橋本裕の日記
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2004年11月30日(火) かけ算の楽しい教え方

 かけ算をどう教えたらよいか。これは「正方形」や「長方形」を使って教えればよい。そして、「かけ算」と「面積」が密接に関係していることを体験させる。

 たとえば、2×3や、3×2,4×4は、「一円玉」を使って、次のように表現できる。○の数を数えることで、2×3=6、3×2=6,4×4=16が得られる。

            ○○○○
 ○○         ○○○○
 ○○   ○○○   ○○○○
 ○○   ○○○   ○○○○

 ついで、□の単位ブロックを使って実際の面積を計算させる。たとえば、次のような長方形は□ひとつの面積が1と考えれば、一円玉の数の場合と同じく、2×3=6と計算できることがわかるだろう。

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 そして、こうした正方形や長方形をたくさん描いて、子供にその面積を求めさせるのである。さらには、図形を自分で描かせて式の計算をさせる。そうすると「6×4」や「4×6」を求めために、子供たちは次のような図形を描いて、答えを出すだろう。

○ ○ ○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○ ○ ○


○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○
○ ○ ○ ○

 このとき、子供たちは両方とも同じ24という答えを持つことに気付くに違いない。式であらわせば、「6×4=4×6」である。そこで、「3×5と5×3のときはどうかな」と質問してみよう。こうして子供たちは「3×5=5×3」もまた成り立っていることを発見する。そして、優秀な教師であれば、ここで必ず、「どうしてだと思う?」と、その理由を子供たちに考えさせるはずだ。

「そんなこと、あたりまえだよ」と答える子供がいるかもしれない。そこで、「どうして?」とさらに追求する。
「だってブロックの数が同じだもの」 
「そうだよね。でも、他に方法はないかな。数えなくても分かるとっておきの方法があるんだけどな」

 おそらく、多くの子供たちはこの問いに答えられないだろう。いや、それどころか、問の意味さえ分からず、立ち往生するかも知れない。実は、その方がよいのである。教師はここで安易に答えを教えない方がよい。「明日までの宿題にするから、考えておくのよ。分からなかったらお友達と相談してもいいし、お父さんやお母さんに助けてもらってもいいわよ」と、子供たちにたっぷりと「考える時間」を与えてやりたい。

 しかし、教室にはたいてい、こうしたゆったりした時間の展開を妨害する子供たちがいるものである。たとえばすでに「九九」を覚えている子供たちは、「3×5=15」という問題に即座に答えるだろう。そして、図形を書いて、いちいち足し算をしている生徒達を馬鹿にし、優越感に浸っているかもしれない。

 しかし、彼等が優越感に浸っていられるのも、しばらくのうちである。家庭で教育ママから「九九」を機械的に暗記させられ、試験で高得点をとるだけの子供は、やがて算数や数学が苦手になるだろう。なぜなら、彼等の頭の中には、ゆたかな「数の体験」が蓄積されていないからだ。見かけは秀才だが、中身は空っぽの、ただの張りぼてだと思えばよい。

 それでは、子供にどのように「九九」を教えたらよいだろうか。私はこれを「算数の授業での一大イベント」として教えたらよいと思う。教師はあらかじめ中が空欄のな「九九の表」を印刷して生徒に配り、それとは別に大きな紙を黒板に貼り付ける。

「さあ、今日はとても大切な日ですよ。みんなで協力して、この表を完成させましょうね。この表があれば、かけ算がとても便利でしょう。いちいち計算をしなくても、表を見れば答えがかいてあるんだものね」

 空欄は全部で81あるから、たとえば早いものがちに、二つずつ黒板の表を埋めさせればよい。自分の役目を果たした後、子供たちは残りを自分で解くだろう。そして、他の友達が解いた黒板の数字と照合する。こうして、みんなで協力して完成させた「九九の表」はクラスの宝物になるだろうし、子供たちの心にいつまでも明るく楽しい学習の記憶として残るだろう。

 さて、九九の表を書くにあたって、「○×□=□×○」の法則は威力を発揮するはずだ。「6×7」を計算した生徒は、同時に「7×6」の答えを手に入れる。こうして、九九の表はたちまち埋められることだろう。「九九」を覚えさえるのは、このイベントのあとでよい。

 最後に、「○×□=□×○」という交換法則が何故成り立つのか、その答えを書いておこう。それは、二つの長方形の「面積が等しい」からだ。それではどうして、面積が等しいことがわかるのか。一方を90度回転させれば、その二つの長方形がぴったり重なるからだ。


2004年11月29日(月) 足し算と引き算の遊園地

 今日は足し算と引き算のワンダー・ワールドの話をしよう。もっとも、足し算や引き算の面白さを知るためには、子供たちは「物の個数を数えること」ができていなければならない。そしてこれはそんなにむつかしいことではない。

 誰でもお風呂の中で1から100まで数えさせられた経験があるだろう。父親や母親はこうして子供に数字を順番に覚えさせたあと、ミカンやリンゴなどの実物を見せて、「これいくつ?」と質問を繰り返す。これは家庭でもできる。

 散歩の途中に、「あっ、カラスがいるわよ。全部で何羽いる」と質問したり、「お皿5枚持ってきて」とさりげなく訊く。文字盤のある時計を居間に置いておいて、「3時になったらおやつを食べましょうね」とか、「4時からピイポンパンが始まるので、教えてね」とか、日常の生活の中で子供たちに様々な「数字体験」をさせるのである。

 物の数が数えられるようになったら、足し算と引き算を教えることができる。たとえば右手に2本の指を立て、左手に3本の指を立てて、「合わせて何本あるかな」と質問すればよい。子供は立てられた指の個数を数えて、「5本」と答えるだろう。

 引き算も同じ要領で教えることができる。左右で7本の指を立てて置いて、「3本取ったら何本のこるかな?」と質問すればよい。子供が「4本」と答えたら、「よくできたわね」と、大いに誉めてやればよい。

 この他、計算に役立つ身近な小道具として「一円玉」がある。硬貨はどこの家庭にでもあるし、子供にとってもお金は関心が深い。それに「十円玉」や「百円玉」と併用することで、後々のもっと高度な「位取りの計算」のとき大いに役立つ。

 昔の人は計算をするにも小石を使ったようだ。計算のことを英語でカリキュラスというが、これはカルシュウムやカラットなどの語根につかわれている「石」という語から派生したものだという。そして、昔の貨幣は石でできていたらしい。

 さらに、この段階で、もうひとつ是非使いたい小道具がある。それが「物差し」(定規)である。これもどこの家庭にでもあるし、子供はこれによって物の長さを測るという大事な学習をするわけだ。

 たとえば母親はクリスマスの飾り付けのとき、子供と一緒に折紙の鎖をつくる。そのとき、定規と鉛筆、ハサミを使って、折紙を一定の幅に切らなければならない。そのとき、「2センチの幅に切ってくれる」と子供に物差しを使わせるのである。

 そのとき、少し逸脱して、いろいろな長さを測ってみるとよい。「あなたの中指の長さは何センチあるかな」と計ってみて、「2センチよりも長くて、3センチよりも短いわね。3センチに近いかな」と言いながら、定規を子供に渡して、「お母さんの指の長さも測ってみてくれる」と促すのである。こうした親子の対話と共同体験が子供の「数字」についてのゆたかな感覚を育てるわけだ。

 この物差し(定規)は数の計算にも使うことができる。定規がなければ、紙に直線を一本引いて、そこに等間隔に「0,1,2,3,4,・・・・」といった目盛りを書けばよい。数学ではこれを「数直線」という。実はこの「物差し」こそが数の演算のしくみを体系的に理解させるために必要な道具なのだ。このことが分かっている教師は、この段階で、定規を使って計算ができることを教えておこうと考えるだろう。そのためには、次のように指示すればよい。

「まず、鉛筆の先を<0>に置いて下さい。さて、そこから、右に2目盛り進みましょう。そうすると、鉛筆の先が<2>という目盛りを指していることがわかりますね。さて、次ぎに、引き続き右へ3目盛り移動して下さい。このとき鉛筆が指している目盛りは何ですか。たぶん<5>ですね。これが<2+3>の答えです、どうです。同じ答えが出たでしょう」

 こうしたゲームを他の問題で何度も繰り返すことで、生徒は数字の足し算を手先の運動感覚として覚えることができる。そして、さらに体全体で覚えさせるには、教室を飛び出して、校庭に描いた巨大な定規(数直線)を使えばよい。あるいは、階段に番号札をおいて、そこで練習してもよいだろう。

 定規を使うと、<9+8>といった大きな数の計算もできる。たとえばカードの表に<9+8>などと書いてあれば、生徒はその位置に移動して、その目盛りを確認してから、カードを裏返しにして、<17>という答えを確認する。小学生1,2年生の子供たちは体を動かすのが大好きだから、こうした授業は結構楽しいのではないだろうか。

 引き算についても、同様のゲームをすればよい。たとえば<13−5>の場合は、<0>から右に13移動したあと、今度は左側に5だけ移動する。そのときの目盛りの値を生徒に答えさせるのである。<8>と答えた生徒にはみんなで拍手をしてやればよい。

 こうしたことを繰り返していれば、生徒はそのうちに紙に書かれた数直線の場合でも、実際に移動しているような感覚を味わうことができるだろう。そして、紙に書かれた「数直線」が、校庭に描かれた定規の代用品となりうることにも気付くはずだ。この「代用品」という考え方が、実は「抽象化」ということのたいせつな第一歩になっている。

 子供たちはこうして、さまざまな小道具を使って計算することができるようになると、次には、この計算の結果を、数式で「2+3=5」のように記録することを学ぶ。そして、これができるようになると、いよいよ「4+5=?」などの計算問題に取り組むわけだ。

 計算問題を与えられたとき、最初生徒達は両手の指を折り曲げて答えを探すだろう。しかし、指を使った計算には限界がある。なぜなら両手の指は10本しかないからだ。たとえば「12+23」などの計算を指を使ってするのはむつかしい。「物差し」でもむつかしいだろう。

 そこで、「十円玉」と「一円玉」を使う方法が役立つ。硬貨を使えば、12円は10円玉一個と1円玉2個であり、23円は10円玉2枚と1円玉3枚である。これを足せば、10円玉3枚と1円玉5枚になるから、12+23=35であることがわかる。

 ここで強調しておきたいのは、「足し算」や「引き算」を「具体的な行動(操作)」を通して理解させるということである。そして、その「行動(操作)の約束事」として計算規則を示してやるということである。こうして生徒たちはさまざまな「操作」で、数の足し算や引き算ができることに気付くはずである。こうして一段一段と、抽象化の階段を学習していく。

 数の足し算や引き算が出来るようになったら、次ぎにかけ算を教えるわけだが、このときも「一円玉」や「物差し」などの道具を使って、具体的な操作をとおして体験的に教えることが大切である。数のかけ算や割り算の楽しみ方について、明日の日記に書くことにしよう。
 


2004年11月28日(日) 橋本流算数入門

 もう二十年近くも前になるが、名古屋市の夜間定時制高校に勤務していたころ、40歳代のKさんから、「先生、私はなんでマイナス掛けるマイナスがプラスになるのかわかりません。教えてくれませんか」と、質問を受けたことがあった。

 Kさんは中学校を出た後、電気工事関係の仕事についていたが、40歳を過ぎてから、「もう一度勉強したくなって」定時制高校に入学したのだという。そして久しぶりに数学の問題を解いてみたが、これがなかなか難しい。そのうちに、いろいろな疑問がたくさん押し寄せてきた。

「マイナスやゼロという数は、ほんとうに存在するのか」
「マイナスを掛けるということはどういうことか」
「なぜ、マイナスにマイナスを掛けるとプラスになるのか」
「分数を分数で割るということはどういうことか」

 こうした質問に教師はどう答えたらよいのだろう。私はこれまでこうした質問を受けたことがなかったので、少し戸惑った。ふつうの高校生はまず、こんなラジカルな質問はしない。「よくわからないが、そういう規則になっている」ということで、自分を納得させているのではないだろうか。

 それが証拠に、私はその後勤務した全日制のいくつかの学校で、1年間の最後の授業で、授業の感想を書かせると同時に、こうした質問を並べ、「自分に小学生や中学生の弟や妹がいると思って、そして、彼等がこうした質問をしたと思って、わかりやすく説明してください」と、生徒達に問いかけてみたが、一番多かったのが、「それが規則だから」というものだった。

 算数や数学では、しっかり公式を覚えて、それを使って答えを導くことが大切である。そして実際、そのテクニックに習熟することで、テストで高得点をとることができる。「マイナスにマイナスを掛けるとプラスになる」というのも、「九九」と同じように、公式の一つとして割り切ればよいのであって、あれこれ考えるのは時間の無駄だということだろう。

 まあ、これが普通の「健全な高校生」の考え方であり、実は多くの数学教師も、生徒達のこうした健全さを内心は期待しているのである。微分や積分の授業をしなければならないときに、「なぜ、マイナスかけるマイナスがプラスか」と問われても困ってしまうだろう。私も一瞬困惑した。しかし、私よりも年上のKさんの真摯な問いかけを無視することはできない。

「とても、いい質問ですね。しかし、今、咄嗟にここでお答えすることができません。放課後、残っていただけますか。一緒に考えてみましょう」

 私はその日、Kさんに残って貰うことにした。といって、こうした質問にどう答え、Kさんにわからせたらよいのか自信があるわけではない。私自身が、じつはあまりよくわかっていないのだ。よくもまあ、これで数学の教師をしていたものだ。

 頭を抱えて職員室に戻ってきた。さいわい、一時間ほど、空き時間がある。その時間を有効に使えば、考えがまとまるかもしれない。私の頭がこの瞬間から、おそろしい勢いで回転し始めた。

 私がラジカルに算数や数学の問題を考え始めたのは、このときからである。明日の日記で、私がどのように自分自身を納得させ、そしてKさんを納得させたかを、「橋本流算数入門」として書いてみよう。


2004年11月27日(土) 具体から抽象へ、そして具体へ

 先日、北さんの「抽象的思考力、読書指導で」という文章が朝日新聞の「声」に掲載された。簡にして要を得た文章のお手本だと思うので、ここに全文引用させていただこう。そして、その上で、私なりにいろいろと蛇足を付け加えてみたい。

<高校で教えているが、常に強調していることは「具体から抽象、そして再び具体へ」ということである。具体的な事柄の中で生活している我々は、目前の問題の処理に追われて毎日を過ごさざるを得ないが、時にはそれを抽象化して問題の本質をとらえ直し、その上で再び取り組む姿勢がなければ、正しい判断ができないからである。

 事例として、生徒にとって一番身近で深刻な友達関係のことをあげたりする。「君たちがもし友達とうまくいかなくなってどうしても関係が回復しない時は、一度『友情』ということ自体を考えてみてはどうか。その人との関係という具体から少し離れて、その人との『友情』を抽象的に考えてみるのだ。そうすると、その友人との関係の本質が見えてきたりする」と。

 そのような抽象的思考力を養うために、私の勤める学校では読書指導が重視されている。行事の時を除いてほぼ毎日10分間の読書時間が設定されており、本を紹介する読書案内のプリントがほぼ毎週配布されている。抽象的思考力というものは、活字を読むことによって習得される言語能力が高まらなければ養えないと考えるからである。>

 私たちは言語を習得することで、「具体から抽象」へと歩みを進めることになる。言語に習熟するということは、この抽象化の歩みを進めるということである。言語能力というのは、つまりは「抽象化する能力」でもあるわけだ。

 同時に言語には抽象を具体へと戻す働きもある。リルケは「世界は広い。しかし、言葉を通すことによって、それは深くなる」と語っているが、言葉という「抽象の世界」を手に入れることで、私たちの世界認識はさらに豊かで深いものになる。

 抽象化するというのは、言語によってものごとをシステムとして捉えるということだといってもよい。私たちは「読書」を通して言語能力を磨くことで、現実をより深く体系的に理解することができるわけだ。

 さて、ここからが蛇足になるが、私は「抽象的思考力」を養うのに有用な「言語」の一つが「数学」だと思っている。私たちが学校で数学を学習する最大の目的はこうした「言語の抽象的思考力」を訓練するためだと言ってよい。しかし、こうしたことが教育の現場でどれだけ自覚され、実行されているか疑問である。

 それが証拠に、600ほどある日本の大学で「数学科」を持っているのは1割にも満たないし、日本の大学生はほとんど数学を履修しない。多くの生徒も親も教師も、数学は単に入試のために必要な学科であり、現実生活ではほとんど役に立たない無用の学問だと考えているからだろう。

 しかし、これは大きな間違いである。私は数学ほど役に立つ「言語」はないと考えている。それは、数学は世界が「構造的につくられている」ことを生き生きと理解させてくれる言語だからである。そして世界ののこうした構造や仕組みを知ることで、私たちは目の前の課題にどう対処したらよいのか、有効な手だてを講じることができる。

 そして私たちはこうした数学という言語の特性を最大限に駆使することで、もの物事を論理的に、そして合理的に捉えることができるようになる。そうすれば問題が明らかになり、問題の解決も容易になる。そのプロセスとして、私は次の4段階を考えている。

�仝従殤澄壁�要な具体例をあつめて整理する)
�⊆詑力澄覆發里瓦箸�生じるしくみを考える)
�K楴創澄覆匹Δ靴討修鵑覆靴�みが出来ているか考える)
�ぜ汰�論(ときにはしくみを変えて、問題を解決する)

「具体から抽象へ」というのは、別の言葉で言えば「帰納」ということである。そして、「抽象から具体」へというのは、「演繹」ということになる。フランシス・ベーコンに始まるイギリス経験論は具体的事実から一般法則を発見する「帰納法」を重視した。

 これにたいして、デカルトやスピノザを代表とする大陸合理論は、自明と思われる一般的真理から、あらゆることを論理的に論証し、演繹することを重視した。実はこの両者の立場は、それぞれに重要であり、この両者が統合されて、はじめて私たちは円満に知的発達を遂げることができる。

 最後に仏教の話をしよう。私は「色即是空、空即是色」もまた、「具体から抽象、そして再び具体へ」ということではないかと思っている。言葉は「空」である。しかし、この「空」を通り抜けることで、私たちは一段と豊かな現実に再会する。「空」を媒介とした生きた現実との出合いがふんだんにある人生を、私は「日々是好日」と呼びたい。


2004年11月26日(金) たのしみな白鵬

 朝の通勤のときには、運転しながら英会話のテープを聴いているが、帰りは一日の労働の疲れがたまっていて、とても英語の勉強をする気にはなれない。そこで音楽を聴くか、ときには野球の実況放送をきいたりしている。

 最近は大相撲の中継を聴くことが多い。とくに注目しているのはモンゴル力士の新人、白鵬である。昨日は惜しくも破れて2敗になったが、魁皇や朝青龍を破った相撲は堂々としていて、たいしたものである。

 この力士、ただ強いだけではない。若いのに落ち着いていて、その取り口に何か老成した風格を感じさせる。tenseiさんが、そのあたりの機微を日記にうまく書いているので、全文引用させていただこう。

<大相撲の2週間は、帰りのラジオで相撲を聞くことが多い。今場所の目玉は、魁皇が横綱昇進を賭けていることだったが、私はほぼ毎日仕事帰りにラジオを聞いていて、白鵬の躍進が気になった。

 先場所1度だけ見たが、やくざっぽい面構えが気に入らなかった。取り口の方も、それほど印象に残るものではなかった。その白鵬が、「日に日に力を伸ばすような成長ぶり」だと言う。新人力士にはそういうことがしばしばある。琴光喜も出島も雅山も、そんなじきがあったけれど、その後勢いを失った。

 一昨日は休日だったせいもあって、夕方終盤のいくつがの取り組みを見た。白鵬が、横綱昇進をめざす魁皇を破った。その取り組みを見て、印象をがらりと改めた。粘りもあるしなやかな動き。相手の攻撃を真正面から受け止めながら、攻めに転じて行くしぶとさ。その動きは決してバタバタすることなく、いい型を守っている。千代の富士や貴乃花親子の相撲を連想させた。

 貴乃花引退後、朝青龍の相撲は強いけれど、横綱的風格に欠ける。これこそ相撲のお手本だぞ、というほどの風格がない。一時期、若の里こそ横綱になってほしいと願った時期もあったけれど、今ひとつ強さに信頼が抱けないまま何年かが経ってしまった。これといった力士がいないなぁ、と思っている中に、白鵬が現れた。

 昨日白鵬は、全勝の横綱朝青龍に勝って、若の里と共に3人、1敗を守った。この勝負も上手い相撲だった。しかし、きょうは不調の大関千代大海に負けて、若の里と共に2敗に下った。ラジオでその模様を聞いていて信じられなかった。昨日・一昨日のような取り組みをして、何できょうの相手に負かされるのだ?

 夜中のNHKのダイジェストを見た。千代大海の渾身の突っ張りをまともに受け続けても、下がりきらない。最後に俵際で組んだ、、、そして、押されながらもうっちゃろうとしたが、一瞬間に合わなかったような負け方で、決して一方的ではない。しなやかな体の動きは、相変わらず発揮されている。この19歳の新鋭力士は、相撲の新しい楽しみをもたらしてくれた。>
http://www.enpitu.ne.jp/usr1/18221/diary.html


2004年11月25日(木) 債権放棄を迫られる日本

イラクの債権総額は約1200億ドル(約12兆4800億円)にのぼる。アメリカはこの巨大な債務がイラク復興の足かせになっているとして、各国に負債の放棄や削減を求めている。

 そのなかで、サウジアラビアとクエートがイラクに貸したお金は、サウジが約300億ドル、クウェートが約160億ドルの、合計約460億ドル(約4兆7800億円)で、全体の4割弱にのぼる。

 米政府高官が朝日新聞に語ったところによると、サウジアラビアとクエートは負債の削減に応じる姿勢を示したという。削減幅はあきらかではないが、原油価格が高騰するなか、空前の石油収拾で潤う両国は、イラク債権のほぼ全額を放棄するのではないかと言われている。

 アメリカは債権22億ドルの95%を削減する方針で、パリ・クラブ(日米欧など19カ国でつくる主要債権国会議)で同様の対応を求めていたが、こうしたなか、ドイツのアイヘル財務相は20日、スノー米財務長官とベルリンで会談し、対イラク債権24億ドルの80%を削減することで基本合意したという。

 パリ・クラブで最大の公的債権を持つ日本にも、対イラク債権削減に向けて圧力がかかっている。近い将来、発表があるに違いないが、アメリカとの関係を考えれば、8割を下ることはないだろう。

 ちなみに、財務省によると、パリ・クラブ向けに提出した日本の債権額は、国際協力銀行の債権が4億8200万ドル、貿易保険が36億2700万ドルで合計41億900万ドル(4904億円)である。

 アメリカがなぜ率先して各国に債務放棄を求めるのか、それは自らが4兆ドルもの世界最大の負債を背負っているからだ。アメリカ経済が破綻すれば、まっさきにアメリカは最大の債権国である日本に負債の放棄を求めてくるにちがいない。

 その額は何百兆円にもたっし、イラクの比ではない。小泉首相は今年度からドル買い介入資金枠を79兆円から140兆円に増やしたが、総税収42兆円の日本が、米国債をこれからも何十兆、何百兆円と購入し続けるのか、その是非を考えてみるべきだろう。

 アメリカへの仕送りは断固止めさせましょう。
 このお金で、アメリカは減税をし、戦争をします。
 そうすると、アメリカの株価が上がり、
 株に投資しているお金持ちが喜びます。
 その結果、世界はますます分裂し、
 世界に飢餓と貧困がはびこります。
 犯罪と戦争がはびこります。
 そして、多くの人々が傷つき、
 飢えと寒さの中で死んでいきます。
 こんな悪循環を断ち切るために、
 アメリカへの仕送りは止めましょう。
 その何分の一のお金でもいいので、
 世界の人々が喜ぶことに使いましょう。
 そうすれば、私たち日本人も、
 国に愛情と誇りがもてるはずです。
 私たちの日々の労働に、
 よろこびと安らぎが見いだせるはずです。


2004年11月24日(水) 自転車の小さな旅

 昨日は勤労感謝の日でお休みで、すばらしい好天だった。そこで、以前から考えていた自転車の旅をすることにした。旅といっても、ただ木曽川を遡っていくだけである。私の家から5,6分も走らせれば木曽川の堤で、あとはその上を走っていけばよい。

 途中、河川敷の公園があり、何キロにもわたりサイクリング・ロードが出来ていて、秋景色を眺めながらの快適な旅だった。マウンテン・バイクなので、途中、脇道に入ったりして、いろいろと冒険しながら走ることができる。

 時間にして3時間ほどの小さな旅だったが、ほんのりと汗ばんで、さわやかな気分になった。家に帰ってきて血圧計を計ってみると、いつもより10以上低くなっている。健康にもいいようだ。

 私の理想は、毎日の通勤で自転車を使うことだ。実際、10年ほど前までは、自転車で勤務先の高校まで通っていた。片道8キロほどだったから、ちょうどよい距離だった。しかし、現在の勤務校までは片道18キロあまりある。自転車通勤には遠すぎる。

 昨日の自転車の旅で、少し自信がついたので、今度はもう少し距離を伸ばして、勤務先の高校まで走ってみようと思っている。そして、できれば週に一度は、自転車で通勤してみたい。これもささやかながら、エコロジー運動への貢献だと思っている。


2004年11月23日(火) 映画「特別な一日」

 誰にでも、振り返ってみて、「特別な一日」はあるものである。イタリア映画の名作「特別な一日」は二重の意味で特別な日を描いている。ひとつは、イタリア国家にとって特別だった一日、もうひとつはひとくみの男女にとって特別な一日である。DVDを貸してくれた北さんが、雑記帳にこの映画の解説を書いているので、全文を引用させていただく。

<エットレ・スコーラ監督のイタリア・フランス合作映画「特別な一日」がBSで放映された。ソフィア・ローレンとマストロヤンニの黄金コンビで作られた映画はいずれも高い水準のものであるが、これはその中でも傑作だと思う。

 ムッソリーニ支配下のローマにヒトラーがやってくる。歴史的な同盟が実現するということで、アパートの住人全てがファシスト集会に出向く。後に残された6人の子を持つ主婦(ローレン)と、官憲に追われそこに忍んでいた反ファシストの男(マストロヤンニ)の、一日だけの恋を描いた作品。

 ファシスト集会の様子がラジオで流れ続ける。その中で、偶然に二人は出会い、倦怠期の主婦であるローレンは男に惹かれていく。自殺を考えていた絶望的な男は、主婦と出会ったことで思いとどまり、会話を求める。全体主義に染まっている社会の中で疎外された男の孤独感がマストロヤンニの演技によって、無教養であることでファシストの夫に軽く扱われながら6人の子供の世話にあけくれる主婦の倦怠感がローレンの演技によって、それぞれ見事に表現される。二人ともファシズムの犠牲者であるが声高な社会批判の言葉はこの映画にはない。ただ哀しく、寂しく、相手を求めあう二人の姿が描かれるだけだ。

 設定としては「マディソン郡の橋」に似ているかもしれないが、中身は全く違う男女の恋が描かれている。この監督のもう一つの作品「ル・バル」も観たが、台詞が一つもないダンス映画で、それが時代の流れを描き出す見事な技法には驚かされた記憶がある。>
http://www.ctk.ne.jp/~kita2000/zakkicho.htm


2004年11月22日(月) 堤帝国の崩壊

 ヤンミーさんが、掲示板に「西部の落城近し」と題して書き込みをして下さった。私も書きたいと思っていたテーマだが、ありがたいことに、ヤンミーさんがすっかり書いて下さった。そこで、その文章をそのまま引用させていただくことにした。

<ついに西武王国の落日が始まった。
 18日に証券取引等監視委員会が西武鉄道の本社と筆頭株主のコクドの本社(埼玉県所沢市)に一斉に立ち入り調査に入った。株価は1081円から268円(11月16日)に急落、約3000億円の資産が消えた計算である。上場廃止によって「債務超過」に陥る可能性がある。

 一般的に企業が倒産して株券がパーになっても投資家の自己責任で、今回の場合は大きく事情が異なる。有価証券報告書の虚偽記載が発端のために投資家たちに責任はない。  当然、大損失を被って株主は怒り心頭である。

 商法に詳しい弁護士は、株主は損害額に応じた賠償請求を西武鉄道に起こすことができるとのことである。すでにキリンビール、サントリー、資生堂など20数社がコクドに買い戻し請求しており、損失がかなり大きくなる。

 7月にオーナー会議で1リーグにならないとパ・リーグはつぶれるといった代物で、パ・リーグ球団は欠陥品と言ったのも同然である。西武ライオンズも売却される子会社も手放さざる得なくなったのである。

大株主保有比率の虚偽記載問題。
大株主の持ち株比率80%を超えてはならないという東京証券取引所の上場基準を40年以上も逸脱。

「コクド」や「プリンスホテル」などグループ企業10社で88%の西武鉄道株を保有していた。それを隠ぺいするために、社員1200人に”名義借り”までしていた。さらに、上場廃止を免れるために、インサイダー取引まがいの裏工作までしていたのである。

 60社の取引先企業に虚偽記載の事実をつたえないまま、「公共性の高い鉄道株を一般に広めたい」「安定株主になって欲しい」と堤義明自ら西武鉄道株の購入を要請。8月下旬から9月下旬の1ヶ月半で7000万株を売却し、上場基準の80%をクリアした後、10月13日の記者会見で「虚偽記載」していたことを発表したのである。

 取引先60社への株式売却は、インサイダー取引の疑いが濃厚です。インサイダー取引は、3年以下の懲役もしくは3000万円以下の罰金が科せられ、取引で得た財産も没収される。西武グループの総師・堤義明氏が逮捕される可能性もある。

 3月の「総会屋事件」今回の「虚偽記載」と立て続けに不正が発覚した西武グループの裏話。
 71年に「東声会」の組長だった町井久之に、ススキが生い茂る福島県の”二束三文”の土地を担保に10億円を融資している。その2年後、”乗っ取り屋”の横井英樹に西武鉄道株を買い占められた時は、国際興業元社主の小佐野賢治と大物右翼の児玉誉士夫に”買戻し”の仲介を頼んだ。

今年3月に9人の逮捕者を出した総会屋への利益供与事件にしても、政治結社を介した不明朗な土地取引を総会屋にかぎつけられたことが発端である。法人税を払わないやり方もする。

 申告所得4000万以上の法人は管轄の税務署に公示されるが、コクドは100億円前後を売り上げてきたのに一度も公示されない。そのからくりは、利益が出たら、さらに銀行から借金をして土地や財産を買って金利を払う.営業利益を営業外損失で消し、利益が出ないようにして法人税を免れる。

 堤義明氏は個人はほとんど資産を持たずに、自宅の土地、建物もコクドの所有にしている。  固定資産税は会社の負担になり、家賃払うだけで、子孫まで豪邸に住み続けられるのである。

 堤義明は、グループ内では上場企業とは思えないほどの独裁体制を築いていたのである。米国の有力誌が「封建領主」と名付けたほどである。社内の振る舞いは異常で、女子社員がお茶を出すときに必ずひざまずかせたり、プリンスホテル視察の際には赤じゅうたんを敷かせていた。公私混同もお構いなしで、「萩窪第二夫人」と呼ばれる元銀座ホステスの愛人をグループ会社が所有する約1700坪の萩窪の豪邸に済ませていたのである。

 JOC会長だった立場を利用して、98年の長野五輪でぼろ儲けしたことも語り草である。米経済誌フォーブスは「ミスター堤が金メダルを独占」「五輪誘致の結果、自らのグループ(ホテルやスキー場など)を潤す事業のため、新幹線や高速道路建設で総額150億ドル(当時約1兆9000億円)を納税者に負担させることに成功した」などと皮肉ったぐらいである。ほかにも「出入り業者イジメ」や政界との癒着なども指摘されている。

 西武グループのこうした数々の醜聞は、関係者の間では周知のことで、「堤商法」のいかがわしさ、えげつなさはマスコミの記者なら先刻承知のことである。大新聞は今頃になって、さも初めて西武グループの暗部を知ったかのように大々的に報じているが、カマトトもいいところで、知っていながら、JOCのドンであり、財界の大物である堤義明に遠慮して書かなかった。

 今回の西武グループの虚偽記載事件は、日本の企業が抱える暗部を象徴するもので、どこの会社も、経営者も多かれ少なかれやっている。鉄鋼、電力、銀行、証券など日本経済を支える名だたる企業が総会屋に狙われ、裏で利益供与しているのが実態である。

 東証から上場廃止処分をくらった西武鉄道がジャスタック市場への最上場の準備をしている。この話は東証が処分を決める前から野村証券と組んで周到に準備を進めていたふしがある。 あまりにも市場や投資家をナメタ行為である。

 ジャスタックは80%ルールの基準がないのを目を付けたのである。当分謹慎が当たり前のところにどこまで厚顔な西武鉄道にみんなが口をあんぐりである。
「これだけ大問題を起こしているのに、西武がまずやるべきことは経営の建て直しであり、投資家の信頼回復なのに上場維持しか頭にないとは言語同断です」(明大教授高木勝氏)

 デタラメな企業が、日本を代表する「優良企業」ともてはされてきたのだからひどい、こんな反社会的企業がよくも1部上場していたものだとあきれるばかりである。
(参照 asahi.com ,日刊ゲンダイなど)


2004年11月21日(日) 高野山の旅

 1泊2日で高野山へ行って来た。高野山までの南海電鉄の車窓の風景がよかった。眼下に秋の色に染まった野山や民家が見下ろされ、陽射しに輝いているありさまが美しかった。

 高野山では奥の院の参道の杉がすばらしかった。巨大な杉並木の両側に、戦国武将や大名の墓が並んでいたが、明智光秀と織田信長の墓がわりと近くにあったり、法然上人や親鸞上人など、宗派の違う人々の墓があったりして、いまさらながら空海という人の包容力の大きさに打たれた。

 宿坊では、精進料理を食べ、湯に浸かって、同行の4人でいろいろ語り合い、旧交を温め合った。宿坊らしく朝の6時から1時間ほど本堂で勤行があり、私たちも僧達の読経の声に耳を傾け、焼香をした。少し寒かったが、心が改まった。

 「万葉の旅」も今年で5年目になるが、まるで面識のなかった者達が、こうしてインターネットをとおして知り合い、一緒に旅をするのも何かの縁である。「来年は韓国にしようか」などと、気の早い会話も交わされ、最後は大阪の難波で再開を約して分かれた。

 高野山から約二時間で大都会の人混みのなかである。そこから北さんと二人で近鉄電車に乗り、難波で買った名物の肉まんに舌包みを打ちながら名古屋に帰ってきた。高野山の霊気に触れて、いささか精気を取り戻した。明日からまた仕事をがんばりたい。


2004年11月20日(土) 「秋の童話」を見る

 今年は韓国ドラマをよく見た。「冬のソナタ」「ホテリア」「愛の群像」「美しき日々」そして、「秋の童話」である。いずれも大いに堪能した。とてもよくできたドラマだと思う。「冬のソナタ」の魅力については、以前の日記にくわしく書いた。同じことが、他の作品にも言える。

 それにしても、「秋の童話」にはほんとうによく泣かされた。日本の映画やドラマでも、これほど泣かされたものは見たことがない。妹(ウンソ)役のソン・ヘギョ(韓国の吉永早百合)は「ホテリア」で見てファンになったが、「秋の童話」では、さらに彼女の若くて純な魅力が堪能できた。

<産院での取り違えで、兄妹として育てられた血の繋がらない男女が、複雑な人間関係に揉まれながら恋に落ちていく。運命に翻弄される若者の姿を美しく描いた感動作。「冬のソナタ」のユン・ソクホ監督の、四季を題名にした純愛シリーズ第1弾。出演はソン・スンホン、ソン・ヘギョ、ウォンビンなど。最高視聴率42%を記録し、アジア各国で大ブレイク。中東でも放送予定>

 こうしたドラマを見ていると、自分も何か書いてみたくなる。さしあたり「初秋」を再開しなければならないと思っているが、日記に連載するとなるとなかなかむつかしい。数日間どこかの温泉宿にこもって、一気呵成に書き上げたいものだ。

 ところで、今日から1泊2日で高野山に行く。高野山の宿坊に泊まり、精進料理を食べたり、湯に浸かったりする予定だ。さいわい天気もよさそうなので、山の紅葉が楽しめるかも知れない。年に一度会える仲間との時間も大切にしたい。

 初冬や湯のぬくもりのありがたさ  裕

(明日の日記の更新は、夜遅くなると思います)

(参考サイト)
http://www.aii.co.jp/contents/douwa/vod.html


2004年11月19日(金) 恐怖心をあおる政治

 先のアメリカ大統領選挙で、ブッシュ、ケリー両陣営が費やしたテレビ広告費は、5億7千万ドルを超え、前回の大統領選の2.9倍にも達した。文句なしの史上最高額である。

 広告費はとくに、オハイオ、フロリダ、ペンシルベニアなど激戦区5州に集中し、その総額は3億8千万ドルにも達し、フロリダ州では1週間に計1100回ものテレビ広告が流されたという。

 ケリー陣営は、「米国人が人質にとられ、首を切られています」というナレーションのもと、炎に包まれる車や担架で負傷者を運ぶイラク戦争の映像を流した。これに対し、ブッシュ陣営が放映した番組では、「弱腰は米国を傷つけようと待ちかまえている人々の注意を引いている」というナレーションのもと、狼の群が近づいてくる映像が流され、人々を保守的な投票行動へと駆り立てた。

 ブッシュは大幅に得票数を伸ばしたが、勝因の一つに、こうした有権者の恐怖心を煽り立てる心理作戦があった。人間を行動に駆り立てるもっとも強力な感情は恐怖心だ。これを巧く使って成功したわけだ。

 恐怖心はもっとも原始的な感情で、これに駆られると、人々は現実を見失い、冷静で理性的な判断ができなくなって、容易に盲目的な群集心理に身を任せる。恐怖心は過剰な闘争心と憎悪を生み、過剰な攻撃行動を生み出す。

 ホラー映画や戦争映画もまた、人々の恐怖心をあおる。悪質なデマや宗教も同じである。恐怖心をあおる政治や宗教、娯楽が社会を支配するとき、その社会はとても健全だとはいえない。とくに恐怖心をあおる政治は、想像上の恐怖を現実のものにしかねない。


2004年11月18日(木) 移民問題に揺れるオランダ

「寛容」を合い言葉に、多くの移民を受け入れてきたオランダ社会が、「移民問題」で大揺れしている。発端は11月2日にテオ・ヴァンゴッホという映画監督がイスラム過激派とみられる青年にアムステルダム市内で暗殺されたことだった。

 ヴァンゴッホ監督は2年前ほど前に暗殺された右翼政治家ピム・フォルタイン氏を尊敬していて、イスラム原理主義を批判し、モスリムやユダヤ人を愚弄、侮辱する発言を繰り返していたという。

 監督は自転車で仕事場に向かう途中白昼銃撃され、路上でナイフで刺されたが、彼が仕事場で編集する予定だったフイルムは、凶弾に倒れたピム・フォルタイン氏へのオマージュの映画だったらしい。

 事件後、暗殺への抗議が各地であり、これが移民排斥を訴える右翼団体とイスラム過激派との報復合戦に発展し、モスクやキリスト教会への放火や手流弾の投げ込みが15日までで20件に達した。昨日の「朝日」の朝刊から引用しよう。

<一連の事件の背景には、北アフリカやトルコから大量の移民を受け入れてきたオランダ社会の分裂が指摘されている。オランダのイスラム系移民は、全人口約1600万の約6パーセントに達している。近年、移民受け入れに反対する世論が強まる一方、移民の第二、第三世代の若者の間にイスラム過激派への関心が広がっている>

 オランダは多くの難民・移民を受け入れてきた。しかし、その社会的コストは馬鹿にならない。そこで、最近は認定を制限するだけではなく、すでにオランダに住みついている旧ユーゴ、イラク、アフガニスタンからの難民2万6千人ほどを強制国外退去させはじめた。オランダ社会が大きく変質しようとしているのはたしかだ。

 しかし、事件の背景として、もう一つ忘れてならないことがある。9.11事件以来、アフガン戦争、イラク戦争と続いたアメリカ主導の対イスラム社会への強硬姿勢である。しかも、オランダはアメリカに協力して、イラクに軍隊を出している。こうしたなかで、世界規模の文明の矛盾と衝突が、イスラム人口を多く抱えるオランダ社会を直撃しはじめたわけだ。

 2年前にピム・フォルタイン氏が暗殺されるまで、オランダは150年もの間、政治的暗殺事件がない世界でもとびきり平和な国だった。いま、その誇りが崩れようとしている。バルケネンデ首相は国民に「お互いに対話を続けなければならない」と訴えたが、多くのオランダ国民は困惑し、怒りとやるせなさを噛みしめているという。世界の荒波の中で、「寛容の国オランダ」がどこへ向かうのか心配である。


2004年11月17日(水) 複線型の教育

 オランダの子供たちは小学校を卒業すると、中等学校(中学・高校)に進学するが、ここで3つのコースに分かれる。

�‖膤惱猗�コース(VWO)6年制
��高等職業専門学校準備コース(HAVO)5年制
�C翕�職業訓練所準備コース(VMBO)4年制

 オランダの学校は入学試験がないので、それぞれのコースを修了し、卒業資格(ディプロマ)を取得すれば、無条件で上の学校(大学、専門学校、訓練所)に行くことができる。しかし、オランダの学校は実力主義で、飛び級もあれば、落第もある。

 ディプロマを取れずに、中途退学することもあるらしい。しかし、その場合も、別のコースに席をうつしたり、一旦社会に出てから、ふたたび学校に再入学することができる。必要なときに、必要な教育を受ける権利が保障されているわけだ。

 オランダの中等学校では日本の中学や高校のようなホームルームの教室はなく、生徒は大学のように、それぞれ自分の時間割にそって、各教科の授業を受けに行く。中等学校の後期課程(高校)では、40パーセント近くが、自分の選んだ専門コースの授業で占められる。自然科学・技術系ならば高度な数学や物理学を学ぶわけだ。

 こうした複線型の教育コースを、リヒテルズ直子さんは「フォーク型」と呼んでいた。これはヨーロッパに多い型で、戦前の日本もこれに近かったが、戦後はアメリカの6.3.3制の単線型に乗り換えている。

 ヨーロッパが複線型であるのは、社会編制が階級的であることを反映しているのだろう。農夫の子は農夫、職人の子は職人、医者の子は医者、学者の子は学者というわけである。こうした社会では、教育システムは必然的に複線型になる。

 これに対して、アメリカの採用する単線型では、高校を卒業するまで、生徒はほぼ同じことを学ぶ。そして高校を卒業した段階で、生徒達はそれぞれの進路に応じて大学に進学する。大学の後期課程に入り、ようやく専門的な教育を受けるわけだ。

 単線型と複線型のいずれがよいか。私の好みから言えば、単線型である。わずか12歳の段階で将来のコースを選ばせるのはどうであろうか。高校を卒業する18歳くらいまでは、もっと幅広い教養を学んだ方がいいように思うのである。

 もちろんこれには異論もあるだろう。日本の高校生の現状を見ていると、もっ早い段階で職業教育をしたほうが、学習のモチベーションが維持されるのではないかと思われることが多い。高校生全員に積分や微分を教えるよりも、タイルの貼り方や、材木の切り方を教えた方がよいという議論があってもよいだろう。

 リヒテルズ直子さんは、現代のオランダではこうした複線型の教育システムもかなり柔軟になってきているという。つまり、途中でのコース変更ができうるように配慮されていて、実力さえ伴えば、専門学校準備コースから大学準備コースへ移ることもそれほどむつかしくはないようだ。

 いずれにせよ、中等教育を終えて卒業資格を取得するには、「校内試験」(SE)だけではなく、「全国共通試験」(CE)も受験し、それぞれに10段階評定で6以上をマークしなければならない。そして、VWOやHAVOの生徒達は、卒業する年に約80時間かけて卒業研究をすることが義務づけられている。これも「校内試験」の重要な一部である。

 リヒテルズ直子さんによると、オランダの学生達は日本の学生達にまけないほどよく勉強し、忙しい毎日を送っているという。ただ、その内容は、日本の学生が駆り立てられている受験勉強とはまるで違っているようだ。

 今日のオランダの場合、複線型の教育システムも階級的というより、むしろ選択の幅を広げ、多様な生き方を実現するための、よりいっそう自由で合理的なシステムと考えた方がいいのかもしれない。リヒテルズ直子さんの「オランダはアメリカから多くを学びました。アメリカや日本も、オランダからもっと学んで欲しいものです」という言葉が印象的だった。 


2004年11月16日(火) よく遊び、よく学べ

 リヒテルズ直子さんによれば、オランダの小学校には宿題がないのだという。子供たちは午後3時頃に学校から帰ってくると、宿題にも塾通いにも追われることはなく、力一杯自由時間をたのしむ。そこにはゆたかな遊びの世界が広がっている。

 こうしたゆたかな時間が持てるのは、高校や大学に進学するための入学試験がないからだ。だから、日本のように、入学試験でいい点数をとらなければならないという強迫観念が子供にも親にもない。

 オランダの小中学校にはクラブ活動もほとんどないのだという。子供たちは学校が終われば、家庭や地域に戻り、スポーツや文化活動を学校とは離れたところで、自由参加で行っている。地域には学校から独立した民間のスポーツクラブや文化センターがたくさんあるのだという。そこに大学生や市民達も一緒に参加する。

<子供を学校という隔離された世界に閉じこめるのではなく、家庭、近隣、周りの自然界との関係、教師と子供の関係、子供同士の関係などを通じて外界との関係に目覚めさせ、人間と人間をつなぐ社会的な行動を学ぶことの重要さを多かれ少なかれ強調しています>(オランダの教育)

 日本の子供たちの世界は、家庭、学校、地域がひとつの中心をもつ同心円の世界である。しかし、オランダの子供たちの世界は、この三者が別の中心を持ち、それぞれが重なりあう部分と、独自な部分を持っている。子供たちには人的交流の面でもそれだけ多様性のある生活が保障される。

 オランダの生んだ碩学のホイジンガーは「ホモ・ルーデンス(遊ぶひと)」の中で、文化を創造するものは「遊びこころ」だと書いている。オランダというのはこれという資源もない小さな国だ。こうした国が世界の中で一流国として生き残っていくためには、人を育てることしかない。

 そのために家庭と学校と地域が、それぞれの立場から、子供たちを手厚く支えている。そうしたなかで、子供たちは強迫観念からではなく、もっとゆたかな「遊び」を通して、大切なことを学んでいく。リヒテルズ直子さんの言葉によれば、子供たちはこうして、自ら世界を発見し、「学ぶことを学んでいく」のだという。


2004年11月15日(月) 学校選択の自由

 リヒテルズ直子さん一家が、8年間にオランダに住むようになって、まず始めたのが二人のお子さんのための小学校選びだったという。選択肢に上がったのは、一つの公立小学校と二つの私立小学校だった。それぞれの小学校の校長先生やPTAの代表の人に話を聞いたりして、最終的に、私立の小学校の一つに決めたのだという。

<オランダでは、小学校一つ選ぶにも、受け身で黙っているわけにはいきません。まず、校区制がありません。それでは、自宅に一番近いところの学校に通わせようと思っても、歩いて買い物に行ける程の距離のところに三つや四つの学校があるのがあたり前で、子供が自転車で通える範囲まで含めると、容易に10校前後が候補として上がるのが普通だからです。(略)

 学校の特徴や雰囲気というのは、オランダ人の親が子供の学校を選ぶ際の重要な要因であると思います。親もまた、一般的に評判の良い学校というだけではなく、自分にとって、自分の子供にとって、もっとも共感を覚える学校を選んでいるのでしょう>(オランダの教育)

 13年前に私の一家は名古屋から一宮市に引っ越してきたが、小学区制だから、娘達の通うことになる小学校の選択に迷うことはなかった。小学校を見に行ったが、校長先生に面会をしたわけではない。変わりばえのしないコンクリートの校舎を見て、帰ってきた。歩いて片道20分くらいだろうか。

 オランダの場合は、小さな規模の小学校が通学圏内に複数あり、ときには二つの小学校が隣り合わせに建っているいることも珍しくない。リヒテルズ直子さんはスライドでそうした小学校の様子をいくつか見せてくれた。

 200人の生徒が集まれば、だれでも学校が設立できるわけだから、町にたくさんの学校ができても不思議はない。その場合、施設を準備したりするのは政府の仕事になるが、たいてい校舎は出来合いの民家などを借りたりしてすますことが多いという。

 日本の小学校のように、教室棟や体育館、プールがあって、そのまわりに校庭があるという物々しい感じはしない。学校と言ってもほとんど大きな家という雰囲気らしい。そして、体育の授業などは町の体育施設を他の学校と共同で借りることになる。

 授業をするのも、その学校の教師とは限らず、体育教師は複数の学校を兼務していていて、町のジムに複数の小学校の生徒が来て、同じ教師からときには一緒に授業をうけることもあるらしい。中には「ある考えや感情を体で表現せよ」などという風変わりな授業もあって、授業内容も教師によってずいぶんバラエティに富んでいるようだ。

 デンマークには「森の幼稚園」がある。これは個別の施設をもたず、森そのものが幼稚園になっているものだった。オランダの小学校の場合、「町の小学校」というイメージがある。子供を狭いところに囲い込まず、町全体を学校にして、そのなかでみんなでおおらかに育てようという雰囲気がうかがえる。


2004年11月14日(日) オランダにおける教育の自由

 今日の日記も、リヒテルズ直子さんの講演会の紹介である。1917年にオランダ憲法が改正されて、第23条が成立した。これは日本の教育基本法に相当するもので、ここに公立と私立の学校への政府補助金も平等にするように明記されている。

 それでは公立と私立の違いは何か。簡単に言えば、私立とは特定の宗教や信条にしたがって教育が行われている学校である。公立の場合もふくめて、オランダでは教育の中立性ということは問題にされないようだ。

 むしろ、それぞれの学校が独自の教育方針を定め、それぞれの立場を明確にして、違った教育がなされることが奨励される。また、学校の中でも、教師によって教育方法は違っている。オランダには検定教科書もないし、指導要領のようなものもない。

 オランダは市民が主体となってつくられてきた歴史を持っている。したがって、教育制度にもそうした上からの統制を嫌う市民社会の自由尊重の考え方が反映されている。オランダでいう教育の自由とは、具体的には次の四点である。

�ヽ惺酸瀘�の自由
��教育理念の自由
�6軌虔�法の自由
�こ惺餐�択の自由

 オランダでは200人の生徒が集まれば学校が設立できる。政府はその生徒数に応じて、一律に財政援助をあたえなければならない。そして、その場合、その学校がどのような教育理念を持ち、どんな教育方法で教育を行おうと、基本的には自由である。学校や教師にはこうした無制限ともいえる「教育の自由」が認められている。

 しかし、自由のあるとこと、責任もある。学区制のないオランダでは市民に学校を選ぶ自由は100パーセント保障されている。しかも、授業料はどこも変わらない。学校も生徒を集めるためには、魅力的な学校作りをしなければならない。教育の質を維持するために、「学校選択の自由」が要になっていることがわかる。

 日本の場合も、「教育の自由化」の目玉として初等教育における学区制の撤廃がいわれている。しかし、� 銑�の教育の自由が存在しなければ、学区制の撤廃はあまり意味をなさないのではないか。

 オランダは多様な価値観を尊ぶ成熟した市民社会である。日本社会はまだまだ偏差値という一元的な価値観が支配している。これを変えるためには、まず、� 銑�の教育の自由化を押し進める必要がある。そしてそのために必要なことは、オランダの第23条に相当する財政的支援体制であろう。

 日本でも公立と私立に対して、平等な財政支援を行う体制を作ってはどうだろう。もちろん教員の給料も同じである。学校や教師はそれぞれ独自な教育理念と方法をもち、魅力的な学校や授業をつくることで、生徒と父兄にアピールする。こうしたことが自由に行えて、日本は初めて教育先進国といえる。


2004年11月13日(土) リヒテルズ直子さんの講演会

 昨夜は名古屋の伏見ライフプラザでオランダ在住のリヒテルズ直子さんの講演「オランダの教育」を聞いてきた。1時間半の熱の入った講演のあと、30分ほど質疑応答が続き、解散したのが8時半過ぎだった。

 講演の前に、私はリヒテルズ直子さんに自己紹介をした。公演後、9時から近くの焼鳥屋で懇親会があるとのことで、少し迷ったが帰ることにした。懇親会に出ると、電車がなくなり、家に帰れなくなる恐れがあった。翌日は部活の練習試合で、朝も早い。それから、給料日前で懐が寂しかったからね。

 とはいえ、せっかく親しくお話をうかがうチャンスだったのに、残念である。リヒテルズ直子さんは1955年生まれだから、私よりも5歳下である。著書を読み、講演や質疑応答を聞いていると、非常に頭のよい人だという感じがした。即座にポイントをおさえて、簡潔に語ることのできる人である。

 会場には高校生や大学生など、若い人たちも来ていて、自分の学校体験を語り、オランダの教育について質問していた。私も質問したかったが、あっという間に時間が過ぎて、司会者に「それではあと一人だけ」と言われ、とっさに手が上がらないうちに、若い人に質問をとられた。これはこれでいいのだろう。

 講演会の後、個人的に質問をぶつけてみるつもりでおそばに行ってみたものの、彼女を独占して話し続ける人がいて、らちがあきそうもないので、そのまま場を離れた。著作にサインをしてもらえるということだったが、それもあきらめるしかなかった。

 それにしても、オランダの教育システムはよくできている。たとえば大学の学費は一律年間20万円で、これは学部や公立、私立の別をとわない。大学生は生活費の1/3を自分で稼ぎ、1/3を親に支援して貰い、残りの1/3を返還義務のない国の奨学金に頼っているという。親が貧乏な家庭は、返済義務のある国の奨学金が用意されている。

 オランダの大学には入学試験がない。高校の卒業資格さえあれば、原則として無試験で、好きな大学の好きな学科に入学できる。そしてそこが自分に向いていないと分かれば、また自由に転部することができる。その場合も奨学金は受給できる。

 リヒテルズ直子さんの上の息子さんは大学の建築学科に在籍しているが、1年生のときは200人もいた学生が、一年後30人ほどになったらしい。これは、建築家を志してみたものの、自分に適性がないと分かった学生が転部して行ったためだという。

 初年度、こんなに多くの学生が一部の学科に押し寄せては大変だと思うが、その分、大学の収入も多くなるので、困らないらしい。建築科の場合は、こうしたお金で現役の建築家を外部講師として多くやとい、手当をしているらしい。いずれにせよ、2年目からはどこの学科も適性規模に落ち着くのだろう。

 講演会では、著書には書いていないこうした身近な情報がいただけ、また日本の教育改革に向けての具体的な提言もいただけて、なかなか有意義だった。明日の日記でもう少し詳しく書いてみよう。


2004年11月12日(金) プラトン対話編の謎

 プラトンが生まれた前427年はペリクレスが死んだ翌々年にあたり、ペロポネソス戦争のさなかだった。そして、前404年、プラトンが23歳のとき、アテネはスパルタに降伏した。この少し前、プラトンはソクラテスと出合い、弟子になったようだ。

 スパルタの軍政下におかれたアテネでは、クリティアスが中心になって三十人政権が誕生した。クリティアスは民主政治を否定し、小数者の寡頭政治を行った。この政権下で民主派は弾圧された。

 しかし、やがてクリティアスは殺されて、民主政治が復活する。そしてこの民主政権のもとで、有名なソクラテス裁判が行われ、ソクラテスは死刑になった。このときソクラテスは70歳で、プラトンは28歳の青年だった。

 プラトンはその一生を戦争とそれに続く内戦の混乱期のアテネに生きた。こうした中で、民主政治への批判と不信は生涯続いた。前347年、プラトンは80歳の生涯を終えるが、このとき北方にマケドニアが台頭しつつあった。プラトンはアテネの未来に不安を覚えながら死んだに違いない。

 ソクラテスが主役として登場するプラトンの対話編には、プラトン自身は登場しない。プラトンは晩年のソクラテスと数々の対話を交わしたにちがいないのだが、なぜ、ソクラテスの対話の相手として登場しないのか。これは対話編の大きな謎である。

 さまざまな解釈があるだろうが、私の解釈は、対話編のソクラテスは実はプラトン自身の姿だというものだ。プラトンはすでにその師ソクラテスと完全に同化していたのである。


2004年11月11日(木) 自由と責任

 私はこの五年間、毎日休まず日記を書いているが、数年前からは「戦争体験を語り継ごう」というML(メーリング・リスト)の会員になって、そこにも毎日のように投稿している。今朝も、「自由と権利にともなう責任」と題して、こんな文章を投稿した。以下に全文を掲げておこう。

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「週刊朝日」の「天皇陛下のリベラル性」という記事の紹介、ありがとうございました。園遊会での米長さんにたいする平成(の)天皇の「強制はいけない」という趣旨のお言葉は印象に残りましたが、私も陛下の折々の発言に、憲法遵守の精神を見て、共感を抱いていました。

 76年3月10 日、学芸大学付属世田谷小学校の創立100周年式典での陛下の発言は、初耳でした。これもとてもすばらしいお言葉だと思います。

「……私どもの時代は極端な時代でありました。二年生になったとき制度がかわり、小学校という名前は国民学校という名前にかわりました。それぱかりではありません。慣れ親しんできた『ニュース』という言葉も敵国の言葉だというので『報道』という言葉にかわりました。当時はある決まった方向に考え、そしてそれに沿って表現しなければならなかったのです。今みなさん方が受けている教育で、最も良いと思いますことは、皆さん方が自由に考え、自由にそれを表すことができるということであります。しかしそういう自由を持つということは一方において重大な責任を負うことにもなるのです。この二つは車の両輪です」

「なぜ日本は特攻戦法をとらねばならないのか」と戦時中、陸軍将校に質問した小学生時代の陛下のエピソードからは、今日の陛下の姿勢はすでに幼い頃からだったことがわかります。陛下は洗脳されていなかったようですね。

 国歌を斉唱しろ、国旗に敬礼せよなどと口やかましく言い、職務命令を出して強制しようとする人々に言いたいですね。まず、「日本国憲法」を尊重し、遵守していただきたい。それが為政者としての第一の責任であり義務であるはずです。

 ちなみに、憲法第100条には、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」となっています。憲法とその精神(主権在民、平和主義、基本的人権の尊重)を尊重する気持のない人は、大臣や議員、公務員になってはいけません。

 したがって、89年1月9日の「即位後朝見の儀」で、陛下が述べられたという、「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果すことを誓い…」という当然のお言葉を、一部の人が「陛下は護憲派に味方するのか」と問題視したというのはとんでもない言いがかりです。

 天皇のみならず、日本の首相や首長たちは議会の就任演説でまずこの「日本国憲法順守」の宣誓を行うべきではないかと考えます。また、過去に憲法をないがしろにした発言をしたことがある人は、その発言を撤回しない限り、公職につくべきではないと考えます。

 もちろん、平和憲法も人間が創ったものです。金科玉条とすべきものではありません。国民の総意により、これを変えていくことはあっていいし、その為の議論が行われることは何等問題はありません。そしてその自由は、憲法自身が保障しています。

 しかし、このことは、憲法を無視したり、ないがしろにしていいということではないはずです。学校教育においても、「憲法」と、その憲法に基づいて施行された「教育基本法」は尊重されなければならないと思います。

「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に耐へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」(第97条)

 戦前、戦中の日本は自由にものが言えない時代でした。人権抑圧がいたるところで行われていました。戦後は時代が変わったという人がいますが、安心していてはいけないと思います。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(第12条)と強調されているのも、世界の歴史の教訓を踏まえてのことです。

 そして、陛下が語られたとおり、自由には責任がともなう、という認識も大切です。憲法第12条は「又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ」と続いています。

 私は戦後の民主的教育が間違っていたとは考えません。しかし、改善点はあると思います。それは「自由・権利に伴う責任」ということがしっかり教えられてこなかった点です。

 しかし、これも、その実態をよく見ないといけないと思います。でないと、短絡的に、「自由はいけない。強制だ」ということになりかねないからです。大切なことは、「自由と責任を車の両輪として教える」ことです。そしてそのためにお手本を大人達は示さなければなりません。公職にあるもの、教育に携わるものの責任は大きいと思います。

 国民に義務や責任を説く前に、政治家は自らの義務と責任を果たすべきでしょう。そして日本の政治家にとって最大の義務であり責任であるものは何かと言えば、「日本国憲法」を遵守し、「これを不断の努力によって保持する」ということなのです。私は平成(の)天皇がそのよきお手本となられていることを評価します。

(参考サイト)
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/
http://tseiso.hp.infoseek.co.jp/ml/(テーマ別)


2004年11月10日(水) 京都議定書を実効あるものにしよう

 経済発展のめざましい中国で、マイカ−が6千万台を越えたという。この先、石油や天然ガスの消費が増えるだろう。二酸化炭素の増加による地球温暖化や公害問題の深刻化が懸念される。

 大量の汚染物質が日本海を渡ってやってくる。酸性雨がふりそそげば森林が滅びる。その兆候は、すでに日本海側で顕著だ。自動車産業は中国に巨額の投資をして、現地での生産の本格化しようとしている。中国市場は魅力的だが、ただ金儲けの市場と考えているとしっぺ返しがくる。

 日本政府は正式に中国と協議の場をもつべきだ。公害問題を共同研究し、資金の援助や環境保全の取り決めをすべきだろう。エネルギー自給率20パーセントの日本は、率先してエネルギー政策の転換をはかり、省資源を世界に訴えかけていく必要がある。

 環境省は地球温暖化につながる温室効果ガスの排出抑制策として、環境税を2005年度に導入する方向で検討を始めているという。ガソリンや灯油にかかる税率を上げて、これで環境税をまかなおうということだ。自動車産業や運輸業界は反対しているようだが、環境税は世界的に見ても時代の流れであろう。京都大大学院教授の植田和弘さんもこのように述べている。

 「現状のままでは京都議定書の削減義務の達成は難しく、環境税の導入はその突破口として期待できます。石油、石炭、天然ガスなど化石燃料への課税は炭素税とも呼ばれ、1990年代に北欧などで導入されました。90年代末からはドイツ、フランス、イギリスなど欧州の主要国でも化石燃料などへの課税が大幅に強化されました。アメリカは議定書の批准を拒否していますが、環境税導入は国際的な潮流といえるでしょう」

 もっとも、「導入する場合には、エネルギー関係の税体系全体を再構築すべき」だという声にも耳を傾ける必要はある。揮発油税、石油税など、エネルギー関係の税収が道路やエネルギー関連の開発ばかりに使われ、時代にそぐわなくなっている。これらの税収を環境対策に振り向けていくことも必要なことだろう。

 いずれにせよ、地球温暖化防止のための京都議定書について、日本は議長国だった責任を放棄せずに、各国にその履行を迫っていくべきだ。1997年12月に京都会議で採択された、いわゆる京都議定書が発効すれば、各国には決められた温室効果ガスの排出削減の目標を達成する義務が生じる。

 しかし、発効には、55ケ国以上の批准が必要な上に、批准国の二酸化炭素排出量の合計が先進国全体の排出量の55%をこえなければならない。10/27に先進国全体の17%をしめるロシアが批准法案を上院で可決したことで、ようやく発効にこぎつけそうだ。

 しかし、36%を占めるアメリカは産業優先を掲げる共和党の反対で、まだ批准さえしていない。ロシアも批准際して、「地球規模の気候変動を防止する効果的な方策を確保するには、温室効果ガス排出の低減のための国際社会全体による努力が不可欠だ」とアメリカを牽制する声明を出した。小泉首相もブッシュ大統領との良好な関係を生かして、議定書の批准を説得してほしい。

 京都議定書の問題点は、経済成長が著しい中国やインドなどの第三世界がその規制の対象から外されていることだ。1997年にクリントン政権時代のアメリカ上院も、「全ての国家を含まない条約は批准しない」ことを決議している。しかし、環境問題はまず先進国がその責任を自覚し、歩調をそろえて取り組まなければ一歩も前進しない。

 私は21世紀の政治の最重要課題は環境問題だと考えている。よき政治家かどうかは、環境問題にどれだけ誠実に取り組もうとしているか、その姿勢をみればわかる。そうしたよき政治家を育てるためにも、私たち一人一人がもっと環境問題に敏感にならなければならない。

(参考サイト)
http://www.edagawakoichi.com/WAVETHEFLAG/
w-kyotogiteishobanzai.html

http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/dr/20030311md01.htm



2004年11月09日(火) 誤りを認めない政治家

 イラク暫定政府のアラウィ首相は、8日の記者会見で、「テロリストの手からファルージャを取り戻すことを決心した」と述べ、米軍とイラク軍によるファルージャの武装勢力掃討作戦を承認した。
 
 これをうけて、8日午後、米軍がファルージャ中心部に向かって総攻撃を開始した。激しい砲撃の後、市北東部の地区に4千人以上の米海兵隊が進撃したという。米軍報道官は、この日未明からの戦闘をめぐり、武装勢力側の42人を殺害したと述べた。AFP通信によると、市中心部のモスクが爆撃され、10人が死亡したという。

 米軍がファルージャを制圧しても、イラクが平和になるかどうか疑問である。それどころか、イラクが第二のパレスチナにならないとも限らない。秩序を回復させるためには、イラク国民の協力が必要だが、これでは分裂が深まるばかりではないだろうか。

 大統領選挙中、民主党のケリー候補はテレビ討論で、国連を無視して単独行動主義に走ったアメリカ主導の戦争の誤りを突き、同盟国との連帯を主張した。しかし、ブッシュ大統領は「誤った戦争だなどと言われて、加勢しようという国があるか」と、あくまで自らの間違いを認めなかった。

 最初戦争の口実だった大量破壊兵器はなく、米軍の捕虜虐待が明らかになり、正義の戦いだという仮面もはげおちた。にもかかわらず、ブッシュは自分はまちがっていないといいはり、「正義の戦争」をどこまでも押し進めようとしている。

 こうして、最初の小さな間違いは、次々と大きな間違いになり、ますます嘘も大がかりになっていく。そして、ますますその嘘の中にはまりこんでゆく。大統領選挙はこれを是正するチャンスだったが、その機会も失われた。

 この先、アメリカとイラクがどうなっていくのか、そしてアメリカに荷担する日本が、どうやってこの先、国際社会で信用を回復していくのか。これは小泉首相には手に余るむつかしい課題かも知れない。なぜなら、小泉首相も又、自らの誤りを認めないことにおいて、ブッシュ大統領と双璧をなしているからだ。

 政治家が自らの誤りを認めないのは、彼等が自己保身しか念頭にないからである。権力の維持と自己保身のためには、国民を欺き、国家に打撃を与えることもあえてする。国民は一刻も早くこのことに気付き、正気を取り戻して、このような政治家を退場させなければならない。


2004年11月08日(月) 保守化する人々

 全世界の注目を集めて行われた11月2日のアメリカ大統領選挙は、ケリー候補がはやばやと敗北を認め、ブッシュの勝利が確定した。しかし当日の開票前の出口調査ではケリーが有利だとされていただけに、今回の選挙でも共和党による広範囲な不正が行われたのではないかという疑惑がもたれている。

 たとえば、選挙の勝敗を分けたオハイオ州のある選挙区では、有権者約4000人なのにブッシュに6200票も入っているという投票機の間違いがあった。こうした間違いが3日後まで気づかれなかったという。

 今回の選挙では、全米の有権者の3分の1がコンピューターの投票機で投票したが、投票機メーカーの最大手であるディーボルド社の投票機はプログラムに欠陥があり、コンピューター内部の数字を書き換えることで不正が簡単にできてしまうのだという。オハイオの各選挙区で同じ様な数字書き換えがなかったかどうか。

 こうした不正を検証しようにも、オハイオはじめ多くの州の投票機には印字機能がついておらず、もはやどうしようもない。ニューヨークタイムスなど、アメリカのいくつかのマスコミがこの欠陥を報じ、民主党は各州で印字機能をつけさせようとしたが、実行されないまま投票日を迎えた。

 また出口調査についても、これを妨害する動きがあった。たとえば問題のオハイオ州では、選挙前に共和党の州政府がマスコミに対し、投票所の近くで出口調査をすることを禁じる指令を出し、マスコミが裁判所に訴えてようやく指令を解除させたのだという。

 こうした疑惑から、ケリーは共和党の不正な選挙操作によって破れたという論調がある。しかし、たとえこうした不正があったにせよ、それを跳ね返すことができなかったケリー陣営のパワー不足は否定できない。やはりケリーは破れるべくして破れたというべきだろう。

 ケリーの敗北の背景に、9.11事件後のアメリカ社会の「保守化」があった。そこで、こうした保守化はどういうメカニズムでもたらされるものか考えてみたい。これについて、以前の日記に書いたことがあるので、一部を引用しよう。

<保守主義は「民衆は自立心がなく、愚かで利己的で、争いを好む」というところから出発する。そしてここから、「社会に平和と秩序をもたらすためには、強力な法と、その法に基づく権力の支配が欠かせない」という結論を導き出す。ここから出てくるのは法や秩序の強化であり、自国の文化や伝統を尊重する政策である。

 これに対して、「リベラル」は「民衆はほんらい良識をそなえている。現状が悪いのは、社会のシステムが間違っているからだ」と考える。したがって、「社会に平和と秩序をもたらすには、社会のシステムを民主的で合理的なものに変えていかなければならない」という未来志向の社会変革的な立場から政策をつくる。(略)

 保守的な傾向を持つのは、現在の体制を肯定している人々であり、リベラルは現在の体制に批判的な人が多い。富裕階級や低所得層の人々が保守で、中産階級の人々はどちらかといえばリベラルが多いようだ。低所得のブルーカラーに保守が多いのは、彼らが現実の悲惨をシステムの問題だと受け止めることをしないからだ。

 したがってアメリカや日本のように社会の二極化が進む地域では、保守主義が台頭しつつあり、今後ますます社会が右傾化することが予想される。こうしたなかで私たちに必要なのは、社会の悪を「人間の悪」としてではなく、「社会システムの悪」としてとらえる社会認識力の養成だ>

 今回の選挙では、イラク戦争に慎重な姿勢を示し、国際協調主義を掲げたケリーに対し、ブッシュは「テロリズムからアメリカを守るためには、ならずもの国家であったイラクを戦争で破り、力ずくで民主化することが必要だった」と訴えた。そしてこの主張が、保守化した多くの市民達によって疑問もなく受け入れられた。

 そしてケリー候補自身も、この主張をある程度受け入れている。イラクを民主化すること自体には反対をしていないからだ。ただその方法が間違っていたというだけである。多くのアメリカ市民はこうした観点からイラク問題を考えている。アメリカに同調している小泉首相も、日本の国民もこうした主張に大きく傾いている。

 しかし、実際のところ、ブッシュのいう民主化は欺瞞でしかない。アメリカはサウジアラビアやクエートが王制をとっていても、これを民主化するとは言わない。それは彼等がアメリカに従順なためである。フセイン大統領もアメリカに従順であれば安泰だっただろう。

 アメリカは自分に楯突く権力者は、これを「独裁者」だと弾劾し、そしてその独裁者を倒し、その国を「民主化」するためと称して戦争をしかける。だから、「民主化」などというのは、ただ戦争をするための口実でしかないわけだ。そもそもこんなお粗末な大統領選挙を繰り返しているアメリカが、民主主義を振りかざすことが滑稽ではないだろうか。

 半世紀ほど前の米国で、ある新聞が一つの興味深い実験をした。次のような文章を記した請願書を持ち、100人以上の市民にこれに同調するように署名を頼んだのだという。

「われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる」

 署名に応じたのは1人だけで、他の人たちは「反政府的すぎる」として署名を拒んだ。その文章が米国の独立宣言の有名な文章だということに、市民たちは気づかなかったのだという。日本国憲法の前文を使って、同じ実験を日本でしてみてはどうだろうか。

(参考サイト)
http://www.asahi.com/paper/column20041104.html
http://tanakanews.com/


2004年11月07日(日) 森が教えてくれること

 昨日はオランダの学校について書いた。今日はデンマークの幼稚園について書こう。資料として手元にあるのは、デンマークで暮らし、子育てをしてみえる高田ケラー有子さんのメルマガ『平らな国デンマーク/子育ての現場から』である。とくに、第13回「森が教えてくれること」、第18回 「自由気ままな幼稚園」から、多く引用させていただく。

 デンマークの幼稚園では毎週一日は遠足があり、おもに海辺や森に出かけていく。なかでも「森の幼稚園」の場合は、毎日、森に出かける。森そのものが幼稚園なので、こうよばれているらしい。デンマークに63ほどあるのだという。

<森の幼稚園とは、毎日を森で過ごしながら園児を保育する機関のことで、毎朝決まった時間に決まった場所で集合して、そこから森へ入って行きます。よほどの天候不良でない限り、雨が降っても雪が降ってもお休みにはなりません。・・・多くの森の幼稚園が、朝9時前後から午後1時くらいまでの時間を森で過ごしているようです。「おむつがはずれたら、いつでも誰でも入れますよ」というのが幼稚園の受け入れ態勢のようです>

<郊外の幼稚園では、近くの森に散歩に出かけることはごく日常的に行われています。これが、森の幼稚園では毎日のこととなる訳ですが、毎日新しい発見があり、森に暮らす小動物の息づかいや、木々や草花の変化に子供たちはアイデア豊富にいろいろな遊び方を発見するようです。机やいすがなくても、自然から学ぶことは多くあります。もちろん、森の中でお話や物語を聞く時間もあり、また歌を歌ったりゲームをしながら過ごすようです。急な雨や冷たい風からも、森の木々が子供たちを守ってくれます。森は優しい器なのです>

<森の幼稚園に子供を預けたいと思っている両親の多くが、子供を丈夫にしたい、という願いがあるようです。なかには喘息持ちの子供などもあるそうで、森の中で新鮮な空気を胸いっぱい吸いながら、子供たちは丈夫になっていくようです。体だけでなく、精神的にも強くなるように思いますし、森の幼稚園でなくても森への散歩を欠かさないことは、子供の体と心の栄養になるように思います>

『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』(ロバート・フルガム著)という本が日本でもベストセラーになったが、幼稚教育というのはとても大切である。幼稚園でのゆたかな体験が、その人の一生に及ぼす影響は無視することができない。そうした視点から、もう少しデンマークの幼稚園を見てみよう。

<幼稚園での過ごし方は、3〜5歳児クラスはほんとうに自由気まま。やりたいことをやりたい時にやりたいようにさせている、という印象で、外遊びも思いっきりさせます。基本的に悪天候でない限り、毎日外で遊ぶことが基本で、息子の幼稚園は特に外遊びの環境としてはとてもいい環境にありました。ちょっと小高い丘になっている林や、芝生の山、コンクリートの三輪車などの遊び場、砂場はもちろん、さまざまな遊具など、ちょっとしたフィールドアスレチックのようで、子供たちは毎日、ほとんど野放し状態で外遊びを楽しんでいます>

<本を読んで欲しい子供がいたら一人の先生の周りにそういう子供が集まってお話を聞いていたり、その傍らでは、別の先生と他の子供たちがゲームをしていたり、外ではまた別の先生がいっしょに外遊びをしていたり、というような自由な活動をしています。保育師一人当たりの園児数で言うと、息子の幼稚園では6人というのが平均的な数字で、20人のクラスにたいてい3〜4人の保育師がついている、という感じでした>

<5〜6歳児のいる年長さんクラスになると、基本は自由きままですが、1日に1度は先生のお話を聞く時間が設けられ、徐々に来年は学校に行くのだ、という意識を芽生えさせます。でも、だからといって、アルファベットを覚えさせるわけでもなく、ただ、人の話を集中して聞く時間を少しづつ増やして行く、という感じです>

<幼稚園の建物の構造的には、ひとつの大きな家、というような意識があり、中央は誰でも使えるスペースとしてリビングルームのような設定になっており、その傍らにキッチンスペースがあり、時には園児たちもパンを焼いたりクッキーを焼いたりします。各教室はそのリビングルームを取り囲むように配置されていて、それぞれにメインル−ムと「枕の部屋」そしてトイレが配置されています>

 「枕の部屋」には大きなクッションや小さな枕など柔らかい感触のものを豊富に置いあり、子供たちはそこで飛び跳ねたり、寝そべったり、枕投げをしたりして自由にすごすことができる。ときには一人になりたい子供が、そこで枕に埋もれて泣いたりもできるのだという。デンマークの幼稚園にはたいていこうしたプライベートないごごちのよい小部屋がいくつか用意されているらしい。

<入園式も卒園式もないのはある意味で無駄がなくていいのですが、無駄がないと言えば、デンマークの公立の保育機関では、制服なるものは体操服も含めて一切ありません。各自が自由な服装で過ごします。鞄や靴ももちろん自由です。無駄がなく合理的である反面、新しい制服に袖を通す喜びとか、式を迎えるワクワク感とか、そうした感情を全く味わう事がないというのは、少々寂しい気もしないではないです。しかしながら、そうした習慣がないのですから、それを寂しいと感じようもない、というのは当然のことかもしれません>

 デンマークの幼稚園には運動会や学芸会のようなものが一切なく、そもそもみんなでいっしょに何かを練習してそれを披露するという発想がないらしい。徒競走のように子供に順位をつけることもなく、競争心を育てられることもない。日本の幼稚園とは随分様子が違っている。これも国民性の違いであろう。


2004年11月06日(土) オランダの教育

 オランダでお二人のお子さんを育ててみえるリヒテルズ直子さんが、その体験を踏まえて、平凡社から「オランダの教育」という本を出された。それにちなんだ講演会が名古屋であるというので、聞きに行こうと思っている。

 リヒテルズ直子さんとは私が「オランダ入門」を連載していたときにオランダからメールをいただき、それからときおりメールを交換しているので、今度お会いできるのが楽しみである。経歴を見ると、九州大学大学院を修了されたあと、マレーシアの大学にも留学されている。専攻は比較教育学、社会学だという。オランダ人を夫に持ち、ケニア、コスタリカ、ボリビアなどにも滞在歴をもつ国際派の日本人女性である。

「オランダの教育」の副題は「多様性が一人ひとりの子供を育てる」となっている。読んでみると、まさしく「多様性の尊重」こそが、オランダの教育の核心であることがわかる。どうじにそれはオランダ社会の特質でもある。本の章立てを紹介しよう。

第一章 百の学校に百の教育
第二章 オールタナティブスクールとその影響
第三章 競争のない中等教育
第四章 オランダのゆとり教育・総合学習
第五章 学校教育の質は誰が守る?
第六章 オランダの教育は今・・・移民教育と教育の自由
終章   何のための多様性

 オランダは「自由の国」だといわれる。ところで「自由」とは何か。これについて、リヒテルズ直子さんは、こう書いている。

<オランダで自由という時、それは中立の精神ではなく、各個人、各集団が、それぞれの信じる思想を自由に発言し、その思想に基づいて行動することをお互いに許しあうことを意味しています。多様な考えや価値観を持つものが、それぞれの価値観に従って社会参加することが認められること、お互い異なるままに平等に存在を認められること、という意味での自由です> 

<オランダで大切にされているのは、子供だけではありません。その子供たちを教えている学校の教師たちもまた、制度のなかできちんと人権を守られています。教師たちは自分の考えで教育する自由が与えられています>

 オランダの学校には入学試験というものが原則として存在しない。卒業資格がそのまま上級の学校への入学資格になるからだ。だから大学入学のための競争や塾のようなものも、一切存在しない。それにもかかわらず、オランダの子供たちはよく学び、世界的に見てもトップレベルの学力を身につけている。その秘密が、リヒテルズ直子さんのこの本を読むと、とてもよくわかる。

<オランダの高校生も日本の子供たちのように毎日勉強に追われています。多分、日本の子供たちが、授業、補習、塾と費やしているのと同じくらいの時間を、オランダの高校生も学校と家庭で費やしているでしょう。

 ただひとつ違うのは、日本の子供たちが、同じことを繰り返し覚え、試験で間違わないように、限られた時間に難しい問題を正確に解くことができるように訓練している間に、オランダの子供たちは、実に多様な課題を忙しくこなしています。

 多分、数学の問題でうっかりした間違いをおかす子供は、日本よりもオランダの方が圧倒的に多いでしょう。でも、オランダでは「校内試験」での評価の対象には筆記試験意外の課題が多様な形で用意されています。

 教師たちは、単に答えがあっているかということだけでは判断せず、課題への取り組み方、物事に対する判断の仕方、情報の処理の仕方といったことまでを観察しています>

 オランダの歴史教育は、<歴史的出来事がどの時代にどういう順序で起こったか、ということを羅列的に覚えるのではなく、それらの「出来事が、今の時代に生きている生徒たちにとってどういう意味をもつものであるのか考えるための教育>になっているという。

 たとえば、リヒテルズ直子さんの高校一年生の息子さんの歴史の宿題を覗いてみると、次のような課題が出されていったという。

�,△覆燭�ベルリン市内またはその周辺に住んでいたドイツの労働者であったと仮定しなさい。そして、あなたが1932年から33年の間になぜナチス政権を支持したかを説明しなさい。

�△△覆燭�1917年にスターリンに投票したロシアの労働者であったと仮定しなさい。そして、なぜあなたはスターリンに投票したのかを説明しなさい。

 日本の高校の歴史の授業で、こうした課題が与えられることは、まず滅多にないことだろう。ところがオランダの学校では「ヒトラーのナチズムを支持するようなプロパガンダを書きなさい」というような課題がだされることもあるという。これについて、リヒテルズ直子さんは、こう書いている。

<ある社会で大きな歴史的出来事が起こるとき、それを支えたり、それに反対したりする個人の側の何らかの必然的背景がある、という事実に、生徒たちを目覚めさせようとしているように思います。ある地域や国が戦争に向かうとき、社会全体、国家全体をそういう方向に導いていくいろいろな条件があり、一つそういう方向で社会が動き出すと、それは一人の人間の力では抗しがたいものになること、そうなってしまう前に、一人ひとりの市民がしっかりと事態を見極め判断していくことがいかに大切であるか、ということを少しでも子供に伝えようとしていることがわかります>

 生徒はこうした課題をこなすために、図書館やインターネットでいろいろと当時の社会情勢をしらべ、友人や家族と議論し、自分の考えを練ることだろう。そしてこれを文章にして、提出しなければならない。オランダの高校生はだからとても忙しい。しかし、その急がしさの中身はずいぶんと日本の高校生とは違っているわけだ。

 こうしたことは、「覚える歴史ではなく考える歴史」「今を生きるための歴史教育」という実践的教育観が根底にあるからだが、こうした視点は「歴史教育」のみならず、すべての教科にあてはまるようだ。数学や理科の課題についても是非その中身が知りたいものだ。リヒテルズ直子さんにお会いしたとき、いろいろと質問してみよう。


2004年11月05日(金) 聖なる子宮空間

 津田塾大教授・三砂ちづるさんの「オニババ化する女たち」 (光文社新書)によると、神社の参道、お宮、お神輿はそれぞれ産道、子宮、精子を意味しているのだという。お宮は「子宮」を模したものだという説は、私自身の実感とも即している。

 樹木に覆われた参道は産道であり、その奥にある聖なる空間が子宮である。お宮に祭られている曲玉は嬰児の象徴だという説を、私は以前にも読んだことがあるが、説かれてみれば、なるほどと納得する。

 そうすると、神社の入り口の鳥居は、さしずめ女陰の象徴だということになる。赤く塗られた鳥居が女陰だという説は少し刺激的かもしれないが、大いに考えられる。

 沖縄にはウタキ(御嶽)という祈りのための聖なる場所があちこちに残されていた。なかでも世界界遺産に指定された斎場御嶽(セーファウタキ)が有名だ。これは琉球最高の聖域とされ、琉球の創生神アマミキヨが作った7御嶽のひとつと伝えられている。残念ながら、多くのウタキが沖縄戦で破壊されたのだという。

 ウタキは周囲を木々で囲まれたなにもない丸い空間で、中央に火を焚く小さな祭壇があり、左右に石がひとつずつ置かれている。私はこれが神社の祖形ではないかと考えているが、まさしく子宮そのものという感じだ。宗教人類学者の中沢新一さんがこんな文章を書いている。

<最初に沖縄を訪れたのは70年代の前半だった。ウタキが見たくて本島北部の国頭村にいった。当時すでにノロの組織は大分崩れてきてはいたけれど、ウタキの空間はきれいに守られていた。はじめてウタキに入っていったときの厳粛な気持ち、心を打たれた感覚を良く覚えている。

 うっそうと茂った森の中の、まるで植物に囲まれたトンネルのような細い道を進んでいくと、すうっと開けたこじんまりとした空間があって、それがウタキだった。そこだけ青空に向かって開いているような、建物も神像もない小さな石の祭壇があるだけの空間。本土の神社も、もともとはこういうものなんだということが良く実感できた。

 神社というものは森にできるものだ。「社(やしろ)」は「森」。沖縄のウタキがいつの時代までさかのぼるのかわからないけれども、本土でも森の中の少しだけ開けた空間でお祭りをするというのが古い神社の形態だった。伊勢神宮に行くとよくわかるが、森を切り開く範囲をだんだんと広げていって、そこに建物をつくるという形態に変わっていった>(オピニオン)

 沖縄の亀甲墓もこのウタキの形をしている。それはまさしく妊婦が足を開いて出産する姿勢をそのままである。霊廟の入り口が子宮の入り口であり、その奥の子宮の部分に死者を葬るわけだ。こうした墓の形は台湾にもあるという。

 そもそも古代の人々にとって何が不思議かといえば、新しい生命の誕生だったはずだ。そしてもっとも神聖な場所は、あらたな生命を宿し、育てる場所、つまり子宮だった。神社の境内はまさしくこの命の根源である聖なる空間を模したものだといえる。

 なお、鳥居の祖形は遠くインドやエジプトにまで遡るという説があるので、少し長くなるが、最後に引用しておこう。

<インドのサンチーには最古の仏塔(ストーパ)が建ち、その周囲を仏陀のシンボルで飾られた石材で囲まれているが、その入口には2本の柱の上に梁が乗せられ、鳥居の原型が形造られている。

 こうした柱の根源にはシヴァ神のリンガが聖なる柱として崇拝されたことがある。シヴァの添名のスターヌ(柱)は、擬人化された男根としてのシヴァを表したものである。また、古代インドでは、寺院または至聖所を表すサンスクリット語はガルバグーラ(子宮)であった。聖地に立つ石柱という組合せ自体が、リンガヨーニの形を表している。

 男根の柱はアジア北部とシベリアにも見られ、このような直立した柱に「都市の中心の強力な柱」「鉄の男性柱」という名を与えた。人々はこのような柱を「男」あるいは「父」と呼び、血の生け贄を捧げた。

 血は古代においては、男根の柱にとって重要なものと考えられ、ヒンズー教徒は柱を赤く塗ったり、血を塗り付けたりした。古代エジプト神話には「血を流す木」と呼ばれる2本の柱が神殿の入口に立っていたと伝える。この柱が流す血は女性を妊娠させることが出来た。ここには、男性の精液ではなく血が、豊穰をもたらす本質であるという、新石器時代の女性の「月の血」崇拝を模倣した原初の観念の名残が見出せる。

 神殿の扉は女陰を表し、「女神の聖なる扉」という名が与えられた。神殿建築の構造自体が、門である女陰から、通路である産道を通り、内部の子宮に到り、そこにはリンガが据えられるという、象徴性が示されているのである。母神の出産には血が必要で、畏敬の念を込めて生贄の首を落とし、女陰である扉を血で染め、産道に血を撒いたのである。また、神殿の塔は男根を表すとも、シヴァ神の聖地であるヒマラヤのカイラス山を表すともされるが、男性的な象徴は女性的なものより後世のものである。>(インドの神殿)

(参考サイト)
http://www.dc.ogb.go.jp/kyoku/kairo/
forum/op_nakazawa.html

http://www.mctv.ne.jp/~konron/13_shinden/index.html


2004年11月04日(木) でも、クモのご飯だよ

 友人の北さんが、毎週学校で全校生徒に配布している「図書館探訪」という図書案内のプリントに、加藤幸子さんの「私の自然ウオッチング」という本から、「でも、クモのご飯だよ」という文章が引用されていた。

<野原を歩いていたとき、前にいる女の子がブツブツ言っているのを聞くと「踏んじゃって、わりい、わりい」タンポポに謝っているのだった。かと思えば、何やら深刻そうに五、六人たむろしているので中央を見ると、タナグモの網にシジミチョウが掛かって暴れている。通りすがりに母親の一人が立ち止まって「チョウチョ、かわいそうじゃない。放してあげたら」と声を掛けた。心優しいオトナの固定観念では、チョウは清純派だし、クモは悪役だろう。
「でもクモの御飯だよ」
「そうだよ。そのために網を作っているのだから」
 やがて意見が一致して、このままほうっておくほうがいいということになった>

 子どもの判断は、一見残酷なように見える。私もつい、蝶に救いの手をさしのべてやりたいと思うだろうが、かんがえてみれば、そんなことをしたら、今度はクモさんがかわいそうなことになる。やはり子どもの判断の方がいいのだろう。

 自然界は弱肉強食の世界だ。チョウはクモに食べられ、そのクモは鳥に食べられる。そしてその鳥もときには哺乳類に食べられる。こうした食物連鎖で自然界は成り立っている。この現実は現実としてうけとめるしかない。

 しかし、チョウを食べるクモは、実はチョウがいなければ飢え死にする。だから、クモはチョウに頼って生きているわけだ。見方を変えれば、チョウにすがって生きているクモは弱者なのかもしれない。見方によっては強者が弱者になり、弱者が強者になる。

 だから、自然界で行われている競争もまた、見方を変えれば、多様な生命が共生する姿だと考えられる。チョウとクモも、クモと鳥も、食ういつ食われつしながら、ともかくもそれぞれの子孫を残し、この地上に多様でゆたかな自然を創りだしている。

 大切なことは、蝶には蝶の生活があり、クモにはクモの生活があるということだ。私たちが自然と共生するということは、そうしたそれぞれの生活を尊重するということである。人間の一方的な価値観や自然観を持ち込んで、これに干渉することではない。


2004年11月03日(水) 漱石流「個人主義」入門

 私は生きていく上に大切なものは、「自信」ではないかと思っている。それでは、この自信はどうしたら得られるのだろう。夏目漱石はそれには「自分の進むべき道」を発見することが必要だという。そしてその為に大切ななのは、「自己本位」であるという。彼の「私の個人主義」(大正三年(1914年)の学習院での講演)から引用してみよう。

<私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。彼ら何者ぞやと気慨が出ました。今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自我本位の四字なのであります>

<その時私の不安は全く消えました。私は軽快な心をもって陰欝な倫敦を眺めたのです。比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです>
 
<ああここにおれの進むべき道があった! ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安んずる事ができるのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか>

 漱石のいう「自己本位」というのは、たんに自分本位なエゴイズムではない。「唯我独尊」ということではなしに、自己が他者との関わりの中で、自己の社会的使命を自覚することである。社会の中で、自分の個性を自覚し、その個性を発展させるために「おのれの進むべき道」を発見することである。そこには当然、他者の個性に対する尊重がなければならない。

<それで私は常からこう考えています。第一にあなたがたは自分の個性が発展できるような場所に尻を落ちつけべく、自分とぴたりと合った仕事を発見するまで邁進しなければ一生の不幸であると。しかし自分がそれだけの個性を尊重し得るように、社会から許されるならば、他人に対してもその個性を認めて、彼らの傾向を尊重するのが理の当然になって来るでしょう。それが必要でかつ正しい事としか私には見えません。自分は天性右を向いているから、あいつが左を向いているのは怪しからんというのは不都合じゃないかと思うのです>

 したがって、漱石のいう「個人」はほんらい社会的なものであって、「個人」は「国家」や「世界」とも両立するものである。むしろ自由な個人があって、自由な国家があり、自由な世界があるわけだ。しかし、多くの人はこのことを誤解している。

<ある人は今の日本はどうしても国家主義でなければ立ち行かないように言いふらし、またそう考えています。しかも個人主義なるものを蹂躙しなければ、国家が亡びるようなことを唱道するものも少なくはありません。けれどもそんな馬鹿げたはずは決してありようがないのです。事実私どもは国家主義でもあり、世界主義でもあり、同時にまた個人主義でもあるのであります>

 漱石の頭の中では、「個人」は「国家」とほとんど対等である。漱石は「個人」の上に「国家」をおくことに反対している。それは、「国家的道徳というものは、個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える」からだという。

<元来国と国とは辞令はいくらやかましくても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる、ペテンにかける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、それがたいへん高くなってくるのですから、考えなければなりません。だから国家の平穏な時には、徳義心の高い個人主義に、やはり重きを置くほうが、私には当然のように思われます>

 ここまで読んできて分かるのは、漱石の個人主義の根底にあるものが「倫理」だということだ。漱石の頭の中には、「自分本位」であるための前提として「倫理的」ということがあった。人が自分本位に生きるためには、倫理的でなければならない。

 つまり、漱石の言う「自分本位」は、「他者のなかで他者を生かしながら自己を生かすこと」だということがわかる。私たちはこうした道を発見したとき、自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたことに気付き、心の底から、「ああここにおれの進むべき道があった」と喜びを感じることだろう。

 さらに、もう少し付け加えよう。私は「自信」とは「他信」ではないかと思っている。他人を信頼し、世界を信頼することができる人だけが自分を信じることができる。そして、また、自分を信じることができる人たけが、他者を信じることができる。世界と他者への信頼感を培うことでしか、本物の自信は築き得ないし、幸福もまた実現し得ない。 

(参考サイト)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/772.html


2004年11月02日(火) 自分探しの旅

 友人のセルジオ越前さんが、早坂暁さんの講演を聞いた感想を掲示板に投稿してくださった。講演のテーマは『お遍路さん』だという。セルジオさんの文章を引用しよう。

<早坂さんによると「日本の世相は1000年の昔から、四国の八十八か所を巡るお遍路さんの姿にすべてが凝縮されている」そうで、日本人の心の状態は四国の遍路道を見ればたちどころにわかる、という興味深い話だった。

 早坂さんの実家は愛媛県の商家で、お遍路の通り道にあり、少年時代から日常的にお遍路さんと接してきた。早坂さんが調べたところ、応仁の乱、関ヶ原、明治維新など、いかなる動乱期にあっても、日本中から集まるお遍路さんの巡礼は1000年間、まったく途絶えることがなかったそうだ。唯一、第二次大戦中だけ、徴兵拒否者が紛れ込んで逃亡させないため、当局によって強制的に中断させられた。

 1929年生まれの早坂さんは、旧制松山中学校、海軍兵学校、旧制松山高校とエリートコースを進みながらも、次第にぐれてしまい、背中に入れ墨を入れ、娼婦と駆け落ちしたりもした。東京に移り住んで、さまざまな職業を経てから、作家となったが、故郷に帰るたび、お遍路さんを見つめ続けてきた。後年には自分でも何度も巡礼に加わった。そして、平成に入ってから、早坂さんは大きな「異変」を発見した。

 それまでのお遍路さんは、肉親の弔い、難病の克服、夫婦の愛憎問題(時には日本独特の病理である「母子相姦」)が千年にわたる巡礼のほとんどの理由だったのが、まず、定年前の50代や40代の男性が現れるようになり、次に、どんどん若返り、大学生や高校生の若者がお遍路に次々やってくるようになった。それも数百人という単位ではなく、常に数千人の若者たちが四国を巡礼をしているというのだ。

 彼らには共通したテーマがあり、それはこれまでのお遍路さんたちの理由とは異なっていた。それは「自分は何者かを知りたい」「自分の人生は何なのかを考えたい」という想いを胸に抱いて歩いている、こんな「哲学的なお遍路さん」が登場した現象は1000年間ではじめて、と早坂さんは言う。これは「好ましい現象」であるとも言う。

 一例として、不登校の中学生が一人で巡礼したところ、1000年にわたりお遍路さんへの「接待道」を極めた四国の人々によって、たちどころに彼は明るく積極的な生徒に変身してしまったそうだ。早坂さんによると、そこには「無財の七施(むざいのななせ)」という教えがあって、「目の前に現れた人がどんな人であれ、やさしくあたたかい笑顔で接してあげる」行為を、四国の遍路道の人々は自然に身につけてしまっているのだそうだ>

 早坂暁さんの講演の内容がよくわかる。さらに、私はセルジオさんの次の文章に特に共感を持った。

<イラクで人質になった香田さんが「自分さがし」の旅をしていたとの報道をきき、このお遍路さんの話が急にリアリティ持って迫ってきた。こんな時期にイラクに行ったバカは放っておけ、という意見も聞くが、最近の日本人はやっぱり冷たすぎると思う。「面倒なことをしやがって」という感覚は、「カネがすべて」「時間が惜しい」という感覚とつながっていて、「無財の七施」などの人間本来の感覚とは対極にあり、「困っている人類を救う」といった基本的な本能が退化(または磨耗)している証拠だと思う。「迷える小羊、香田君を助けよう」「香田君が帰ってきたら温かく迎えてあげよう」というのが、日本のサイレントマジョリティの声であって欲しいと願っています。>

 香田さんは不幸にしてなくなってしまったが、これだけ理解と愛情のある文章を私は始めて目にして、ほんとうに嬉しくなった。若者の行動を無思慮だとか愚かだとか批判するだけではなく、こうした人間理解の本質に根ざしたあたたかさがほしい。

 ところで、「自分さがし」「お遍路」といえば、私はすぐに大学時代にであった「旅の重さ」という映画を思い出す。私の「映画100選」の中から引用しよう。

<主人公の十六歳の高校生の少女(高橋洋子)は、ある日、自由と自立を求めて、家出同然に旅に出る。母(岸田今日子)には愛人の男がいて、そんな母に彼女は複雑な思いを抱いている。母のもとを離れ、自分を見つめ直したいというのが、家を出た一つの動機らしい。しかし、少女は母を愛しており、旅先から手紙を書く。この手紙のナレーションで物語が進行する。

 それは四国の札所を巡るお遍路の旅のようであり、またヒッチハイクの気ままな一人旅のようでもある。旅の途中、少女は映画館で隣に座った男から痴漢行為を受けたり、旅芸人の一座に加わって、その座長(三国連太郎)に惹かれたり、女優の一人とレスビアンを体験したりもする。そうしたなかで、少女の心は揺れ動き、しだいに成長していく。

 しかし、一人旅の厳しさや淋しさが、やがてしだいに重く彼女にのしかかる。初めは自分を解放してくれた野や山も、いつかただの自然になる。そして彼女はある小さな港町で、ついに病に倒れる。

 行き倒れた彼女を家に上げて介抱してくれたのが、高橋悦史が演じる行商人の男である。少女はこの男の親切を重荷に感じて、一度はそこを飛び出すが、再び男の貧乏長屋に帰ってくる。そして無口で飾り気のない野生の匂いのするこの男にしだいに惹かれていく。

 少女役を演じた高橋洋子はこの作品で新人としてデビューした。初々しい笑顔が印象的である。裸で滝壺に入っていくシーン、全裸で砂浜にうずくまるシーン、いずれにもみずみずしい青春の香りがある。彼女が体当たりでこの少女役を演じているのが分かり、すがすがしさを覚える。

 脇役がまたいい。旅芸人一座の座長の三国連太郎。唄あり踊りあり、芝居ありで見ていて楽しい。母親役の岸田今日子もいいし、行商の海の男を演じる高橋悦史の寡黙な男らしさもいい。そして、自殺する文学少女の秋吉久美子の可憐さもよかった。

 四国の自然が美しい。田舎の老婆のやさしい微笑、場末の映画館、小さな港町の市場、石垣の道と黒光りする民家の屋根瓦、遠くから聞こえてくる保育園児の歌、遍路の鳴らす鉦の音。草花の咲き乱れる野の道にあふれる明るい日差し。波が打ちよせる砂浜。情感にあふれた映像が印象的である。

 それにくわえて、よしだたくろうの作詞作曲になる主題歌「今日までそして明日から」がやさしくこころにしみる。

 この映画が作られた1972年という年は、私にとって特別の年である。そのころ私は学生運動と学問に挫折し、大学で留年を繰り返していた。ともに活動した組織の友人たちからも見放されて、私は生きる意欲を失い、新聞配達の労働でようやく自分自身の生活を支えていた。そうしたなかで、この映画に出会ったのである。

 この映画を見て、私は心がいやされるような気がした。学生運動や、留年に伴う父との不和、人間関係のいざこざ全般に疲れていた私にとって、主人公の少女の孤独感や淋しさはよそ事とは思えなかった。そしてときには道にうずくまり、大声で泣きながら、しかも精一杯生きている彼女の姿に、思わず心が熱くなっていた。

 同じ頃、私は「万葉集」に出会っている。そして同じく心が温められた。そう言えばこの映画はどこか万葉集に通じる心の厚みや豊かさを感じさせる。

 この映画は私の心に人間や自然に対するゆたかな信頼、人生に対する熱い思いを蘇らせてくれた。同じく競争社会のなかで命をすりへらし、あくせくと生きることに疲れた現代人の心にも、人生へのしみじみとしたゆたかな思いや意欲を蘇らせてくれるにちがいない。>


2004年11月01日(月) 八木重吉の詩

 学校の図書館に行ったら、読書週間の展示として、図書委員たちがB紙にイラスト入りで、それぞれお気に入りの詩を張り出していた。そのなかの一つに、大好きな八木重吉の詩を見つけて、うれしくなった。

 素朴な琴

この明るさのなかへ
ひとつの素朴な琴をおけば
秋の美しさに耐えかね
琴はしずかに鳴りいだすだろう

 八木重吉は明治31年(1898)、神奈川県町田市相原町に生まれた。東京高師英語科を卒業後、兵庫県や千葉県で英語教師をした。内村鑑三の著作に感化されキリスト教徒になり、病弱と貧乏と戦いながら、詩を書いた。

 昭和元年、肺結核で入院し、昭和2年10月26日、29歳で死去している。あとに妻と二人の子ども(陽二、桃子)が残されたが、やがて重吉が愛した二人の遺児たちも肺結核で相次いで亡くなった。生涯に2000あまりの詩をかいたが、生前に出版された詩集は「秋の瞳」だけで、ほとんど無名のまま、生涯を閉じている。

 登美子夫人はその後、歌人吉野秀雄氏と再婚した。そして、八木重吉が死んで20年目の命日に、夫婦で遺作の詩を世に出した。重吉の詩は、3行の程度の短詩が多く、むしろ非定型短歌といった趣である。寡黙であり、素朴だが、純度がたかい。そうした重吉の詩をいくつか紹介しよう。

 ある日

こころ
うつくしき日は
やぶれたるを
やぶれたりとなせど かなしからず
妻を よび
児(こ)をよびて
かたりたわむる

 虫

虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目(だめ)だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる

  木

はっきりと
もう秋だなとおもうころは
色色なものが好きになってくる
あかるい日なぞ
大きな木のそばへ行っていたいきがする

 冬の夜

皆(みんな)が遊ぶような気持でつきあえたら
そいつが一番たのしかろうとおもえたのが気にいって
火鉢の灰を均(な)らしてみた

(参考サイト)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000013/files/542.html
http://www.zusi.net/touzai/yagizyuukiti/yagi.htm


橋本裕 |MAIL |HomePage

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