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■ 交通安全のハートのこと。
今更ながら高校生らに混じって自動車教習所に通っている。 昨年12月の自分の誕生日から始めて、仕事をしながら ゆっくりゆっくり通っている。
なんてきちんとしたところなんだろう、と思う。 法律と密接にかかわりあった学校であり、最近特に厳しくなっている 免許制度なのだから、時間厳守から何からすべてけじめをつけて きちんと成り立ったところである。
面倒見がひたすら良い、というのはわたしの通う教習所に 限ったことではないのかもしれない。 教官それぞれがきちんと、しかし自らの経験に則った親身になった 授業をしてくれる。
今日の学科は、感動してしまった。 いつも、はっきりいって口の悪い感じの否めない教官。 彼の授業だった。タイトルは「事故の悲惨さ」。 わたしは彼の態度を、けっこう気に入っていた。 軽そうに見せかけて、誰よりも真剣に生徒のことをかんがえ、 誰よりも心を込めた仕事をしている。 その微妙なバランスが、彼にとって天職ともいえる教官の仕事。
バイクの事故で当時16歳だった弟を亡くしたことが、彼が 教習所の教官になるきっかけだった、とさりげなくその トークにいれる。 酔払い運転にはねられて亡くなった当時19歳のわたしの友人を 思い浮かべた。
今日の授業。 教科書なんてほとんど使わず、教官が免許をとった若き日のこと、 弟のこと、たくさんの事故のこと、人生のこと、そして何よりも、技術をこえて 心で運転をするということを、彼は語った。
ほんとうにほんとうに、わたしは「安全運転の大切さ」を 腹の底のほうにしっかりと植えつけられたようにさえ感じた。
昨年、約八千七百人が死んでいる。 わたしは、わたしがいつか免許をとって心で運転をすることで、 脳裏に蘇るあの友人の死をおぼえ、もっともっと安全運転を広めたい。
どこかの標語や免許センターにある「安全運転」ではない。 自分の中にある、ハートを。
2002年03月07日(木)
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