無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2003年07月11日(金) だからそれはラクな意見なんだってば/映画『バトル・ロワイアル�供…炭臆痢淵譽�イエム)』

 鴻池祥肇(こうのいけ・よしただ)防災担当相が、今日午前の記者会見で、長崎市の駿ちゃん誘拐殺人事件について「嘆き悲しむ(被害者の)家族だけでなく、犯罪者の親も(テレビなどで)映すべきだ。親を市中引き回しの上、打ち首にすればいい」と発言。
 政治家の問題発言も多々あれど、これ、戦後一、二を争う「迷言」ではなかろうかね。
 加害者が12歳だったってことで、刑事責任を問われない、だったら誰がこの事件の責任を取るのか、ってことで、怒り心頭に発したのだろう、と好意的に解釈してあげられなくもないが、それにしても「市中引き回しの上、打ち首」という、アナクロと言うか自我肥大な表現が笑いを誘わずにはいられない。飲み屋でクダ巻いてるオッサンとレベルが変わらんがな。
 「打ち首」云々を一つの比喩として受け取ってあげたとしても、「加害者の親を公共の場に引きずり出せ」という主張はマトモな論理ではない。親を出して謝罪させて、そのあとはどうするの? 実際に犯罪者を育てた罰として収監でもさせるの? 名前も住所も晒されたら、もう今住んでるとこにはいられなくなるよねえ(既にそうなっている可能性もある。2ちゃんで晒されてるらしいし)。それどころかリンチに遭って殺される危険だってある。リンチを推奨する気か、このオッサン。
 不用意というより、自分が何を喋ってるのか、その客観的な意味を認識する能力自体、著しく欠けているのだ。昨日の日記にも書いたことだけど、こういうヒトは、自分の身内から犯罪者が出る可能性ってのを全く考えてないんだろうねえ。自分のコドモ(がいたとしたら)が犯罪起こしたら、自分で自分を引きまわすんかな、この人は。
 このオッサンの意見に拍手喝采してる子持ちの人、自分の子供が事件起こしても、ちゃんと自分が「打ち首」になる覚悟をした上でモノを言おうね。

 けど、こういうアホウが「青少年育成推進本部」の副本部長を務めているとなるとあまり笑ってもいられなくなる。短絡的な思考の人間は、たいてい短絡的な「取締り」に走るものだ。「少年法改正」程度で収まりゃいいけど、「親子関係の監察」とか言って、家庭の躾にまで行政が関与してくるようなことになったらどうするのよ。
 つーか、「そういうこと」を主張してる連中、既に現実にいるんだからね。いわゆる「隣組」の復活を目論んでるやつらだよ。
 有事三法案の成立に関連して、自民党の部会で、「小学校単位の新しい『隣組』制度をつくるべきだ」って意見が出てるんだよね。なんかねー、「とんとんとんからりっと隣組♪」なんて歌もあるから、コトバだけを聞いたらこの「隣組」ってすごく牧歌的な印象あるけど、実際はこれ、戦時中に住民相互監視のために大政翼賛会の下部組織として作られたものなんだよねー。非国民や不穏分子は隣組さんがちゃんと特高に密告してくれるのだよ、ありがたい話だ。
 親子の絆や、隣近所の人間的な結び付きが薄くなってるのを憂えるのはわかる。今回の事件も、もしかしたらそういうところに原因があるのかもしれない(ともかく、事件の概要すらわからぬ時点で「親出てこい」とか言ってること自体、大バカなのは明らかなのだが)。
 けど、人と人とが付き合ってく中で自然発生的に生まれた相互協力組織ならばともかく、それを「政治」で何とかしてもらおう、とか親たちが考えたとしたら、それこそただの「責任放棄」ではないの。
 子供がだよ、自分の親やご近所の人たちや学校の教師が、自分のことを「国に命じられたから仕方なく見てるだけ」なんだって思っちゃったら、感謝とか尊敬の念を抱くようになると思うかね。
 「親がダメだから行政で何とか」という発想は、状況を客観視できないばかりか、逆に悪化させるタネすらそこに埋めこんでるのだ。

 どんなにキヨラカな環境に育っても、どんなに親が教育熱心だったとしても、子供が変態に生まれついたらそれで終わりだよねえ。そんなのもともと、誰かに責任を問える問題ではないよ。政治や教育で生得の変態が更生できるの? それは医者の仕事なんじゃないの?
 事件自体は悲しむべきことなんだけれど、所詮これは社会が肥大すれば変態の一人や二人は生まれるっていう「確率」の問題でしかない。事前に察知して犯罪の芽を摘むなんて不可能に近いし(子供全員に定期的に変態度チェックでもするか? 確実な査定方法なんて存在しないよ)、「コイツは将来必ず犯罪を犯す」なんて理由で収監できるはずもなかろう。日本をまた警察国家にしたいのかい。
 今できることなんてねえ、まあ少年法改正の論議をしたきゃしてもいいけど、結局は事件起こした変態を収容できる病院の数を増やせ、くらいのことしか言えないわな。病院の数が少ないから、いったん収容した変態をまた野放しにしなきゃならなくなるんじゃん。そのための資金を加害者の親から出させろっていうんならまだ納得はできるんだけどね。

 で、件の鴻池氏、小泉首相にも「不適切な表現だ」と指摘されて、「(打ち首などの表現は)これから使わないようにする」と釈明したそうだけど、じゃあ次からは「遠島だ」とでも言い換えるのかねえ(^o^)。
 だってこのヒト、まだ「勧善懲悪の思想が戦後日本に欠けている。日本中の親が自覚するために、担任教師や親も全部出てくるべきだ」とか言ってんだわ。「あの少年は“善悪の区別がつかない”から犯罪を起こした」とか思ってんだよ。あのね、たいていの「悪い人」ってのはね、それが社会的には悪いことだとわかっててもやっちゃうものなの。厳しいルールが犯罪の抑止力に全くならないとは言わないけれど、いくら厳しくしても、悪いことする人間が生まれるのが世の中ってものなの。気休めとコトナカレの法律で国民を縛っても、結局取り締まられ、「悪い人」に仕立てられて迷惑する人の大半はごくフツーの人なんだよ。
 いったいアンタは世の中の何を見てこれまで生きてきたの?
 政治家の汚職も「善悪の区別がついてない」から起きるんだろうねえ、この人の脳内では。

 瀬戸内寂聴もなんか「昔はこんな少年の凶悪犯罪はなかった」とか嘘八百並べてるなあ。世間知らずが堂々とモノ言える世の中にしちゃってることのほうがよっぽど青少年育成の弊害になってるんじゃないかね。


 『ビックリマン』シリーズのヤマト王子&ヤマト神帝、『北斗の拳』のリン、『忍たま乱太郎』の喜三太などを演じられていた青二プロ所属の声優、鈴木富子さんが、7月7日、急性心不全のため死去。享年47。
 年齢を隠すことの多い声優さんは、亡くなって初めて「そんな年だったのか」と思うことが多いが、鈴木さんの場合は「そんなに若かったのか」。
 フィルモグラフィーを見てると、結構見てたアニメも多いんだけれど、これと言って特筆すべき作品は見当たらない。前記の代表作も、「鈴木さんでなければ」というものでもない。けれど、ケレン味がなくても、堅実な演技でワキを固める役者さんもまた作品には必要なわけで、そういった中堅の役者さんの層が薄いことが最近の映画やアニメをつまらなくしている原因の一つであることも事実である。きっと「これから」の人だったんだろうに。
 『劇場版ポケットモンスター アドバンスジェネレーション 七夜の願い星 ジラーチ』のジラーチ役が遺作となる。


 今日もまた篠突く雨の中、夕方からワーナーマイカル福岡東まで、映画を見に行く。
 途中、初めて「博多屋台村」に立ち寄って食事。
 まあ随分と狭い空間の中に、ラーメン屋だのカレー屋だの居酒屋だの、出店を詰め込んだものだ。通り道が人がすれ違う程度の幅しかない。ちょっとお客が立てこんだだけで、これはすごく混雑するのではないか。夏場なんかはムシムシしそうである。
 しげに「どこの店がいい?」と聞くが、「どこでもいい」と反応が鈍い。さっきまではどんなところが興味津々だったのに、いざ来てみると予想と違っていて幻滅したらしい。
 「イヤなら、ほかで食事するか?」と言うと、「いいよ、ここで」と投げやりな返事。いかにもイヤそうな顔はするくせに、自分の意見をちゃんと明示はしないのが相変わらず卑怯。心底イヤなら「ほかで食べよう」とハッキリ言えばいいのに。あるいはちょっとくらい不満があってもせっかく来たんだから、「じゃあこの店に入ろう」と言うくらいの心遣いはあってもいいと思うのだが。
 と言うことも何度も言ってるのにこいつはホントに記憶力がない。私に迷惑かけるだけならばともかく、誰に対してもこの調子だから困るのである。食に関してワガママなおかげで、ずいぶん周囲にも気を遣ってもらってるのだが、いくらそうしてもらっても、本人がまるで気がついていないから、遣うほうも遣いがいがないこと夥しいのである。
 とりあえず、一軒の店を選んで食事。卵焼きに焼きそばを頼んで、二人で分ける。こういう屋台の常として、やや割高感があるが(昔の「安い」が売りものの屋台と違って、今の博多の屋台は妙に名物化したせいか、ちょっとしたレストラン並に高い)、味はまあ、悪くはない。
 店を出たあと、何が気に入らなかったのかを聞いてみる。
 「だって、外から丸見えやん。通りがかりの人が『へへ、こいつあんなもの食ってやがるぜ』とか思ってたらイヤやん」
 思うか馬鹿。そういうのを被害妄想と言うのだ。
 つーか、自分自身がレストランとかで食事してる人をそんなふうに見てるってことじゃないか。なんて陰険なやつ。
 それに、そんなに人に見られるのがイヤなら、ちゃんと食材買って家で料理作ればいいじゃないか。やっぱり生き方間違えてるのである。


 何の映画を見るかははっきり決めてはいなかったのだが、ワーナーに着いてみると、一番早い時間の映画が『バトル・ロワイアル�供…炭臆痢淵譽�イエム)』だったのでこれを見る。
 深作欣二の遺作と言っても、彼自身はリハーサルだけで燃え尽きてしまい、実際にメガホンを取って撮影したのは前田愛が父親の描いた絵を見る部屋のシーンだけである。実質的にはあとを継いだ深作健太監督の第1回監督作、と言ったほうが妥当だろう。

 前作のラストで生き残った七原秋也(藤原竜也)は、今や首都崩壊テロを起こした反BR組織・ワイルド7のリーダーとなっていた。
 彼を屠るためにBR法は改正され、問題児ばかりが集められた鹿之砦中学校3年B組の生徒たちが、七原秋也の立て籠もる戦艦島に攻め込むように強制される。かつて七原秋也に付けられていたものと同じ時限爆破装置付きの首輪を嵌められて。
 銃が配られ、生徒たちは上陸作戦を開始する。しかしワイルド7の銃弾は次々と彼らを倒して行く。それは、まさしく「戦争」だった。

 「ワイルド7」ってネーミングはちゃんと望月三起也に許可取ったんかとか、老いたレジスタンスの三村真樹雄(千葉真一)と七原秋也の別れのシーン。こ、これ、まんま『さよなら銀河鉄道999』の冒頭シーンではないの、とか、そんなところが真っ先に気になってしまうが、まあ文句のつけどころは腐るほどある映画である。
 だいたいタイトルに偽りありで、既に話は「バトルロイヤル」ではない。ただの「戦争映画」である。
 前作同様、今回も「あと○○人」のテロップが表示されるが、あれは「殺し合い」だったからこそ「次は誰がなぜ死なねばならないのか」、という死の不条理を象徴する効果があったのである。それぞれに持たされていた武器だって、前作では千差万別だったのに今回はみな一律に銃を持たされている。これではキャラクターの描き分けもなされぬままで、生徒がどんどこ殺されてっても悲壮感一つ生まれない。
 前作とちょっと設定を変えて、出席番号一番同士の男女がペアになってて、片方が死ぬともう片方の首輪も連鎖して爆発して死ぬのだけれど、これも映画をとっとこ進行させるための「人減らし」にしか見えないのだ。前作では早めに死ぬキャラだってよく描かれてて結構目立ってたのだが、今回は殆どの生徒がただ死ぬだけで記憶に残らない。健太監督、キャラクターを描くことを放棄しちゃったんではないか。
 今回の主役、青井拓馬(忍成修吾)が感情移入のしにくいキャラクターであるのも弱い。感情的ですぐにキレるために母親(三田佳子)にも見捨てられてるという設定だが、ホントにすぐ切れて絶叫ばかりしてるので、最初コイツが主役とは気づかず、すぐ死ぬんじゃないかと思ってたくらいだ。キレやすいやつだけど、実は雨の日に濡れそぼっている捨て猫を拾って助けてるとか(^o^)、優しいとこ見せる描写でも入れとかなきゃ、客は乗れないてば。浅倉なお(酒井彩名)がどうしてこんなのが好きなのかもよくわからない、つまり主役級のキャラについてすら、描写不足が目立つのである。
 監督の眼はどちらかというともう一人の主役、キタノシオリ(前田愛)の方に注がれ過ぎていたのではないか。彼女がバトル・ロワイアルに参加したのは、父親を殺した七原秋也への復讐のためではない。父親の残した絵の中に女神のように描かれていた少女が、自分ではなく中川典子(前田亜季)であったこと。生前の父親を「オジサン」と呼んで嫌っていながら、実は自分も父親に拒絶されていたことを知ったとき、父親の心を捉えた中川典子とはどんな少女だったのか、彼女はそれを知らないではいられなくなった。
 キタノは確かに実の娘を拒絶した。しかし、キタノが最期に「人を本気で憎むことがどういうことなのか考えろ」とメッセージを送ったのも娘であった。その二律背反ゆえに、シオリはただの嫉妬でも復讐でもなく、七原に接触せざるを得なくなるのである。
 この描写は実に面白いのだが、でもどっこい、演じる前田愛の演技力が今一つなのがねえ(-_-;)。それと前田愛、ちょっと顔が丸くなり過ぎてるんじゃないか。こっちも前田亜季に演じさせたかったような。
 桜井サキ(加藤夏希)の弟とのエピソードも、教師RIKI(竹内力)が妹を秋也のテロで失っている設定も、ムダに話を混乱させているばかりである。筋がストレートで一気に話を展開させているようでいて、実は途中途中で退屈な描写が多いのである。

 じゃあ、つまんなかったかというと、見てる間は実に面白かったんだよねえ、この映画。なぜって、これ、徹底的な「反米映画」になってたのよ。そんなん、ここ10年くらいエンタテインメント映画の中では殆どなかったんとちゃうか(『ちんちろまい』の中で武田鉄矢が「アメリカとも一度戦争して勝つ!」と酔っ払って言ってたけど)。
 教師RIKIが黒板に「これまでアメリカに空爆された国」を列挙するシーン、七原秋也が電波ジャックして世界中のテロリストたちに檄を送るシーン、この二つのシーンがシンクロして、アメリカが「正義」という自国のアイデンティティを維持するためだけに戦争をし続けていることを重層的に描き、実は大人も子供も、戦うべき真の相手が米帝国主義であることを明示する。そして七原は例のアメリカを敵とする国でレジスタンスを続けるのだ。
 単純過ぎるほどに単純な論理だし、その主張に異議を唱えたくなる人もいるだろう。「テロリズムを肯定する気か」とかなんとか。でもそれがこの映画のまさしく主張なんだから、恋愛映画を見て「なんで恋愛をテーマにするんだ、オレは恋愛が嫌いだ」と文句つけるのと同じことで、それは全くの筋違いというものである。
 だいたい、アメリカべったりの主張だって単純なことに違いはないのだ。ここまで堂々と「アメリカにテロしかけて何が悪い」と言い切られては、むしろその単純さゆえに「映画としては」これを評価しないわけにはいかない。映画を映画として楽しむやり方を知らない人間はまた激怒したりするんだろうけどね。

2002年07月11日(木) 灰色の巨人/『サトラレ』3巻(佐藤マコト)ほか
2001年07月11日(水) 変と変を集めてもっと変にしましょ/『コミックマスターJ』7巻(田畑由秋・余湖裕輝)



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藤原敬之(ふじわら・けいし)