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■ 行間の気持ちが想う。
自己紹介文を書くというのが、苦手なのだ。 つまり、ごく一般的に、わたしはどこそこ出身で どこに所属していて何をしていて、などなど 現在のわたしには一言で説明しきれないものばかりを いわなきゃならないことになる。
わたしは生まれたのは仙台だが、住んでいたことが無いため 「出身」ではない。いわゆる転勤族というやつだったので、 「出身地」に相当する土地が無い。 出身地というところに根を下ろしているという感覚で ある意味ほっと安心しているひとは少なくない。 わたしにしてみればそんな感覚はないし、逆にひとつところに いるということで落ち着かなくなる性分だ。
そういうわけで、わたしの苦手なジャンルのひとつに 「自己紹介」というのがある。ましてや文章にするなど苦しすぎる。 それから「日記」だ。きょうはどうしたああした、などという 平坦な文章を書くことほど息苦しいものはない。
だからこのページも「日記」というタイトルがついているのが 正直いって気に食わないのである。
最近、自己紹介文を手直しされることがあって、自分は素直に 明確な文章を書いていないということが良くわかった。 つまり、逃げている。 はっきりしていて、ちょっとつまらない文章になおされていた。 フツーだった。 でも世間的には非常に無難だ。
ありきたりの自己紹介文なんてつまらないし、死んでもいやだ。 だから印象的な文章で、いつも余韻をたくさん残す。 読む人に感じ取ってほしいといつも想ってる。メルマガもそうなのだろう。
だから、誤解される。 正反対の意味にとられてしまうこともある。 まったく理解されないこともある。 逆に、感激され、愛されてしまうこともある。
自己紹介文や、この「あふりかくじらノート」を、 「すてきな詩だね、詩人だなぁ」と言われてしまったこともある。 はなはだしい誤解である。 その評価は、こう言うのも悪いけど、あまりにもセンスが無い。 詩人といわれるのは、大嫌いなのだ。 ほめことばじゃなくて、理解されていないことの証明みたいなもんだ。
それでも、これでもかというほど行間の余韻をたっぷりさせた 文章を好むのである。
どうか、ちょっとだけゆっくり読んでいただきたい。
2003年11月19日(水)
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