無責任賛歌
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| 2004年07月28日(水) |
会話のナカミがウスくったっていいじゃないの……ねえ。 |
自分がオタクであるかそうじゃないのか、ということをいちいち気にするこたあないと思うのだけれども(そんなもんでアイデンティティーが左右されるなんて考えていること自体、情けないのだが)、ふと日常のハザマで、そういう自分の業と言うか性(さが)と言うか、自らのあり方を問われるような瞬間に出くわすことはあるものだ。 例えば仮に、電車の中で、向かいに座ったいかにもなバカップルが、こんな会話をしていたと、ご想像いただきたい。 「ねエねエ知ってる? 『ドラえもん』のしずかちゃんの名字」 「え〜っ? 知らない〜。アンタ知ってんの〜?」 「知ってるよ〜。常識だよ〜」 「何ナニ、教えてよ〜」 「あのね〜、『ミヤモト』って言うの。宮本武蔵から取ったんだよ」 「わ〜スゴ〜イ、アンタもの知りなんだ〜♪」 ……どうでしょう、あなたがしずかちゃんの“本当の”名字をご存知だとして、あなただったらここで、たとえ向かいにいるのがアカの他人であったとしても、何かヒトコト言ってやりたいという衝動にかられないでしょうか。 ……ちょっと以前にも、こういうことがあった。 劇団の練習中、雑談で手塚治虫の話題が出た時に、今や「歩く無知」が代名詞となっているところの穂稀嬢(ハカセ)が、これなら私も話題に乗れる、とばかりに嬉々としてこう言ったのである。 「私も見てましたよ〜、『ふしぎなメルモ』」 こりゃまた、えらく古いアニメを知ってるものだなあ、そのころハカセ、生まれてたっけ? もしかして再放送で見たのか、あるいはリニューアル版のことだろうかと思って、聞いてみた。 「どんな内容だったか覚えてる? キャンデー嘗めたらオトナになったりコドモになったりするんだけど」 「え〜? そんなんでしたっけ? 私が見てたメルモは女の子と友達になる話でしたけど」 はて、そういうエピソードもあったっけ? と首を傾げていたら、続けて穂稀嬢、こんなことをホザきやがったのだ。 「あれでしょ、メルモって、『トンガリ帽子』をかぶった」。 ……はい、みなさん、ご一緒に。
「それは『トンガリ帽子のメモル』だっ!凸(`△´+)」
まあ、穂稀嬢のような女の子が近くにいる場合にはこういう経験はしょっちゅうするのだけれども、まさか職場で似たような目に合うとは、予想もしていなかったのである。ここからが本題。
今日、昼休みに、同僚の二人がこんな会話をしていたのである。一人は30代半ばの男性Aさんで、もう一人は20代後半の女性Bさん。ちなみにAさんは、以前私に、「六月ってこんなに雨が降ってるのにどうして『水無月』って言うんですか?」と質問してきた人だ。 A「……『ムーミン』好きでしたねえ、アニメ、よく見てましたよ」 B「私、まだ生まれてなくて、アニメの方はよく知らないんですよ。原作は1冊だけ読んでるんですが」 A「原作読んでるだけですごいですよ。私はアニメだけですから。ちなみに好きなキャラクターは何ですか?」 B「やっぱりスナフキンですね。Aさんは?」 A「私はノンノンです」 B「ノンノン?」 A「ノンノン知りません? ムーミンの彼女ですよ」 B「それって、『スノークのおじょうさん』のことですか?」 A「スノークは男ですよ! ノンノンはスノークの妹です」 B「だからそれがスノークのおじょうさんじゃ……」 A「Bさん、ヘンですよ。スナフキンやスノークを知ってて、ノンノン知らないなんて」 B「でもノンノンってキャラクター、原作には出てこなかったような」 A「ノンノンはあれですよ、ムーミンと同じで『カバの妖精』で」
「カバじゃねえ、あれはトロールだ!」と心の声が爆発した。 ここでついに私がガマンできなくなってしまったのも、どうかお察しいただきたい。私はできるだけさりげなく、声にトゲが混じらないように優しく、二人の会話に割りこんだ。
私「『ノンノン』ってのは『スノークのおじょうさん』のことですよ」 B「やっぱりそうなんだ! ……でもどうして名前が違うんですか?」 私「『ムーミントロール』や『スノーク』っていうのは個人の名前じゃなくて、種族の名前なんです。彼らは固有の名前というものを持ってないんですよ。だからムーミンパパに子どもができる前は彼がムーミントロールで、今のムーミントロールに子供ができたら、今度は彼がムーミンパパになって、その子どもがムーミントロールになるんです」 A「じゃあ、『スノークのおじょうさん』と言うのはスノークの娘ですか?」 私「『おじょうさん』というのは『実の娘』という意味じゃなくて、スノーク一族の女の子、くらいの意味です。『スノーク・フローレン』ですね。アニメにする時、名前がないのは日本人の感覚としてはおかしいからと言うんで『ノンノン』という名前を付けたんです」 B「じゃあ、スナフキンというのも種族の名前なんですか?」 私「いえ、あの一族には個人名があるんです。ミムラ、ミイ、スナフキンは兄弟です」 B「あの3人、兄弟だったんだ!」 私「原作の設定ではですね。これ言うとびっくりされること多いんですけど、実はミイのほうがお姉さんです」 B「……逆に見える」 私「それから、『スナフキン』というのは英訳された時の名前で、フィンランド語の原音では『スヌスムムリク』と言います」 A「……そっちの名前じゃ、アニメには向かないですねえ」
後半は完全に知ったかぶりのサロンの馬鹿になり果ててしまったが、Bさんに「スナフキンの本名が分かってよかった!」と喜んでもらえたのでヨシとしよう。もちろん、「ムーミンはカバではない」ことも強調しておいた(~_~;)。 別に、知り合いであろうとなかろうと、間違いを訂正しなきゃならない理由はないのである。仕事上のミスとかじゃなくてただの雑談なんだから、「真実」を追い求めなきゃならないほど切実なことでもなんでもない。 それどころか、こんなお節介ばかりしていると、間違いを指摘されたことで逆に立腹されてしまうことだってある。たとえそれが些細なこと、マンガやアニメの話であったとしても、人によっては「恥をかかされた」と思いこんでしまうこともあるのだ。ヘリクツをこね、ムキになって反駁してこられたり、高慢だの差別的だのと見当違いな誹謗中傷を浴びせられたりすることもある。余計な口出しをしない方が無難だし、リコウな生き方なのである。そんなこたぁ、わかっちゃいるんだ。わかっちゃいるんだけどよう(T∇T)。 オタクかどうか、というよりも、まだまだオトナになれてねえよなあ、オレ、っていうのが今日の感想でありました。マル。
放置するわけにもいかないやな、と覚悟して、仕事帰りに歯医者へ。 以前通ってた歯医者は、知り合いのところではあるんだけれどもヤブで(-_-;)、歯石取り損ねて前歯全部に傷つけてくれたんで見限った。だいたい今度歯が折れたのもその傷が遠因になってるのである。 職場から歩いて3分のところに歯医者があったので、飛びこみでそこに行く。田舎の歯医者で街道からも逸れたところにあるので、客は少ない。そう待たずに診てもらえたが、レントゲンを撮ってもらうと確かにこのまま放置していると黴菌が入りこんで化膿する危険がある、ということである。さっさと剥き出しの神経を取っちまって、上から固めたほうがいいらしいのだが、糖尿なので一日で処置してしまうのはあまりよくないとか。しばらく通って、少しずつ神経を取っていくことにする。
博多駅の紀伊國屋でDVDと本をいくつか購入。 DVDは『鋼の錬金術師』7巻や、『ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL』7巻(完結)など。
今日読んだ本、縄田一男『捕物帳の系譜』。 マンガ、石ノ森章太郎『二級天使』(珈琲文庫)。 鴨川つばめ『マカロニほうれん荘』1巻(秋田文庫)。
朝DVDを仕掛けておいたあにまる屋のアニメ『フイチンさん』を見る。 『メアリー・ポピンズ』に代表される「お手伝いさん」ものと言うか、あるいは佐々木邦の『苦心の学友』に代表される「学友」もののバリエーションと言うか、昔はよく見かけたけれども、最近のマンガ、アニメではなかなか目にすることが少なくなったジャンルであるが、これがもう何とも言えないくらいに見ていて落ち着くのである。 作画も、原作の線を崩すことなく、また単調な構図に陥ることもなく、「アニメだなあ」と感嘆のタメイキが洩れるくらいに美しい。昭和30年代、40年代のマンガをアニメ化したりリメイクしたりするときには、本当にその時代の精神を「現代にも通用する普遍的なものとして」映像化しようとする姿勢が必要なんじゃなかろうか。今川泰宏版『鉄人28号』にいささかの不満が生じるのは、なにかしら「余計な解釈」が混じってしまっているせいだと思うのである。
『スター・ウォーズ』エピソード3の正式タイトルが『Revenge of the Sith(シスの復讐)』に決定。最近、エピソード6『Return of the Jedi』の邦題が、『ジェダイの復讐』から原題通り『ジェダイの帰還』に改められていたのも、これの伏線だったというわけである。 『スター・ウォーズ』には全くハマらなかった、と、これまで日記に何度も書いてる私であるが、好きなキャラクターがいないわけではない。『帝国の逆襲』でのヨーダなんかも人を食った態度が相当好きではあるのだが、やっぱり銀河皇帝パルパティーン(イアン・マクダーミド)と、ドゥークー伯(クリストファー・リー)の二人なくして、スターウォーズ・サーガはありえない、というのが悪役絶対主義者である私の主張なのである。ダース・ヴェーダーはどうなんだって? だってアイツ、結局日和るから(^o^)。 タイトルから言っても、また、エピソード4への繋ぎという意味を考えても、今度のエピソード6に期待したくなるのは当然なのである。だいたい正義のヒーローなんて、一本調子の馬鹿ばっかりなんだから、権謀術数、知能と謀略の悪役の方に憧れるのは当然なのである。 ……いや、だから自分にないものを求めるから「憧れ」になるんであって、私個人は悪事に手を染めるようなことはナニモしてませんからね、念のため。
映画の話題、もう一つ。 当初、スティーヴン・スピルバーグが監督する予定で製作に入っていたけれども、『シカゴ』のロブ・マーシャル監督にバトンタッチされることになった、フジヤマ・ゲイシャ映画『さゆり』のヒロイン候補に、『グリーン・ディスティニー』『ラッシュアワー2』『HERO』のチャン・ツィイー(章子怡)の名前が挙げられているそうな。 しげがまた嫉妬するとイヤなので、あまり大きな声では言えないが、チャン・ツィイーは、最近の女優さんの中では“かなりの”お気に入りなのである。中国映画、香港映画の女優さんというのは、まあ美人さんは多いのだけれども、どの映画に出ても似たような使い方をされることが多いし、ちょっとトシ食ったらすぐにワキのどーでもいいような役に回ってしまって、あまり長続きしないことが多いので(ジョイ・ウォンが四十にもならないうちに引退するとは思わなかったよ)、ファンになりがいがないのである。 アクションがスタントなしでも結構こなせることがチャン・ツィイーの強みではあるのだが、出る映画、出る映画、ひとクセもふたクセもあるのが小気味よいのである。公開待機中の映画が数本あるが、古典アクションで金城武と共演する『LOVERS 十面埋伏』、カンヌ映画祭で話題を呼んだキムタク主演『2046』、鈴木清順監督久々の新作の『オペレッタ狸御殿』と、殆ど節操がないと言うか、イロモノに果敢に挑戦している印象すらある。そこに『さゆり』が加わるとなると、ヘタすりゃ致命的に評判を落とす危険すらある。こうもあの企画この企画と飛びついているのは、果たして熟慮の結果なのか、それとも逆に何も考えていないのか、それは分からないけれども、こういうデタラメな女優さんこそ応援したくなるのは、オタクの人情というものであろう。ホレ、押井守が佐伯日菜子に入れこんでたのと同じような心境なんですって。……譬えが分かりにくいか。 『オペレッタ狸御殿』でも日本語の歌を歌ってるそうだが、『さゆり』は完全な日本人である。『キル・ビル VOL.1』のルーシー・リューのカタコト日本語みたいになる可能性は頗る大なのだが、「それが楽しい」という映画の鑑賞の仕方だってあるのだ。「映画・ドラマのトンデモカタコト日本語」なんてサイトを誰か作ってたら、きっと大人気になると思うんだがね(私は疲れるので作りません)。なんにせよ、チャン・ツィイーがオーディションに合格しますように。マーシャル監督、よろしく頼みますよ。
1988年に起きた「女子高生コンクリート詰め殺人事件」の実行犯の一人で、服役後、今年になって別の監禁事件を起こして再び逮捕された会社員、神作譲被告の初公判が東京地裁で行われた。 これまでの報道では、今年の4月に、被告の知人の男性が、自分が好意を寄せている女性と交際しているのではないかと思い込んで、男性を脅したときに、自分の起こした女子高生殺人事件を持ち出して、「おれは少年の時に10年懲役に行った。女を監禁した」とすごみ、「女を取っただろう」といいがかりをつけて、車のトランクに押し込んで、スナックに約5時間監禁して、暴行を加えた、ということになっている。 公判で被告は起訴事実自体は認めたが、「脅迫のせりふは言っていない」と主張している。 ……いやね、脅迫の言葉を言おうが言うまいが、監禁した事実は事実なんだから、なんでここだけ否定するのかね、そこんとこがなんだかよくわからないんである。この程度の否定で、罪が軽くなるものなのかね? あるいは本当にそんな言葉は吐いてないのかもしれないが、じゃあどうして被害者の男性は被告に前科があることを知ったのか、それもよくわからない。まあ、更に「知人」の誰かがこっそり男性に耳打ちしていたのかもしれないけれどもね。 この事件でまた、「加害者に厳重な刑罰を」という世間の主張は高まると思うが、だからと言って、刑法が改正される見込みはあまりないと思うのである。例えば少年犯罪の増加に伴って、少年法は確実に厳罰主義に傾いていて、改正もされているのだが、結果は犯罪の低年齢化を招いただけだった。これが「人権派」の「厳罰主義は犯罪の抑止力にはならない」という主張の根拠ともなっている。 私に言わせれば、少年法が存在していること自体、ナマヌルイんであって、小学生だろうが幼稚園児であろうが、犯罪者は犯罪者として処断しなきゃ厳罰主義とは言えんだろう、赤ん坊がナイフを振りまわして、誤って人を刺し殺したら過失致死罪に問え、そこまでやらなきゃ本当の意味で犯罪を抑止する効果はない、と思っているのだが、そこまで言うと「何もそこまで」と尻込みして「加害者擁護」に回ってしまう人が多いのである。所詮、このクニの人たちは、自らも悪に徹して悪を処断する勇気も覚悟もありゃしない。トホホだよ。 もちろん、神ならぬ人間に、人間を裁ける権利などない。いや、私は別に神を信じちゃいないが、人間が人間を裁くことがどれだけ傲慢なワザであるかは承知している。しかし我々はあえてその「神の代理」たる傲慢を行わなければならないものなのだ。治安がどうの、という問題を言いたいわけではない。社会は人間が存在しなければ成立しえないが、社会を成立させるためには人間の外に人間を越える「何か」が存在しなければならない、ということなのである(宗教でならそれは「神」になるし、一般的には「法」がそれを代行している)。「憎むな、殺すな、赦しましょう」の月光仮面だって、どくろ仮面を殺しているのだよ(相変わらず譬えが古くてすまないねエ)。 ここは、死刑囚の死刑執行ですらためらわれるクニである。みんなで犯罪者を人権擁護の美名の陰に隠し、ヌクヌクと成長させながら、その事実から眼を背けている国である。これももう何度も書いてることだが、よっぽど残忍で残虐で目を覆いたくなるような犯罪でも起こらない限り、何も変わりゃしないって。
2003年07月28日(月) ついに出ますよ、アレが/『タク坊の毎日』(中川いさみ)/『最良の日、最悪の日 人生は五十一から�◆戞幣�林信彦) 2002年07月28日(日) 台本書いてると仕事してる気になるなあ/『アベノ橋魔法☆商店街』2巻(完結/出口竜正)ほか 2001年07月28日(土) アイ・ラブ・アッシー。……違うって(-_-;)/『スーパーロボットマガジン』第一号ほか
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藤原敬之(ふじわら・けいし)
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