橋本裕の日記
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去年の年末にひきつづき、昨日、青春切符で若狭・小浜に行ってきた。この人口3万人あまりの淋しい裏日本の港町が、なぜか私をひきつけてやまない。
私は小学生のころ3年半ほど小浜市に住んでいた。少年時代へのノスタルジーもあるのだろうが、そればかりではない。潮の香りのするこの鄙びた小さな町のたたずまいそのものが好きなのだ。
この町には古い家並みが、人々の生活の匂いを漂わせながらそのまま残っている。石畳の路地を歩けば、そこはもう50年前、100年前そのままの世界だ。タイムカプセルのようなその異次元の世界に身を置いていると、いいようもないやすらかな気持になる。
これは麻薬のようなもので、これを味わった人間はもうその魔力から逃れることができない。川のほとりや路地裏を歩き、古い家の朽ちた庇を眺め、傾いた白壁の倉の前で、恍惚となって時の流れるのを忘れる。
小浜駅を降りた後、私はそうして町中をさすらい、海岸へ出た。背中に薄日を浴びていたが、目の前の海は荒れていて暗かった。半島の山は雲の中だった。海や雲の暗澹たる様子をしばらく眺めた後、海沿いにある「ごえん」という店で昼食をとった。
店を出た頃から、雨になった。やがて雨がみぞれに変わった。私はバックパックから携帯用の小さな傘をとりだして開いた。港を歩いているうちに、革靴やズボンが濡れてきた。それでもかまわず歩き続けた。
岸壁に漁船がならんでいる。しかし、ほとんど人気はない。海鳥が対岸の土手の上に何十羽とたむろして羽を休めている。見ると水の上にも鴨や鵜が浮かんでいた。くちばしの長い鷺のような鳥が、漁船のマストにとまって、じっと海面を見ている。
みぞれが雪にかわった。植え込みの赤い椿がうっすらと明るかった。何となく、「ああ、雪がぼくを歓迎してくれているのだ」と思った。悪天候をいまわしく感じていた自分が、きれいになくなっていた。素手のかじかんだ寒さや、濡れた靴やズボンも、コートの肩のしめりも気にならなくなった。風景を心ゆくまで味わった後、小浜駅に歩いた。
小浜線は単線で、めったに電車が走らない。私が小浜に住んでいた頃は、蒸気機関車が走っていたが、現在はもちろん電車である。明るい車内の風景は変わったが、沿線の風景にむかしのままの面影が残っていた。
山が間近にせまっていた。そしてその裾に集落が数珠のようにつながっている。どうして、山によりそうように家をつくるのだろう。そんなことが私にはわからない。しかし、そこに人々の暮らしがあるという事実が、とても鮮やかに、あたたかい実感を伴って心にしみてくる。
帰りの車窓からみえる風景は、横殴りに降りしきる雪の中でかすんでいた。しかし、その吹雪を眺めているうちに、私はなぜ自分が毎年この淋しい冬の旅にこんなにも惹きつけられるのか、わかったような気がした。
私は薄暗がりのなかに点っているほのかな灯りがすきなのだ。近代的な都市の白々とした明るさではなく、この北陸の裏寂れた風土の中に、それでもほのかににじみ出している雪洞のようなあかり。人肌のぬくもりや、いのちのやさしさ、かなしさ、その奥深いしたたかさが好きなのだ。来年もまた私は、この土地をこの季節に、ひとりで訪れるだろう。
今日は大晦日である。この一年間を振り返ってみると、世界は安寧とはいえなかった。とくに12月26日に発生したスマトラ沖大地震は阪神大震災の約1600倍の規模だという。津波による被害も大きく、10万人以上の人々がなくなるのではないかという。戦争と災害で明け暮れた一年だった。新しい年が少しでもよき年になるよう祈りたい。
私事を言えば、今年も一日も休まず、366日間、この日記を書くことができた。これは健康に恵まれ、一家が平穏無事だったからだ。そして、人々のはげましと、友情に恵まれたからだ。感謝しています。旧年中は、ありがとうございました。
それでは、みなさん、 来る年が幸多き年でありますように!
| 2004年12月30日(木) |
遠心力はどうして生まれるの? |
今日は「橋本流親子対話塾」の5回目である。「遠心力はどうして生まれるのか」というテーマで、子供と対話してみよう。
子「回転運動をすると遠心力が生まれるというのはわかったけど、それじゃ、どうして回転すると遠心力が生まれるの?」
父「それは前に答えただろう」
子「世の中がそんなふうにできている、って言ったよね」
父「そのとおりさ。しかし、君はこの答えに満足できなくなったんだね。つまり、遠心力という魔術師の秘密をもっと知りたくなったわけだ。じつはね、遠心力には大変な秘密があるんだよ。遠心力は、ほんとうはこの世に存在しない<仮想の力>なんだ」
子「それだったら、月が落ちてくるじゃないか。自転車だって、倒れちゃうよ。これまでの話は嘘だったの?」
父「君が電車に乗っているとするね。電車が駅に近づいてスピードを落とすと、君は前のめりになるだろう。なぜ、前のめりになるのかな」
子「電車のスピードが落ちたからさ」
父「もっとよく考えてごらん。以前お母さんが前の車に追突しておでこをぶつけたよね。原因は、前の車が急停車したのに、お母さんの車が止まれなかったからだね」
子「ぼくが前のめりになったのは、電車が止まりそうになったのに、ぼくがとまれなかったからかな」
父「そうなんだ。静止している物体は静止し続け、運動している物体はその運動をいつまでも続けようとする性質があるんだ。これを<慣性の法則>というんだ。だから運動している物体は急には止まれない。とこでもし君が目隠しされていたら、前のめりになった君は、あたかも自分に前方に引こうとする力が生まれたと感じないだろうか」
子「感じるよ。その力も見かけの力なわけだね」
父「実際は同じ運動を続けようとするだけだけど、電車の中で君は自分に何かの力が働いているように感じるわけだ。こうした見かけの力のことを<慣性力>というんだよ」
子「自転車に乗っていてカーブで感じる力も慣性力なんだね」
父「そうだよ。慣性の法則に逆らったときにうまれる力が<慣性力>なわけだね」
子「そうすると、遠心力も慣性力だね。月は真っ直ぐ進みたいのに、無理やり円運動をさせられるから、これに抵抗しているわけだね」
父「まあ、そうもいえるかな。君だって遊びたいとき無理やり勉強させられる抵抗するものね。これは慣性力というより、習慣力かな」
子「そうでもないよ。お父さんとする勉強は楽しいからね。最後に、もうひとつ質問していい? 遠心力がみせかけだとしたら、どうしてそんな幽霊の力に月を地球に落とさない能力があるの」
父「すばらしい質問だね。実はね、月の運動は、見方を変えると、落下運動でもあるんだ」
子「地球の周りを回っているんじゃなかったの? 訳が分からなくなってきたよ」
父「石を水平に投げてごらん。放物線を描いて落ちるよね。石を投げるスピードを上げていくと、石は次第に遠くに落ちるだろう。そこでさらにスピードを上げると、どうなるかな?」
子「石は地表に達するまでに、ずいぶん遠くまで飛ぶと思うよ」
父「そうだね。飛距離がのびるね。ところが、地球は丸いからね。石は重力に引かれて落下するわけだが、その分、地面までの距離もどんどん遠くなっていくよね。そして、あるスピードに達すると、落ちても落ちても地面に届かないということが起こってくる。つまり、石は永遠に地球の周りを<落下>しながら、回転運動を行うわけだ。万有引力を発見したニュートンは月の運動をこういう風に説明しているんだよ」
子「そうか、月は落ちているけど、地球も丸いから、いつまでたっても地面にたどりつかないわけだね。これだと、遠心力なんて考えなくてもいいわけだ」
父「しかし、月が地球に落ちているというより、遠心力をあたかも実在する力のように考えて、これが重力と釣り合っているから<落ちてこない>と考えた方がわかりやすいだろう。つまり、そのものの立場に立って、<力がつりあっている>と考えようとすると、こうした<みかけの力>が必要になるわけだ>
子「地球が自転をしているために生まれるコレオリの力も見せかけなんだね」
父「そうだよ。地球が回転すると、それに従って僕たちも体の方向を変えているんだ。ところが、振り子は慣性の法則にしたがって宇宙空間で方向を変えない。本当はぼくたちが向きを変えているのに、振り子のほうが向きを変えているように見えるんだね」
子「そのため、振り子に何かの力が働いているように見えたわけだね。遠心力やコレオリの力が慣性の法則から生まれた力だということはわかったよ。コマが倒れないのも、慣性の法則で説明できるの?」
父「できるはずだよ。やってごらん」
子「ええと、運動している物体はおなじ状態を続けようとするんだったね。そうか、回転運動でも慣性の法則は成り立つんだね。回っているコマはその状態でまわり続けようとするわけだ。だから、コマは回っている間は倒れないんだね」
父「そうだよ。この性質を利用して作られたのが、ジャイロスコープなんだね。発明者はやはりフーコ先生なんだ。常に一つの向きを示し続けるジャイロスコープのおかげで、飛行機や船が安全に運行できるんだよ」
子「そういえば、お父さんに買ってもらったね。そのとき、お父さんはジャイロスコープのことを地球コマと呼んでいたね」
「そうさ。地球も大きなコマなんだよ。太陽も月もそうだね」
子「でも、どうして、運動している物体はおなじ運動を続けようとするのかな。慣性の法則はどうして成り立つの? 世の中がそんなふうにできているってわけかい」
父「まあ、そういうわけだ。とりあえずはね。しかし、大切なのは、どうしてそんなふうにできているのか、疑問を持ち続けることだね。そうすると思いがけない発見があるよ」
| 2004年12月29日(水) |
なぜ、コマは倒れないの? |
今日は「橋本流親子対話塾」の4回目である。「なぜ、コマは倒れないのか」というテーマで、子供と対話してみよう。
子「お父さん、今日は僕が手品を見せてやるよ」
父「おやおや、これはびっくり、コマが逆立ちしたぞ」
子「逆立ちコマって言うんだって。A君が仲直りのしるしにくれたんだよ。でも、おかげで、また謎がふえちゃった。ねえ、お父さん、どうしてコマは倒れないのかな。やっぱり、遠心力なの?」
父「まあね、結論を言えば遠心力なんだが、これは少し、説明がむつかしいぞ。そうだ、振り子で実験してみようか」
子「このあいだのフーコの振り子でいいね。ここにあるよ」
父「コマが不思議なのは、回転させると立つことだね。そして回転がなくなると、倒れてしまう。なぜ、回転がないと倒れるのかな」
子「重力があるからでしょう」
父「そうだね。重力に引かれて、重心がいちばん低くなるんだ。振り子の場合も同じだね。回転がないと、まっすぐ下に垂れているね。ところが、水平方向に回転させると、ほらこのとおり、重心の位置が上がってくるだろう」
子「ほんとだね。コマと似ている」
父「回転によって重心が上がるのは、水平方向に遠心力が働くためなんだ。振り子の重りには重力と糸の張力の他に、この遠心力が働くわけさ。そしてこの3つの力が釣り合った高さのところで、重りは回転運動をするわけだね」
子「そうか、コマも回転することで水平方向に遠心力が生まれているわけだね」
父「実際の運動は<歳差運動>というのがあって、もう少し複雑なんだが、わかりやすく言えば、回転から生まれる遠心力によってコマは立っているわけさ」
子「でも、逆立ちするのはどうしてかな」
父「振り子だって、逆立ちできるよ。ほら、みてごらん」
子「ほんとだ。お父さんの頭の上で振り子が回っている。振り子の逆立ちだね」
父「ものが回転すると、不思議な現象が現れてきて面白いね。<遠心力>ってやつは、なかなかの魔術師だろう」
子「遠心力を利用すると、いろいろなことができそうだね。月が落ちてこないのも、自転車が倒れないのも、みんな遠心力のおかげだものね」
父「身近なところでは、ピッチャーがボールを投げたり、ハンマー投げで遠くへ飛ばすのも遠心力だよ。洗濯機の脱水機もそうだね」
子「回転を利用してして、遠心力でものを遠くへ飛ばしたり、水分をとったりするだね」
父「体温計の温度を下げるときに、逆さに振ったりする。君はトイレから出たとき手をふっていたね。あれも遠心力の実験かな?」
子「真似をしているだけだよ。面倒くさがり屋の誰かさんのね」
(参考文献) 「コマの科学」 戸田盛和著 岩波新書
| 2004年12月28日(火) |
なぜ、自転車は倒れないの? |
今日は「橋本流親子対話塾」の3回目である。「なぜ、自転車は倒れないのか」というテーマで、子供と対話してみよう。
父「自転車で転んだんだって」
子「考え事をしていたんだよ。そしたら、ブレーキをかけるのを忘れて、カーブを曲がりきれなかったんだ」
父「気を付けてくれよ。お母さんも車が追突して、おでこに怪我をしたばかりだからね。ところで、君は自転車に乗りながら何を考えていたのかな?」
子「どうして、自転車は倒れないのかなって」
父「倒れたのはどうして?」
子「カーブのせいだよ。ハンドルを切ったら、体が投げ出されたんだ」
父「どうして体が投げ出されたのかな」
子「体がカーブについていけなかったんだ。外側に引かれるような気がしたのは、遠心力のせいかな?」
父「そうさ。カーブを描くと遠心力が発生するからね。さて、そこで、なぜ自転車は倒れないか、君はどう説明する」
子「自転車に乗りながら考えたんだけど、ペダルを踏む力を加減して、体で左右のバランスをとっているのかなって」
父「しかし、自転車が止まっていたら、長いこと倒れないでいるのはむつかしいだろう?」
子「やはり走っていないとむりだね」
父「走っていても、もしハンドルが曲がらなかったらどうだろうね」
子「ハンドルを使いながら走ることで、自転車は倒れないわけだね。少し分かってきたよ。ハンドルを使うのは向きを変えるときだよね」
父「そうさ。君は自転車を倒さないために、小刻みにハンドルを使っているんだ。自転車は直線からはずれて、蛇行しながら走ることになるね。君の自転車は曲線を描いているわけだ。そうすると、何が発生するのかな」
子「ひよっとして、遠心力?」
父「そうだよ。曲線は円の一部だと考えられるからね。その瞬間瞬間で、遠心力が発生しているのさ。その力をたくみに利用して、君は自転車の傾いた姿勢を調整しているんだ」
子「自転車を乗るのもすごいテクニックなんだね」
父「あんまり考えすぎると、また転ぶよ」
| 2004年12月27日(月) |
地球はほんとうに回っているの |
今日は「橋本流親子対話塾」の2回目である。「地球はほんとうに自転しているのか」というテーマで、子供と対話してみよう。
父「おや、今日は元気がないね」
子「学校でA君と喧嘩したんだよ。僕がなぜ月が落ちてこないか話をしたんだ。それから、太陽のこともね」
父「それはよかったね。それでみんな納得したかい」
子「遠心力のことはね。でも、A君が地球が太陽のまわりを回っているのは間違いだと言い出したんだ。太陽が地球の周りを回っているほうが正しいっていうんだよ>
父「太陽がまわっているという考え方を<天動説>というんだ。それに対して、地球が回っているという考え方を<地動説>とよんでいる」
子「聞いたことあるよ。お父さんは<地動説>が正しいと思っているんでしょう。どうして、そう思うの」
父「地動説が正しいという証拠はいろいろあるんだよ。しかし、今日は、地球が太陽の周りを回っているかどうかはおいておいて、<地球は自転している>ということにしぼって考えてみよう。一度に二つのことを考えると、頭が混乱するからね」
子「たしか、<公転>と<自転>があったよね。そうか。太陽や星が回転して見えるのは、地球が<自転>しているからなんだよね」
父「うん。問題は<自転>のほうなんだね。地球が自転していると考えると、太陽や月や星が回転して見えることの説明がつくだろう>
子「たしかに説明はつくけど、それはひとつの考え方であって、正しいことの証明にはならないでしょう。A君はなっとくしないよ」
父「君はメリー・ゴーランドに乗ったことがあるだろう。どんな気分だった」
子「周りの風景が回転してみえたよ。なんだか目が回りそうだった」
父「地球を大きなメリーゴーランドだと思えばいいんだ。だだ、その回転はとてもゆっくりしている。だから目が回らないし、自分が回転していることさえわからないわけだ」
子「そのたとえは、よくわかるよ。でも、それは証明じゃないでしょう。やっぱりA君はなっとくしないと思うな」
父「そうだよね。たとえばなしは証明ではない。しかし、このたとえから、地球が自転していてもおかしくないことはわかるだろう。昔の人は、まずこの段階で拒絶反応をしめしたんだよ。回転していたら大変なことになるんじゃないかってね」
子「その点はA君もなっとくするよ。ゆっくり回転すれば、それほど混乱はおこらないと思うよ」
父「よし、そこで、いよいよ地球が自転していることの証明だけど、君が科学者だとしたら、どうやって地球の自転を証明するかな」
子「わからないな。何か、ヒントがほしいけど・・・」
父「ヒントは<なぜ、月は落ちないか>だな。その理由は何だったかな」
子「月が回転していると<遠心力>がうまれるから」
父「そうだったね。回転すると遠心力がうまれる」
子「そうか。わかったよ。自転も回転だものね。つまり、<遠心力>を測定すればいいんだね」
父「そうなんだよ。地球の自転による遠心力をコレオリの力と呼んでいるんだ。地上で物体に働く力を計ってみると、重力の他にこの力がはたらいているのがわかるんだよ」
子「それって、ぼくでも測定できるかな」
父「測定するのはむつかしいけど、<存在>を証明することはできるよ。たとえば糸に重りを着けた振り子を振らせておくと、いつのまにか回転の方向がかわっているんだ」
子「それはコレオリの力のせいなんだね。地球が自転していることの証拠になるんだ」
父「そうだよ。1851年、フランス人のフーコーという科学者が、一般の人々の前で振り子を振らせて、地球が自転していることを証明してみせたんだ。このとき彼が使ったのは、長さ67mの大振り子だったんだよ。皇帝ナポレオン3世からパリのパンテオン寺院を借りての大実験で、人気があったため1855年の万博でも公開されたんだ」
子「人々はその巨大な振り子をみて、地球が自転していることを実感したんだね」
父「フーコーの振り子といわれるこの実験は、今は世界中で行われているんだよ。博物館などで毎日公開で実験しているところもあるしね。お父さんも中学生の頃、教室で理科の先生が実演してくれたよ。どうだ、これでほんとうに地球が自転しているのがわかっただろうって、その若い先生は得意満面だったね」
子「明日教室でその実験をしてみるよ。今からその練習するから手伝ってくれるよね。お母さんに糸を借りてくるから、お父さんは重りをさがしておいてね」
(参考サイト) http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~yoshiya/foucault/
| 2004年12月26日(日) |
なぜ、月は落ちないの? |
渚のバラードさんの日記「息子と共に」を読んでいて、私も理科や算数の問題について対話がしてみたくなった。子供の目から見れば、世の中は不思議に満ちている。そこで、子供の質問に、私だったらこう答えるという、橋本流「親子対話学習塾」をこれから暇を見て連載してみよう。第一回目のテーマは「なぜ、月はおちないの?」である。
子「不思議に思っていることがたくさんあるんだけど、きいてもいい?」
父「一日にひとつだけだよ。君はときどきとまらなくなるからね」
子「わかっているよ。ひとつだけだったら、今日はお月さまのことをきくよ。リンゴが地面におちるのは、地球とリンゴのあいだに引力が働いているからでしょう」
父「ニュートンという人は、リンゴが落ちてくるのをみて、すべての<もの>と<もの>との間には引力が働いていることを発見したといわれているね。ものが落下するのはこの万有引力という力のためなんだ。ニュートンはそこで、月と地球のあいだにもこの力ははたらいていると考えたんだね」
子「リンゴも月もおなじ物体だとかんがえたわけ?」
父「まあ、そういうことだ」
子「だったら、どうして月は落ちてこないの」
父「それは空に円い天井があって、そこにくっついているからだよ。天井の蠅が落ちてこないのと同じだね」
子「ぼくは信じないよ。月は地球の周りを回っているんでしょう。学校でならったよ」
父「そうだった。月は地球の周りを回っているんだったね。これを月の<公転>ていうんだけど、実はね、月が落ちてこない理由は、これなんだよ」
子「地球の周りを回転していると、どうして落ちてこないの」
父「回転している物体には、外側に別の力が働くからさ。これを、<遠心力>というのだよ。この遠心力と引力がつりあって、月は地面に落ちてこないんだ」
子「どうして回転していると力が生まれるの?」
父「それは、<世の中がそんなふうにできている>と答えるしかないね。でも、遠心力はだれでも作り出せるんだよ。さあ、お父さんの手を握ってごらん。お父さんの周りで回転すれば、月になった気分があじわえるよ」
子「ほんとうだね。外側に引っ張られるよ」
父「お父さんが君を引いている力と、その遠心力がつりあっているから、君は回転し続けるんだよ。もう、やめよう。目が回りだしたよ」
子「大丈夫?地球の気分は味わえた?」
父「地球も楽じゃないね。どうだい、月がなぜ落ちないか、なっとくできたかい」
子「うん、そうすると、人工衛星が落ちてこないのもそのためなんだね。それから太陽が落ちてこないのも同じことかな」
父「人工衛星は地球の周りを回っているからね。でも、太陽はどうかな。たしか、地球が太陽の周りを回っているんだったよね。」
子「そうか、太陽が地球に落ちてこないのではなくて、地球が太陽に落ちていかないのだね。それは、地球が太陽のまわりをまわっているからなんだ」
父「すばらしい推理じゃないか。ところで、もし、地球の引力がなくなったら、月はどうなると思う? 実験してみようか。手を出してごらん」
子「いやだよ。痛い目にあいそうじゃないか」
日本語の「分かる」という言葉は、「分ける」からきているらしい。「理解」という言葉も、これに似たニュアンスを持っている。愚か者のことを「馬鹿」というが、これも「馬と鹿の区別がつけられない者」という意味である。
デカルトが「方法序説」で強調したのも、まずは「分けること」の大切さである。「方法序説」で彼は私たちが正しい認識に到達するために守るべき原則を4つの法則にまとめて提出しているが、彼はこの「分析の法則」を、「明証性の原則」の次ぎにあげている。
<明証的に真理であると認めるものでなければ、どんな事柄でも、これを真実として受け入れないこと。換言すれば、注意深く即断と偏見を避けること>(第一原則)
<検討しようとするもろもろの難問のひとつひとつを、できるだけ、またそれらをよりよく解決するために必要なだけ、多数の小部分に分解すること>(第二原則)
一見複雑にみえる現象も、いくつかの単純な要素に分解することができる。しかし、バラバラにしただけではいけない。分解したあと、もういちど組み立ててみることで、はじめてその全体の構造や仕組みが見えてくる。デカルトはこれを「総合の法則」として三番目に上げている。
<もっとも単純で、もっとも認識しやすいものからはじめて、少しずついわば段階を追ってもっとも複雑なものの認識に至り、また自然的には相互に後先のない事物の間に秩序を仮定しながら、思考を秩序だって導いていくこと>(第三原則)
「分析」によって、全体を基本的で単純な要素にまで分解し、しかる後に、それらの関係を明らかにして、全体像を再構築する。デカルトによって明文化された「分析と総合」の手法は、現代数学や科学の方法の根幹にある思想である。デカルトはさらに、重要なことを注意深く最後に付け加える。
<全般にわたって、自分は何一つ落とさなかったと確信するほど完全な列挙と広範な再検討をすること>(第四原則)
これは「検証の原則」と呼ばれている。ある理論が真であるか否かは現実によって検証されなければならない。デカルトはこうして、「明証」「分析」「総合」「検証」こそが、「理性を正しく導き、もろもろの科学における真理を探究するための方法」であると考えたわけだ。
<もし我々が、真実でないものを真実として受け入れることがないようによく慎み、一つの事柄を他の事柄から演繹するのに必要な順序をつねによく守りさえすれば、高遠すぎていつまでたっても到達しないとか、あまりにも深くかくれていて発見できないとかいったような事柄はあるはずがない、と私は考えた>
これは大変な自信である。しかしこの自信は人間の知性に対する信頼であって、彼自身にたいする過大な自信でもないし、奢りでもない。彼は大変謙虚な人間だった。彼は自分自身についてこう述べている。
<私はいままでに私が学んだわずかばかりのものは、私の知らない事柄にくらべてほとんど無に近いということを知っている。しかし私は学ぶことができるということに対しては絶望はしていない>
以上は、角川文庫版「方法序説」からの引用である。この本は総ページ数125ページしかない短編だ。私はこれを高校2年生のときに手に入れて読んだ。そしてその単純明快さに驚いたものだ。この本が世界を変えた一冊であることを知ったのは、もう少し経って、大学で物理学や数学を勉強し始めてからである。
前任校で、出張中の教務主任にかわって講話をしなければならないとき、私は壇上から全校生徒に、「君たちは何か人生の羅針盤を持っていますか」と問いかけた。そして、おもむろに胸ポケットからこの「方法序説」をとりだし、「私にはありますよ。それはこの一冊の本です」と、デカルトを紹介した。なつかしい思い出である。
暖冬だったが、ようやくここに来て、12月らしい寒さになった。「寒くなったね」という会話が身近で聞かれるようになった。この寒いという主観的な感覚を、もっと客観的に測定するにはどうしたらよいか。
こんなことを真剣に考えた人がいる。ガリレオはガラス管につめられた水銀の膨張や収縮が、「温度」に比例していることに気付いて世界で最初の温度計をつくった。もっとも彼の発明した温度計は片方の端が開いており、大気圧の影響を受けるのであまり正確ではなかったようだ。
いずれにせよ、「暑さ、寒さ」などという感覚的なものを、水銀柱の長さという物理的なものに置き換えて、これを衆人の目に見える形にしたことは驚くべきことである。やはりガリレオは天才だったといわなければならない。
一般に、ある現象を別の現象に置き換えて説明することを「アナロジー」という。温度計の水銀柱の変化は、「気温の変化」のアナロジーになっているわけだ。こうして私たちは気温を水銀柱に高さによって知ることができるようになった。
こうしたアナロジーによってこの目に見えるようになった「量」のことをアナログという。時計の文字盤上の針は「時刻」というものを目に見える形で示している。秤の針は「重さ」のアナロジーであり、脳波の波形は人間の意識活動のアナログだといえる。
さらに私たちはこの物体としてのアナログを「数字」に置き換える。水銀柱の「高さ」を目盛りで読むことで、最終的に温度は数字という抽象物に置き換えられるわけだ。つまりアナロジーの終着駅として「数字」が割り振られる。これをアナログのデジタル化という。
すべてのものを「数字であらわす」というテクニックが行き着いた先が、現代のコンピューター技術だと言えよう。1946年にアメリカで世界初の電子計算機ENIACが作られたが、これはまだその名前の通り、単なる計算の道具でしかなかった。
今日のコンピュータは文章を書いたり、絵を描いたり、映像やオーケストラ顔負けの音楽を作ったり、ゲームを楽しんだりもできる。こうした汎用的な使い方が、1948年にクロード・シャノンが発表した「情報理論」によって出来るようになった。若干32歳だった彼の理論が「計算機」の運命を変え、世界を変えることになった。
彼の天才は一言で言うと、言葉、音、映像といった種類の異なる情報がすべて0と1という2種類の数字の順列に置き換わることに気付いたことである。これを情報のデジタル化(もしくはコード化)と言う。こうしてコンピュータは計算する道具から、情報を加工したり、蓄積、検索、伝達する道具、つまり情報処理のためのツールとして生まれかわった。
人類の文明史は「アナログからデジタルへ」という流れで捉えることができるかもしれない。しかし、ここで大切な認識がある。デジタルはもう一度アナログの世界に変換されることで、はじめて私たちにとって意味の持つ存在になるということだ。
つまり、デジタル社会で大切なのは、デジタル化する能力ばかりではない。それ以上に「アナログ化」する能力が大切だということだ。数値化された情報(データー)から、いかに豊かで具象的な現実を再現し、創造していくかがむしろ重要なのである。
たとえば音楽は「楽譜」によってデジタル化される。しかし、楽譜は音楽ではない。たいせつなのはこの楽譜からいかにすばらしい音色をもつ音楽を創造するかということだろう。すぐれた演奏家ほどアナログの豊かな世界に人々を誘い込む。
現代がデジタル化の進んだ社会であるだけ、私たちは「アナログ化」の能力を育てる必要がある。デジタル化の波は教育の世界にも押し寄せている。しかし、人間の能力を偏差値や数値で置き換えることが教育ではない。大切なのは、その先にある。教師もまたアナログ力を鍛えて、デジタル人間にならないように心がけたいものだ。
| 2004年12月23日(木) |
成果を生む助け合い教育 |
7日に公表された経済協力開発機構(OECD)の国際的な学習到達度調査(PISA)の結果を受けて、日本では「ゆとり教育」を反省し、「週休2日制」の見直しや、「競い合い教育」の復活を求める声が高まっている。
そうした中で、19日の朝日新聞は、「個人の能力に柔軟対応」と題して、全4分野のうち読解力と科学的応用力が1位、数学的応用力が2位、問題解決能力が3位だったフィンランドの教育を紹介している。
義務教育で「世界一」の評価を受けるフィンランドの小中学校では、どんな教育が行われているのだろうか。その秘密を一言で言えば、「落ちこぼれを作らず、一人ひとりの力に目を向けた教育」ということになるという。朝日の記事から引用してみよう。
<ヘルシンキ市中心部に近いクルーヌハカ中学校。ヤリ・アルビオ先生(36)が教える2年生の数学では、1次方程式の基礎を学んでいた。先生が練習問題の答えを説明中だというのに、教室後方の女子が手招きすると、男子が席を立って近寄った。アルビオ先生は何も言わない。このクラスでは、わからないところがあったら、まずは生徒同士が教えることになっている。
「一人ひとりが何ができて何ができないのかを自覚することが大事。出来ない子を教えれば、より理解を深められる」とアルビオ先生。フィンランドでは標準的な考え方だ。
同国には学校や生徒をテストでランク付けする仕組みがない。現行制度では、高校進学に影響する中学3年の成績を除き、成績をつけるための明確な基準もない。
数学が得意だというカッリ・コムシくんは「競争ではなく、自分がやりたくて、できるようになりたいから勉強している。数学が苦手な友達を助けてあげるのはいいこと」と話した。>
<94年に教育の目標や内容の決定権が国から地方に移され、国は大まかなカリキュラムを示すだけだ。学習が遅れた子どもへの特別授業は慣習だったが、06年度から施行される新カリキュラムでは制度化される。・・・・
新カリキュラムでも、教科書の選択を含め、現場の教師が学習内容を決める。アウティオ先生が授業の組み立て方を説明した。
「できるだけ子どもたちの生活と学習を関連させる。国語なら読み書きの正確さより、読んだ文章について考え、感想や意見をどう表現するかに重点を置く」
アウティオ先生のクラスの時間割りには「X」のマークがついている。1週間25時間のうち11時間。この時間はあらかじめ教科を決めず、学習の進み方などにあわせてどの教科に使うかを決めている。金曜日は5時間すべてがXだった。>
ちなみに、フィンランドの7〜14歳児の総標準授業時間は、01年のOECD調査によると、加盟国で最短だという。これを見れば、子供を教室に縛り付け、競争させることで「競争力」を高めようと言う日本の姿勢がまったくの誤りであることは明らかだ。
大切なのは、一人一人の子供の学習意欲を高める「質の高い教育」である。そしてそのためには、教職を魅力あるものにし、良質の教員を育てなければならないが、ここでもフィンランドの方法は、教員同士を競い合わせようとする日本のやりかたとまったく違っている。
トゥーラ・ハータイネン教育相は「教師は修士課程修了が原則。さらに国の予算で継続教育をし、教師の質の向上に努めている」と述べ、次のように続けている。
<教師に大きな裁量があるので、能力の高い人材が必要だ。今後、退職を迎える教員が増えるのでその補充もしなければならない。現状では優秀な学生が大学の教育学部に集まるが、今後は他分野に進む若者が増えるはず。教職をいかに魅力的な仕事にするかが重要だ。給与水準の引き上げ。非常勤講師を減らして終身雇用を増やす。教師の継続的な教育機会を設ける。こうした施策によって将来も優秀な教師を確保したい>
豊かな成果は、教師と教師が助け合い、生徒と生徒が助け合うことで達成される。教師の裁量権を狭め、教育現場に「管理、競争、強制」を持ち込み、「助け合い」ではなく、「競い合わせ」ることでインセンティブを高めようとする日本の教育改革は、今後の日本社会に恐ろしい災いをもたらすことになるだろう。
(参考サイト) http://www.asahi.com/edu/news/TKY200412190095.html
かって、アフガニスタンは世界のアヘンの5割を供給していた。しかし、タリバン政府はけしの栽培を禁止し、政権の終わりにはタリバン支配地域では完全に栽培されなくなった。けしの栽培は北部同盟支配地域のみで行われ、生産量は往年の5%程度にまで減っていた。
アメリカが空爆を行い、タリバン政権を倒した後、アフガニスタンに再びけし畑が復活した。現在、世界で消費される阿片の8割がアフガニスタン産だという。もっとも、アフガニスタンではアヘンの使用は皆無に近い。ヨーロッパやアメリカに運ばれ、精製されてヘロインとなり薬物として出回る。
以前イギリスはインドで阿片を栽培し、それを中国に輸出して、中国に阿片を蔓延させた。これに怒った清政府がイギリスに抗議して始まったのがアヘン戦争である。イギリスは武力でこれを破り、アヘン貿易はその後も続いた。
アメリカにはかっての中国並に麻薬が蔓延している。麻薬を撲滅するために、コロンビアや中米にたびたび軍事行動を起こした。しかし、アフガニスタンに限って言えば、麻薬を復活させるという皮肉な結果になっている。
アフガニスタンはアメリカに爆弾を落とされて、何十万という人命を失ったが、今やそのアメリカに麻薬を輸出して、アメリカ社会を麻痺させようとしている。これはアルカイダの攻撃よりも効果的な報復かも知れない。
アヘンを生産し、これを他国に売りつける貧しいフガニスタンと、武器を生産し、これを他国に売りつける豊かなアメリカ、この両者はどこか相似形である。この世から武器と麻薬を一掃するにはどうしたらよいか。まずはこの貧富の差をなくすことだろう。
石原知事は12月の都議会で、日露戦争を賛美し、「憲法を順守するかしないか、場合によったらしません」「命がけで憲法を破るんだ」などと暴言を繰り返した。憲法を順守するのは公職者の義務である。これを公然と否定する人間が都知事という公権力の地位についていることは許せない。
私が不思議に思うのは、「命がけで憲法を破るんだ」などというふざけた石原知事の暴言を、新聞やテレビは一切報じようとしないことである。そして、石原知事をVIP待遇でテレビ局に呼び、これまた聞くに堪えない暴言を全国に垂れ流している。
憲法は権力の横暴を抑え、国民の基本的人権を守るための歯止めである。これを否定したら、権力者は何でもできる。そして世の中に、横暴な権力ほど恐ろしいものはない。これは歴史が教えている。
プラトンは民主主義の堕落が独裁を生み出すと言ったが、これはこれまでの人類の歴史を見る限り正しい。20世紀のナチズムがそうだし、天皇制のもとでの日本の軍国主義もそうだった。民衆が独裁者を要求し、拍手喝采でむかえたのである。そして、これを後押ししたのが、巨大なマスメディアだった。
斎藤貴男さんは、「安心のファシズム」(岩波新書)で、自由から逃走し、支配されたがる民衆の心性が、ファシズムをいかに招来したか、現代の日本をも支配している「服従の論理」をくわしく分析している。そして「あとがき」にこう書いている。
<独裁者の強権政治だけでファシズムは成立しない。自由の放擲と隷属を積極的に求める民衆の心性ゆえに、それは命脈を保つのだ。不安や怯え、恐怖、贖罪意識、その他諸々−−大部分は巧みに誘導された結果だが−−が、より強大な権力と巨大テクノロジーと利便性に支配される安心を欲し、これ以上のファシズムを招けば、私たちはやがて、確実に裏切られよう>
イソップに「王様さまをほしがるカエルたち」という印象的な物語がある。ある池に住んでいるカエルたちが、神様に「私たちにも王様をください」と懇願した。神様はしかたなく棒のはしきれを池に投げ入れた。しかし、カエルたちは「もっと立派な王様をください」と懇願する。そこで、神様はヘビを投げ入れた。そしてカエルたちはこのヘビに喜んで食べられたという話である。
都議会で自民党の議員達は、「国歌斉唱時に起立もしない教職員がいまだに存在する」と追求し、「処分」を強硬に求めてきた。そして、「命を賭けて憲法を破る」という石原知事の発言を「感動した」と手放しで賞賛し、先の侵略戦争を自衛と正義の戦争と位置づけ、「大東亜戦争」と呼んで美化している。
私は「多数決原理がファシズム生む」と書いたことがある。服従や支配を欲する人間が過半数を超えたとき、その社会はもはや健全な民主的社会だとはいえない。それはもはやプラトンのいう衆愚政治の世界だからだ。しかし、私たちの社会はその分岐点を知らず知らずのうちに越えてしまったように思われる。
(参考サイト) http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-12-20/03_01.html
ユリ・ゲラーは止まった時計を動かして人々を驚かしたが、その種明かしは、意外と単純なことであった。彼は止まっている時計をあたためると、潤滑油が融けて、動くようになるという事実を知っていて、これを魔術に応用したわけだ。
世の中の超常現象と言われるものも、そのカラクリを明かされてみると、他愛のないことであるばあいが多い。超能力者のほとんどは、私たちとかわらぬ人間である。ただ、自然現象を超常現象だと思わせるトリックを考えるのがうまいだけだ。
私も人を驚かすのが好きで、小学生の頃は、どうやって人を驚かそうかと考えていたことがあった。ラジオのある端子にイヤホーンを繋ぐと、マイクロホンになるのを知って、あたかも別の部屋にいるように見せかけて、違うところから現れて、祖母や母を驚かせたものだ。こういうトリックは犯罪にも使えるだろう。
ある意味で、古代の科学者は超能力者としての資格を持っていた。たとえばギリシャのタレス(前624〜前546)は、紀元前585年5月28日に起こった日食を正確に予言している。彼は地球と太陽と月の位置関係を計算してそれを知ったわけだ。
もしタレスにユリ・ゲラーのような野心があったら、これで超能力者としての自分を売り込めたかも知れない。なにしろ、これは止まった時計を動かすというような無邪気なことではない。
「わしがその気になれば、太陽から光りを奪い、昼を夜にすることもできる。あしたお前達にその力を見せてやろう」
半信半疑で集まってきた市民達を前に、何か神秘的な呪文でも口に唱え、それらしい身振りをしてみせればよい。そして、時刻になれば、太陽がかけはじめる。あたりが真っ暗になり驚く市民達を前に、「心配するな。わしの力で、再び太陽を甦らせてみよう」と今度は別の呪文を唱えればよい。
もちろんタレスはユリ・ゲラーではなかった。彼は学者として日食を予言するだけではなく、その生じる理由も論理的にあきらかにした。もちろん、ほとんどの人々は彼の説明を理解できなかっただろうが、それでも日食が自然現象の一部であって、神や悪魔の仕業でないことは理解できただろう。
タレスは他にもいろいろな逸話を残している。たとえば、人間の影の長さから、ピラミッドの高さを割り出して、エジプト王を驚かしている。彼は影の長さを研究することで、太陽光線が平行であることを知っていた。
そうすると、影の長さが自分の身長と等しいとき、ピラミッドのみならず、すべての物体の高さがその影の長さに等しくなる。このことに気付けば、すべての物体の高さを容易にはかることができる。
これは日食の予言ほどむつかしい理屈ではないので、当時の人々にも理解できただろう。そして、太陽光線が平行であるという事実から、人々は太陽が途方もなく遠くにあるということ、そして途方もなく巨大であることを知らされ、「学問」の威力に驚いたに違いない。
のちにエラトステネス(前275〜前194)は、太陽光線が平行であるということを使って、地球の半径をかなり正確に計算している。タレスは知恵を愛し、魔術師になることよりも、智者と呼ばれることを望んだ。そしてこのタレスから哲学や科学や数学が始まったといわれている。
| 2004年12月19日(日) |
なぜ時計が動き出したか |
1974年にユリ・ゲラーが「念力」を使って、止まった時計を動かしたり、スプーンを曲げて見せたりして、日本に超能力ブームを巻き起こした。
テレビに出演した彼は、止まった時計を動かして見せるので、テレビの前に置くように呼びかけ、大勢の人がこの実験に参加した。じつはこのとき、当時大学生だった妻も、テレビの前に止まった時計を置いたのだという。
結果は、すばらしいものだった。止まっていた時計が、本当に動き出したのだ。これによって、妻は「超能力」が存在するのだと確信したという。たしかにこれまで長い間止まっていた時計が、突然目の前で動き出したら、びっくりするだろう。
妻が嘘をつくはずがないので、私もこの事実はみとめなければならない。さらに妻だけではなく、全国の大勢の人が時計が動き出すのを体験し、放送局にその声が殺到したらしい。これで一気に、日本に超能力ブームが巻き起こったわけだ。
私はもとより「超能力」に疑問を持っていた。スプーン曲げなどは「てこの原理」さえ知っていれば科学的に説明できるので笑っていればよいが、問題は「止まった時計が動き出す」という「超自然現象」のほうである。こればかりは、いくら考えてもわからなかった。
ところが先日、NHKテレビの「人間講座・だます心、だまされる心」を見ていて、この疑問が氷解した。講師の安斎育郎教授が見事にその謎解きをしてくださったからである。実は、時計が動き出したのは「自然現象」に過ぎなかったのだ。
寒くなると潤滑油の粘性抵抗があがり、時計が止まることがある。だから、視聴者が暖かい茶の間のテレビの前に時計を置いたとき、そうした原因で止まっていた時計は、やがて自然に動き出す。だから、この手品をするのは、冬の寒い季節に限られる。事実、テレビによる実演も冬だったという。NHKのテキストから引用しよう。
<1974年のテレビ番組の時に時計を持ち出した日本人は一説では1500万人とも言われていますが、そのうちの100万個がそのような単純な原因で止まっており、そのうちの100個に1個が動き出したとしても、全国で1万個の時計が動き出します。
テレビ司会者が「動いた人は電話して下さい。10台の電話が用意されています」という呼びかけに、10パーセントの人が答えたとしたら1000人が電話しますから、「番組終了後も三時間にわたって電話が鳴り止まない」といった現象がおこりますし、時計が動かなかった1499万人には電話をする資格がないので、かかってくる電話は皆「動いた、動いた」という電話ばかりです。何だか全部動いたような印象がつくり出されるでしょう>
スプーン曲げにしても、当時のマスコミは「ノーベル賞級の大発見」などと、面白おかしく書き立てた。日本にもスプーンを曲げるエスパー少年が現れて、さかんにテレビでもてはやされたものである。
私はこうした「超能力」は「種も仕掛けもある手品」の一種だと思って楽しむことにしている。「念力」や「霊」の存在などもまるで信じてはいない。そうした超常現象には人を欺くためのカラクリが隠されているに違いないと思っている。
この世の中にはもっと驚くべきことがある。スプーン曲げの奇跡には驚かない私も、秋の紅葉の美しさには驚く。様々な生き物がこの地球に存在し、人間のようにものを考える生物までいるということほど不思議なことはない。そして、私たちのまわりの世界が驚きそのものであり、「何一つとして奇跡ではないものはない」のだと思っている。
「教育とは、学校教育に邪魔されないで身につけなければならないもののことだ」とは米作家マーク・トウェインの言葉だそうだ。昨日の「天声人語」はこの言葉を冒頭にひいて、国際学力調査の結果が各国にひきおこした騒動について書いている。
日本でも「学力低下」を心配する声があがっているが、アメリカでも「危機が近づいているのではなく、危機のまっただ中にいる」「私たちは技術の戦争に敗北しつつある」などと、新聞がさかんに書き立てているようだ。
「学力低下」を言う前に、そもそも「学力」とは何かということも抑えておかなければならないだろう。「学力」にはさまざまな要素があり、どうした側面に光りを与えるかによって、その評価もちがってくるからだ。
たとえば、世界の小学4年生を対象にした学力テストで、レンガの重さを量る問題が出題されていた。秤の上にレンガを置くのだが、横に置くか立てておくかで、重さが変わるかかわらないかを問う問題だった。
日本の小学4年生の6割が「変わらない」と答えていたものの、この問題の世界の正解率が7割である。こうした問題で間違うのは、「重さとは何か」ということをよく理解したいなからで、日本の子供たちの学力の貧弱な一面を特徴的に示している。
こうしたことを理解するには、実際に教室でレンガを手に持ってみたり、秤に掛けて実験してみる必要がある。単に紙の上の知識だけではほんとうの理解とはいえない。実際の体験から学ぶ必要があるわけだ。しかし、体験させるだけでもいけない。
レンガを横に置いたときに比べて、立てたときにレンガが「重くなる」と答えた生徒は、ある意味で体験からくる実感を重視している。底面積が小さくなると、物体が重くなったように感じることがあるからだ。
しかし、それは「重さ」が変わったのではない。単位面積当たりに加わる力、つまり「圧力」が変わっただけである。この問題につまずいた生徒は、「重さ」と「圧力」の区別が曖昧で、それぞれの概念がしっかりしていなかったわけだ。同様の混乱が、「学力」をめぐる大人達の議論でも見られるのではないか。
総合1位のフィンランドの秘密は、「何をどう教えるのか」という教育コンセプトの明確化にくわえて、良質な教師集団による「徹底した少人数教育」にある。「天声人語」の結論の部分を引用しておこう。
<結論は、「小さいことはいいことだ」。生徒7人のクラスがある。数学のクラスは17人だが、先生2人で教える。最多のクラスで19人だった。あの国に新規の移民が少ないことを指摘する記事もあった。現れる悩みは多様だが、大切なのは何のために学習するのか、させるのか、という問いではないか。それを忘れて順位に一喜一憂しては実り薄い>
| 2004年12月17日(金) |
デンマークのゆとり教育 |
以前に、デンマークの「森の幼稚園」について紹介した。森そのものが学校になっている幼稚園である。自然とのふれあい体験を重視したユニークな幼稚園である。
今日は、デンマークの小学校について書かれた、デンマーク在住の高田ケラー有子さんのメルマガ「平らな国デンマーク」の文章を紹介しよう。
<デンマークでは7年生になるまで学校での試験はありません。日本式で言うと小学校の間は試験がない、ということになります。したがって点数評価による学校の成績なるものも出しません。詰め込み式の知育中心の教育ではなく、体験することから子供たちが自分で考え、自分で責任を持ち、また楽しく生きるということが大前提になっています。
学ぶことは楽しい、ということを自分で発見することこそが最も大切なことであり、試験の結果で子供たちの能力が測れるものではないという考え方です。人が人として生きる喜びを感じることのできる教育方針、と言えるでしょう。
人が人らしく生きる。子供が子供らしいデンマーク。当たり前のことですが、試験によるプレッシャーを与えないことが、自由でのびのびとした子供たちを育んでいるのだと痛感するところでもあります。ちょっとのびのびし過ぎ、と思う事もありますが。>
<デンマークの家庭では、必ずと言っていいほど家族そろって夕食をとります。ごく当たり前のことです。働き手の就業時間も朝8時から午後4時までといった所も多く、残業もほとんどなく、子供と向き合う時間をしっかりとっています。もちろん職種にもよりますが、いわゆる普通のサラリーマンは土日は一切仕事をしません。友人との食事なども外でするのではなく、自宅に招いて家族共々いっしょに楽しむ機会を多くとります。そうした家族のあり方も、この国の教育方針を支える根底になっているように思います>
日本ではようやく最近になって、「学習意欲」を重視した「ゆとりの教育」の大切さがいわれるようになったが、デンマークではすでに何十年も前から「ゆとりの教育」が実践されてきている。1975年に制定されたフォルケスコーレ(公立学校)に於ける国の教育目的を見てみよう。これも「平らな国デンマーク」からの引用である。
1)学校は家庭との協力の中で、生徒に必要とされる知識と技術、それを使うための方法論、他に対するコミュニケーションのあり方(表現方法)を学ぶ機会を与え、個人の総合的な発育確立の実現に向けて努力すべきである。
2)これらの活動において、学校は経験と個人的な活動ができるような機会を積極的に模索し、生徒が学ぶ意欲と想像力を養う機会を増やし、個人的な判断を評価し査定できる訓練を重ねることに寄与すべきである。
3)学校は生徒が民主的社会と共通の課題を実現するための責任共有に対して、積極的な参加の準備をさせるべきである。学校教育と学校生活は知的で精神的な自由と民主主義に基づくべきである。
日本では、小学生の学力の国際的順位が低下したということで、「ゆとりの教育」を見直すべきだという声が上がっている。新聞の投書などを見ても、「競い合いの教育が大切だ」という声が大きいようだ。
これはとても近視眼的で、「学習」というものの本質を知らない、まちがった診断ではないかと思っている。問題はこうした素人診断を、大学の先生や文部科学省の大臣までが支持しているということだろう。そこで、まず、「学習の基本法則」を明らかにしておこう。
(学習)=(意欲)×(学習時間) ・・・・・・�� (意欲)=(興味)+(必要性) ・・・・・・��
大切なのは、学習が意欲と時間のかけ算だという点である。いくら長時間勉強しても、意欲がなければ学習効果はあがらない。日本の子供たちは、学年があがるにつれて、意欲が減退している。かぎりなく0に近づいているわけだ。そして、0に何を掛けても、その結果は0である。
したがって、日本の教育の問題点は何かと言えば、「ゆとりの教育」そのものではなくて、その「ゆとり」が有効に活かされていないという点だろう。「ゆとり」を「意欲」へと結びつける肝心の教育が不在なのである。
この点を理解しないで、再び子供たちを学校の机の上に縛り付けようとするのは、大きな間違いである。意欲を重視したデンマークなど、欧州諸国の初等教育から学ぶべき点は多い。
| 2004年12月16日(木) |
メディアの社会的責任 |
毎年、この頃の季節になると、NHKが受信料を徴収にやってくる。今回も夜遅くに、NHKの集金係の人がやってきた。私の部屋は玄関横にあるので、妻の声が聞こえてくる。
「あなたのところの会長は私たちの受信料で豪勢な旅行をしているらしいわね。それに幹部の不祥事が続いているけど、弁明もいい加減で反省もしていないようだし、視聴者をないがしろにしていながら、よくこんなに高額の受信料がとれるわね」
これにたいして、係員は「まことにすみません。NHKでは近々特集番組でこのことをしっかりお伝えすることになっています」と、なかなかそつのない答えをしている。マニュアルがあるのかもしれない。
今回もしぶしぶ1万5千円ほどの視聴料を払ったが、妻も私も割り切れない思いが残った。NHKは口座からの自動引き落としにしてほしいようだが、私も妻もこれに応じるつもりはない。いつでも不払い運動ができる余地を残しておくためだ。
世論調査によると、日本のマスメディアで一番信頼されているのはNHKらしい。5割り以上の人々が信頼すべきメディアの筆頭にNHKを上げている。次いで新聞が来て、民放がくる。雑誌になると5パーセントそこそこと、かなり信頼度が落ちる。
たしかにNHKや新聞は「まちがいをしない」という点で、他のメディアより優秀かも知れない。しかし、単に間違いをしないということや、「中立、公正」という観点だけで、メディアの信頼度は計られるものなのだろうか。
むしろ、リスクを背負いながら「真実」を伝えることこそが、メディアの社会的責任ではないだろうか。こうした観点から見ると、NHKや日本の大新聞がはたして信頼に足るメディアかどうか、大いに疑問である。
最近読んだ『日本マスコミ「臆病」の構造−なぜ真実が書けないのか』という本は、この点を鋭く追求していた。著者のベンジャミン・フルフォードさんは世界的に定評のある『フォーブス』のアジア太平洋支局長で、マスコミでも活躍している著名なジャーナリストである。
フルフォードさんが一番信頼している情報源は何かというと、暴力団の街宣車だという。この国ではやくざくらいしか本当のことを語らない。彼によると、メディアの信頼性は、雑誌、民放、新聞とくるにつれて下がり、そのどん尻がNHKだ。親方日の丸で、視聴者の受信料の上にあぐらをかき、信頼に足るような顔をしているNHKが一番たちがわるい。
私がフルフォードさんの本のことを知ったのは、政治評論家の森田実さんの講演を聴いたからだった。犬山へ講演に来る途中、新幹線の座席で彼はこの本を読みふけったのだという。森田さんはHPでもこの本をぜひ多くの人たちに読んでほしいと訴えている。
<フルフォード氏のこの本は、全国民に読んでほしい本です。日本のマスコミの堕落をきびしく指摘しています。日本国民は、毎日、臆病で堕落したマスコミ報道を見せられ、読まされています。これは、あたかも毎日毒を飲まされているようなものです。本書を読めば、マスコミの毒で頭脳が冒されないようになるでしょう。>
ベンジャミン・フルフォードの本から引用したいところだが、私は書店でこの本を得意の速読術を使って立ち読みしたので、本が手元にない。そこで、森田さんのHPから孫引きさせていただくことにする。
<隠然と横たわる日本の『タブー』。皇室、ヤクザ、右翼、警察、差別、政治家、創価学会−彼らはそれらについて、知っていることを書けないでいる>
<臆病な日本のメディアは沈黙を続け、国民の前に真実は明らかにされない。そして壮大な『フィクション』はつづいていく>
<なぜその地位 にとどまっていられるかという点について、現在最も追及される人物は、小泉純一郎である。この口先だけの改革男は3年以上にわたって総理大臣の座にすわり、歴代総理の中でも長期政権の仲間入りをすでに果たしている。はっきり言おう。これは、日本の恥である>
<小泉にとって、新聞・テレビは麻雀で言う『安牌』だ。秘書官の飯島勲のメディア・コントロールに一任すれば、何の心配もいらない。飯島が番記者を集め、懇親会を開けば、何も言わなくても記者たちはメモを見せ合い、翌日にはお揃いの記事も大きく書いてくれる>
http://www.pluto.dti.ne.jp/~mor97512/
地球上に存在する100あまりの国を、選挙制度がある国とない国でわけることができる。たとえばかってのイラクは共和国で選挙制度があった。しかし、サウジアラビアやクウェートは君主国で、選挙制度はない。
しかし、選挙制度がある国でも、公正な選挙ができる国と、そうでない国がある。サダム・フセインが独裁していたイラクで公正な選挙ができたとは思えない。それではイラクを攻撃したアメリカはどうか。
森田実さんに言わせれば、アメリカもまた公正な選挙ができない国だという。最近の大統領選挙の混乱を見ていると、たしかにそうかもしれない。今回の選挙のとき、民主党は危機感を覚え、EUに選挙監視団の派遣を要請したそうだが、EUはさすがにこれには応じなかったらしい。
森田さんに薦められて読み始めたデービッド・カラハンさんの「うそつき病がはびこるアメリカ」には、そうしたアメリカの恐るべき現状がなまなましくレポートされている。弱肉強食社会の末路がありのままに描かれている。
<公正さも誠実さもなくしてしまった。もうこの国では正直者は生き残れない>
<いまやアメリカでは、あらゆる人がうそをつき、ズルをしている。罪悪感はほとんどない。理由はただ、「みんながやっているから」。そうしないと生き残れない、極端な競争社会になってしまったのだ>
アメリカはイラクに民主国家にするというが、そんなお節介を焼いている場合だろうか。まずは自分の国をしっかり立て直して欲しいものだ。もっともそれができないので、強引にイラクに攻めていったりしたのだろう。
ところで、選挙ができない国といえば、大統領選のやり直しが決まったウクライナがある。選挙戦中の9月、野党候補のユシュチェンコ氏は秘密警察の長官と会食した後、体調を崩した。顔の皮膚が腫れ上がり、容貌まで一変した。
オーストリアの病院で検査した結果、体内から通常の1000倍をこすダイオキシンが検出された。毒を盛られた可能性が濃厚になってきた。これまで「ウイルスによる病変」だとしたきたウクライナの検察も、ようやく捜査に乗り出したようだ。
ウクライナでは、4年前に反体制派の記者が失踪し、首なし死体で発見された。殺害を指示したクマチ大統領の肉声とみられるテープが見つかったが、結局うやむやのうちにもみ消されてしまった。
そのほか、この数年、ウクライナでは不審な事件が続いている。野党指導者2人があいついで交通事故にあい、一人は死亡している。これも「事故」の真相はわからずじまいに終わっている。背後にクマチ大統領や、ロシアの保安機関の存在を指摘する声もある。
プーチン大統領は、選挙のやり直しを求める野党や欧米諸国を批判し、「自分が欲しい結果がでるまで、何回でも選挙をやり直そうとするのか」と怒りをあらわにしたという。やりなおし大統領選の行方が気になるところだ。
| 2004年12月14日(火) |
真実を語らないメディア |
先日、犬山市民総合大学で政治評論家、森田実さんの講演を聴いた。森田さんの講演を聴くのは、去年に続いて2回目である。講演の題目は「時代を斬る」というものだったが、なかなか切れ味の鋭い講演だった。
講演の中心テーマは「真実を語らない日本のメディア」ということだった。森田さんによれば、新聞やテレビ、雑誌はほとんど真実を語ろうとしない。記者達は知っていても書かないで、それを自分たちだけの秘密にして、大衆を馬鹿にして満足しているのだという。
森田さんはそうした中で、「小泉構造改革」のデタラメさを告発するなど、真実を語り続けてきた。そのため、敬遠されて、マスメディアに登場する機会がずいぶん減っていたが、最近はまた省庁や経済界の会合に呼ばれて、講演をする機会が増えたようだ。そこで、現在の日本の絶望的な状況を具体に話すと、みんな息を呑んで静まりかえるのだという。
森田さんによれば、日本の製造業の7割り、金融業の9割はすでにアメリカの巨大資本の影響下にあるという。日本に残っているのは、トヨタと電力産業くらいだが、この2つの山も、いま着々と外資の手で裾野が侵略されつつある。
これを可能にしたのは、この10年間に行われたさまざまな「改革」である。建築基準法を変えて、アメリカの建築業界の日本進出を助け、商法を変えて外資の日本企業侵略を容易にした。そして司法や弁護士制度をかえて、日本をアメリカ並の訴訟社会にすることで、日本企業の足腰を弱め、アメリカ企業参加を促そうとしている。
こうしたアメリカの要望は毎年「年次改革要望書」として日本政府に通達されている。これにしたって、これまで日本政府は自国の制度を「改革」し、アメリカに留学体験をもつ霞ヶ関の高級官僚たちの手で、着々と日本のアメリカ帝国への属国化がはかられてきた。
こうしたカラクリを日本のメディアは決して国民に伝えようとはしなかった。しかし、この6月に建築家の関岡英之さんが「拒否できない日本」(文春新書)という本を書いて、このカラクリを明らかにした。
真実を語るということは、その「しくみ」を語ることだ。そして、その「しくみ」を知ったとき、人々は声を失う。誰もか語ることをはばかったそうした「しくみ」について、実に雄弁に語っているのが、関岡英之さんの「拒否できない日本」である。森田さんは講演で、この本に書かれていることがいかに真実かということを、自らの独自の情報をもとに力説していた。
たしかにこの本を読めば、構造改革と称する小泉内閣の進める日本社会の改造が、すべてアメリカの「年次改革要望書」に基づいて行われていることがわかる。森田さんはこの本を読み、胸の支えが降りるような気がしたという。そして、作者の関岡さんの来訪を受け、この問題について語り合ったそうだ。
森田さんによれば、NHKをはじめ日本のメディアはいまだに真実を伝えようとしていないが、それでも最近、「拒否できない日本」のようなタブーを破り、真実によって虚偽を告発するような書籍がぼちぼち出版され、しかも売れるようになってきた。あきらかに、時代の潮流が変わってきた。これから、新聞やテレビもすこしはましな真実を語るようになるかも知れないという。
新聞やテレビは貴重な情報源ではあるが、私たちはもっと本を読むべきだろう。いつの時代でも、真実を語る者はいた。そして彼等はその真実を伝えるために、ときには命がけで本を書いた。そうした命の籠もった本と出会う喜びを味わうため、森田さんは毎日のように書店に足を運ぶのだという。真実一路でひたむきな72歳の森田さんの講演に、とても共感した。
なお、関岡英之さんの「拒否できない日本」については、すでに6月14日の橋本日記で詳しく書いている。最近では北さんが雑記帳で紹介している。北さんの雑記帳に引用された関岡さんの文章を孫引きさせていただこう。
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<数年後の日本を知る必読の文献>
これから数年後の日本に何が起きているか。それを知りたいと思ったとき、必読の文献がある。アメリカ政府が毎年十月に日本政府に突きつけてくる『年次改革要望書』である。日本の産業の分野ごとに、アメリカ政府の日本政府に対する規制緩和や構造改革などの要求事項がびっしりと書き並べられた文書である。
『年次改革要望書』では、最近まで五つの優先分野が指定されていた。通信、金融、医療機器.医薬晶、エネルギーとならんで住宅分野がそのうちのひとつだったのだ。しかし二〇〇一年版以降の『要望書」からは住宅分野が優先分野から姿を消した。住宅分野に関しては、アメリカは欲しい物をすでに手に入れた、というわけである。
住宅分野に関してアメリカ政府が日本政府へ要求していたのは、ひとことで言えば木材製品の輸入拡大、ということに尽きる。もともと日本はアメリカにとって木材製品の最大の輸出市場なのだが、アメリカはビジネス・チャンスを更に拡大しようとして、過去数年さまざまな要求を日本に突きつけていたのである。日本政府がこれまで建築基準法の改正、「定期借家権制度」の導入や「住宅性能表示制度」の導入など一連の規制改革を進めてきた最大の理由はここにあったのである。
<日本政府はなぜ外国業者の利益をはかるのか>
私はなにもそれをインサイダー情報や内部告発などによって知ったのではない。アメリカの情報公開法のお世話になったわけでもない。アメリカまで行く必要さえなかった。自宅に居ながらにして、インターネットで誰にでも公開されているアメリカ政府の公式サイトから簡単に知ることができた。アメリカ政府自身が、その事実を公式文書のなかで堂々と公表しているのだから。
それにしても日本の政府はなぜ、外国業者のビジネス・チャンスを拡大するために、審議会に諮問して答申書をつくらせた上で法改正まで行うという、手の込んだ手続を踏んでいるのだろうか。なぜそこまでする必要があるのか。
<クリントン政権の考え出した「年次改革要望書」>
そもそもこの『年次改革要望書』とはいったいどういうシロモノなのか。日本とアメリカとの外交関係において、それはどのように位置づけられているのだろうか。アメリカ通商代表部の『外国貿易障壁報告書』二〇〇〇年版に、『年次改革要望書』というものが毎年提出されるようになったいきさつが書いてある。それによると、これは一九九三年七月の宮沢首相とクリントン大統領の首脳会談で決まったことらしい。
個別産業分野の市場参入問題や、分野をまたがる構造的な問題の是正を日本に迫るための、アメリカ政府の包括的なアプローチである、と説明されている。わかりやすく言えば、アメリカが日本に外圧を加えるための新しい武器として、クリントン政権が考え出したもの、ということらしい
この宮沢・クリントン首脳会談のときの政府間合意を根拠として、一九九四年に最初の『年次改革要望書』が提示された。それは三十二ぺ-ジの英語の文書で個別産業分野としては農業、自動車、建築材料、流通、エネルー、金融、投資、弁護士業・医薬・医療・情報通信など、分野横断的なテーマとしては規制籍や行政改革、審議会行政や情報公開・独占禁止法と公正取引委員会、入札制度や業界慣行、そして民事訴訟制度などが網羅され・まさに日本の産業、経済、行政から司法にいたるまで、そのすべてを対象にさまざまな要求を列挙したものだった。
<マス.メディアが今まで報道しなかったこと>
日本政府も同時にアメリカ政府に対する要望書を提出することになっていて・表面上は対等かつ双方向という建前になっている。しかしもともとこの要望書は外圧の一手段としてアメリカから提案されたものだ。ことの発端からして双方向ではなかったのである。
外務省の公式ホームページには、日本政府が毎年アメリカ政府へ送った『年次改革要望書』は掲載されているが、アメリカ政府が日本政府へ提示した方は公開されていない。不思議なことにマス.メディアでも従来このことはほとんど報道されていないのだ。
二〇〇三年十月にもアメリカ政府から日本政府へ『年次改革要望書』が出されているが、なぜか主要な新聞はそのことを報道しなかった。二〇〇一年十月のときは・シンガポールで開催されたWT0」の非公式閣僚会議の際に田中真紀子外務大臣(当時).がゼーリック通商代表部代表と『年次改革要望書』を交換し合ったということを、十月十五日付けの日本経済新聞が小さなベタ記事で報道した。
しかし「米国側の要望内容は明らかになっていない」として、内容にはいっさい踏み込んでいない。日本の将来にとってこれほど重要な意味を持つアメリカ政府からの公式文書である『年次改革要望書』の全文が日本のマス・メディアで公表されたことはないのだ。それでは、アメリカ政府が日本政府に毎年どんな要求を突きつけているのか、われわれ一般の国民はどうやったら知ることができるのだろうか。
<内政干渉を隠そうともしないアメリカ>
種明かしをすればどうということはないのだ。アメリカ政府の日本政府に対する『年次改革要望書』は誰でも簡単に読むことができるのである。全文が日本語に翻訳され、在日アメリカ大使館の公式ホームページで公開されているからだ。過去数年のバックナンバーも、すべてそこで日本語で閲覧することができる。
私は大学院の修士論文を書くために、建築基準法の改正についてインターネットでいろいろ調べているときに偶然それを見つけたのだ。なるほどアメリカという国は堂々と構えているものだ。内政干渉の事実を隠そうともしない。伏せようと努力しているのは、干渉している側ではなく、もしかしたらされている側の方なのかもしれない。
<要求の進捗状況は日米当局者が点検>
『年次改革要望書』は単なる形式的な外交文書でも、退屈な年中業事でもないアメリカ政府から要求された各項目は、日本の各省庁の担当部門に振り分けられ、それぞれ内部で検討され、やがて審議会にかけられ、最終的には法律や制度が改正されて着実に実現されていく。受け取ったままほったらかしにされているわけではないのだ。
そして日本とアメリカの当局者が定期的な点検会合を開くことによって、要求がきちんと実行されているかどうか進捗状況をチエツクする仕掛けも盛り込まれている。アメリカは、日本がサボらないように監視することができるようになっているのだ。
これらの外圧の「成果」は、最終的にはアメリカ通商代表部が毎年三月に連邦議会に提出する『外国貿易障壁報告書』のなかで報告される仕組みになっている。アメリカ通商代表部は秋に『年次改革要望書』を日本に送りつけ、春に議会から勤務評定を受ける、という日々を毎年過ごしているわけである。(P47−P53) < 引用、終わり >
仏教に「四苦八苦」という言葉がある。その最初が「愛別離苦」すなわち、「愛する者と別れる苦しみ」である。万葉集は「愛と死の歌集」だと言われるが、同時にそれは「惜別の歌集」だとも言える。
君が往く 道の長手を 折り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも (万葉集巻15−3724)
この歌を読みながら、私はふと曽我ひとみさんが夫のジェンキンスさんとジャカルタの空港で再会したときの情熱的な抱擁シーンを思い出した。曽我の気持も「焼き滅ぼさむ天の火もがも」ということではなかっただろうか。
この歌の作者は佐野茅上娘子(さののちがみのおとめ)で、当時何かの理由で越前の味真野に流されていた恋人の中臣宅守(なかとみのやかもり)にあてて書いた恋文だと言われている。万葉学者の犬養孝さんは「万葉の人々」にこう書いている。
<かなしい別れをしたあと、都の娘子と味真野の宅守とは折りに触れて63首の歌を贈答し、その中、娘子の歌は23首である。長期にわたる二人の折々の私の歌が、ともに公開されるという形で、どうして「万葉集」におさめられたかについても、やはり流罪の原因と同様に不明である>
別れと言えば、何と言っても防人の歌だろう。兵士として東国から九州へ徴兵された若者の多くが、異国の地で命を終えた。ふたたび故郷に帰ってきたのは一部だという。彼等の歌は万葉集巻20に93首、巻14巻に5首おさめられている。2首を引こう。
筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも 愛しけ妹ぞ 昼も愛しけ (巻20−4369) 霰降り 鹿島の神を 祈りつつ 皇御軍に われは来にしを (巻20−7340)
二首とも関東地方から出てきた千丈という防人の歌だ。「筑波山の百合のようにいとしい人よ、夜だけでなく、昼間もこうしていとしくてならない」と恋人を切なく思いながら、その一方で、「すめらぎくさと、われはきにしを」と防人の決意をのべている。この両者を並べた万葉集の編者(大伴家持か)の心はいかなるものだったのか。
信濃なる 千曲川の川の さざれ石も 君し踏みてば 玉と拾はむ (巻14−3400)
私が大好きな万葉集の東歌なので、何度でも引用したくなる。この歌は作者未詳で、おそらく民謡として庶民の間に歌われたのだろう。娘は河原で恋人と別れをした。恋人は旅に出たのだろう。それが都まで年貢を届ける旅か、あるいは防人として九州へ行く旅か、いろいろ想像させられる。
信濃の山嶺はまだ白く、千曲川の水も冷たい。 その流れの中に、恋人と別れたばかりの少女がたたずんでいる。 少女の足元の清流を透かして、川底の小石が見える。 彼女は腰を屈めてその一つを取上げて、そして、つぶやくように歌う。
あの愛しい人が踏んでいった小石を、 これからはあのひとのように、 宝石のように持っていよう。
大学時代、私はこの歌をNHKラジオの講座で、犬養孝さんから教わった。そのとき、犬養さんは、特攻隊で息子を亡くした両親が、特攻基地のあった場所を訪れ、大切に小石を拾って持ち帰っていったというエピソードを紹介していた。
愛する者と別れるのはつらい。しかし、この悲しみを避けるには、愛することをやめるしかない。万葉の人々は、それができなかった。全身で人を愛し、そして全身で、愛する人との別れを悲しんでいる。まるでそれが、生きることと証だといわんばかりに。
昨日、妻に誘われて、岐阜の金華山に登った。ふもとの岐阜公園の登山口から、お城のある頂上まで、歩いて1時間半ほどである。登山コースはいくつかあるが、私たちが選んだのは「瞑想の道」という初心者コースだった。
私たちは途中で休憩をとりながら登った。12月とは思えないあたたかい日和で、少し歩くだけで汗ばんできた。もうとうに紅葉の季節は過ぎたはずだが、山にはまだ紅葉が残っていて目をたのしませてくれる。
私たちはリスを探したが、ふしぎなことに姿を見かけなかった。ただ小鳥達は木立のなかで鳴いていた。妻が立ち止まって、掌の上にピーナツを載せて待っていると、小枝から小鳥が飛んできて、妻の掌に止まり、それからピーナツをくわえて、飛び去っていく。
私も妻からピーナツを貰って、掌においた。そうすると、たちまち小鳥がやってきた。雀ほどの大きさの、ヤマゲラという鳥である。掌にいくつかピーナツをおくと、大きい方を選んでくわえていく。一旦選んでも、あらためて大きい方にくわえ直していく奴もいる。
見ていてかわいくて、面白い。人間を恐れない振る舞いは、こころをなごませてくれる。しかしやってくるのは、アカゲラばかりだった。シジュウカラは物欲しそうに近づくが、掌にとまろうとしない。雀も同じである。
頂上からは眼下に長良川が見下ろせた。そして木曽川の流れも銀色にひかって見えた。そこで妻と二人で、おむすびを食べながら、掌にピーナツをおいて、小鳥達にふたたび餌をやった。他にも餌をやっているカップルがいた。
金華山にくると、たくさんの命に出会えてうれしい。西洋流に言えば「食物連鎖」ということだろうが、私たちはそれを「いのちの輪」と呼ぶ。「いのちの結び」という美しい表現をする人もいる。同じ現象でも、それをどう眺めるかで、印象は随分ちがってくる。私は東洋流の知恵のある考え方が好きだ。
ペリーがやってきたとき、軍艦にたくさん鳥たちが訪れて、その無警戒な様子が、アメリカの軍人達を驚かせたようだ。彼等がそれを捕まえて殺したり、面白半分に鉄砲で撃ったりしたので、幕府の役人は「日本では殺生は御法度です」と言いわたした。のちに条約にその一条を入れたという。いい話だと思う。
山を下りた後、近くの用水を覗いてみた。そこにもたくさんの魚がいた。よくみるとヨシノボリもいた。以前、私の家の水槽で飼っていたとき、このハゼ科のユーモラスな顔をした魚を「おやびん」と呼んでいた。そこで、さっそく、妻に「オヤビンがいるぞ」と声をかけた。のんびり横たわっている姿がなつかしい。
私の家で飼っていたヨシノボリは山奥の清流でつかまえてきたものだ。家の水槽で1ケ月ほど飼ってから、もとの清流に返した。この秋に紅葉狩りがてら、オヤビンに会いに行こうと思っていたが、いろいろと忙しかった。いつもならその辺りはすでに雪の季節である。元気に生きていてくれるだろうか。
| 2004年12月11日(土) |
言語脳をたのしく鍛えよう |
分数計算のできない大学生がいる。しかし、現実問題として、こまごまとした分数計算など実生活で役にたたない。大学生の数学力を面倒な計算問題で測るべきではないと思うのだが、日本では「数学力」は「計算力」だと考えている人が多い。
そして、入試問題などでやたらむつかしい計算をさせたりする。しかし、これはあくまで「計算力」をチェックしているだけで、「数学力」の測定にはならない。昨日も書いたように、「数学力」の基本は「言語力」であり、さらにいえば、「言語力」とは「文章力」だというのが私の考えである。
数学は数や図形といった単純で抽象的な素材を対象にする。シンプルな素材で、その性質や関係性を研究するなかで、「論理的思考力」を鍛える。獲得された体系的な思考力は、数や図形といった抽象的な世界を離れて、はるかに複雑な現実世界を理解するときに役立つ。
有能な政治家や経営者や弁護士は、このことを知っている。だからリンカーンやガンジーの愛読書が「ユークリッドの原論」だった。この2000年間、ギリシャ人の書いた数学の教科書が、聖書につぐベストセラーであり続けた。
数学力は論理的に筋の通った文章が書けるかどうか、そして自分で独自に主題を構想する言語力があるかどうかで測られるべきだろう。日本の数学教育に必要なのは、こうした根源的な言語力を鍛え、文章力を高めるという観点ではないかと思う。
もちろん、こうした観点が必要なのは、数学教育ばかりではない。語学教育そのものが、「文章力」を基本にしたものに改革されるべきだろう。語学教育の目標は、内容のあるしっかりした文章を書く力を養成することでなければならない。
それでは、どうしたら「文章力」が身に着くのか。それはまず、他人の文章を読むことだろう。「文章力」の基本は「読書力」である。しかし、他人の本を読んでいるだけではいけない。本を通して、その作者と対話し、自分の意見や主張を持つことが大切である。
文章が書けないのは、自分の思想や主張がないからである。自分の思想や主張をもち、それを表現するとき「文章力」が必要になる。文章を書くことで、思想や主張はさらに発展する。そしてそのことが、さらに文章を書く動機を高める。
こうしたよき循環のなかに身を置くためにも、まず必要なのは、人生のさまざまなことがらについて問題意識をもち、それを文章に表してみるみることだ。そうしたことの積み重ねによって、私たちの「言語力」が鍛えられる。
大切なのは「言語脳」を鍛えることだが、これは「計算脳」や「作業脳」を鍛えることでは達成されない。いくら難しい計算問題や作業をこなしても、言語能力は向上しないだろうし、むしろその発展を阻害することにもなるだろう。言語脳は他者との会話や対話の中で鍛えられ、成長する。それは苦行というより、むしろ遊びであり、よろこびである。
OECDによる15歳の学力調査で、日本はかなり順位を下げたようだ。数学的リテラシーでは前回41ケ国中1位だったのが、香港、フィンランド、韓国、リヒテンシュタインに抜かれて6位になった。ちなみに、このあと、カナダ、ベルギー、マカオ、スイスと続く。
「読解力」はあいかわらず、フィンランドが1位で、韓国、カナダと続き、前回8位だった日本は、今回さらに順位を下げて14位になった。得点の高いグループの成績は前回並みだったが、低いグループの減点が大きくひびいたのだという。学力格差が広がっているようだ。
朝日新聞の分析によると、とくに日本の学生が弱いのは論述形式の問題だという。「文章や図を論理的に解釈してそれを表現するのを苦手とする日本の生徒の姿が浮かび上がってくる」と書いている。
いうまでもなく、学力の基本は「日本語力」である。昨日の朝日新聞の社説「いまこそ日本語を」は、この点にふれている。一部を引用しよう。
<何が書かれているか。文章が理解できなければ数学の問題も解けないし、科学もちんぷんかんぷんだ。本や新聞を読むのもおっくうになり、私たちが生きる社会や世界に対する興味と理解も限られたものになるだろう>
<国際社会を舞台に他国の企業と競うのも、外交も、英語の前にまず日本語である。自分の国の言葉でしっかり考え、他者の言葉を受けとめ、自分の考えを表現する。価値観が多様化し、国際化が進めば進むほど、日本語の力はいっそう重要になっている>
中山文部科学相は義務教育改革のなかで全国学力テストの実施を打ち出していることに触れ、「低下傾向に歯止めをかけなければならず、競い合う教育をしないといけない」と述べている。
私は「競い合う教育」で学力が伸びるとは考えない。成績が上位の子は「勉強が面白い」と答えるかも知れないが、それは勉強が面白いのではなく、「他人に勝つことが楽しい」だけである。そして、大学入試という競争がなくなると、もうほとんど勉強しなくなる。
テストと同時に行われたアンケート結果を見ると、「数学で学ぶ内容に興味がある」と答えた日本の生徒は33%で、フランスなど60%をこえる国があるなかで、日本は41ケ国の平均を下回っている。
「数学を日常生活にどう応用できるか考えている」と答えた生徒は、日本では12.5%で平均の53%にはるかに及ばず最下位だった。「数学が将来役立ちそうだ」と答えた生徒もオーストリアやアメリカでは80%をこえていたが、日本は49%しかなかった。
日本の高校生は半数以上が、「数学は面白くなく、将来役にも立たない」と考えていることがわかる。私にはこれはむしろ「競い合う教育」のもたらした「学力の空洞化」ではないかと考える。以前にもくりかえし書いたとおり、勉強するには�ゞ縮���必要の2つのモチベーションが大切だ。このモチベーションを高める努力や工夫が必要だろう。
そのためには、「学力の基礎は語学力」という基本に立ち戻り、語学教育を中心に教育そのものの質を高めて、学問そのものに興味を持たせること、そして勉強が人生に役立つのだという必要性を感じさせることである。そうした方向での、実のある教育改革がのぞましい。
そのお手本は、フィンランドの教育改革であろう。これについては、「何でも研究室」のなかの「フィンランドの奇跡」にくわしく書いたとおりである。ぜひ、中山文部科学相にも私の文章を読んでもらいたいものだ。
http://home.owari.ne.jp/~fukuzawa/finland.htm
| 2004年12月09日(木) |
「1,2,3,4」の牧歌的世界 |
原始の人たちの数感覚は「1,2,3、そして沢山」だったという説がある。たしかに、日本語の「ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ」も、「よっつ」は沢山という意味の「よろず」だと考えることができる。そして、こういうおおらかな世界はつい最近まで、地球上のあちこちに残っていた。
それでは、このあと、どのように数を増やして行ったかというと、日本人の場合は、6を「3の倍」、8を「4の倍」というふうに倍数としてとらえたようだ。その痕跡が「みっつとむっつ」「よっつとやっつ」の対として残っている。
私たちはものを数えるとき、「に、し、ろく、はち、・・・」と二つずつペアにして数えたりするが、古代人も同じ様なことをしていたのだろう。もっとも、これだと5,7,9が仲間外れになる。5はまだいいとして、7や9は大きすぎて数えにくい。古事記に7と9だけ出てこないのもこのせいかもしれない。
漢数字を見ると、「一、二、三」は算木の横棒をしめしている。これはローマ数字でも、縦になっただけで同じことだ。漢数字はこのあと「四、五、六」と続く。白川静さんの「常用字解」によると、「四」は口を開いて笑う姿だという。ただし、中国人もさらに昔は算木を4つ横に並べた象形文字を使っていたらしい。
人間は4個くらいまでなら目測できる。紙を数える場合でも、4枚ずつならできそうだ。しかし、5つになるとどうだろうか。一般に4個と5個の間には人間の個数認識力に断絶があると考えられている。このため4個ずつをまとめて数えることが広く行われたようだ。
たとえば、印欧祖語の8をあらわすoktouは、ouが双数の意味を持つので、4の倍数という意味が考えられる。そして9のnewnは新しい(new)という意味である。4×2を終えて、また新しく数え始めるということのようだ。
印欧祖語では、数詞1〜4は文法上特別な扱いをうけ、形容詞として語尾変化したが、5以上の数詞にはこの変化はない。ローマ人は1月から4月までを神の固有名で呼び、5月からは数詞で呼んだ。たとえば9月はNovemberである。ローマ人は子供に名前をつけるときも同じで、5子以降は、数詞で五郎、六郎、などとつけたらしい。
数を4個ずつ区切っていくと、「4進法」、「8進法」、そして「12進法」が生まれてくる。実際、このような観点から「12進法」の起源を推測している学者もいるようだ。なお、4倍するかわりに4で割った単位がクオーターである。日本でも一両の4分の1が一分で、そのまた4分の1が一朱である。「4進法」の感覚は洋の東西を問わず、日本人にも顕著だったことがわかる。
季節を4つに区切って、「春夏秋冬」と四季であらわすのも、「4進法」のせいだろうか。「古事記」には色は「青、赤、白、黒」の4色しか出てこないというが、これも「4進法」のせいで、古代日本人はシロ、クロ、アカ、アオの4色しか見えなかったのだろうか。(相撲の土俵の上の四方の房も青、赤、白、黒となっている)
あるいは、中国や日本では数字を4桁ずつ区切って、万、億、兆、京、などと読む。これも「4進法」の影響だろうか。それでは何故西洋では数字を3桁ずつ区切るのだろう。さあて、ここまでくると、私にもよくわからない。
(参考サイト) http://www.netlaputa.ne.jp/~tokyo3/iro.html
| 2004年12月08日(水) |
ひふみ・・・の不思議 |
手鞠が好きだった良寛さんの歌に、こんなのがある。
つきて見よひふみよいむなやここのとを とをとおさめてまたはじまるを
私たちは「山」を訓読みで「やま」といい、音読みで「さん」とよぶが、数字も二種類の呼び方を持っている。ひとつはやまと言葉で「ひい、ふう、み・・・」であり、もう一つは漢語式の「いち、に、さん、・・・」である。
金田一晴彦さんにいわせると、日本人は数量は「ひとつ、ふたつ・・」と数え、「一番、二番、・・・」と順序をあらわすときは、「いち、にい、さん、・・・」とよんで、この二つを使い分けてきたそうだ。たしかにそうかも知れない。
さて、ここで一つ疑問がある。「ひとつ、ふたつ、みっつ、・・・・・とお」の次にくるのは、今日では、漢語系の「じゅういち、じゅうに・・・」に統一されているが、やまと言葉では何と呼んでいたのだろう。
内林政夫さんの「数の民族誌」(八坂書房)によると、古事記には「トヲ・マリ・ヒト、トヲ・マリ・フタ、・・・」などの記述が残っているらしい。つまり私たちの先祖は「とお・あまり・ひとつ、とお・あまり・ふたつ、・・・・」という具合に数えていたわけだ。これは「十進法」である。
私たちは年齢の呼び方などは現在でも、二十を「はたち」と呼び、三十を「みそ」、四十を「よそ」などとよぶ。そして、百を「もも、ほ」、千を「ち」、万を「よろず」とよぶ。古事記には千五百(チ・イ・ホ)、万五千(ヨロズ・アマリ・イツ・チ)などが出てくる。
ところで、「ひとつ、ふたつ、みっつ、・・・」の数詞の由来はなにか。これには諸説があるが、特徴的なのは倍数関係が認められることである。「数の民族誌」のなかには次のような説が紹介されている。
ひとつ・・・・ヒタで単一の意味。 ふたつ・・・ヒタの音韻が変化、1の倍数。 みっつ・・・満る。 よっつ・・・ヨはますます増加すること。 いつつ・・・イツは極み。 むっつ・・・ミツの音韻が変化、3の倍数。 ななつ・・・ナベナシの転で、並べることができない奇数。 やっつ・・・ヨツの音韻が変化、4の倍数。 ここのつ・・・屈めるで、窮屈な指の形に由来。 とお・・・・止める、遠い、おしまい。
なお、古事記には7と9の数がまったく出てこない。これは古代の日本人が7と9を嫌ったためではないかという。その理由として、両手で対を作ることができなかったからだという白鳥庫吉博士の説がある。のちに7が縁起の良い数だと考えられるようになったのは中国の影響らしい。
(参考文献) 「数の民族誌」 内林政夫 八坂書房
私たちは、「いち、に、さん、・・・、きゅう、じゅう」と数えて、次は「じゅういち、じゅうに、・・・」と続ける。数字で書くと、「1,2,3,4,5,6,7,8,9,10,11,12,・・・」である。これは10個をひとまとめに数えるやり方で「10進法」と呼ばれる。
なぜ、「10進法」が使われるようになったのだろうか。それは人間の指が両手をあわせると10本だからではないかと考えられている。昔の人は指を折り曲げて数をあらわしたり、指を使って計算をしたらしい。そのため、10進法ができあがったというわけだ。
英語の11という数字は、twelve=two left、10数えても、まだ一つ残っているという意味だ。これなども、昔の人が指を使ってものを数えていた名残かも知れない。
しかし、ものを数えるしくみは「10進法」ばかりではない。たとえば、時間の場合、12月の次は13月ではなくて1月にもどる。そして、12時の次は1時にもどる。これは12個をひとまとめにして数えるしくみで「12進法」と呼ばれる。
「12進法」は今でも広く使われわれている。鉛筆の1ダースは12本だし、イギリスなどでは、長さをあらわすとき、12インチが1フィートで、貨幣でも、12ペンスが1シルリングである。このように、西洋では昔は「10進法」より「12進法」の方が有力だったのではないかと考えられている。
たとえば昔はhundredが120だった。そして、「10進法」の影響で100を表すようになった現在でも、120を「a great hundred」と呼んでいる。
それでは、なぜ「12進法」がうまれたのだろうか。「昔の人間は12本の指を持っていたせいだ」という説があるが、これはだれも信じないだろう。もうすこしまともな説明はないのだろうか。
一つの有力な説明は、やはり12進法も指をつかった計算によるものではないかというものだ。片手には5本の指があるが、親指を伏せると4本の指が残る。それぞれの指は2個の関節で3区分されている。そうすると、4本では3×4=12のパーツに分けられる。
そこで親指の先をそれぞれのパーツにあてて、1から12までの数を示すことができる。実際にこれはインド、パキスタン、アフガニスタン、イラン、トルコ、エジプトなど世界各地で広く行われていたことらしい。
さらに「12進法」には「10進法」にない大きなメリットがある。それは「12進法」は「割り算に強い」ということだ。10は2と5でしか割れないが、12は2,3,4,6と4個もの数字で割ることができる。
たとえば、25個のリンゴを3人で分ける場合を考えよう。10進法だとこれは、25=10×2+5とあらわされる。さて、これを3で割るのはそう容易ではない。なぜなら基数となる10が3で割れないからだ。そこで次のような計算をすることになる。
3×1=3 3×2=6 ・・・・・ 3×8=24 3×9=27
つまり、一人8個ずつ配れば1個あまり、9個ずつだと2個足りない。結論として、8個と1/3ずつにわければいいわけだ。ところが、「12進法」だともっと簡単にこの結論が導かれる。
25=12+12+1である。したがって、まず12個を3人で分けて4個ずつ、そして次の12個を3人で分けて4個ずつ、最後に残った1個を3分割すればよい。つまり一人8個と1/3である。これなら「九九」などしらない人でもわかる。
つまり「十進法」だと2人や5人で分けるときにはいいが、3人や4人で分けるときに困るのである。この点、「12進法」だと、2人、3人、4人ですぐに分けられるのでとても便利なのである。
数学的な観点にたてば、たまたま人間が10本指だったということに基づく「10進法」よりも、約数を多く持つ「12進法」の方が合理的であり自然でもある。こうしたことから「12進法」や、その親戚である「60進法」などが、「10進法」と並んで世界に広く行われたのだろう。そして「12進法」の世界に住んでいた古代の人々はもっと豊かな数感を持っていたのかも知れない。
建築家ガウディが一世紀ほど前に手がけたスペイン・バルセロナの未完の大聖堂「サクラダ・ファミリア」(聖家族教会)は、柱の太さ、床の間取り、天井の寸法などに、「12進法」を取り入れているという。これによって、聖堂全体に独特の調和が生まれるのだという。私たちもときには、「10進法」の呪縛を離れて、古代人が味わっていた自由で自然な世界を呼吸してみよう。
(参考サイト) http://essc.educ.tamagawa.ac.jp/mmrs/Rect7/Rect7.html http://www.edogawa-u.ac.jp/~takata/sotsuron/e9260093ts.html
| 2004年12月06日(月) |
「0」の扉を開けてみよう |
割り算の意味や計算法(アルゴリズム)がわかったところで、少し特殊な割り算について考えてみよう。<a÷0>というタイプの割り算である。まずは、a=1の場合について。
<1÷0>を解くには、<0に何を掛けたら1になるか>を考えればよい。そしてその答えは「そのような数は存在しない」ということだ。なぜなら、0にどんな数を掛けても0にしかならないからだ。したがって、こうした解の求まらないような割り算はしてはならない。
つぎに、a=0の場合はどうだろう。<0÷0>を解くには、<0に何を掛けたら0になるか>を考えればよい。そうすると、<0×0=0>、<0×1=0>、<0×2=0>、<0×3=0>など、たくさんの答えが得られる。
たしかに、<0÷0=1>は一応は正しいわけだが、マイナスも含めてすべての数が許されるわけだから、<0÷0=1>だけが正しいという訳ではない。こうしたとき、数学者はその特定の答えを正解とはしないで、「解は不定である」という言い方をする。やはり解は求めることができないと考えたほうがよい。
つまり、<0÷0>も含めて、「0の割り算はしてはならない」ということである。このことは、「0」がほかの整数とはかなり違った特殊な数であるという印象を与えるだろう。そもそも「0」という数の正体は何か。
「0」という数字がはじめて使われたのはインドだということを前に書いた。インド人の商人たちはかなり早い時期に1から9までの数字を使っており、「そろばん」を使って、「10進法」の計算をしていた。そのころ使われていた「そろばん」は数本の棒を立てて、そこに石の玉を通すというものだったらしい。
それぞれの棒が、「一」「十」「百」「千」「万」の位を示しており、そこに積まれた石の数で数をあらわすわけだ。たとえば205という数を考えよう。このとき、「十」の位の棒には石が一つもおかれていないことになる。
インド人はこれをサンスクリット語でスーニャと呼んでいた。スーニャというのは「空」という意味だという。そして、その記号として「・」を使った。この「・」がやがてだんだん大きく書かれるようになり、「0」という数字になった。6世紀頃のことである。
773年にインドから数人の使節がアラビア帝国の首都だったバクダッドにやってきた。彼等はこのときこの新しい計数法で作られた天文学の計算法を贈り物として、当時の皇帝アル・マンスールに差し出した。
この頃、アラビアでは60進法が行われ、しかも数を言葉を使って長々と言い表していたので、計算はとても厄介なものと思われていた。ところがインド式の記数法による10個の数字による10進法の計算はとても簡潔で、一旦これに習熟すれば複雑な計算を短時間でなしとげることができる。しかも、「そろばん」を使わずに紙の上でできてしまう。
皇帝アル・マンスールはインド式記数法の優秀さをたちまち見抜き、これを国内に広めようと考えた。当時アッバース朝の中心であったバグダッドには、「知恵の館」(バイトゥ・アルヒクマ)と呼ばれる学問研究所のような機関があったという。
やがてその「知恵の館」で活動していたアル・フワーリズミーがインド式記数法を紹介した代数学書「アルジャブルとムカーバラ」をアラビア語で書き、これを読んだアラビア商人達によってインド式記数表が広く使われるようなった。
インド数字はやがてアラビア数字と呼ばれるようになった。アルフワーリズミーの本の原題にある「アルジャブル」というアラビア語はそのままの形で現在まで残り、algebraアルジェブラ(代数、または代数学)という数学用語となっている。
また現在使われている「アルゴリズム(計算手順)」という言葉も、アルフワーリズミーの名がなまって伝えられたことに由来している。アルフワーリズミーは「代数学」以外にも、地球の円周の測定や世界地図の作成など、「知恵の館」における多くの研究に携わり、それによって学問的高位を得て、847年に没したという。
サンスクリット語でスーニャ(空)と呼ばれていた「0」を、アラビア人はアラビア語でシフルと読んだ。やはり「空」という意味だという。1202年、アフリカの北海岸のピサに住んでいたレオナルド・フィボナッチが「アルジャブルとムカーバラ」を研究して、ラテン語で計算法の本を書いた。彼の本は次の15章からなっていた。
1.アラビア数字の読み方および書き方 2.整数の乗法 3.整数の加法 4.整数の減法 5.整数の除法 6.整数と分数の乗法 7.分数の計算 8.商品の値段 9.両替 10.合資算 11.混合算 12.問題解法 13.仮定法 14.平方根と立方根 15.幾何学と代数学 フィボナッチは「0」をラテン語でゼフィルスと読んだ。「風」という意味だという。「空」に近いものとして風を連想したのかもしれない。このゼフィルスがやがてゼヴェーロにかわり、今日の「ゼロ」になった。
「0」は10個の数字のうちの1つであるが、ただそれだけの存在ではない。数字以上のもの、「10進法」という「数体系」そのものを象徴している。インド人が「0」を発見したということは、「数のシステム」の奥深い秘密に気付き、その入り口の扉を開いたということでもある。「0」の向こうに広がる、とてつもなく広大な宇宙に一歩を踏み出したということだ。
(参考サイト) http://www.aii-t.org/j/maqha/magazine/science/01.htm
| 2004年12月05日(日) |
割り算の二つのタイプ |
「6個の饅頭を2人で分けると、一人何個ずつになるか」と訊かれたら、<6÷2>という式を解いて、3個という答えを求めればよい。少し復習しておくと、この式を解くには、「2を何倍すれば6になるか」を考えればよかった。
(図1) ○○○○○○=○○○+○○○
これに類した問題をもう一題出しておこう。「6個の饅頭を2個ずつ分けると、何人に分けられるか」という問題である。これも式で表すと<6÷2>となり、同様に3という答えを得る。しかし、この問題の場合、一円玉の図は次のように書いた方がわかりやすいだろう。
(図2) ○○○○○○=○○+○○+○○
同じ<6÷2>という式でありながら、図が違っている。このことは何を意味しているのだろうか。考えられることは、「割り算」にはもう一つタイプの違ったものがあるということである。
� 孱兇鬘欧弔吠�けて、そのひとつの組みに含まれる<個数>をもとめる」 �◆孱兇鬘恩弔困弔料箸澆砲錣韻董△修痢秡箸凌堯笋魑瓩瓩襦�
「6を2で割る」といえば、普通「個数」を求める�,離織ぅ廚鮃佑┐襦�しかし、「組の数」を求める�△離織ぅ廚粒笋蟷擦發△襪錣韻世�ら、この両者を区別したほうがよいだろう。そこで、タイプ�△里發里髻嵎�け算」と呼ぶことにする。さらに、必要に応じて、「6を2で割る」という表現を、次のように使い分けることにする。
� 孱兇鬘欧弔乏笋襦廖奮笋蟷察� �◆孱兇鬘欧弔困弔吠�ける」(分け算)
小学校で「割り算」を教えるとき、子供たちを混乱させないために、この両者を区別する必要がある。「割り算」にも2種類のものがあるということを理解しておかないと、その先に控えている「分数」の意味がわからなくなる。二種類の割り算に対応して、分数にも2つのタイプがあるからだ。
�△離織ぅ廚粒笋蟷擦砲弔い董⊇斗廚陛世鯤簑�しておこう。<6÷2>の「分け算」の場合は、「6の中に2がいくつ含まれるか」と考えるとよりわかりやすい。そしてこう考えることで、「2を何倍すれば6になるのか」ということも自然に理解されるだろう。
実をいうと、「数の計算」では、実体的な�,離織ぅ廚痢岾笋蟷察廚茲蠅癲�機能的なタイプ�△痢嵎�け算」の方が本質的である。�,�ら�△悗痢嵌�躍」ができるかどうか、残念ながら、多くの小学生はここでつまずいている。
したがって、「分数」の意味もわからないままに、ただドグマだけの計算が横行している。訳が分からないまま計算しているわけだから、すぐに忘れてしまう。分数計算のできない高校生や大学生が大繁殖するわけだ。こうした現象の背後に、小学校で「引き算」とともに「割り算」の本質が教えられていないという、日本の初等教育の致命的な欠陥が考えられる。
足し算、引き算、かけ算、と来たので、次は「割り算」の話をしよう。6を2で割ったらいくつになるか。まずは一円玉で考えてみる。
○○○○○○=○○○+○○○
2で割るということは、2等分するということだから、答えは3である。式で書くと、6÷2=3ということになる。それでは6を3で割ったらどうなるか。これは6を3等分すればよい。
○○○○○○=○○+○○+○○
これより、6÷3=2であることがわかる。しかし、一々割り算をするのに一円玉を並べていては不便だろう。何かうまい工夫はないだろうか。そこで、一円玉を3個ずつ積み上げてみよう。そうすると、2段に積み上がる。
○○○○○○=
○○○ ○○○
これより6÷3=2がわかる。そしてこの図は、3×2=6であることを表している。つまり3で割るということは、3に何を掛けたら6になるかということである。そうすると、割り算の問題はかけ算の問題として扱うことができそうだ。
たとえば、12÷3の場合だと、「3に何を掛けたら12になるか」を考えて、3×4=12より、4という答えが得られる。ここでまた、「九九」が威力を発揮する。
12個の饅頭を3人で分けるとき、一人何個ずつ取ればよいかと訊かれたら、私たちは3人が何個ずつ饅頭を取れば12個になるかと考える。このとき私たちは3X=12という式を暗算で解いているわけだ。
そこで、どうして割り算の問題がかけ算の問題になるのか、もう少し論理的に考えてみよう。そうすると、「割り算とかけ算がそれぞれ相手をうち消すような逆の働きをしている」ことがその根底にあることがわかる。
減少は増加の反対であり、より小さいことはより大きいことの反対である。そして、「足すこと」は「引くこと」の反対であり、「引くこと」は「足すこと」の反対である。足し算と引き算はこのように相手をうち消す逆の働きをしている。
そして、「掛けること」の逆の働きをするのは、「割ること」である。しかし、このことは「足すこと」と「引くこと」ほど自明とは言えない。「割ること」はどうして「掛けること」の反対であるのか、まずこのことから説明しよう。
そのためには、「反対」ということの意味をはっきりさせておく必要がある。「あること」をしたとき、その「反対のこと」をしたらどうなるのか。たとえば、3を加えた後、3を引いたらどうなるだろう。答えは「もとに戻る」ということだ。
「3を掛ける」ことをしたあとに、「3で割る」ことをしても元に戻る。つまり、何もしないのと同じである。そしてこれは3だけではなくすべての数にあてはまる。したがって「割り算」は「かけ算」の逆のはたらきをしていることがわかる。
どうように、「かけ算」が「割り算」の逆であることもわかる。 12を「3で割る」ことをしたあとで、そうして得られた数に「3を掛る」ことで、またもとの12に戻る。
○○○○ ○○○○ ○○○○
→(12を3で割る)→
○○○○、○○○○、○○○○
→(4に3をかける)→
○○○○ ○○○○ ○○○○
12→(12を3で割る)→4→(4に3をかける)→12
前半は<12÷3=X>という式で表され、おなじXを使って、後半は<3X=12>と表される。そして、後半の式を解くことで、X=4という答えを求めればよい。
「割り算」の基本概念は「分けること」である。これに対して、「かけ算」の基本概念は「組み立てること」である。12という数字を3つのパートに分けた後、またこれを合体させて12というもとの数字を復元することができる。
「割り算」と「かけ算」がこのように「分解」と「合成」というように、それぞれ相手とは逆の働きをしている。こうした視点に立つことで、「かけ算」と「割り算」の働きや意味がより深く理解できる。数式の向こうに、「割り算」や「かけ算」の豊かなイメージが浮かんでくれば、算数や数学も楽しくなるに違いない。
| 2004年12月03日(金) |
マイナスをかけることの意味 |
数直線上にすべての整数(負の整数、0、正の整数)が並んだところで、いよいよ負の整数を含む足し算や引き算、そしてかけ算を考えてみよう。
�。魁檻検瓠檻�
これはすでに説明したとおりである。原点から右に3移動し、さらに左に8移動すれば、−5という目盛りを持つ数に到達する。具体例としては、3万円のお小遣いしかないのに、8万円もの買い物をしたので、5万円の赤字が出た場合を考えればよい。
あるいは数の増減に注目して、これを<+3−8=−5>と考えれば、「3だけ増やし、8減らしたら、結局5減らしたことと同じである」と解釈できる。このように、数をモノとしてではなく、むしろ<はたらき>として機能的に捉える視点は大切である。
なお、今後簡単のために、数直線上を「左にn移動する」ことを「−n移動する」と書く。そして、「右にn移動する」ことを、「+n移動する」と書くことにする。
�◆檻魁檻機瓠檻� 原点から−3移動し、さらに−5移動すれば、−8という数に到達する。3万円赤字の人が、さらに5万円の赤字を出し、累積で8万円の赤字になった場合を考えればよい。これは「−3から5を引くと−8である」ということだが、<はたらき>という視点で考えれば、「−3移動し、さらに−5移動すると、−8移動したことと同じである」ということになる。
<−3>も<−5>も同等に<はたらき(演算子)>と考えるこの立場は、より高度に抽象的だが、こうした観点から初等数学を見直すことも必要だろう。少なくとも教育者はこの観点を充分理解しておく必要がある。
そうしてはじめて、<3−8=3+(−8)>という考え方が理解できる。「8を引く」と考える代わりに、「−8を足す」と考えるのである。この場合も、<−8>を「−8だけ移動する」と機能的に捉えることができれば、それほどむつかしくはない。
さて、次はかけ算である。これも、+、−、×を<はたらき>として、機能的に捉えることができれば、少しもむつかしくはない。だだしここでひとつ「飛躍」がある。−という記号に、<減少>に加えて、<反転>という概念(操作)を加えることだ。
��−5×2=−10 これはふつうのかけ算として理解できよう。原点から−5という点まで線分で結び、矢印←をつけよう。この矢印の長さを2倍したとき、矢印←−の先が指すのは−10という数字である。5万円の借金を2倍すると10万円の借金になると考えればよい。
具体例として借金を例にとれば、数式の意味もわかりやすい。小学生にも理解できるだろう。しかし、問題は次のような「マイナスを掛ける」という場合である。
�ぃ機漾福檻院法瓠檻�
原点から5という点まで線分で結び、矢印→をつける。そして、これを原点を中心にして180度回転させる。そうすると矢印は反転して←となり、その先が−5という数を指す。
つまり、マイナスを掛けたときは、掛けられた数字の矢印を反対方向に回転すると考えればよいわけだ。何故こんなルールを作ったのだろう。そこでこの疑問を解決するために、まずはこれに該当する具体例をいくつかあげてみよう。
<具体例1> 壁に向かって、5m/秒(数直線の正の向き)の速さでボールを投げたところ、同じ速さで向きを変えて、−5m/秒の速度で跳ね返ってきた。
<具体例2> バネを5センチメートル伸ばして放したら、反対側に5センチメートル縮んだ。
<具体例3> 5億円を事業に投資したら、経営に失敗して、反対に5億円の借金を作ってしまった。
�ァ檻機漾福檻院法瓧� 原点から点−5まで矢印←でむすび、これを原点を中心に反転させる。このとき、→の先が5という数を指している。具体例として、�い両豺腓竜佞鮃佑┐譴个茲ぁ�
<具体例1> 壁に向かって、−5m/秒(数直線の負の向き)の速さでボールを投げたところ、同じ速さで向きを変えて5m/秒の速度で跳ね返ってきた。
<具体例2> バネを5センチメートル縮めて放したら、反対側に5センチメートル伸びた。
<具体例3> 5億円借金をして事業に投資したら、経営に成功して、反対に5億円の貯金を作ってしまった。
さて、これらの具体例で<マイナス掛けるマイナスはプラス>になることが納得されたであろうか。まだ頭の中がモヤモヤしていて納得できない人もいるだろう。そこで、もう少し本格的で論理的な説明を加えよう。
それは、<−5×(−1)=<5×(−1)×(−1)>と考えるのである。(−1)は矢印を反転させるわけだから、これを繰り返せばもとにもどるわけだ。そうすると、「マイナス掛けるマイナスがプラス」というのは、「否定の否定は肯定」というよく知られた論理的命題と同じだということがわかる。
そしてこの論理を疑う人はいないだろう。マイナスを掛けるということは、基本的にはこうした論理的要請からきているわけだ。私は数学は言語だと考えている。したがって言語に要請される「論理性」は数学にも要請される。いやむしろ、純粋に論理的な言語が数学だと言ってもよい。
6個のリンゴから2個のリンゴを取り去れば4個のリンゴが残る。これを数式で表せば、< 6−2=4>である。
それでは、6個のリンゴから6個を取り去ったらどうだろうか。リンゴはなくなってしまう。これをあえて、リンゴが0個になったと言うことにしよう。そして、<6−6=0>という式で表すことにする。
それでは、2個のリンゴから6個を取りさることはできるだろうか。現実問題として、そんなことはできない。したがって、2から6を引くことはできない。だから、<2−6>という式は答えを持たないことになる。
しかし、問題をリンゴからお金に変えてみよう。2万円持っている人が6万円使うことはできないだろうか。リンゴの場合とちがって、誰かから4万円借金すれば使えないことはない。この場合、次のような式が考えられる。
2万円−6万円=借金4万円
ここで、借金4万円を<−>という記号を用いて、−4万円と書くことにしよう。そうると、次のような式が書ける。
2万円−6万円=−4万円
考えてみれば、リンゴの場合も、<4個不足する>という意味で−4個と書けないことはない。そうするとリンゴの場合も、次のような式で書くことができる。
2個−6個=−4個
数直線の場合はどうだろうか。<2−6>の場合は、原点<0>から右に2だけ移動したあと、左に6移動しなければならない。途中の<0>で立ち往生しないためには、数直線を左側に延長し、−1,−2,−3,−4,・・・・という目盛りを付け加えればよい。これはこれまでの0と正の整数(自然数)に、さらに負の整数を付け加えるということである。そうすると、数直線上でも、足し算にくわえて引き算までが自由にできる。
2−6=−4 5−6=−1 3−8=−5
ここで左辺の式の中の−記号は、<引き算>を表している。そして、右辺の−記号は、それが負の数であることを表している。便宜的にこの両者を同じ−記号で代用することにする。以上で負の数がいかに誕生したか、その概略を説明したが、数学史を繙いてみると、道はそれほど平坦ではなかったことがわかる。
負数の存在を初めて意識したのは中国人だといわれる。1〜2世紀頃に成立したといわれる「九章算術」において、連立1次方程式を解く際に「正負術」として、赤黒の算木の使い方が示されている。この正負という言葉が今も使われている。しかし、中国の算術はその後、本格的な数学へとは発展しなかった。
インド人もまた早くから負の数を意識していた。たとえば7世紀のインド数学者バースカラは方程式の根として正根負根を与え、「しかし、第二の値(負数)はこの場合採用していない。なぜなら、世人は負根を是認していないから不適当である」と述べている。ちなみに、ゼロ<0>が初めて使われたのはインド(867年)である。
ヨーロッパでは、フィボナッチが1202年に「そろばんの本」を書き、負の数を表したが、一般的には、<2−6>は不可能と見なされていた。過不足をあらわす+−の記号は、1489年にドイツのウィドマンが使った。和と差を表す+−の記号は、1540年にイギリスのレコードが使った。−4などの負数が市民権を得てひろく使われるようになったのは16世紀の終わり頃になってからである。
もともと数字(自然数)は「物の個数」を表すものだった。さらに1cmとか1gとか、1立方メートルとかの「単位量」を決めることによって、その物が「単位量」の何倍あるかによって、「物の量」を表すものだった。
しかし、0やマイナスの整数が自然数に加わることで、数字が「物の個数や量」を表すという素朴実在論は成立しなくなった。数字が表すのは、「ものがどのくらいあるか、ないか、不足しているか」という「物の数量的な状態」と考えるべきである。
もう少し補足すれば、<2−6>の「引き算」が理解できないのは、「2から6を取りさる」という実体的概念に囚われているからであって、「2は6よりも4だけ小さい」という風に、「大きいか、小さいかを比較」することだと考えればよいのである。
つまり、数字を実体概念としてではなく、状態概念、もしくは機能概念として捉えることが必要になるのだが、多くの子供たちはこうした飛躍についていけない。それはこの「飛躍」を明確に意識させようとしないからである。
私は子供たちがおかれている困難な状況の原因の多くが、こうした貧困な数学教育のあり方に由来していると考えている。思考上の「飛躍」を意識せず、その存在すら知らないまま、算数や数学を単なるドグマとして子供たちに押しつけている教師がほとんどではないだろうか。これは私自身への反省でもある。
ギリシャ人は0や負の数の存在を認めなかった。そこには数を「実体」だと考える強固な意思が感じられる。インド人は0を発見したが、それはインド人が「空」の思想をもっていたからかもしれない。すべての存在は実体を持たず、「お互いにお互いを支え合って存在する」という思想はきわめて現代数学的である。
(参考文献) 「数学入門上下」 遠山啓著 岩波新書 「文化としての数学」遠山啓著 国民文庫 大月書店 「数の現象学」 森毅著 朝日選書 朝日新聞社 「やりなおし基礎数学」 小野田穣二 ちくま新書 「数学を愛した人たち」 吉永良正 東京出版
(参考サイト)「算数教材リンク集」 http://www.nsknet.or.jp/~katchi/comp/link/sansuu.html
| 2004年12月01日(水) |
かけ算と足し算の架橋 |
「九九」を覚え、かけ算を「面積」のイメージで捉えられるようになったら、次ぎに、「足し算」との関係を学習させるとよい。たとえば、3+3+3+3のような同じ数を繰り返して足し算するとき、かけ算が役に立つことを、「一円玉」を使って教えるのである。
○○○+○○○+○○○+○○○=
○○○ ○○○ ○○○ ○○○
=3×4=12
このやり方を理解できれば、次のような計算が「九九」を用いて、たちどころに出来てしまう。 5+5+5+5+5+5=5×6=30 7+7+7+7=7×4=28 8+8+8+8+8+8+8+8=8×8=64
足し算をかけ算で置き換えるこの方法は、子供たちにとって大きな驚きだろう。足し算が「徒歩」だとしたら、九九を使ったかけ算は、まさに「ジェット機」である。地面を離れて、たちどころに私たちを目的地(答え)にまで連れていってくれる。かけ算や九九の威力をまざまざと実感するにちがいない。
さらに、かけ算のブロックを崩して、かけ算を足し算に直すことも経験させておこう。たとえば、3×4=3+3+3+3=12である。これを「一円玉」であらわしてみる。
○○○ ○○○ ○○○ ○○○
=○○○+○○○+○○○+○○○ =○○○○○○○○○○○○
ここで大切なことは、「面積」で捉えられていた「かけ算」のイメージが崩されて、一本の線分として与えられたことである。これは本来「面積」を表すと考えられていた3×4という式そのものが、一つの数12に対応していることを示している。言い換えると、3×4という数もまた、「数直線上の1点」として表すことができるということだ。
これは何でもないように思えるかも知れない。しかし、これは実はそれほど易しいことではない。ギリシャ人は幾何学の天才だったが、このことを知らなかった。そのため、人類はこのことを発見するために何百年という歳月を要している。
私たちがギリシャ数学の呪縛から完全に自由になれたのは、デカルトのおかげである。彼は「数直線」を発明し、3×4という式が表す数字もまた、この数直線上にまったく同等の資格で席を占めることができると考えた。これによって、本来次元が違うと思われた2次式と1次式をひとつに並べて、a×b+cなどと書けるようになったのである。
そしてここから、かけ算の新しいイメージが立ち現れてくる。それは、3×4という数を表す点Bは、原点からみて、3という数があらわす点Aまでの距離を4倍に拡大して得られる点に等しいということだ。式で表せば次のようになる。
OB=4OA
つまり、「数直線」を使えば、数の足し算はその数だけ「移動する」ことで与えられ、かけ算は原点からの距離をその数だけ「拡大」することによって与えられる。これによって、私たちは一本の「物差し」の上で、数の足し算やかけ算を行う自由を得たのである。
しかし、この自由はまだ完全なものではない。この物差しの上で「引き算」を行おうとすると、ときどき不都合なことが起こってくるからだ。この不都合を解消するために、私たちは「マイナス」という新たな数を発明することになった。
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