無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年05月03日(火) 彼女がウェディング・ドレスに着替えたら/映画『犬神の悪霊(たたり)』

 女優の原田知世と、イラストレーターのエドツワキとが結婚。
 記事の一つには、「“時をかける少女”が公開から22年の時を経て、ついにお嫁さんになった」とあって、つまりデビュー後どんなにたくさんの映画に出ても、やっぱり『時をかける少女』のイメージでしか見られていないのだなあと、ちょっと悲しくなった。“時をかける奥さま”なんて惹句まであったが、何なんだいったい。下手なパロディマンガのタイトルにでもありそうな。
 映画『時をかける少女』には、公開当時、思いきりハマッちゃって「原田知世はいい!」と力コブ作って叫んだ人たちがたくさんいるのだが、私もその一人である。しかし、同時に大林宣彦のクサい演出に失笑した人だっていて、単純にあの映画を「傑作」と断言するのははばかられる。
 しかし、何にせよ「印象の強さ」では、他の原田知世出演映画は遠く及ばない。「芳山和子=原田知世」というイメージがラベンダーの香りとともに(笑)刷り込まれてしまっている人も私の世代には多かろうと思う。イマドキの「萌え」少年たちを笑えないのである(もっとも我々は本気で原田知世に「燃え」ていたのであって、「萌え」なんて軟弱な表現は絶対にしたくないのだ)。
 しかし、入れこんだファンがやたらいるってことは、原田知世に『時かけ』の「色」をべったりと付けてしまったことになる。それは、原田知世が役者として大成するに際して、半端ではない障碍として働いたのではないか。角川三人娘のほかの二人、薬師丸ひろ子、渡辺典子に比べると、原田知世の出演作は、映画、ドラマともにやや少ない。
 ところがそれが、今年から来年にかけて彼女は、『村の写真集』(三原光尋監督・4月公開)、『姑獲鳥の夏』(実相寺昭雄監督・7月公開)『サヨナラCOLOR』(竹中直人監督・8月公開)『大停電の夜に』(源孝志監督・2005年冬公開予定)と、立て続けに四本の映画に出演する。「いったいどうしちゃったんだ原田知世」感が強かったのだが、つまりは恋が彼女の身も心も充実させていたってことか。
 まあ、私もオトナですから(笑)。「エドツワキ許さん!」とかトサカに来ることはないけれど、なんかアレですね、女優さんにハマッて、レコード、写真集まで買いまくったっていう経験は、私にとっては薬師丸ひろ子と原田知世が最後なんで、なんかついに青春は終わったなあ、という感じですね(実はその後もあるのだが、まあ、この二人ほどの入れ込みではない)。
 歌手としての原田知世についてもヒトコト。
 誰もが原田知世の代表曲を『時をかける少女』だと言うだろうが、私ゃやっぱりデビュー曲である『悲しいくらいほんとの話』(テレビ版『セーラー服と機関銃』主題歌)を推したい。デビュー作にこそ、その新人のオリジナルな輝きが横溢していると思うからである。
 ついでに言えば、原田知世のデビュー映画も『時をかける少女』じゃなくて、『幻魔大戦』だからな。


 夜、シネ・リーブル博多駅で、『カルト渦巻地獄劇場』、第二弾は1977年製作、伊藤俊也監督の『犬神の悪霊(たたり)』。
 公開当時は市川崑監督の『犬神家の一族』がヒットした直後で、タイトルはそれに便乗しているが、中身はオカルト・ブームの延長線上にある。怨霊ものなら日本にも「犬神」があるぞ、という意気込みなんだろうが、当時の私にはいかにもな際物に興味がわかず、映画館まで足を運ぶことはしなかった。全く、こうも幻のカルト映画になると知っていれば、あの当時に見に行っとゃよかった。ただ、当時中学生だった私がこの映画の驚くべき展開を楽しめるだけの「度量」があったかどうかは疑問だが。
 現在、テレビ放送は自主規制され、ソフト化されないままであるのは、作中の精神異常者の描き方に原因があるのだろうと察しは付く。
 確かにムチャクチャな描き方ではあるのだが、これはあまりにムチャクチャ過ぎて、殆ど意味不明の域にまで達しているので、これは逆に精神異常者への偏見など生じ得ないのではなかろうか(笑)。「こんな既知外はいねえ」って誰だって思うよ。いやもう、ある意味これ、『恐怖奇形人間』よりもトンデモな映画なんスから。

 冒頭、クレジットシーンは延々と洞窟の中を映し出し、そこに菊池俊輔のテーマソングがかかる。いかにも70年代のチープなホラー映画の雰囲気、というか、太鼓と女性の悲鳴めいた合いの手の組み合わせで、土俗的なムードを強調している。このシーンを見れば、たいていの観客は、当然のごとく、「ああ、これはやはり土俗的なオカルト映画なのかなあ」と思うだろう。私もそう思った。
 音楽とクレジットが終わっても、洞窟のカットがもうちょっとだけ続く。その出口の映像が唐突に切れ、主人公たちがジープに乗って登場。出口の映像はジープが出てくるトンネルの映像にかぶるのだが、この編集の仕方がいやに雑だ。このあともカット尻が余ったり足りなかったり、編集の下手糞さがこの映画はやたら目立つ。かなり急いで作られた映画なのだろうか。
 それはともかく、ジープに乗っていた主人公の加納竜次(大和田伸也)は、東亜開発のウラン技師という設定で、仲間の安井(畑中猛重)と西岡(小野進也)と共に、ウラン鉱発掘のためにこの久賀村へやって来ていたのである。ここで、村の子供たちが「ジープだ! ジープだ!」と言って駆け寄ってくるのが進駐軍に群がるガキんちょどものようで、いったいいつの時代設定やねん、と思ってしまうが、もちろんこれは昭和52年当時という設定なのである。子供たちはめいめいに鬼の面とか付けてるが(これも一応伏線のつもりか)、いくら因習の残る村とは言え、既に違和感はありまくりである。
 ウラン鉱はあっという間に発見され、喜び勇んだ帰り道、西岡が車の運転に失敗して、小さな祠を壊してしまう。それを怒ったのか、ジープの前に吼えまくる犬が飛び出してきて、これが当然のごとくに撥ねられて死ぬ。犬の飼い主の少年・勇(加藤淳也。後にアニメ『龍の子太郎』で太郎の声を当てる子役)が飛び出してきて、竜次たちをギロリとにらむ。この視線が怖くて、観客の誰でもがここから「呪い」は始まるのだなあと予測する。
 ところがここでシーンはいきなり転換、山中の滝つぼで、三人は水浴びをする二人の全裸の女性を覗き見る。これが本編のヒロインたちで、垂水かおり(山内恵美子。加山雄三主演のテレビドラマ『高校教師』で坂本紀子を演じていた超美人女優さんである。そうと知っていれば、当時絶対見に行っていたのに!)と剣持麗子(泉じゅん。若い人にはこれも説明が必要だろうが、山口百恵似の、美人系とかわいい系の中間の顔立ちで、しかも巨乳でポルノに限らず普通映画でも堂々と脱いでくれていたので、70年代の男の子にとってはかなりアイドル的な人気を博していた)。
 唐突なサービスシーンであるが、ドラマ上の必然性はない(笑)。木の上から覗いていた竜次が滝つぼに落っこちるという、この映画唯一の“意図した”ギャグシーンがあって、これがストップモーションになる。次のカットはいきなり半年後、竜次と麗子の結婚式のシーンになる。大和田伸也、手が速っ!。格さん役のときは堅物だったくせに。
 けれど、竜次の顔にいきなり石をぶつけた少年が。これが勇で、実はかおりの弟だった。垂水の家は「犬神統(いぬがみすじ)」として村人たちから忌み嫌われており、かおりと麗子は親友ではあったけれども、かおりは結婚式には呼ばれていなかったのである。竜次と麗子を乗せた車にかおりは追いすがるが、車は無視して去っていく。親友同士の悲しい別れだが、二人の悲劇はこれが始まりに過ぎなかった。このあたりはまあ何とかホロリとできなくもない展開である。
 異変が起きたのは、東京での結婚披露宴で、スピーチに立った西岡が、突然狂って暴れだしたのである。そのあと、ビルの屋上から飛び降りて自殺。更には安井が、都会の真ん中で野犬の群れに襲われ、食い殺される。こんな突拍子もない展開があれば、観客がみな、この映画の中では「犬神の呪い」は実在するのだな、と判断するのは自然の流れだろう。
 「呪い」は、竜次の身にも降りかかってくる。悪夢にうなされる竜次。竜次たちが祠を壊したことを知らされた麗子は、肌身離さず付けていたお守りを竜次に手渡す。かおりから結婚の報告の手紙を受け取った麗子は、「やっぱりかおりは竜次さんのことが好きだったんだわ! あなたに竜次さんは絶対に渡さない! 犬神が憑くなら、私に憑けばいいんだわ!」と叫んで、千枚通しでかおりの手紙を突き刺す奇矯な行動に出る。
 祠を壊したり犬が殺された呪いというより、三角関係が原因かい! と突っ込みたくなるが、このあたりから少しずつ物語の破綻は始まっているのである。これからしばらくは泉じゅんファンのための大サービスシーンの連続。シャワーを浴びている竜次に「怖い!」と叫んで服のまま飛びつく麗子。濡れた服を脱がしながらエッチ。しかし犬神は確実に麗子の心を蝕んでいく。様子のおかしい麗子を竜次はいろんな医者に見せるが、一向によくならない。麗子の実家へ連れて帰って、憑きもの落しの祈祷師(三重街恒二)に頼むと、霊媒(白石加代子)はハッキリと「我は垂水から来た」と語る。「“あかめし”くれたら去んでやる」の言葉を信じて、村人たちは赤飯にぎりを持って、麗子の体をなでる。麗子、あえぎ声を上げて身もだえする。当然、着物がどんどんはだけておっぱいポロリ。なんて露骨なサービス! オッパイ攻撃の前では、撫でてるだけで赤飯食ってないじゃん、という突っ込みは不必要かな(笑)。
 けれど治療もむなしく、憑きものは落ちなかった。竜次にねっとりとしたキスをしながら、「これくらいで出て行ってやるものか。私も竜次さんのことが好きだったのだ。とうとう竜次さんを奪ってやった!」と言ってニタリと笑う麗子。かおりが乗り移っているってことか? 村人たちは「犬神、出て行け!」とばかりに麗子の体を棍棒でぶちまくる。忘れ雪の降る中に飛び出した麗子は、竜次の腕の中で「東京へ帰りたい」と言葉を残して息を引き取る。 ……えーっと、麗子を殺したの、つまり村人たちなんじゃないの。もちろん、村人たちはそうは考えず、「垂水の家のせいじゃ」と思いこむのであった。
 犬神の悪霊とは何なのか? 妻を失って自棄になった竜次は、久賀村の山中で修復されていた祠をまた叩き壊す。そこへ「止めろ!」と叫んで飛び出してくる勇。竜次は勇を容赦なく突き飛ばすが、そこへ麗子の妹、磨子(長谷川真砂美。大林宣彦監督版『ねらわれた学園』の高見沢みちる。超美少女で、もっといい映画に出演してたら、きっとブレイクしてたろう)が飛び出してくる。「勇ちゃんは私の友達なの! 悪いことは何もしないわ!」。勇は自分の家に逃げ込む。追いかけてきた竜次は、かおりが結婚先から出戻って来ていたことを知った。父の隆作(室田日出男)は、「あんたも犬神なんちゅうものを信じなさるんか。わしらも被害者じゃ」と憤りを露わにする。
 あれれ? と思ったのはこのあたりからで、垂水家は別に何の呪いもかけていない、という描写がこのあとしばらく続くのである。それどころか、竜次たちが発見したウラン鉱の開発に対して、「核開発に繋がる」と山を売ることに反対していたのも垂水家の人々だったのだ。それじゃあ垂水家の人たちのほうが「正義の味方」じゃん! と驚きの展開である。 ……でも、それなら、麗子たちが死んだのは、本人たちのただの思い込みなのか? いや、西岡と麗子についてはそう言えなくもないけれど、安井の「犬に食い殺される」というのは自己暗示じゃ説明できないぞ? それともあれはただの偶然ってことなのか? と アタマがこんがらがってくる。
 垂水家の開発反対を後押しするように、ウラン鉱の作業所でも奇怪な事件が起きる。作業のドリルが突然、何者かに操られたように勝手に動き出し、次々に作業員を殺し始めたのだ。……えーっと、これはどう解釈すればいいんですかね。もちろん「ただの事故」とは絶対に思えない。でも、「犬神」というのは「ドリル」にもとり憑けるものなんですか?  いや、疑問を抱いても仕方がない、これは「乗り移っている」んじゃなくて、見えない力でドリルを「操っている」と考えるしかない。だとしたら、ウラン鉱に反対しているのは垂水の家の者だけなので、やはり「呪い」をかけているのは彼ら?
 垂水家への迫害は更に強くなる。家に石は投げられ、村の祭りの日、かおりは、酒をのんだ村の不良たちに犯されそうになる。父親の隆作が山を守るために動けないのは分かるが、妻の君代(岸田今日子。台詞も出番も少なく、もったいない使い方。白石加代子といい、横溝ミステリー出演者が何人も起用されているのも、いかにも便乗映画っぽい)や、かおり、勇をどうして避難させないのか、これが全然分からない。
 滝つぼに飛び込んで、かろうじて不良たちから身を守ったかおりを助けたのは竜次だった。村人たちは竜次が犬神の女にとり憑かれた! と、垂水家の周囲に糞便をぶちまける(魔除けになるそうである)。寄り添ううちに、竜次とかおりはお互いに恋情を抱くようになる。しかし、かおりが「ずっとあなたが好きだった」と告白するのを聞いて、竜次は「麗子は僕たちがこうなることを知っていたんだ!」と叫ぶ。
 ここでまた混乱である。ということは、呪いの主体はかおりじゃなくて麗子だったってことなのか? 「犬神統」は無関係? いや、それじゃやっぱり犬に襲われたり、ドリルが踊ったりの説明がつかない。
 何だかわけが分からないうちに、村人が井戸水を飲んで死亡する事件が発生する。これは、ドリルの暴走に手を焼いた開発会社が、岩盤を硫酸で溶かしたため、それが井戸水に混入したのが原因であったが(「絶対大丈夫だ」とか言ってたくせに、「実は地下で水脈が繋がっていたのだ」と跡付けの説明。いい加減な工事に対する批判だろうが、取ってつけたようである)、村人たちはそうは思わなかった。
磨子が、竜次のところに飛び込んでくる。「村の人たちがバイクに乗って垂水の家に向かってるの見たの。勇ちゃんを助けて!」。慌てて垂水家に向かう竜次。しかし、時すでに遅く、君代、かおり、勇の三人は殺されていた。出かけていた隆作だけが助かったが、家族を失った彼はとことん村人たちを憎むようになる。「やつらがわしらを犬神統と呼ぶなら、本当にそうなってやる!」
 もう、映画館の椅子からコケ落ちそうになったのはこの時だ。「犬神の呪い」は、このとき初めて発動したのである! ……ってことは何か? 西岡の狂い死にも、安井が野良犬に襲われたのも、麗子がかおりにとり憑かれたように見えたのも、ドリルが勝手に動き出したのも、全部「ただの偶然か!?」 いや、麗子のケースは犬神とは関係ない本人の怨念と解釈することもできるが、ドリルまではなあ。
 雷雨の夜、生き残った犬を連れて山中に入った隆作は、犬を土の中に埋めて放置する。この様子を木の陰から磨子がこっそり見ているのだが、これまで「勇ちゃんを助けて!」と優しい心を見せていた彼女が、このときはただじっと見ているだけで、隆作の行動を止めようともしないのが不自然極まりない。ついに「犬神の呪いよ。村人にたたれ!」と叫んで犬の首を日本刀で斬りおとす隆作(銃刀法違反である)。その途端、雷鳴が鳴り響き、斬られた犬の首は宙を舞って隆作の首筋に噛み付く。倒れ伏し、息絶える隆作を見ていた磨子は失神する。その途端、犬神は磨子にとり憑いた。
 呪いの発動は、ウラン鉱業所に落盤を起こし、爆発させる。凄いぞ犬神の呪い。さあ、このチャチな特撮は誰がやったんだ、東映。
 竜次は垂水家惨殺を実行した村の若者の一人を日本刀で脅して捕らえ、剣持の家にやって来る。駐在(三谷昇! 映画見ながらずっと「警察は何してるんだ」と思っていたが、ここでやっと登場した駐在が三谷さんなら、無能なのも納得できるのである。これはナイスキャスティング)に本庁に連絡させようとしたが、義父の剛造(鈴木瑞穂)は、電話線をぶち切ってしまう。「お前を助けるために、村人たちが垂水家に行くのを止めなかったんだ!」と叫ぶ剛造(垂水家と関係を持つ限り、竜次も危険にさらされる、ということだろうが、だったらもっと早くに垂水家を村から追い出すか暗殺しとくか、何で処置をとらなかったのかが疑問である)。
 村人が押しかけてきて、竜次は土蔵に逃げる(剛三が土蔵をチラッと見る伏線はあったが、ドラマにどう関係するのかこれまで全然分からなかった)。義母の佐和(小山明子)は「土蔵に行っちゃダメ!」と止めるが、無理やり入り込んだ土蔵の中には、狂人と化した剣持家の長男の真一(伊藤高)が閉じ込められていた。そんなやつがいたとは驚きの展開! もう何でもありだぞ。
 剛造と佐和はこの狂った真一に殺される。このときの「殺され方」がまた爆笑もので、まず佐和が二階にいる真一に「吊るされる」のだが、それを見ている竜次、茫然として、「目の前に二階への階段があるのに」身動きもしないのだ! 結構長いこと吊るされてたから、絶対佐和は助けられたぞ。小山明子も殆どチョイ役出演で、こんな使い方してたら大島渚が怒るぞ。
 争いの中で真一の胸に刀が突き刺さり、二階から落ちる。「ちょうど偶然」剛造が真下にいて、刀は剛造も貫く。劇場には十人くらいしかお客さんいなかったけど、笑いましたよ、みんな。
 剛造は虫の息で竜次に告白する。真一が狂ったのは犬神憑きのせいで、そのためにずっと垂水家を憎んでいたのだと。でも、犬神の呪いはさっき発動したばかりなのだから、これは剛造の勝手な思い込みなのである。言っちゃなんだが、真一、麗子、磨子と、三兄妹みんな狂ってるんだから、剣持家の血筋のほうが問題だとしか見えないわな。こりゃ、確かにテレビ放送はできまっしぇん。
 剛造は「磨子を頼む」と竜次に言い残して死ぬ。
 しかし、気絶していた磨子に、箪笥にしまわれていた麗子の長襦袢が覆いかぶさり、磨子の顔は般若のように変貌し、目は次第に異様な光を発するようになる。もちろんメイクしてカラーコンタクトを入れているのである。この当時としても「怪談映画かこれは」と突っ込みたくなるチープなメイクが何ともはや。つかなあ、麗子の長襦袢が磨子を操っているのなら、諸悪の根源は麗子じゃん。犬神の呪いじゃないぞ!

 長くなったので、明日の日記に続く。

2004年05月03日(月) また来るよ東京
2003年05月03日(土) 東京の空の下�◆辛饌罅悒轡謄�ボーイズ・ミックスpresents/NOTA 恙無き限界ワルツ』
2002年05月03日(金) ジンクス再び/『ジャングルはいつもハレのちグゥ』9巻(金田一蓮十郎)ほか
2001年05月03日(木) 東京行進曲/舞台『ラ・ハッスルきのこショー』ほか



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