2006年01月08日(日)
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THE・有頂天「古畑」(え?) |
年が明けて、あれこれと特番ドラマが組まれて、「コレ、見ようかな♪」と何となしに HDDに録画しまくりました、元祖テレビっ子・アサミンジャーです、どうも♪ VHS時代と違って非常に便利になりましたが、その分の弊害も出ていることは確かでして・・・・( ̄∇ ̄;) 如何せん、撮ったら撮りっぱなし(苦笑)。 ちょっと前まで、リアルタイムであれやこれやと感想めいた「難癖」(爆)をつけてたものなんですが とうとうリアルタイムにおっつかなくなりましたよ( ̄∇ ̄;) もうこうなりゃ、マイペース┐( ̄∇ ̄)┌オホホ 「里見八犬伝」は撮りっぱなしのまま、まだHDDで眠っていますが、気にしない( ̄^ ̄)
年末までのクール、「大奥」もリアルタイムに近い速度で追っかけながら視聴はしていましたが、 まぁアレは・・・・ちょっと主要キャストに納得いっていない部分もありまして、 最終回までに何とかオノレを納得させようと頑張ってはみたんですが、 とうとう納得できないまま、スペシャルまで見終わってしまいました(笑)。 まぁ、アレはアレでいいのか・・・・。 HDDから抹消して、噛み締めながらそう思うことにしたんですけどね。 話は面白い・・・・ただ・・・・という、あたくしの嗜好の問題なので、これ以上はいいや♪
これまた年末に組まれた「3年B組金八先生」スペシャルも、一応、リアルタイムで見たんですが 手ごたえナシというか、「こういうふうにはしてくれるなよ」と危惧していたことが数珠繋ぎで あたしゃ、すっかり小山内先生が復活して、その上でのスペシャルだと非常に期待していたので すっかり士気を殺がれてしまいました(苦笑)。 今の脚本家が悪い・・・・というわけでは決してないのだし、一応「原作」として彼女の名前は健在。 なのだけれど・・・・どうもこう、喉もとにひっかかって落ちていかない、未消化のものが多すぎて 気持ち悪いままだった。 コレはぷよ2が一番危惧してたことなんだけど、
「他の子はいいけどさぁ、ヤヨだけ異様に垢抜けてたら、結構な裏切りだよなぁ。。。」
あたくしはそんなに重きを置いていない事柄ではあったものの、もしそうなら、ちょっとヤだな・・・・ というポイントではあり、そういうポイントでガツリと思った通りになっていたことが 非常に残念( ̄∇ ̄;) 何でやねんっっ!! 何で「ヤヨ」だけが異様に垢抜けてんねんっっ?? 確かに芸能界での伸び率は、オスカー軍団はさておき、急激なものがあったことは否めない岩井嬢。 しかしなぁ・・・・あの世界観において、地味に菓子職人を目指すことと相成った「飯島弥生」として アレはアリなのかどうかという視点でいくと、あたくし的には絶対にナシだと思うわけ。 ここまで裏切られたシリーズはまたコレ珍しいので、そういう意味では印象に残る作品になってしまった。
閑話休題。。。。 この正月3日から放送された、「古畑任三郎 FINALE」のことを書こうと思ってたんです。 やっと見終わりました(爆)。3話分、全部。 奇しくも、昨日からか・・・・? 「THE・有頂天ホテル」も公開となった 三谷氏渾身の最終作なわけです。 まぁ、最終作・・・・と銘打ったのは恐らくは制作者サイドの都合で、この日の「スタメン」を見る限りは 三谷氏本人は「需要があれば、これからも書く」みたいなことを匂わせていたので、 また数年後、田村正和演ずる古畑に再会できるかもしれない、その可能性はバリバリっぽい。
何かあったのかなぁ・・・・。 年明けに照準を合わせるように、異様にノリノリな気がするよ、三谷氏。 奥さんも、このクールから連ドラが入ってるし、三谷家で何かあったのかしら?? と 裏側を勘ぐりたがるあたくし( ̄∇ ̄;) 有頂天なのは、映画の「ホテル」じゃなくて、どっちかというと「古畑」のような気がするのは あたくしだけだろうか・・・・?(笑) まぁ、前シリーズからかなり年月も空いているので、 プロットくらいは山のように出来上がっていたとは思うのだけど、 いくら正月だからといって、あの寸法の話を3つも一気に流出するとは 映画のことも合わせて、1クールの連ドラ以上の労力だったんじゃなかろうかと、 密かに彼を労うあたくしもいたり(あは♪)
古畑任三郎が世に出て以来、「コロンボスタイル」などと言われてはいるけれど、 あたくしは、逐一この作品を目にするたび、本当によく書けているよなぁ・・・・と感心する。 「刑事コロンボ」があちゃらの古い刑事モノドラマで、日本でも有名になって、 ある程度の認識と評価をされてから、物凄い時間が経っているわけだけれど、 それ以降、そのスタイルを真似たとはいえ、1つのキャラクターをしっかりと確立させ、 本もそれに合わせてちゃんと書いて、あそこまでテンポよく物語を発展させるところまでもっていくには もはや「コピー」という技を猶に凌駕していると思うのだ。 シリーズによっては、少々荒い作品もあったりするけれど、そこはご愛嬌だろう。 彼は彼のやりたいようにやって、そういうスタンスは崩さずにいるのだから、 評価すべきは、そういうポイントなんだろうと思う。
氏は、ほとんどの作品において「あてがき」をする。 期待通りの芝居をしてもらうために、実際に役者に会ってみて、その上でキャラクターを作る。 コレは、相当面白いものを創る自信がないとなかなかできない(笑)。 いや、やってみると、書き手にとってコレが一番やりやすい方法なのだ。 そこに既にあるものを最大限に利用して、物語を構築するのだから、本当にラクなのだ。 私事だけれど、あたくしもプロットを上げる作業をする時は、 実在する人物をかなり自分の都合のいいように加工しながら、話を進めたりする。 芸能人だったり、自分の身近にいる友達だったり、 そんなに親しくはなくても、見た目が自分のイメージにピッタリくるとその人を勝手に使ってみたりする。 あたくしは脚本を書くのが非常に苦手なので、実際に自分の書いたものが 紙の上から飛び出していくようなことは皆無に近いのだけれど、 ひたすら会話が続くシーンなんかは、シナリオスタイルで一旦殴り書きをして・・・・というような 手法をとることも結構あったりする。 そこから本当に筋に起きてくるのはごく僅かで、水面下には本当に沢山のシナリオプロットが ゴロゴロしてたりするんだけど、鑑賞に堪えうるのはごく一部分というのが現状。 小説とシナリオとではやっぱり成分が違うんだなぁ・・・・ということはここ20年、 随分と思い知らされた(苦笑)。
また、演者にとってもこういう本は愛着がわく。 やりやすいことこの上ない。
氏が、自らも認めるウルトラ級のミーハーだというのが、 こういう手法をとるにあたっての大きな手助けになっているのかもしれない。 以前、
「この女優さんと会ってみたいから、この女優さんに発注をかけて、 会ってみて、それから書きます。」
などということを、臆面もなくいけしゃあしゃあと言うのを見て、 しかも、本当に悪びれた様子もなくて、ただただ自分の欲求に素直なだけだというものだから、 正直呆れたのだけれど、反面、天晴れとも思った。 ここまでエンターテイナーになれるモノ書きっていうのはなかなか珍しいし。
まぁ、そういうわけで、第2話目にイチロー、第3話目で松嶋菜々子を起用したことは もうそのキャスティングを執り行ったという事実だけで、三谷ワールド、三谷カラーになってしまっている。 嗚呼、今、彼はこの人たちに興味があるんだなぁ・・・・というのが、 まるで隠れもしないで前面に出てきている。こんなドラマ、彼が書くもの以外、他に見れない(笑)。 普通は先ず本ありき。脚本家は書きあがった時点で、キャスティングにあれこれと口は挟まないもの。 そういうスタイルを根底から覆す、寂しがり屋のわがままなんだけど、 何故か非常に愛らしく見えてくる。 一所懸命だからだろうなぁ・・・・。 やりたいことが、次から次へと泉のように湧き出てきて、彼はただただその欲求に 従順に素直に動いているだけなんだろうなぁ。 たまたま時流と国民の大半の好みが彼を支持した。すごいことだなぁ。
事件の起こる向きに関しては、今回の3作品、どれもそんなに込み入っていなくて、 どちらかというとわかりやすかったと思う。単純明快。こじれた人間関係もなく、見やすい。 芝居の完成度はどれもそんなに高くはなかったと思うんだけど(苦笑)、 「あぁ、きっと氏はこの人のこういうところを見せたいのかもしれないなぁ。」 「わざわざこういうシーンになるように創ったのかもしれないなぁ。」 という、エンターテイメント的な作為を感じた部分はあった。 「作為」というと、ナチュラルをよしとする昨今のドラマ事情の中において、 非常に安っぽくて陳腐なイメージが付きまとってしまうかもしれないけれど、 彼の作る「作為」は、そもそも自然なモノを基盤としていないので、いいデコレーションになる。
例えば藤原竜也の頑張った笑いであるとか、小学生の自由研究というモチーフとか イチローの全力疾走をわざわざローアングルから狙ったこととか 「コレはどうなんだろう・・・・?」とそろそろ視聴者が疑問を抱く要所要所でそういうのを見せて、 それまでの「作為」を総て布石に変えてしまっている。許せるから不思議(爆)。
あたくしは、松嶋菜々子はあんまり好きじゃないんだけど、「ラスト・ダンス」が 物語として、一番面白かったように思う。 事件としては単純だったけれど、古畑のこだわりが見え隠れする部分が 直接、三谷氏のこだわりに摩り替わっているように見える。 謎自体ははすぐに解けるものの、すぐに解ける謎だからこそ、 描かれた人間関係の「悲哀」が凝縮されているような感も否めなくて、それだけで 古畑が言うように「切ない」。 この物語の中では一貫して、常々、コミカルなキャラクターである古畑警部補ではあるが、 シリーズの序盤で登場した、中森明菜演ずるところの一連の事件以来の悲しげな表情をした田村氏。 頭を使って、あれこれと工作された事件を究明し、犯人をこれ見よがしに追い詰めていく痛快さも この作品の1つの魅力ではあるけれども、 誰もがすぐにわかるような単純な事件の中に潜む「悲哀」と向き合った時の 何ともいえない古畑の表情も、大きな魅力の1つのような気がする。 無論、古畑の着眼点は、そのまま三谷氏の着眼点ということになるのだけれど、 そう考えると、三谷氏はかなりロマンティストで繊細な人なんだなぁと思わずにはいられない。 メディアに出てくる時は、何か面白いことを・・・・と常々狙っている彼だけれども、 「面白いこと」を追求する時の副産物として出てくる「何か」があたくしにとっては非常に魅力的。 そういう意味で、今回の作品は大絶賛とまではいかないけれども、面白いと思った。
他の作品だと大まかな流れでそういうのが顕著なんだけど、古畑でもあったんだよね・・・・1つか2つ。 津川さんが古畑の旧友として登場するヤツとか。かなり前だけど。 あと、鈴木保奈美とアメリカのハイウェイバスの中で完全犯罪の話をするヤツとか。コレもかなり前。 どっちも相当エグい感じがした。誰も何もやってないのに、すごく複雑な気分になった。 こういう心理戦がたまにあるので、バランスが取れてていいのかも。
とはいえ。 ドラマや映画よりも、やっぱり彼の舞台作品が一番よかったり(笑)。
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