部、センター無関係の、英・国オンリー受験という 物凄く偏りのあるところばっかで、文系のクセに、漢文すら受験科目に入ってないってどうなの?? ってなところばかりでしたよ( ̄∇ ̄;)
なので、いくらテレビの中での出来事とはいえ、「あいつら、スゲェ♪♪」と フツーに憧憬のまなざしだったりも(苦笑)。 確かに、学歴なんて人生の付録中の付録みたいなものだけれど、実際、あって邪魔なものでもなし・・・・。 「東大なんて・・・・」と僻んだ事を言うには、とりあえず、そこに入れるだけの実力を伴ってから 吐くべきなんだよな・・・・と、そこんとこでも妙に納得したり。 事実、あのホリエモンは、東大の学生証欲しさに、たった半年の集中学習で見事受験を突破。 4年次のゼミまで進んでおいて、あっさりと辞めて会社を立ち上げた。 ホント、頭のいいヤツの発想と行動ってのにいちいち呆れつつも、一方では感心するよ。 俗物の塊だからこそ、あの人は金儲けができるのかもなぁ。
番組の中で連呼される、「平均偏差36」という言葉に、恐らく昔のあたくしだったら かなり慰められたことだろう(爆)。 中学時代はともかく、高校時代の平均偏差(例えば全国模試レベル)たるや、ホントに惨憺たるもので 泣きたくなるのを通り越して、もう笑うしかねぇだろ・・・・みたいな状況だったことも幾数回。 皆、結構まじめに勉強しているであろう中、あたくしはやりたい放題の好き放題で、 ちっとも勉強らしい勉強をしなかったもんだから、当然といえば当然なんだけど、 正直なところ、「勉強の仕方がわからなかった」という科目も沢山あることは事実なのだ。 (振り返ると、まずはよくそんな状況で高校に進学できたものだよなぁ・・・・と思うこともある。)
もう、いよいよ点数が取れなくなってきて、そして模試の回数も増えてきた高校3年。 友達や恋人と交わす会話の中にも、受験や定期考査の話もバンバン出るようになった時の事である。
当時、あたくしが交際していたタカは高校が別で、彼は元々あたくしが志願していた高校に通っていた。 もうその頃ともなると、16の春に抱いた変なやっかみは消えていて、 自分の通う学校のことが好きにもなっていて、すごく充実した日々をあたくしも送っていた。 校内考査のことはともかく、全国模試の結果は共通の母体から算出されるものでもあり、 互いの弱点克服やら、得意科目についてもよく話をしていた。 ただ、うちの高校に比べて彼の高校は、夏前から毎週のように自由参加の全国模試を盛んに取り入れ、 その回数たるやハンパなものではなかった。 加えること、校内の実力テストやら定期考査やらが重なるので、いつもテスト漬けみたいな生活で、 正直、こんな環境ではあたくしだったら発狂するなぁ・・・・( ̄∇ ̄;)と心のどっかで思っていた(苦笑)。
この高校には、中学時代にあたくしと仲のよかった子がわりと多く進学していたので、 彼との会話の中でも、結構そういったメンバーの話が多く登場した。 事実、彼がいた生徒会執行部のメンバー6名のうち、3年生次にメンバリングされた彼を含めた4名中、 3名は同じ中学出身で、自分の高校の執行部よりもメンツをよく把握できたというくらいで(笑)。 彼の仲良しの中にも、あたくしの見知った顔がかなりよく登場したので、 勉強の話以外にも、話題に困るようなこともなかったのをよく覚えている。 加えて、あたくしが高校で仲のよかったミユキやおじょ〜が彼と同じ中学で 彼とも元々非常に仲がよかったため、そういった意味でも外野が上手に繋がっていたので困らなかった。
そんなある日。 いつものように、彼と待ち合わせをして色んな話をしていたのだけど、 話題が終わったばかりの定期考査の話になった。 どちらの高校も2期制で、前期中間が終わるタイミングがほとんど同じ。 答案が返ってくるタイミングも似たようなもの。 一喜一憂のタイミングも正に同時期だったので、高校が違っても感情にズレというのが少なくて、 非常に便利ではあった(苦笑)。 あたくしのクラスは私立文系特化型だったので、3年に進級すると同時に、 数学と理科の授業が一気になくなり、それまで数学と理科で泣いていたあたくしなんかは 非常に救われていたわけだけれど、定期考査なのに、英語の考査が4〜5つあったりして、 逆に辟易とし始めていた頃。 それこそ平均偏差を出すと、50に満たなくて、「ひぇ〜〜っっ!!」・・・・であった。 その「ひぇ〜〜っっ!!」な感覚を、よくタカに聞いてもらっていた(笑)。
あたくしが、大学受験から逆算して猶に1年をきった時点でオロオロしているのを話したら、 タカがこんな話をしてくれた。
「ほれ、お前と同じ中学のさぁ、吉見ちゃん(♂)って覚えてねぇ??」
「あれ?? 彼ってキミと同じ高校だっけか?」
「そうやって(笑)。」
「彼がどうしたん?」
「あいつなぁ・・・・開校以来の伝説を作ったんやて。・・・・化学の学年末で。」
「え?? おかしいなぁ・・・・吉見ちゃんってさぁ、 小さい頃から理科全般がすごく得意やったように思うんやけど。」
「それがさぁ・・・・『8』だよ!? 『8』!! ぎゃははははははは _(__)/彡☆ばんばん!」
「え?? 8点?? マジで??」
「いやいや、そんなもんじゃ伝説にならねぇよ( ̄ー ̄)ニヤリッ♪ 偏差値が『8』やったんや。」
「( ̄□ ̄;)!! 偏差値8って・・・・一体、どうやったら取れるの???」
・・・・コ、コレは確かに「伝説」である。 高校に入った初年度の学年末(数学)でただひとりの赤点をマークし、ブービーと20点も水をあけられた このあたくしでさえ、その時の偏差値はきちんと35以上あったのである(爆)。 点数的にはもっと酷かった、初年度、2年目の実力テスト(数学)で、 200点中たった一桁しか獲得できなかった時ですら、仲間が大勢いたせいか(笑)、 偏差値だけは40くらいあったと記憶している。 限りなく0点に近い点数を、限りなく少人数で競った時ですらこのくらいの数値がつくというのを 身を以て体験したので、そもそも偏差値なんてものは、そこまで転落するものではない・・・・と 知っていたので、彼から聞かされた「8」という数値は、奇跡というかある意味で衝撃的であった。 しかも、話題の人であるこの彼は、0点は免れたというのだからさらに奇跡的だ。 一体どんなからくりで以て、「8」なんていう数値が記録されたのか、非常に気になった。
「実はなぁ。学年のほとんどの連中が、満点に近い点数を出したんやて、そのテスト。 で、吉見ちゃんだけがコケたもんだから、こんなことになったってわけ。」
「へぇ〜〜〜〜っっ!!!(感心)」
「0点はわざと狙えば取れるけど、この偏差値は狙ったところでそうそう取れるもんじゃねぇよ。 しかも吉見ちゃんは0点じゃなくしてこの数値を叩き出したもんだから、 本人も何かあっけらかんとしてたなぁ(笑)。」
「うん・・・・コレはかなりスゴいかも・・・・( ̄∇ ̄;)」
補足で聞いたのだけど、この時のこの化学のテストは、満点をとっても偏差値がそれほど高くなく、 50ちょっとくらいだったそうだ。 ま、そらそうだわなぁ。。。 平均点が例えば98点だったら、100点を取ったとしても殊更取り立てていい数値がつくはずもない。 母体の平均値が50として、そのポイントからどのくらい離れているかというのを数値化したのが 「偏差値」というものだから、大概の考査や模試においても、最下位を記録したとして、 数値が30を割り込むことは本当に珍しい。 況してや、一桁の数値が存在するなど、それまで事実上はありえないと思っていたのだけれど、 こうして伝説を作った人間が隣の高校にいるのである(笑)。 いやはや、我々は実に「偏差値」に踊らされた世代ではあったけれど、 踊らされつつも、その数字のからくりの矛盾に気づいたりすると、もうゲーム感覚だ(爆)。 この伝説を作ってしまった本人も、あまりの出来事に傷つくアレもなく、 寧ろしばらくはネタにしている風であったと、タカも語っていたし、 1度や2度の失敗で、バカみたいに凹んでいても仕方ないかもなぁ・・・・という材料にも 実際なったりしていたし。
進路決定も、いわゆる「旅」みたいなもんだから、最低限の地図は必要だったりする。 自分がどこに立っているのかというのをきちんと把握するための座標や磁石の代わりも必要だ。 それが我々の時代は「偏差値」だったわけで。 今でも、競争率の高い学校を受験しようとしている人たちにとっては、密かに使われているアイテムだ。 コレを公的に廃止した流れの中で、自分のことがわからなくなったり、迷いを感じたりした人たちを 後年、沢山見てきて、
「競争は事実上残っているのに、地図と磁石だけ隠されたら、コレは大変だなぁ・・・・。」
と、正直、そう思った。<塾講師バイト時代等々 コレばかりに傾倒するのもどうかとは思うけれど、一時期、本当に全くなくなりそうになって、 塾が必死に独自のものを作成する流れができたくらいだ。アレにはビックリした。 (それをコッソリ学校の先生が聞きにきたりとかもして・・・・( ̄∇ ̄;))
いや、しかし・・・・。 あんまり褒められた成績を治めたわけではないこのあたくしが言うのもアレだけれど、 この一件は、以来あたくしの中で、 「平均偏差36の人間が東大に合格する!」なんてことよりも、よっぽど難しいんじゃないか・・・・ という位置付けになった。 どんな形であれ「伝説」を創るってのは、そうそう簡単なことではない。 現役当時のあたくしが、「東大合格!」と「史上見たこともないような低い偏差値をマーク!」という 2つの伝説を天秤にかけた時、どっちが自分がより近いところにいるかなんて、 そんなことは考えなくても明々白々なんだけれど(自爆)、 実現可か不可か!?というのを考えた時、「あれ・・・・? そうなると東大なの??」という結論に 達してしまうところなんかは、あたくしが小心者で凡人である所以なのかもしれない(爆)。 あぅ・・・・既に現役ではないので、好きなことを言えるけれど、 恐らく現在当事者だったら、泣きそうな二者択一( ̄∇ ̄;) 小せぇな、あたくし・・・・。
うむ・・・・あたくしも「できない子」なりに、1つくらいは伝説を残すような学生でありたかったな(笑)。 いや、文中に登場した少年「吉見ちゃん」は、非常によくできた人なんですが、 やっぱり、そんな彼だからこそ「伝説」になったのかしら?(苦笑) 「伝説」を創りあげても、普通に進級できた彼はホンモノかもしれない(爆)。
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