無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年03月26日(土) パーセントの疑問/舞台中継『ロミオとジュリエット』(蜷川幸雄演出版)

 遅く起きた朝は『ケロロ軍曹』第51話「ケロロ小隊 撤退!さらばペコポンよであります」。
 いかにも最終回っぽいタイトルだけれど、土曜朝10時の時間帯での放送が今週で終わりってことで、来週からは金曜夕方6時のゴールデンタイムに移行するのである。つまりそれだけケロロ人気が沸騰してるってことなんだろうけれど、人気番組でも時間帯が動くと急激に視聴率低下、ということもよくあることなので、宣伝にはいっそう力を入れてほしいものだ。
 ただねえ、原作にもあったこの「さよならだけどさよならじゃなかった」パターン、もうこれまでのマンガ、アニメで腐るほど見せられてきてはいるので、せっかく30分一話で丸々見せようっていうんだから、もう少し工夫してほしかったと思うのである。ただのお子様向けアニメにならそんな期待は持たないんだけれど、パターンを踏襲しつつもそこに新しい一手を投じてきた佐藤順一監督作品だからね。
かつて関わりのあった人たちとの記憶も消去、というパターンも「またかよ」だけれど、単に使い古されているネタだからだってだけじゃなくて、地球征服をしようとしてる宇宙人がいちいち記憶消去をしなきゃならない意味なんてない。原作の段階からこれ「ムリだよなあ」と思ってたんで、いっそのこと省いちゃってもよかったんじゃないか。
 あと小ネタで、最初に出てきたケロロ上司は、『ウルトラセブン』最終回一話前第48話「史上最大の侵略(前編)」のセブン上司のパロ。40代にはオタクでなくても常識のこういう説明も、若い人には必要になるのである。やれやれ。姿はぼやけているけれど、つまりこの上司、ケロロと同じ姿をしているのね。と考えると、これが「決戦!ケロロ小隊24時」の「新ケロロ軍曹」の伏線になってるのかも? いや、そもそも「隊長としての資質を持っている=ケロロの姿」と考えることもできるわけで、ケロロ自体が上司の、あるいはそのまた上司の……なんて考えると、「SFだなあ」と思ってニヤリとしたくなる。
 あ、それから今更だけど、原作の第50回小学館漫画賞児童向け部門受賞は嬉しかった。某社の漫画賞と違って、小学館は他社作品でも気前よく賞をくれるところが素晴らしいと思うのである。

 CSテレ朝チャンネルで『クレヨンしんちゃん』一挙放送。まったりしてたころのしんちゃんもいいなあ。


 実はまだ名称が確定していなくて、それが問題視されている「福岡県西方沖地震(仮称)」のニュース、新聞でもネットでもめぼしい情報はかなり減ってきていて、もう「山は越えた」という情報もあるのだが、その一方で、「マグニチュード7程度の地震が発生する確率が、これまでは今後30年間で0.4%だったのが、7%に上がった」という情報も流れている。
 と言っても、こんなふうに数字で表されたところで、これが確率的にどの程度の「起こりやすさ」を意味しているのか、私のようなシロウトにはよく分からない。降水確率の「50%」が、「降る確率が半々」という意味でないことはよく知られているし、10%なら傘を用意しておけというのは常識みたいなものだ。その伝で行くなら、この7%という数字も「かなりの確立で怒る」という意味に解釈しなければならないのではないか。けれどそういった具体的な説明は全くないのである。
 世の中、物事をやたらパーセントで表したがる人は多いが、これってシロウトに対しては、実は殆ど意味がないんじゃないかと私は思っている。たとえば30年で7%の発生率というのなら、428年中には100%地震が起こるということになるのか。そうではないだろう。だからこういう数字を出すときにはそれが「どういうことを表しているのか」を具体的に説明してくれるのでなければ、単に不安をあおることにしかならないのである。
 実際に山を越えたはずの余震、昨日も今日も治まる様子が見えない。ちょっとゆらっと来たな、と思ったら、しょっちゅうテレビにテロップが流れる。庶民にとっては地震は明日来るかもしれないし千年来ないかもしれない、それくらいの大きな振幅の確率でしか認識できない、不確定な出来事なのである。科学とやらが本当に進歩してるっていうのなら、無意味なパーセントなんか出してないで、もっと納得のできる予測を出してはいただけないものかね。


 しげが、「カトウが日記でわけのわからないことを書いてるんだけど、なんだか誰かに怒ってるみたい。オレにケンカ売ってるのかなあ?」と言う。
何のことだ、と件の日記を読んでみると、なるほど、わけの分からないことが書いてある。

 >以下、人格を疑われそうな文章を延々書き連ねてしまったので自ら削除。
 >公開の日記で書くようなことじゃないや。○○は絶対○○してるくせにしてないと言うからむかつくーとかそういうの。ほんと、ママンの腹の中からやり直した方がいいと思うぜ?そして一般道徳と正しい○○を身に着けてきたほうがいい。マジオススメ。

 内容をぼかしているからよく分からないというより、文脈が適当だから意味不明の文章になってしまっているのである。日記なんて勢いで書くものだから、誰しもそうなっちゃう部分があるのは仕方のないことではあるのだが、加藤君の場合、それがしょっちゅうなので、真面目に解読しようとすると、いささか苦労する。いっそのことしげのように、単語だけが羅列されてるような文章だったら、最初から解読不能なので諦めもするのだが、下手に意味のある文章が散見しているので、何のこっちゃいなとつい解読したくなってしまうのだ。
 誰かに怒ってるとも読めるが、自分に向かって「私は非常識だ」と言ってるようにも読めるところが難しい。仮にしげに対して怒ってるんだとしても、「そういうの」の指す内容が何か非常識なことなのか具体的に書かれていないから、結局は本人に伝わっていないのである。それじゃ意味ねえなあと思うが、伝えたいとは特に考えてもいないのかもしれない。
 これまでの加藤君の文章を読んでる限り、自分のことを棚に上げて些細な揚げ足取りをするという島本和彦的な芸風で書いてるところがあるし、「人格を疑われる」と書いてるところからも、「つまんないことで腹を立てている軟弱な小心者」をあえて演出しているように見える。それ自体は別に問題はないのだけれど、ただ、やりすぎちゃうと、以前、下村嬢の件で起こしたような舌禍事件を招くことにもなりかねない。あのとき加藤君は、こじれた話を収拾しようとしてかえって火に油を注ぐような失敗をやらかしていた。そういうおバカなところも、若気の至りでかわいらしくはあるのだが、かといって誉められる類のものでもない。
 加藤君、あれからそれほど時間が経ってるわけでもないから、そのこと考えてホドホドにしとくようにね。相手は下村嬢よりももっと面倒くさいしげだから。
 実際、しげは、こういう「遠まわしな当てこすり」をされると、気になって仕方がなくなる性格だ。「確かによく分からんなあ。でもどうせたいしたことじゃないだろうし、別にほっときゃいいんじゃない?」と言ったのだが、なんだかいつまでもイライラして落ち着かない。面倒くさいので、「よく分かんないなら、本人に『アレどういう意味?』って直接聞いてみりゃいいじゃん」と言ったら、鬱陶しそうに「メール送るとカトウはくどくて長いのくれるんだよ」と言う。説明はしてほしいが、くどいのはいやだって、そりゃ自分勝手ってものだろう。もっとも、日記で公開されてるものに対しては、自分も日記で対抗するのがスジ、と考えているようで、それはそれで納得できることではあるが。
 結局しげは、自分の日記に「誰に怒ってんの? もしもボクなら買うわよん! 違うならスルーして。」と書きこんだ。ケンカを売ってるくせに「スルーして」と「逃げ道」を用意しているところが、腰が引けててまるで花紀京か池乃めだかである。バトルやろうってのを止めようとはサラサラ思っちゃいないけど、行き当たりばったりで、建設的な論争に発展させようって予見がないなら、あまり要らんことはしないように。時間の無駄だ。


 WOWOWで舞台中継『ロミオとジュリエット』。
 ロミオは藤原竜也、ジュリエットは鈴木杏、演出が蜷川幸雄という、実に意欲的かつHOT(死語)なキャスト・スタッフによる「ロミジュリ」である。福岡公演もチケットがあっという間に完売してしまい、私もプレオーダーの抽選に外れてしまって、ナマで見損なってしまっていた。
 蜷川さんの舞台にはほぼハズレがない。演劇誌に辛辣な批評が寄せられることもあるが、それは全て「蜷川幸雄にしては低調」という、期待ほどではなかったというレベルに留まっている。つまりは常に水準以上の作品だけを作り上げてきたということだ。しかし蜷川さんの凄さは、その舞台が常に「異端」であり、既成の舞台に対して「挑戦的」であるというその事実だ。
 古典であるシェイクスピアを現代の、しかも日本で、観客にリアルに感情移入させるというのはそう簡単ではない。シェイクスピアにはもちろん現代に通じるテーマ、普遍的な要素は当然あるのだけれども、それを「翻訳」や「言葉」が阻害している面がないわけではない。
 つまり、「ロミジュリ」で言えば、「おお、ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」なんて台詞を、観客を笑わせられずに役者に言わせられるものなのか。爆笑とまではいかなくても、苦笑してしまうのではないか。
蜷川さんの演出は革新的であったと思う。どうしても笑っちゃうようなシーンならば、いっそのこと笑わせてしまえばいいのである。
 舞台は世界各国の人々の顔写真が何十枚と貼り付けられ、よく見ると三段に区切られてそれぞれが場面場面での舞台となる。バルコニーのシーンはもちろん最上段をバルコニーと見立ててジュリエットはそこに、ロミオは平舞台でジュリエットを見上げるという構図になる。最初は。
 舞台装置を簡略化し、「見立て」のみで演じることは決して珍しいことではないが、シェイクスピアでそれをやることは一歩間違えればただの手抜きに見えてしまうことがある。先日見た『R&J』は、見立てたい実が殆どない凡庸な舞台に終わっていた。ところが藤原竜也と鈴木杏のそれは、この舞台を最大限利用したと言っていい。舞台を“作りこんでいない”ために、自由自在に二のは走り回り、段を駆け上りよじ登り飛び降り、躍動するのだ。まさに初恋に有頂天になり傍若無人なほどに。これが客席に「爆笑」を生む。前述の「ロミオ、ロミオ」の台詞などは切ない語らいではなく感情の破裂である。それを聞いた瞬間のロミオの身もだえ。つまりこの二人、もう完全な「バカップル」として描かれているのである。
 なるほど確かにあの二人、本質的にはそうだよなあ。これもまた「バカには勝てない」物語なのである。面白い。


 昨日の夜八時くらいから寝ていたのだが、起きたのが今日の夜の八時。しげ、新記録樹立の24時間睡眠。睡眠薬変えたせいか? でも「気分悪い」を連発していたから、あまり合ってないのかもしれない。

2004年03月26日(金) トシの変わり目の大掃除。
2003年03月26日(水) メモ日記��
2001年03月26日(月) アカデミーよりラズベリー/『幽霊暗殺者』(赤川次郎)/ほか



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