|
無責任賛歌
日記の表紙へ|昨日の日記|明日の日記
(昨日の続き) (本日の日記) 更新が滞っているにも関わらず、日記のアクセスが毎日百人以上。ひたすらありがたいことであります。 ついにカウンターも12万ヒット。何だか自分でも信じられない数字ですが、常連さんも恐らくは二、三十人、たとえ一ヶ月更新がなくても、ともかく覗いてくださる奇特な方がいらっしゃらないと、ここまでの数字にはなりません。もう、一人一人の手を取って万歳しながら、「ブラボー!」と叫びたいくらいです。 ROMに徹しておられる方にまで無理にとは申しませんが、日記の感想とかメールで頂けたらありがたいです。頂いたメールには必ずご返事を返しておりますが、私が使ってるOutlook、セキュリティが厳しいらしくて、メールによっては私のところまで届いていないものもあるようです(だいたいしげのメールが私のとこに届かない)。メールを送ったのに返事がない、ということがありましたら、掲示板のほうでお問い合わせください。 カウンターは調子よく回っていますが、投票ボタンの方は押してくださる方があまりいらっしゃいません。「エンピツ」日記には投票ランキングのコーナーがあって、一位とか二位の人は一日で千票とか入っていますが、私は一、二票くらいのものです。いや、そもそもだいたい私自身が殆ど押してない(笑)。 一応、投票機能があるのなら設置するだけしてみよか、と、何の気なしにボタンを付けただけなので、いちいち今日何票入ったかな? と確認するのも面倒くさがっていたんですね。「エンピツ」の登録ジャンルを私は「アニメ・漫画」にしてますが、実際にはアニメや漫画の話題がなかなか書けないでいますし、歯に衣着せず辛辣に貶しているマンガも多いので、私がファンなら当然票は入れません。得票が少なくても当然だろうと、私は気にしてはいませんでした。 ですが。 しげが、突然、「何、あんた一票しか入っとらんやん」と言い出しました。 「ああ、そんなもんだろうね? それがどうした?」 「あんたが入れたと?」 「自分じゃ入れないよ。お前だって入れてないやろ?」 「だって、こんなのがあるって気づいたの、今日が初めてやもん」 「……気づいてなかったんか?!」 「順位が下のほうやったら探しにくいやん!」 「探さないでいいよ!」 「いいから一票入れり!」 無理やり一票を入れさせられたんですが、なぜ急にしげが得票を気にし始めたのか、理由がよく分かりません。好意的に考えたら、私があまりに下の順位なので、妻として悲しく思った、ということかもしれませんが、そういう形で妻の自覚を持たれてもねえ。 というか、夫を気遣う自分を演じたい気分になっているというのが正解でしょうね。このまま得票が低いままなら、そのうち飽きるでしょう。 それでもやいのやいのとうるさいし、確かに自分で自分に票を入れないのも卑下のし過ぎかとも思うので、一応、一日一票は自分で入れることにします。 けれど、仮にそれで票が上がったとしたら、やっぱり私は嬉しいのでしょうか? 低いままだと落ち込むのでしようか? いや、自分のことでありながら、そこんとこが今一つピンと来ないんですけどね。それは、やっぱり「投票」の中身が見えていないからでしょう。 得票数の高い日記を読むと、「なるほどこれは面白い」と感心するものもあれば、「これに人気があるのはなぜ?」と首を傾げたくなるものもまま見受けられます。邪推かもしれないけれど、日記の中には身内ボメで仲間が無条件で押してるものもあるんじゃないでしょうか? 私自身、お気に入りに入れている日記に票を入れることはよくありますが、「今日は今一つかな」と感じたら入れないようにしています。無条件に票を入れないのがその人たちへの礼儀だと思うからです。 この日記を読んでくださっている数少ない常連のみなさまも、気が向いたらボタンを押していただけるとありがたいのですが、「つまんない」と思われた日は、無視して頂きたいと思います。そうでないと、私自身が客観的な判断ができないからです。 昼、WOWOWで、『生中継 シティボーイズ・ミックス メンタル三兄弟の恋』。 いつもは公演を見て、その後でテレビ放送を見るのが常であったが、今回はそれが逆になった。何しろ生だからどんな失言があるか分からない。再放送があってもPが入るかもしれないから、これは絶対録画しとかないといけないのである。 具体的な感想は、舞台見た後にしときます。 どんたくを見に行った父を拾ってマンションへ。 「どんたくはどうやった?」と聞いたら、「つまらん」と即答。博多駅前の舞台で歌手がなんかイベントやってたらしいのだが、どこの誰とも知れん歌手で、全然面白くなかったそうだ。「誰が来てたの?」と聞いたら「覚えとらん」とのこと。配布されてるパンフレットにも名前が書かれてないから、急遽ヒマな歌手を呼び寄せたものか。 出店は好きだが、混雑が嫌いなしげは行く気はなし。混雑だけなら私は平気なのだが、お祭りのためのお祭りになっちゃってるから、やっぱり行く気がしない。 結局今日は、夕方から父が買ってきた肉で、焼肉パーティーをする。父がもう、牛だの豚だのハマグリだの、食いきれないくらいにてんこ盛りで買ってきたが、私もしげも見事に平らげた。腹はもうパンパンである。 「そんなに食べてないのになあ。豚なんて一枚しか食ってない」と私が言ったら、「何を言いようか。豚を三枚食ったの、ちゃんと見とうぞ」と父に言われた。野菜食ってる間にしげにどんどん肉を食われていたので、自分では食った意識がホントになかったのである。 三夜連続で、今日はDVD『釣りバカ日誌3』。 今度のマドンナは五月みどり。昭和20年、スーさんが出会った女性の娘で(つまりこの映画の制作時点で50歳、必然的にスーさんは70過ぎってことで、実際の役者の年齢に合わせているのである)、もしかしたら本当にスーさんの娘か? というのが今回の「すれ違い」のキモ。スーさんの方は五月みどりに恋心を抱くのだが、五月みどりはもしかしたらこの人が父親かも? とあくまで娘としての慕情しか抱かない。このあたりは『男はつらいよ』第一作で、寅さんをあくまで幼馴染のお兄ちゃん、としか見なかった光本幸子と同じシチュエーションである。 さらには、星が浦の開発に反対して、クビになりかけたハマちゃんが左遷されそうになるのに、「釣りが出来る!」と喜ぶギャグは一作目の焼き直し。早くもマンネリになりつつあるのがちょっと心配な第三作だった。 マンガ、田畑由秋脚本、余湖裕輝作画『コミックマスターJ(ジェイ)』12巻(少年画法社)。 なんですかねー、登場人物のマンガ家に、映画『最後のサムライ』(『ラストサムライ』ですな)を「鎧を着ているのは間違ってるんじゃなくて演出だっのっ。映画は歴史の教科書じゃねーんだよっ。この映画が何を描こうとしているのかという読解力もないのかっ!?」って叫ばせてるけど、「時代考証」ってのは「形」だけじゃなくて、その時代の「精神」だって考証するものだ。『ラスト・サムライ』にどの時代の日本人の精神が表現されていたかな? 映画が歴史の教科書じゃないのはその通りだけれど、「明治に鎧」を演出と言うには無理がある。西部劇でインディアンがジープに乗って攻撃してきたら、この監督は馬鹿だとしか思わないでしょ。「この映画が描こうとしているもの」は、監督の脳内にしかない「日本人像」である。「武士道とは死ぬことと見つけたり」というのは『葉隠』などにあるかなり特殊な「武士道」の捉え方なんで、普遍的なものじゃない。どうして日本人がありがたがらなきゃならないかね? それに、このマンガ家が「日本を武士の国」と捉えているのもそれこそ歴史認識の大間違い。日本人の大多数は、昔からそのメンタリティにおいては農民と職人と商人の国だよ。前にも書いたと思うが、『七人の侍』を引くまでもなく、時代劇は「勝ったのは侍ではなく百姓」であるのが一番相応しいのだ。日本の時代小説は、侍ものよりも捕物帳を初めとして、市井物のほうが圧倒的に多いことを知らないんだな、この作者は。日本人の癖に。 さらにこのマンガ家は、USA『ゴジラ』を見て、「このGODJIRAよりすごい映像が、いままで日本のゴヂラ映画にあったか? はっきりいおう、ない。断じてない」とか嘆いている。これも『ゴジラ』の精神を何一つ表していないUSA版のほうがよく見えるらしい。核の脅威を描いてるんではなくて、それすら制御できると安易に語るバカ映画のどこが傑作だ? 読解力がないのは誰だろうねえ。 こういう精神主義の塊のようなバカが大挙しているもんだから、外国映画のほうが日本映画よりよく見えるのである。外国映画に対する故なき劣等感から、自国の映画が貧弱に見えているだけだ。まさしく「自虐史観」である。こんな卑屈な根性で、どれだけの作品が描けるものかね? 真っ向から侍魂を見せてやる! と嘯くんなら、井筒和幸監督を「井痛痛数奇」なんてモジッて誤魔化さないで、堂々と批判しなさいよ。批評の対象なら、実名でも構わんはずだぞ? 今巻から、ついに最終回に向けて、コミックマスターJがゴーストライターになったいきさつを語る「神との戦い編」が始まったのだが、こんなに底の浅い作者だったのかとガックリ来ちゃったので、これまで面白く読んでたのが一気に冷めた。日本のマンガは今や「聖書」を越えた高みにまで上っている、と誇っているような暗示もあるが、作者がただの妄想家なら、説得力がなくなっちゃうのである。あーあ。 2004年05月04日(火) 巨匠たちの幻の映画……12時間連続映画三昧。
☆劇団メンバー日記リンク☆ 藤原敬之(ふじわら・けいし) |