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向き合わない理由。��

部活を辞めたのは、ほんとにPDのせいだけだったのか。

友だちや先輩とちゃんと関われないという、

もう一つの問題があったんじゃないのか。

その他の出来事も、いくつかの原因を持っていたんじゃないのか。

その問題を解決しないまま、ここまで来てしまったから、

まだPDは私への警告として、私の中にとどまっているんじゃないか。

PDが無くなってしまったら、私は自分の中の様々な問題を、

無かった事にして、ごまかしながら生きていってしまうんじゃないか。

PDがあったからこそ、私は自分を見つめる時間を取る事が出来たんじゃないか。

そんな風に思ったりする自分がいる。

自分の気持ちを偽りながら生きていると、身体やココロは必ず悲鳴をあげる。

病気になったという事は、自分がその悲鳴を汲取る事ができたということで、

それは喜ばしい事なのかもしれない。

私の新たな取り組みは、今始まったばかり。
2003年06月15日(日)

向き合わない理由。��

最初は、確かに病気そのものだった。

親子関係とか、思春期のストレスとか、環境の変化とか、脳の伝達異常とか。

最初は、自分に何が起こったのか分からなくて。

自分が神経質過ぎるからとか、だらけているだけなんじゃないかと思い、

襲ってくる不安とひたすら闘って来た。

そして、20年が経とうとしている。

今、私を苦しめているのは病気そのものだろうか。

今まで私の行動を決定する最高機関は、この『不安感』だった。

高校で部活が続けられなかったのも、大学で合宿の度に辛い思いをしたのも、

留学したかったのにいけなかったことも、卒業旅行に行けなかった事も、

OLが続かなかった事も、社員旅行に行けない事も、子どもが産めない事も。

すべてはこの病気のせいだ、この不安感のせいだ。

そう思っている自分がいた。


好きな曲を聴いていた。そうしたら、急に涙が出てきた。

私にはやりたい事があった。

でも私はPDを理由にして、それが出来ないと決めつけていた。

PDはいつのまにか、私の人生からの逃げの理由になっていた。

『自分がやりたい事をしなさい、ゆっくりでいいから。』

ココロからやりたい事を抑えて生きている私には、真の回復は無い。

PDを逃場にしているウチは、前に進めない。


何か辛い事があった時、発作に逃げていると感じる事があった。

出掛けている途中で気分が悪くなる。

またPDのせいで調子が悪くなってるのかな。

調子の悪いままでいるのは辛い。

辛いなと思いながらも、用事を済ませる事は大変。

だから私は不安に逃げる。もちろん無意識に。

発作が出てしまえば、その場から逃げられる。

もう何も出来ませんと言ってしまう事が出来る。

何か、取り組まなくちゃいけない問題が自分の中にあっても、

PDへの対応でいっぱいいっぱいだと言えば、

その問題に目をつむる言い訳になる。

PDにかかりきりになる事で、私は色んな事から逃げていた。

もちろんPDは辛い、怖い。

でも、解決しない問題を抱えているからこそ、

身体がPDという危険信号を送ってくれているのかもしれない。


すべての病気を気のせいだと言うつもりは全く無い。

でも、自分の中の問題が病気を作り出すというのは確かだと思う。
2003年06月14日(土)

開けない自分。

自分を開けない。

自然な自分が出せない。

表に出てくる私は、何枚かのフィルターを通した後の私。

このフィルターを剥がして行くのは、私にとってすごく怖いこと。

フィルターをとった私は、受け入れてもらえるだろうか。

世界から攻撃を受けるのではないだろうか。

友達から嫌われてしまうのではないだろうか。

人に見せたくないほんとの私。

人に分かって欲しいほんとの私。

自分を見せてはいけないと、いつから思うようになったのだろう。

小学校の時の私は、そんなこと考えていなかったのに。
2003年06月12日(木)

不安を手離す。

もうずいぶん長い間、不安とともに生きてきた。

朝起きてから、夜寝るまで、いや、寝た後も、

不安は私と共にあった。

20年も抱えてきたこの不安、

私にとっては息をするのと同じくらい当たり前のもの。

この不安は、私を苦しめるけれども、私の助けにもなっている。

不安に逃げ込むことで、現実から逃げる理由になった。

辛いことから顔をそむける言い訳になった。

なぜそういう事に、不安を利用しなくてはいけなかったのか。

それは私が、自分自身を受け入れてなかったから。

ダメな自分も、弱い自分も、だらしない自分も、ふがいない自分も。

全部私。

愛されるべき存在の私。

パニック障害も、アダルトチルドレンも、全部含めて私。

その私を受け入れて、許して、愛していくことで、

不安を手離せる日が来るかもしれない、と最近思う。
2003年06月11日(水)

きっと誰かが。

『人は必ず誰かに、愛されてると言えるよ。
だって、僕は今でも君をとてもとても好きだから。』

『人は必ず誰かに、愛されてると思いたい。
君の事想うように、僕もいつか愛されたい。』

私の好きな曲の歌詞。

誰も信じられなくなって、この世に一人ぼっちな気がして、

強い寂しさとと独感と、

自分に微笑んでくれない世界に対する怒りがこみ上げてきてる時。

思いがけず、友だちから手紙が来たり、メールが来たりすることがある。

手に取った瞬間に、涙が出てくる。

ひねくれてしまった自分のココロが悲しくて。

『安心』という言葉が、身に付かない自分が悲しくて。


今この時間に、誰かが私の事を想ってくれているかもしれない。

元気かな?どうしてるかな?って、ふと思い出してくれてるかもしれない。

私が、みんなの事を思い出してるように。
2003年06月10日(火)

ショックだったのかなぁ。

子どもは欲しくないと思っていた。

自分には子供は持てないと思っていた。

ACやPDなどいろんなことがあって、産む事も育てる事もあきらめていた。

第一、私には『家族』がいいものだなんて思えていなかったから。

『家族』とか『親戚』なんて、血が繋がっているというだけで、

一緒にいなくてはいけない、めんど臭いものだと思っていた。

母親が、親戚との付き合いのたびに、嫌だ嫌だとこぼしていたし、

なるべく付き合わないでいいように、親戚を避けているのを見ていたから。

でも旦那と付き合うようになって、旦那の家族と付き合うようになって。

私がずーっと思ってきた家族とは、違う形の家族を見た。

そして、その家族に仲間入りしたいと思う私がいた。

ずいぶん、ずいぶん時間がかかったけれど、『子どもを作らない』配慮をやめてみようと思えた。

生まれて初めてそう思ったのは、今年に入って薬を止めることができるようになった頃だった。

そして今月、来るべきものが1週間くらい来なかった。

『もしかして・・・?』という思いが、何度もココロをよぎった。

自分は大丈夫なのだろうか。

ココロは、身体は、準備ができているんだろうか。

出来てしまえは強くなれるものなんだろうか・・・。

ネットで妊娠の徴候について情報を集めたり、自分の身体の変調を観察してみたり。

不安をかき消したい、でも知れば知るほどどんどん不安になる。

もしほんとに出来ていたらどうしよう。もう逃げる事は出来ないんだ。

出来てもいいと思っていたのに、いざ現実になりそうになると逃げたくなる。

気がつくとそんな事ばかり考えていて、そうすると身体の方も変調が出ているような気がして。

でも昨日、約1週間遅れで始まってしまった。

子ども好きで、子どもがほしくてたまらない旦那に伝えると、

ちょっとふざけてすねたように、『ちぇっ。』って言った。

ほんとはすごく残念がっているに違いない。

私にプレッシャーをかけないようにしてくれている。

私は、『ほっ。』としていた。

ここ何日間か感じていた不安から解放された気持ちだった。

会社の日だったので、そのまま普通に仕事をし帰って来た。

そして、帰って来てからもいつも通りに家事をして旦那の帰りを待っていた。

でも、その頃からだんだんと気持ちが落ちていくのが分かった。

無気力なような、泣きたいような、エネルギー切れちゃったような感じ。

旦那が帰って来てからも、あまりしゃべらずぼーっとしていた。

いつもうるさいくらい話し掛けてくる私が静かなので、旦那も気にしてくれた。

なんでだろう?安心したはずなのに。

もしかして、私の中にも欲しかったなっていう気持ちがあったんだろうか。

自分が欲しいっていうよりも、旦那のため、親のため、年齢の事を考えて、

大きな決断をしたはずだったのに。

そういえば『子ども』というキーワードに敏感になって、いつもとは違った感覚で、

よその赤ちゃんや子どもを見ていた自分がいた。

自分の中で命をはぐくむことに、嬉しさを感じていたかもしれない。

自分の中に、そんな部分があったなんてほんとに驚きだった。


旦那は、『いろんな思いを持って過ごしていたから、疲れたんだよ。

不安だったんだろうし、きっと気が抜けちゃったんじゃない?』と言った。

旦那に寄りかかりながらテレビを見ているうちに、涙が出てきた。

そうしているうちに、旦那に対する申し訳なさや、

子供のいる人たちへのうらやましさなどがあふれてきた。

子ども好きな旦那。

私みたいな人と結婚してなければ今頃は子どもがいたかもしれないのに。

普通の人が、普通に出来ることが私にはできない。

そんな事を言って泣いている私の頭をなでながら、旦那が慰めてくれた。

『まだだめだって決まったわけじゃないでしょ。』

しかし、今回この気持ちの揺れ方を経験してしまったことで、

次をどうするかという新たな課題が生まれてしまった。

私はまだだめなんだろうか。納得していないんだろうか。

そもそも、私は子供が欲しいと思っているんだろうか。

妊娠、出産、子育ては、ほんとに大変なことだと思う。

生半可な気持ちで出来るものではない。

私のような考えの人間には、無理なことなんじゃないだろうか。

もし私が、将来自分が寂しいからという理由で子どもが欲しいと思っているなら、

それは私の母と同じ考えになってしまう。

そんな私が育てた子どもには、ACが連鎖してしまうだろう。

なんで自分の気持ちがこんなに落ちているのか、不思議でしょうがない夜だった。
2003年06月07日(土)

恐れが多い。

急に大きな音がしたとき。大きな声がしたとき。

誰でも驚くのが普通だと思う。

でも私は昔から、その時一緒にいる人たちよりも驚きが強かった。

大きな声を出したり、大きなジェスチャーをしたりはしない。

身体を硬直させて、固まってしまう。

女性らしく、きゃーとかいう声も出ない。

派手な動きは無いが、自分の中では本当にすごくすごくびっくりしている。

瞬間的にめまいがしたり、たとえそれがなんでもなくてただの物音だったとしても、

その直後に吐き気がしたり、不安感が大きくなって気分が悪くなったりする。

なんでそんなに自分が驚きやすいんだろうとか、なんで不安になったりするんだろうと考えていた。

普通に、音にびっくりしているだけならこんな事にはならないはず。

まだ、これが理由だ!っていうのははっきり分からないけど、

昔から、大きな音は私にとっては『攻撃』だった。

その恐怖が、普段の物音にも関係しているんだと思う。

ものすごい大きな音ではなくても、周りの人が出すちょっとした音にもビビっている私がいる。

母は、機嫌が悪かったり私に腹が立っていたりするとイライラして、

何をするにも大きな音を立てた。

それも、私には直接何も言わないで。

私が自分の部屋にいても、母が台所で出す大きな音が聞こえてくる。

お茶碗を、乱暴に洗ってガチャガチャいわせたり、食器棚の戸を、勢いよく閉めたり。

それは、

『私は怒っているのよ。それはあなたのせいなの。何も言わなくても気付きなさい。』

という母からの無言のプレッシャーだった。

昔の私は、その音が聞こえると恐る恐る母の元へ行き、ご機嫌伺いをするのだった。

または、その波が過ぎ去るまで部屋でじっとしている。

でも、いつ母が私の部屋へやってきていきなり戸を開け、

怒鳴りだすかもしれないという恐怖に怯えていた。

母の足音が近づいてきたりすると、どきっとして緊張が走った。

私にとって大きな音は、相手の怒りを感じるものであり、

自分の安全を脅かすものなのだった。

何にでも恐怖を感じやすいこの性格は、

恐怖を感じさせられてきたことによって、植え付けられたものなのかもしれない。
2003年06月03日(火)



ひとりぶつぶつ。 / quartz うぃんちゃんのぺーじ
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