痒痛 ☆ 日記 
お酒と音楽と変人と。菫色の日々。

2003年06月29日(日) パッション好き

外国人による日本語弁論大会 なんてものを見てしまいましたよ。
きちんとした文法、なまってるけどハッキリとした発音。
感心しました。

なかでも、和歌の道に青春のすべてを捧げた! と断言した中国人留学生よ、きみは大賞ではなかったけど、わたしの中では君がNO.1だ。
内容より、狭いアパートの書斎で八年間清酒まちがい青春のすべてを捧げた和歌の探求の道は 愛であり使命である、といったところが気に入ったのかな。
単純に自分がこの世に生まれた意味を明言しているところが うらやますぃー。
おもわず、結婚してくれ! と画面に向かって呟いてしまいました。
ところでバイト先の知人は、外国人留学生くずれに貢いで、ボロボロです。
顔が・・・ なんだか日に日に歪んでいます。
留学生もそれぞれ。

またまた新発泡酒がでましたねえ。さっぽろ のみごたえ。いまならチビッ子おつまみがおまけについている。

いま、頭をかすめているのは き・ん・え・ん
やめてもいいし、やめなくてもいい。が、やめてもいい・・・ という選択肢が浮かんだことが 今までになかったこと。
禁煙すると、目の下の隈がなくなるらしい。
味覚・嗅覚 がするどくなるらしい。
前者は 歓迎すべきことだけれど、これ以上嗅覚が鋭くなると、食べられないものが増えそうなんだ。



2003年06月28日(土) そうなのね

どうも寝つきが悪くとも、一度眠れば起こされるまで9時間は(微妙だ)眠っていられた自分が、ここ幾日か眠れない 眠り続けられない、やたらになにか支度を始めたくなる。

これは、夏躁です。

毎年 そうだった と思い出しては 過ぎると忘れている。

これはなんというか身体が勝手にそうなるので、まったく生産性のない、支度しても取りかからず、次のものに目が手が逸る。
なんでしょう。生き物として寒くなるまでになんでもいいから急げって信号を世界から受け取っているのでしょうか。
図書館からビデオ屋から目に付くものを山ほど借りておいて、手をつけることからは逃げ、深夜にアチコチのコンビニに出撃しては、週間あさひや女性せぶんやこみっくもうにんぐを立ち読みして、夜明けとともに眠り、目覚め 眠りたりずやや調子悪のままやたらと洗濯をしたり、浴衣を縫おうと生地を裁ってみたり そして縫わず。

どうりで勢いで書きなぐったような日記を連日UPしていたなあ、とまあそういうことです。

昨晩のお風呂はカモミール風呂でした。
昨日の夕ご飯は玄米かゆでした。



2003年06月27日(金) 朱い実

好きであります。
さくらんぼ。
りんご。
クワの実。
ほおずき。

緑の葉のかげに あかい実がのぞいていると、なんとまあ 自然の造形は、形であれ、色の配色であれ、すんばらしい! と毎回感心しきりです。

それでいま、ベランダで プチトマト を育てています。だんだん、実が黄色くなって、オレンジづいてきましたよ。
雨があがって暑い日がつづいたら 朱くなる!
食べちゃうまえに 写真をとってマイ満足画像掲示板にUPするぞ。

今年の夏の電力不足はどこまでのものなんでしょうか。クーラーつかえないの?
いまから耐久性をつけておいた方がいいのかしら。
2000年問題の時も、毎年の水不足も、騒いだ割には・・・ だったからどうも割り引いて考えてしまう。

でも少しだけ、くるならこい! と燃える。



2003年06月26日(木) 毒

ひとに毒になるものはいろいろある。
毒になるものは耽りやすい。

ひとり は毒だと思う。
傷ついたとき、心を整理したいとき、ひとりになるのは必要だけれど、そのまま ひとり に耽ってしまい、抜け出せなくなる。
また、傷を癒すと同時に 心の荒廃をすすめたりもする。

もうボロボロのひとには、ひとりで居てはいけないよ、と言う。
けれど、わたしが一緒にいてあげるよ、と言う気はない。だから説得力がない言葉と受け止められてしまうかもしれないけれど。
いいわけではなく、話やすいひとと、本当にそばにいて救いになるひとは別だよ。
心底ボロボロで、話もできない 表情もつくれない、そんな時はもう、どんな自分でもしかたないと 家族だからと、親友だからと、ご飯をたべさせて、お風呂をわかして、洗濯した服を用意して、 いまは仕方ないと泣いて許してくれざるを得ないひとのところにいるしかない。

誰もが言葉を失うほど立て続けに家族を亡くして、ひとりオイテイカレテ、呆然としてしているあなたに、わたしの言いようは冷たいようだけれど、まだ行くところがある、大人なんだからと頑張っていないでそこに逃げ込みなさい。
わたしのもののわかったような言葉に、大人としてバランスを保ったまま癒しを得ようとしても、そんなことは無理なんだから。
言葉じゃない、誰かの気配 体温 気配り が それらは時に耐えられないほど苛ただしいけれど、最後には 立ちあがる力になってくれる。

ボロボロのままひとりに耽って、誰の呼びかけにもこたえず、ひとりで死んでしまったひとを知っているよ。どんな死に方でも 最後はおなじと思うけれど、そのあまりの寂しさにそれほど親しくなかったのに、忘れられない。
もしも救えたとしたら、それは言葉ではなくて 閉じたドアを抉じ開けて 病院につれていき、治療させ、食事をさせ、病気なんだからしかたがない、と面倒をみる。
そのはじめの「ドアに踏み込めるひと」だったと思う。その時の彼にはいなかった。友人や知人には 心配してドアを叩くところまでしかできなかった。

わたしはあなたのドアを抉じ開けることはできない。あなたもわたしのドアを破ったりはしないでしょう。父や母や、amiや compan~erosや 破るひとは別にいる。
言葉をもとめないで、ひとりでいてはいけない。


もうひとつの毒は 想像力かな。
わたしが耽溺している。
あまりにも生き生きと、無限のバリエーションで 想像ばかりしていると、現実には起こっていないこと、なにも実行していないこと などがどうでもよくなってくる。
どんなバーチャルリアリティもかなわない満足感があるからね。
そうして本当の望みがなんなのか わからなくなってしまう。
将来も、恋愛も、成功も、表現も、味わいつくした気持ちになって、他者からNGをくらうようなチャレンジを現実に行うことが、怖くなったり ひどいことに 億劫になったり。

「どうせ」

と思ったらおしまいだ、とココに踏みとどまろうとしている。



2003年06月25日(水) 本日もずれずれだ

すごく小さいときに、父の車のステレオに入りっぱなしだったテープの中の曲がいまもたまに口からでる時があります。
ガソリンスタンドとか、高速のサービスエリアで売っているような、当時のヒット曲を集めたようなテープで、ようすい氏の 心もよう が入っていたような記憶があります。
自己流作詞した部分もあるかもしれないけれど、以下↓

♪ とおい わけでいいの
  出会う 場所であって
  言い残した ことば今も捜すけれど
  むなしい あああ
  過ぎた月日が 美しいのは
  それがもう二度と 姿変えないから
  だから 追わないで
  翼の傷がやがていえるまで
  かりそめに 微笑む いま

女性ボーカルで、高い細い声のひとだった。こうして歌詞を書きてみるとヘンな歌だ。曲もドラマチックだけど、ぎこちない。でもそこが頭に残る。
言い残した〜 の行がとくにガタガタしていて好きだ。
誰のなんという歌なんでしょうか。誰かおしえて。でも知らなくてもちゃんと歌えるけど。もう何十年も自己流で歌っているから、原曲をきくとずいぶん違っているのでしょうねえ。

ふいに思い出す週間なのか、もうひとつ。
中学生のときかなあ。友人ではないクラスメートの女の子で、エキセントリックな子がいました。
彼女は、これまた懐かしいけれども きっかわこうじ の熱狂的なファンでした。
彼は当時どうだったんだろう。かっこいい という評価だったけれども、それは「やりすぎ」と笑われるギリギリのところだったような。
水球選手で逆三角形の体系とか、ラメメイクとか、わりと頭が大きいとか、自分のことを「きっかわです・・・」というところとか、つっこまれやすいポイントをいくつも持つスレスレなかんじ。冷笑的な(わたしと友人たちのような)女子はもうダメだったような。

しかしエキセントリッククラスメートは、真摯なファンでした。女子中学生としてすべての人生を彼に捧げているようでした。家では帰宅してから寝るまで彼のレコードをかけている、と言って恥じるところなし の今思えば、尊敬してもいいかもしれない 深く対象に入り込むひとでした。
でもこちらも中学生ですから。からかいたいわけです。

「一日中、ユーガッタ チャンス ユーガッタ チャンス ユーガッタ チャンス かあ。」
(彼のヒット曲。題名は思い出せないが、ここがサビ。熱くなんども繰り返す。)

とふともらした言葉から、彼女のあだなは

ゆがたちゃん

になり、それは卒業して高校生になっても延々と使われ続け、(わたしは別の高校だったが彼女と同じ高校にいった友人からそう聞いた。)当然 十数年後の同窓会でもみな彼女をそう呼び、わたしは今となっては彼女の本名が思い出せません。

当時の きっかわこうじ のありようや、彼女の入れ込みぶりを知らなければそんなに面白い話でもないでしょうが、わたしとしては長いネーミング好き人生でも、ゴロといい彼女のキャラクターとのかぶり具合といい、イチニを争う傑作だと思っています。
そう、わたしが呼び始めたのだ。
もしかすると彼女はわたしを恨んでいるかもしれないけれど、どうなんでしょう?
あだ名ってつけられると嬉くないかなあ。

いまでも、ふとこの名前だけが頭に浮かんできます。
「ゆがたちゃん」
と呟くと心の底から楽しい気持ちになるのです。



2003年06月24日(火) 本日ずれずれ日記

ふいに思い出したのですが、少し前、数年前か、殿方はさっぱりご存知ないかもしれませんが、ドラッグストアや、薬局や、通信販売の広告や、そんなところアチコチドコニデモ、

「うんこが匂わなくなる薬」

を売っていました。大々的に。お店の一番目立つところに、はっきりくっきりPOPなチラシをつかって。
いまは見かけません。
なんだったのだろうか。
大ブームを巻き起こしたい気持ちがムンムンとした売出しかたでした。
巻き起こらなかったよね?
身近の人間はわたしも含めて 極めて懐疑深い人々で、世の中で大多数の人がもっているといわれるようなものを、必要ない の一言でほとんど振り払って生きているので、当然このような 必要ない しかも 飲む=口に入れる ようなものに手をだすはずもなく、当時も笑って
「臭くたっていいじゃないか。身体からでる匂いは健康のバロメーターだ!」
と豪快に深酒をした翌日の状況についてお互いに いらんところまで語りあったりしたのですが。
なくなった今となっては気にかかる。
ほんとうに 匂わなくなるのだろうか?
ハーブのような ナチュラルドラッグ のように謳っていたように思うのだけれど、なんだ?いま流行りの腸内悪玉菌をやっつける とは謳っていなかったような。匂わなくなって無臭てことはないだろうから、どんな匂いに変化したのか。そもそも効くのか。

こんなとき身近にミーハーな なんにでも手を出す友人が一人いてくれるといいなあ。

「あ、あれ 飲んだよ。すっごいよ!効くよ〜 or ぜんぜんダメ 騙されたよ 超〜かね返せだよ。」

と打てば響くようにかえってきたら楽しいのに。
他にも、ヒランヤ とか びーずのベストアルバム とか ちいずはどこにいった
 とか 勢い買ってしまったあとの生の感想を聞かせてくれるようなひと募集だ。
自分では金をだしたくないわけだ。



2003年06月20日(金) ほんとうに?

ちょっと疑問なのです。
男性は、とくに年嵩の男性は、もっというと おじさん は、女性の色気についてウルサイ。
色気のある女=いい女。
色気ってなにか?
やりてえなあ、やれるかな、あっちもやりたいんじゃないのかな、
と思わせるような女のひとらしい。妄想をかきたてられるタイプ。

おじさんはフェロモンということばも好きみたい。
あるおじさんは、「フェロモンだよ。わかる?インブシューですよ!」
インブシューってなんだ? と思って瞬時フリーズしていたら、ああ!陰部臭か、ヒャ− ナントイウコトヲ 頭に文字が浮かんだとたんにそのまま固まってしまいました。さすがに笑ってかわせなかったな。

で、たいていおじさんの話は おまえには色気がないフェロモンがない と続くのですね。
他の女のひとはどうなのかは知りませんが、男のひとと一緒にいて、話をしていてそういう空気を匂わせないのは、実際にsexのことなんか考えていないからです。あうひとあうひと、つきあってる友人・知人・初対面 男だってだけでそんなことばかり考えてられるか。(可能性は検討するにしても)
考えていなくてもでているといわれるひとは もってうまれた才能か、彼女の 仕草・声・表情・見つめ方なんかが、目の前の男の人のつぼにドキュンで、そう受けとめられてしまう→彼の妄想が大なのではないかしら。

おじさん達にあまり目くじらをたてないのは、おまえ色気ないなあ→おれ全然相手にされてないなあ、の愚痴みたいなものだから。
でも、最初にもどりますが疑問なのです。

sexのことばかりが頭にチラチラしているひとと、会話のやりとりをしたり、おもしろいことを一緒に考えたり、友達になったりできないでしょう。インブシューだかなんだかしらないが、プンプンプンプン欲望をかきたてる匂いをさせているひとがいたら、刺激的だけれど困るでしょう。いきつくところはなに?誘惑され流されるオレと獲得の満足感?
ぬるま湯につかるな、友達なんて幻想だ、所詮男にとって女は喜びと災いの種でしかない、と言い張るならそれでもいいけど。わたしはそんなのイヤなのですよ。

酔ったいきおいとはいえね。女房と娘とよくて妹、あとはよその奥さんとよその娘さん。そしてフェロモンという幻想の娼婦。どれでもない、なんの立場にもたっていないひと(性別おんな)として一緒に飲んでいるつもりなんだけど、それでは おじさん困るみたいですね。
でもわたしも困るな。なにより寂しい。混ぜてくれる気ないんだな。そのことに気付いてもいないみたいだし。

慣れていないのはよくわかる。いいほうに(かな?)考えると、誰かに所属していないというだけで目が眩んでまっすぐに見ず目をそらしているようにも思える。だいたいみんな、奥さんやパートナーがフェロモンタイプでないのはなぜだ。フリーのひとにぜひその役目をってことなのか?
ほんとうにおじさん達は匂う女が好きなのか?

思い出しておくれよ。互いにそんな匂いをだしていたのは、じつに個人的に密室的に、関係というものを探りはじめているときではなかったですか?
だからといって酒のつまみに、わたし個人のそういう時のことを心配してもらわなくても結構です。

というよりも、 想像するな!


やっぱりセクハラなのかも。



2003年06月17日(火) すごい湿気です

フランスの読者に向けて。日本は低温サウナのシーズンに入りました。

どうも、自覚はなかったのですが、三年前は すさんでいたようでした。
日記をみかえして、その攻撃性、ピリピリ感に驚きました。

そんなわけで、明日はamiの命日なわけです。
お墓には参りません。だって蚊がすごいんだ、あそこ。墓石に向かって話すと なにもかもが全世界がむなしくなるし、飲めないのにひとり大酒を飲みたくなります。誰かと参っても、しきたり作業を全部お付き合いでやらなければならないので、あれやってこれやって、さてすることがない・・・ とこれまたむなしく、互いにむなしい心を抱えてまた飲んでしまう。

しばらくぶりで、彼女の息子にもあったし、最近になく思い出すことも多かったので その続きで、静かに心のなかで赤と白の薔薇でもささげます。


今思い出しても不思議なことに、5月半ばが命日であったように勘違いしてしまうのは、脳死宣告されたのが、5月初めだったからだ。普通にもどった今考えると1ヵ月半は長いけど、あの頃は中身が空白のぶんあっというまに6月18日になったような気がしていたんだ。
毎日ベッドの脇で、足をなでて息子と遊んでそれで一日が過ぎていって、早く見舞い客が帰って二人にしてくれないだろうかとそればかり考えていたような、

時間がないから独り占めしたかったのだと、今なら言えるけど、ただなにもかもに怒っていた。
たぶん今もまだ怒っていて、だからなかなかもう怒っていないひととは思い出話ができない。
人生にたいしたものを望んでいるわけではないのに、一番なくしたくないものを盗られたようにどこかで思っているのでしょう。

おととい夢もみたよ。夢の中ではせめて昔のようにばかみたいに笑って遊びたかったのに、夢の中でもわたしは貴女は死んでいるとのだと、ちょっと夢に遊びにきただけだと知っているのですよ。
目がさめて、1時間ほど布団のなかで、夢を反復してスルメのように楽しんだけど、それももう忘れてしまいました。

いまでも どうもこの英語しか思いつかないので悔しいのですが I miss you.
電話をして今からいくよ、と言えたら



2003年06月12日(木) ごめんね

昨晩は、いろいろと考え事が したくもないのに浮かんで、1時にはふとんに入ったのに、結局一睡もできず、つらい日でした。
同じことを打ち消しても、払っても もう一度はじめから順をおって考えてしまう。
浮かぶことは 一言でいうと自己実現なのですが。

人前でお芝居するってなんでしょう。という、毎度のくだらない迷宮と、頭でリハーサルしても身体はその1/10も表現してくれないよ、という独りリハ地獄。
なにが楽しくて続けているんだろうなあ、といつもの本番前の やけっぱちでもなんでも「どーだ!」と提出するものが見つからない でも物理的にタイムリミットだ、というそんな一夜でございます。

でもま、これはいいの。

まったく役立たずで、もう少し動くかと思ったが 脳停止状態のまま、クラスを追えての帰り道に、ギリギリのおじさんに150円あげたのです。湯島の方からフラフラと歩いてくるおじさん。何人かがよけて歩く中、遠くから目があったので つかまるな と思えば案の定。

「相談があるのです。」

お金をください、貸してください だとはわかっているけど、

「なんでしょう。」

と答えたことで 第一の選択をしている。

「事情があって、今夜ひがしかながわに帰らなくてはならないのですがお金がないのです。カンパをお願いできませんか。」

お酒を買うんだろうな、と思いつつ。
� |�にもカンパはしない主義なのです
�◆,△辰舛妨鯣屬�ありますよ

�,�正直なんだけど、おじさんにマイ主義は関係ないよな、本当に交通費なら�△�な、と何も考えず��

「さっき湯島の交番にいったら、身分証明書がないと貸せないといわれ、こうしてすれ違うひとにお願いしています。」

そうだな、わたしは自分ではない人が助けてあげるといいと逃げて、おまけに正直者なら交番へ、という一部でしか通用しない幼稚な常識みたいなものを無意識に傲慢に繰り出したな。

� ,�金はあげられません
�◆,い�らあれば帰れるのですか

�,�正直なんだけど、わたしは引きずりすぎてしまった、と感じて
��

「490円あれば。」
と手のひらをひらいてみせると240円くらい持っている。

� ,△箸い�らあればいいのですか
�◆〆戮�いお金がこれしかありません→150円あげる

わたしは�,鬚いぁ∈睇曚鬚劼蕕い騰△鮓世辰討修Δ靴泙靴拭�
でもほんとうはあと200円くらい小銭をもっていた。たぶんおじさんはそのことをわかっていた。わたしもおじさんわかってるな、とわかっていた。

「ありがとうございました。」

「ごめんね。」

どうしてそうしたかは、自分でもわからない。でも、その時たしかに490円に足りるまでの小銭はもっているけど、なんだか素直にわたしたくないような気持ちになった。
癪なのか、おじさんにもう少し苦労させたかったのか、満額になることで施したような気持ちになるのがいやだったのか、カンパということばにすがり付きたかったのか、その時はなにもわからないけれど、そういう気持ちになった。

そしてあくまでも丁寧なおじさんとわかれて、寝不足で抑制のきかない頭のなかにごじゃごじゃがぐるぐるになって、結局なみだになってぼたぼた落ちました。
お金をあげたくなかった、150円なんかあげたくなかった、ありがとうなんて言われたくなかった

正しいのか正しくないのかなんてわかろうとわかるまいと、やってしまったことだけが残るんだ。
自分がいろいろとずるいことは、ずるい方を選んだからなんだ。
おじさんもずるい。わたしはずるい。ぐるぐるぐるぐる。最後のは

「ずるくてごめんね。」






2003年06月09日(月) ホコ

近代国家ってよくいうけど、いまは現代じゃないの?
近代ってもうけっこう昔のように思うんだけど。
よく、あの国はまだ前近代のままだ、っていうけどさあ。

近代をとばして現代国家にはなれないのか?
いまある国はみんな現代国家じゃないのか。

それって、産業革命 とかの、ヨーロッパ的な過程をふまないと近代国家にはなれないのか、誰かが認めないのか。
認められてる近代国家っていうのが、100年以上も前の近代的ってところから進んでいないのか。
いまだにそんな日本語でしか言い表せない この国の意識がそこでとまっているのか。

近代はけっこう前の時代だ。
中国は前近代的な国家かもしれないけど(いしはらとちぢが言っていた)、十分 現代国家だ。
近代は誉め言葉なのか?人権とか、いいイメージのものを獲得した時代って枕詞なのか?近代を経て現代に突入した方が、いきなり突入したように見える国よりまだましなのか?日本はどっちからものを言っているのかはわかるけど、でも経たのか?
いろいろ考えると 盾と矛だ。

「矛盾」 は、数千年前のことばだけど今でも生きている、意味のはっきりした言葉だなあ。
少し使い古されると、うやむやになるような言葉にはない強さがある。
ひねくりだした言葉は弱いな。

朝 出掛けに討論番組なんて見てしまいましたが、結論は以上でした。



2003年06月04日(水) ご信心

信じるってこわいな。大事だけど、疑うことの方が大事だと思う。

キラキラとなにかを信じて心の平安に満ちたような顔は、考えることをやめた顔にみえる。

そして強烈に、内なる平安を乱しそうな外部の刺激をシャットアウトしている顔。

こわこわ。
慈悲深く、寛大な人間になれそうにないので、ひとの邪魔をしないで生きていきます。



2003年06月03日(火) 梅雨にそなえて

そういえば、青系の色はあまり使っていなかったなあ、と。
いままでずっと使っていた、ホームページ作成ソフトが消えてしまいどこも弄れないので、日記の色などチョコチョコと変えてみましたが、色を変えると書きたくなるものも変わることに気付きました。
この青をバックに読むカレーの話は美味しそうでないです。

先日初めての日帰りバスツアーおやこうこう旅行「さくらんぼ狩り」に参加したところ、行きも帰りもバスの中でお腹が痛くなり、いまにも割れそうな水風船を下腹に抱えての苦しい30分づつを過ごしてしまいました。少しでも気を緩めたら大変なことになる。十分一時間で三年分の括約筋の運動をしたね。
行きはキムチ工場で、帰りは駅で、すべてをぶっちぎってトイレに走り、事無きを得ました。
あそこでもし、おもらしをしたりすると、わたしのこの後の人生観はどう変わるのかしら。
怖い。でも少し知りたい。

さくらんぼも一年分は食べました。帰りの腹痛はそのせいかと思われます。行きはたぶん二日酔いの腹痛です。
来年は いちご狩り だ、と母が申しておりました。

バスツアーの達人たちに囲まれ、彼らの一日中のべつ、なにかを飲み食いする頑丈な胃腸に尊敬の念を抱きました。バスの中はもちろん全ての売店のまんじゅう・ソフトクリームも。

バスで見た、便利グッズ。達人たちはバスに乗り込むとまず、自分の座席のまえにある揺れたら掴むテスリに、S字状フックを1〜2個ぶらさげます。それにレジ袋を各々下げます。ひとつにはぎっしりお菓子が入っていて、もう一つはくず入れにします。前後の座席からまわってくるお裾分けのお菓子(小袋入り)も一旦この袋に入ります。剥いた袋やみかんの皮はくず入れ用のレジ袋に。最後に袋を縛ってどちらも簡単に持ち帰れるわけです。
すごい!
と関心していたら、母のバッグの中にもちゃんとS字フック、しかも折りたたみ式!が入っていました。今回はさくらんぼ食べるぞ!という意気込みとツレ(わたし)があんまり食べないのでお菓子の袋は自粛したようです。

感心のあまりに帰ってから、うまい吊り下げかたに悩んでいたフランス土産布巾のために、100円ショップでS字フックを購入しました。布巾の風通し問題が解消しました。

もうひとつの不思議グッズ。
観光地のお土産やさんで、ハンカチと並んで 

ひざ掛け
{ハンカチのように華やかな図柄の薄い綿生地。大きさも大判ハンカチくらい。このまわりを幅10cmくらいの白い機械レースがぐるっと縁取っている。}

という中途半端な商品 (レースのせいで、テーブルセンターにみえる。また防寒のためにひざに掛けるには布地が薄すぎる) がどこにでも置いてあって、これはなんだ?と母に尋ねると、
「これは、ごはんを食べるときにスカートやボトムを食べこぼしで汚さないように、ひざに掛ける為のものである。とくに座敷での食事には必携である。」
との答えがあり、彼女も2枚持っている、がこの美術館のオリジナルひざ掛けは知人の誰も持っていないので今日も一枚購入する、知人の中で17年前に初めて「ひざ掛け」を導入したのは自分である、とのことでした。

そんなに前から 食べこぼし防止+おしゃれ(なのだと思う)のためのこのような商品があったとは、まったく知りませんでした。
ハンカチでいいじゃん・・・


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