2006年04月13日(木)
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泣いたところで何も変わりはしない |
そもそも。 あたくしは情緒が常に安定していて整っている側の人間ではなく、 それこそ、やんちゃをしている頃から、かなりグラグラとした感じであった。 精神的にやられたことで、肉体にも破綻を来してしまったこともあり、 しばらくはどっから見ても「THE 不健康!!」といった感じだったけど、 そうなるまでと、ここしばらく・・・・数ヶ月くらいか・・・・は、わりと見た目が丈夫そうで 栄養もとことん行き渡って満ち足りている感じの風貌でもあった( ̄∇ ̄;)
常々が「紆余曲折」なので(笑)、もう今更、運命を呪ったり、現実を恨んだりするような 子供じみた真似はすまい!とオノレでも密かに誓ったところではあったんだけど、 その誓いも根底から覆すような、ビミョーな出来事があたくしを襲った。
今更ながらのオファーである( ̄∇ ̄;)
呑むに呑めない状況下。 それは即ち、泣くに泣けない状況下であることを意味しており、 「嗚呼・・・・自分はなんてタイミングが悪い生き方をしているんだろう。」 と、短絡的に呪う事にもなるんですけどね(マジ涙)。
しかも。 この期に及んで、きちんとあたくしに伺いを立ててきた主というのが、あの加藤さんで、 オファーの内容がズバリ、忘八の再演であった。 今年の9月に四日市での公演がとんとん拍子で決定し、 主演にはやっぱりあの漢、赤星さんを立てるんだそうだ。 9月本番・・・・っつうことは、8月には稽古に入るわけで。 四日市だったら、そんなにバカ遠くもなく、通し稽古や連日ゲネが入るようなことがあっても 通って通えない距離じゃないだけに、あたくしにとって、今回のオファーこそ 正に「もってこい!!」の条件であるはずだった。
えぇ・・・・。 コレが、昨年10月に打診されたオファーであったならば・・・・(涙×5くらい)。
待ち焦がれていたのだ。 忘八の再演は。 ハコがどこであろうと、キャパがどんなもんであろうと、共演者が誰であろうと、 加藤さんがあたくしにこうして声をかけてくれる限り、あたくしは二つ返事で かぶりを振って、このお話を快諾する・・・・絶対にそうなるはずだったのに。 ・・・・人生って、どこでどうなるかわからない。
以前にも似たようなことがあったよなぁ。 岡部氏から旅公演のオファーがあった時だ。 あの時は、結婚を控えていて、やっぱりそれどころじゃなかったのだ。 新婚の分際で、1ヶ月以上も家を空けるのはやっぱりいかんだろうってんで、 泣く泣くこの話もお断りしたんだった。
話が来ても、こんなことの繰り返しじゃ、何もしてないのと一緒だよ・・・・マジで。
加藤さんのお話をきちんと聞く前から、断らなければならない条件が揃ってしまっていたあたくしは 彼に対して申し訳ない気持ちでもいっぱいだったんだけど、 コレをきっかけに、一気に情緒不安定になって、彼からの電話を切ってから相当泣いた。 依頼を断ったことに対する罪悪感なんていう単純なものが原因ではなくて、 もう、色んなものがわやくちゃになって襲ってきて、自分でも悲しいのか悔しいのか辛いのか、 何なのかよくわかんないままに、ワーワー泣いていた。 よく考えたら、アレもコレもうまくいかない・・・・どうしてなんだろう??ってのまで一緒になって。
舞台の上での、あたくしの「良さ」みたいなものを、すごく真剣に伝えてくれたのが 演出家である加藤さんだった。 当時のあたくしはまだ23歳で、それこそ右も左もわかってなかったんだけど、 わかった振りをするな・・・・とも説いてくれたのが彼なのである。 先生が亡くなって進退極まっていた時に、最後に助言をしてくださったのも彼だった。 あたくしが創り出したものを、「作家」という目線できちんと批評してくれたのも彼で、 不出来なはずだったあたくしを「潔」という位置づけにしてくれたのは、正に彼だったのだ。
いつもギリギリのところで、コレをやめずに続けてこられたのは 「いつかきっと、もう一度忘八を」という気持ちがやっぱり強かったからで、 それは、初演の時にご一緒した共演した方々がそれぞれに思っていることでもあって、 何より、加藤さんや赤星さんが強く強く願っていたことなのだった。 彼らのようなジーニアスたちと空間や時間を共存できるということは、 それだけであたくしにとっては「勉強」であり「彩り」であるはずだった。 あたくしがまだ、今以上に「伸びたい!」と願い続けること、イコール その先に、「忘八」がある・・・・そんな気がしていた。
事実・・・・。 自分を育て直さなければならない必要性があると知って以来、 いずれかからやり直しが利くとして、その一番近い過去として思いつくのが、忘八の初演の頃だ。 それ以降も色々とやってきたつもりだったけれど、再演して自分に定着させる何かには出会えていない。 一番、現実味を帯びている「生き直し」が即ち、あの舞台なのかもしれない。 実際は、厳密に過去に戻れるわけはないのだけれど、 かつて自分が通った道をもう一度歩いてみることで、何か面白い発見や 当時は気づけなかった大事な物事を手に入れることができるんじゃないかという、 淡い期待みたいなものもあるのだ。
自分自身の「選択」として、あたくしはこの再演への参加の決意表明をどうしてもしたかった。 なのに、現実にはその真逆の決意を、加藤さんに伝えなくてはならなかった。 これがどんなにあたくしの身や心にきつく響いたか・・・・。 自分のこともそうだけど、自分を取り巻く様々な事象に対して、恨み言を抱え、正直なところ呪った。 そして、そういう醜悪な行為をしなければいけない自分に対して、ほとほと嫌気がさして、 また上塗りするように涙が出る。
本当に、本当に出たかったんだ。。。。。あの舞台には、どうしても出演したかった。
加藤さんが、あたくしのことを二度と使いたくないと思っているのならば それはそれで仕方のないこととして諦めもつくけれど、 10年近くの年月を経ても尚、こうして伺いを立ててきてくれるという事実がある分、 諦めようとしても、気持ちは諦めきれない。 どんなに頑張ったって、状況的に出演が叶わないんだからどうしようもないのだけど、 それでも諦めきれないんだ・・・・。 まだそんな執念が、あたくしにも残ってたんだなぁ・・・・。 泣くほど舞台に立ちたいと思えるほどの情熱が、きちんとあることはすごく、すごく嬉しいけれど。 その情熱が、今の現実を悉く敵視している。何もかもを否定しにかかる。 このジレンマと闘うために使うパワーはハンパじゃない。今のあたくしには、正直、少々キツい。
もう今更、泣いたところで何が変わるわけでもない。 少し昔に自分が決めた道を、あと数ヶ月は全うするためにきちんと歩きとおさなければならない。 もう変えられない「道」。 この文章を書いていたら、また涙が溢れてきた。 情けないけれど、どうしようもないや・・・・。 自分でも、どうしたらいいのかわかんないや・・・・。
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