無責任賛歌
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|藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年07月22日(金) カウンセリングもプラシーボ/『ニッポン硬貨の謎 ―エラリー・クイーン最後の事件―』(北村薫)

 金曜日はしげの通院の日。 
 以前は朝早く、診療時間が始まると同時くらいに出向いていたのだが、最近はカウンセラーさんの都合だとかで、午後の診療に変わっている。
 しげはカウンセリング用に毎日日記を書かされていて、これはウェブ上にもアップしていないヒミツ日記なのだが、私は一応読ませてもらっている。ウェブ上のそっけない日記と違って、本音を素直に書いているせいか、文体が妙にかわいらしいのだが、書いてある内容は映画や演劇に関することが殆どである。カウンセラーさんからも「旦那さんのこととか殆ど書かれないんですね」と言われてしまったそうだが、家庭的なことはしげにとって「日常」ではないのかもしれない。
 しげの話によれば、カウンセラーさんは映画好きで、30分間のカウンセリングタイムも殆ど映画の話ばかりになるそうである。引っ込み思案のしげも、芝居や映画の話ならば楽しそうに話す。今日も心理劇の話などをして楽しかったそうなのだが、突然、「通院はこれから二週間に一回にしましょうか?」と相談されたのだそうだ。
 しげは「それってつまり、病気が治ってきたってことなのかなあ?」と訝んでいる。確かに、薬のおかげで睡眠時間も調節できるようになったし、ヒステリーを起こす回数も随分減っている。この四月からは昼の弁当も作ってくれるようになったし、晩飯もまあちょっと乱暴なメニューではあるが(今晩は鶏もも肉の丸ごと煮なのだが、実はこれがもう一ヶ月以上続いているのである)、作ってくれはするようになった。
 しかし、洗濯などのほかの家事にまではまだまだ気が回らないし、それよりもパートの仕事などは全く続かなくなってしまっているのである。仕事自体が嫌いなわけではないのだが、ともかく「仕事に出かけて行く」行為自体ができなくなっている。社会人としては当然喜ばしい状態ではない。トータルで見ると、進歩しているのか退歩しているのか、本人にもよく判断ができないでいるのだ。
 「治ったって思うほうが治るのかなあ。カウンセラーの兄ちゃんには『自分で決めてください』って言われてるんだけど」
 カウンセラーさんにそう言われているのなら、私も「自分で決めろよ」としか言えない。どういう意図で診察回数を減らそうと言われたのか、もう少し事情を知りたいのだが、そういう肝心なところをしげは聞き損なっている。やっぱりまだそれほど治ってはいないのにあえて回数を減らすことで自立の道を図ろうというのか、それとももともと完璧に治るものでもないのだからこのくらいでまあいいかと気楽に考えようよってことなのか、プラシーボ効果を狙っているのか、ただ単に治療を諦めちゃってるのか、よく分からないのである。どうなっていくんでしょうね(って他人事じゃないだろ)。


 FBSで、金曜ロードショー夏恒例の『ルパン三世 天使の策略(タクティクス)〜夢のカケラは殺しの香り〜』を見る。
 TVスペシャルシリーズもついに17作、故・山田康雄がルパン三世の声をアテていたのは第6作の『燃えよ斬鉄剣』までだから、10代のファンにとっては、栗田貫一の方がもうルパンの声として定着してしまっている。つか、「山田康雄って誰?」って発言を実際に10代のやつから聞いたこともあるのだ。
 いや、栗田さん以外のレギュラー陣の声、とてもじゃないがすっかり衰えてしまっていて、聞けたものではない。数年前までは納谷悟朗さんが一番滑舌が悪くて、よく聞き取れない台詞も多かったのだが、もう本作では小林清志、井上真樹夫、増山江威子、どう贔屓目で聞いてもみな年寄りの声にしか聞こえない。もしもシリーズを本気で続けて行くつもりならば(世代的にはもうルパン五世でもおかしくはないのだが)、『ドラえもん』よろしく、完全リニューアルを考えてもいいのではないかという気さえしてくる。いや、もう潔く一度「完結」を考えてもいいのではないか。
 というのも、最近ファンになった若い人はともかく、それこそアニメ旧シリーズ第1作(1971年!)をリアルタイムで見てきた世代から見れば、もう語られるべき物語のアイデアは底を尽いているとしか思えないのである。
 今回のルパンが狙う獲物が、アメリカ・ネバダ州の空軍基地「エリア51」に保管されているUFOの破片「オリジナルメタル」だ、と聞けば、もうそれだけで「そんな使い古されたネタを」と気分は萎えてしまう。オープニングで反米テロリスト集団「ブラッディエンジェルス」(これも映画やマンガで何度も使われてきた陳腐なネーミングだ)によってルパンのニセモノたちが倒されるシーンは、またもや『OO7/ロシアより愛をこめて』のオープニングの拙劣な模倣だ。いや、そもそも「女アマゾネス」という設定自体、ルパンシリーズでは「女シンドバット」を初めとして何度となく使われてきたネタで、目新しくも何ともない。
 事件の「真犯人」も全く意外でないどころか、登場した瞬間に「こいつか」とすぐ分かるヘボな演出で、脚本、監督が視聴者をナメているのが一目瞭然である。でも、映画やミステリーに慣れてない視聴者はこんなショボい脚本でも簡単に騙されちゃうんだろうなあ。作画だって、一見、ふたコマ作画を多用してよく動かしているように見えはするが、動きの間や質感、重量感ともにデタラメである。枚数使えばいいってもんじゃないんだってば。会話のタイミングもかなり悪く、聞いていて少しも人間的な感情が伝わってこない。ナビゲーターの坂上みきが「シリーズ最高傑作」とかナレーションしてたが、いったいどこをどう取り上げればそんなことが言えるのか。
 もう次回あたりで未だアニメ化されていない「シャードック編」か「ヤップランド編」をアニメ化して、完結してほしいんだけど、これも若いファンたちには分かんない感覚なんだろうなあ。けれど頼むから旧シリーズの『魔術師と呼ばれた男』『脱獄のチャンスは一度』とか新シリーズの『死の翼アルバトロス』『さらぱ愛しきルパン』とか見たこともないのに、今のテレビスペシャルシリーズが面白いとか、そんな恥知らずなことは言わないでほしいのである。


 北村薫『ニッポン硬貨の謎 ―エラリー・クイーン最後の事件―』(東京創元社)。
 文庫になるのを待ちゃいいのに、ハードカバーで買っちまったよ。『ミステリーズ!』の連載でもう読んじゃってるのになあ。
 エラリー・クイーンの未発表原稿を北村薫が翻訳、という体裁でのパスティーシュ(模倣昨)であるが、これもファンの間で賛否両論を巻き起こしそうな作品である。本物のクイーンがいかに親日家だったからと言って、その「最後の事件」として一度捨て去った「国名シリーズ」を再開するとは思えない、そういう基本的なところから反発するファンもいておかしくはないからだ。
 そもそも本物のクイーンの手になる『日本庭園の秘密(ニッポン樫鳥の謎)』ですら、国名シリーズには入れられなかった(原題は“The Door Between”〔間の扉〕。これまで60年以上、雑誌連載時に“The Japanese Fan Mystery”〔日本扇の謎〕というタイトルが付けられていたという説は、近年の調査で誤りであることが判明した。どうやら江戸川乱歩がガセネタを掴まされたことが原因らしい。嗚呼!)。内容も細かく見て行けば、クイーン警視はまだ警視なのかとか、突っ込みどころは満載である。
 しかしどんなマニアやプロの作家でも、ファンの全てを納得させるパスティーシュを書くことは難しい。ある意味、パスティーシュは「お祭り」なのだから、あまりディテールには拘らずに「オアソビ」を大らかに楽しむくらいの姿勢で読んだほうがいいように思う。特に、これまでクイーンの作品を読んだことがない読者にとっては、純粋にミステリーとして面白いかどうか、そこが主眼となるところだろう。
 ところが残念なことに本作は、ミステリーとしてはかなりお寒いのである。北村さん、サインまで頂いたのに貶すのは心苦しいのだが、事実だから仕方がない。

 1977年、来日したミステリ作家兼「名探偵」のエラリー・クイーンは、東京に発生していた幼児連続殺害事件に興味を持つ。殺された幼児たちは、毎週日曜、一様に女性のキモノ(フリソデ)に包まれて発見されていた。そこには何かの寓意があるのかそれとも犯人の仕掛けた心理的な罠か。
 同じころ、大学のミステリ研究会に所属する小町奈々子(モデルはもちろん現ミステリ作家の若竹七海女史である)は、アルバイト先の書店で、毎週土曜日に謎の男から「50円玉20枚を千円札に両替してくれ」と頼まれていた。
 二つの出来事は何か関連があるのか。ファンの集いに参加したことからエラリーの知遇を得て東京観光案内を引き受けることになった奈々子は、上野動物園でまさにその幼児誘拐の現場に出くわすことになる……。

 クイーンファンよりもむしろ、若竹七海のファンの方が喜びそうな展開であるが、実際、作中に登場する「小町奈々子」は、実に可愛らしい。ストレートなミステリファンで、ゆえに情熱的なのだが、決して出しゃばりやお転婆といった印象ではなく、ミステリへのひたむきさが自然に彼女を、一途に恋をする乙女のように可憐に見せているのである。
 この、若竹……もとい、小町奈々子嬢が、エラリーに「国名シリーズ」についての疑問を投げかける「ミステリ問答」の部分、これは文句なしに面白い。「国名シリーズ」のトリックに関わってくるので詳述はできないのだが、クイーンのファンならばいちいち膝を打つことも多かろう。逆に言えば、クイーンの諸作品を読んでいないと、いったい何のことやら分からずに置いてきぼりを食らうことになる。
 私も鈍感でよくなかったのだが、本作を読んで、通常の翻訳としては悪訳としか言えない出来栄えの「井上勇訳・創元推理文庫」のクイーンの諸作が、ある作品に限っては「青田勝訳・ハヤカワミステリ文庫」よりも優れていることを知った。これでは、未読の方にどちらの版で読め、と勧められない。全く困ったことである。もはや国名シリーズは、「創元文庫版とハヤカワ文庫版を両方とも、作品発表順に読んでください」と言うしかない。その上でこの『ニッポン硬貨の謎』を読んで頂ければ、私の言わんとすることはご理解いだけるだろう。
 しかし、この小説が面白いのはまさにその部分だけであった。小説中でこういう「クイーン論」を展開させたなら、当然それが本筋にだって関わってこなきゃ辻褄が合わないのだが、それが何にもない。ただ単に、エラリーと奈々子との信頼関係を結ぶ役割しか果たしていないのである。
 私はてっきり、わざわざ「あんなこと」を持ち出したのだから、これとこれはあれやそれという感じで殺人事件の「ヒント」になるのだろうと思っていたのだが、予測は見事に外れた。「クイーン論」と事件は何の関係もなく、それどころかこれにかなりなページを食われたことで皺寄せが来たのか、本筋の事件はあまりにも単純であった。つか、「あれはないよな」である。「50円玉20枚の謎」は、若竹七海女史が実際に体験した出来事で、真相は藪の中なのだが、だからと言ってクイーンが興味を持つほどの事件とは言えまい。だからこそ、無理やり「幼児連続殺人」と結びつけたわけだが、余計な設定を増やしたおかげで、その解答は殆どコジツケにしかならなかった。『名探偵コナン』並、ミステリファンだったら「ふざけるな」と灰皿を投げつけたくなるくらいにテキトーだったのである。
 いや、そこで私は私で、読みながらあるトリックを思いついたのだが、そっちの方がよっぽど面白いと思う。小説を書くアイデアのヒントにはなったので、買って損したとは思わないけれど、パスティーシュを書く場合、書き手はオリジナル作品の作者よりも実力が上じゃなきゃならないんだなあと痛感したことである。

2004年07月22日(木) 風呂の夢を見る女
2003年07月22日(火) オタクの末路?/『吼えろペン』8巻(島本和彦)/『フロイト先生のウソ』(R・デーゲン)/DVD『マジンカイザー死闘!暗黒大将軍』
2002年07月22日(月) 角川+大映=…?/『楽勝!ハイパー▽ドール』vol.2(伊藤伸平)/『スレイヤーズすぺしゃる�魁,襪覆討�・へすてばる』(神坂一)ほか
2001年07月22日(日) 愚か者の舟/『ハッピーマニア』1巻(安野モヨコ)ほか



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