無責任賛歌
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藤原敬之(ふじわら・けいし)

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2005年09月09日(金) 自分で書いてても鬱陶しいわ/『宗像教授異考録』第一集(星野之宣)

 さて、ppのメンバーを震撼させているかあるいは無視されているか(つか、無視するよな)のカトウ君のプログでの私とカトウ君のバトルであるが、もうどんどん泥仕合と化して来ている。そうなんなきゃいいがなあと思いつつ、なったらなったでしゃあねえやなと覚悟を決めて、始めたものの、ワケも分かってない第三者まで参入してきて、どこまで続くか、見当も付かない感じだ。
 それでも私はカトウ君のことを身内だと思って接してきたし、だからこそ個人攻撃じゃないかと言われようが一切、容赦をしなかった。本気で相手と意見を戦わせようとすれば、その人格にまで立ち入ることを避けられるものではない。私はこれまでにも、しげにも、よしひと嬢にも、鴉丸嬢にも、余計なことばかり口にしてきている。彼女たちがそれで腹を立てたことも何度もあると思うが、かといって、私が思っていることを黙っていれば、カンのいい彼女たちのことだから(しげ除く)、私が何か言いたげだけれども、それを口にせずに何か鬱積した思いを抱いていることをすぐに察知してしまうことだろう。そのほうがよっぽど気持ちが悪いし、彼女たちに対して不誠実である。だから、嫌われることを覚悟でモノを言っている。好かれたいとか、あなたのためを思ってなんておためごかしではない。
 もちろん、カトウ君に対しても、彼が怒って絶縁状を突きつけて来たとしても、私は蕭然としてそれを受け入れる覚悟でいたのである。たかがテレビ番組くらいのことで、ではあるが、人間、どんな些細なことで諍いが起こるかは分からない。私は、自分の書く文章、一字一句について、どんな批判を受ける覚悟もしているのだ。それなのに、カトウ君にはいったい自分の言動にどれだけの覚悟があるのか甚だ心許ない。へらへらして姑息な逃げをすぐに打つが、それがどれだけ相手に対して失礼か。私がカトウ君を一人前の大人として(以前から幼稚な言動はやたら多かったが、会話するためには、大人として遇するのが礼儀である)会話していたのが馬鹿みたいである。こっちの日記でもちらちらと感想を書いてはいても、主にカトウ君のブログにコメントを付け続けたのは、最終的な裁量権をカトウ君に預けるためだったのに。
 今日になって、カトウ君から、「リンクを外してくれ」と言ってきた。そこまでは、「ああ来たか」だったのだが、その次が呆れた。「でもプライベートではお付き合いを続けたいと思います」。
 なんじゃそりゃあ?! お前は俺に対して腹を立てたんじゃなかったのか? 俺の言うことに納得がいかないんじゃなかったのか? 何だその中途半端な覚悟のなさは!
 カトウ君が「リンクを外す」と言った理由は、私がある腐女子さんのサイトのURLを、「君のイタさって、ここんとこのサイト並だよ?」ということを示すために貼ったからである。これが彼の正義感に反応したわけだが、言うに事欠いて、「絶対に自分は間違ってない」である。
 余談になるが、私はホモオタさんの件で、法務局を訪ねたことがある。そのとき、インターネットの差別書き込みなどの問題について、様々なレクチャーを受けた。そのときに担当官の方から念を押されたことは、たとえどんなに差別的と見られるような書き込みがあっても、簡単に削除などができるものではない、ということである。法務局が削除要請をするものには厳密な基準があり、検討に検討を重ねた上で、ようやく管理人に対して要請が行われる。それとても、「強制力」はないのだ。名誉毀損によって訴えられる例は、ごく少数なのである。これがどういうことなのかはご理解いただけるだろう、何よりも最大限に保障されなければならないのは、「表現の自由」なのである。私もこれまで、しょっちゅうこの日記のリンクをあっちこっちに貼られて晒されたりしているが、たとえそこでどんなに批判的に扱われても、これも「引用」の範囲内で許されていることであるから、腹を立てたことなどはない。どんなシロウトの日記だろうと、表に晒した以上は、批判の対象になることは避けられない。それがいやなら、とっととネットから去るしかなかろう。法的にも何の問題もないし、削除も含めて書き込みをどう扱うかの裁量もカトウ君に任せている。それでカトウ君に何の正義があるというのか。リンク貼りに何か異常なものを感じているのは、カトウ君の常識の方が異常なのである。自分のちっぽけな正義感が、もっと大きな、「人間の表現の自由」を犯していることに気付いていない。私に非があるとすれば、せいぜい「下品なことをした」程度であるが、彼がここを先途と「これだけは自分が間違っていない」と主張するのは、他に自分がすがれる論理を持たないからであるし、その行為は私以上に下品である。根拠のないプライドだけは高いので、潔く振る舞えず、やたら噛みついてくるのだが、そんなことをすればするほどカトウ君の異常さは目立つことになる。もし私のこの論理がおかしいというのなら、「法的に何の問題もない」という点を覆してみせなさい。と言うか、してみせろ。それが、「正義」を振りかざしたカトウ君の義務だ。「法の話なんかしてません」とか、また逃げを打たずに。
 私とカトウ君のバトルが、個人攻撃に移ってしまうのは、彼が一見、作品のことについて語っているように見えて、その実、「この作品を好きな自分を理解してほしい」オーラを発することになっているからである。彼が「主観」「主観」と口にするのはこのためで、結局、彼には自分の思い込みしかない。そりゃ、「人の話を聞けよ」と言いたくもなる。
 彼は「ネット上での考えには相違があるので、リンクを外したい」というが、この論理も意味不明である。私の掲示板に来られる方で、ネット上のルールについて、私と意見を異にする人はいくらでもいるが、そのことで掲示板に書き込むことを禁止したり、相互リンクを外したりする理由にはならない。そんなことをすれば、日本人の大半を閉め出さねばならなくなる。先ほども述べた通り、法に抵触しない以上、「誰もがレスを付けることのできる」ブログや掲示板への意見は、最大限尊重されなければならないからだ。それこそ、『響鬼』のブログの管理人が、批判書き込みも一切削除しないように。ヒステリーを起こしている管理人の運営するサイトでは、たいした批判文でもない書き込みでも、管理人の逆鱗に触れただけで削除の嵐になってしまう。カトウ君はその「危険領域」に片足を突っ込んでしまっているのだ。
つかねー、「絶対に俺は間違ってない」なんてモノイイ、マトモな人間は絶対に言わないよ。これもどうせカトウ君は「そんなつもりでは言ってない」とか卑怯なことを言い出すかもしれないから、だったら「この件だけは自分にも何がしかの根拠はあると思っています」と言い直せ、と言っておこう(そういうつもりで言っているのだと好意的に解釈してである)。それでもって、もっと明確な、主観ではない根拠を示せればいいのだけれど、結局彼は何も示さないもんな。
 この手の初歩的な言葉遣いもままならなくて、言ってることが前と後とで矛盾しまくっているから、言葉をそのままに受け取っていいのか、裏に何か別の意味があるのか、判別がつかず、どこにどうコメントを付ければいいのか、分からないのである。
 文章が下手なら下手で、どんなに努力しても自分の意志が伝わらないこともあるのだということは覚悟して、いちいち弁解しないくらいの潔さがあればいいものの、口では「自業自得です」などと言いつつ、余計な一言をいつも付け加えて、事態をまた紛糾させてしまう。そこが卑劣だ。「自分は意見の押し付けなどしていない」などという主張が、全くの「ウソ」であると理解できないのであれば(だから「主観」という言葉を使えば、そうなるんだよ)、リンク外しでもなんでもすればよい。ただ、ここまで一見柔らかな口調で、内実ただの押し付けをやらかした以上は、それを要求することは私に対して「縁を切ります」と主張しているのと同じ意味だと解釈する。これも「そんなつもりはない」などと逃げるな。「そう受け取られるよ」と言っているのに、あえてそれを行いたいというのであれば、実質的に絶縁宣言をしているのと同じことだ。全く、こうまで「こんな風に取られる言動を取るな」と言ってるのにそれを取り続けるやつも珍しい。
 まあ、「言葉の不自由なやつを苛めたってしようがないじゃん」とお諌めたい方もいらっしゃるかもしれないが(カトウ君相手だとそれも少ないかもしれないが)、これまでカトウ君が私に対して堂々とモノを言わずに陰口ばかり叩きまくっていたことは知っているので、そんなやつが「正義」を振りかざしてきたので、「ふざけるな、何様のつもりだ」とカマしてやっているのである。さあ、カトウ君がどう出るか、人に責任を押し付けずに、自分の意志で「あなたとは付き合えません」と言えるのであれば、少しは見直してやれるのだが。
 どうせまた、あっちこっちにメールしまくって愚痴だの陰口だの叩きまくることしかできんだろうな。


 夜、よしひと嬢から電話。
 しげの今度の泊まりについての打ち合わせであるが、肝心のしげが、明日のハカセとの結婚式に備えて、早寝してしまっていたので、後日、本人から連絡させるようにすると話す。
 カトウ君との一件についても少し話すが、「(カトウ君を)心配してる?」と聞いたら、「いや別に」とニベもない。「『このバーカ』と伝えといてください」と言うので、日記に書くことも承諾を貰ってこうして書く。これがまあ、カトウ君のこれまでの「蓄積」の結論なのである。

 と思っていたらまたカトウ君からメール。
 「縁を切りたきゃ切っていいですよ」。
 ……しばし呆然。
 世の中には何言っても通じないやつはいるものだし、通じないだろうなとは思っていたけれども、なんかこんなに「典型的」だと、カトウ君に考える力があるのかどうかすら疑わしくなってくるな。怒涛のように「あほ」と返事のメールを送ったが、心の底から反省して冷静になろうと努力しているカトウ君のことだから、きっとご笑納いただけることだろう(笑)。

 と言ってるすきに、今度は下村嬢から直接電話。今晩は千客万来である。やっぱりカトウ君の件で、心配して電話をくれたのであった。
 いろいろあって下村嬢も疎遠になっているけれども、彼女は私がいかに悪辣な人間かを知っているから、カトウ君のことを心配しているのである。「だって、彼は乙女だから」。言葉は柔らかいが、まあ、アレだってことだね(笑)。
 しかし、そんな比喩をされるとまるで私がいたいけな少女を拉致蹂躙して入るみたいである。カトウ君の外見は乙女とは程遠いんだけどなあ。
 「なんとかならないんですか?」
 「どうなるかねえ。別にどうなったって構わないとみんな思ってると思うけど」
 「……カトウさんがかわいそうになってきました」
 心配されてるけれども諦めもされているわけで、心配するだけ無駄な労力を使うことになるとは衆目の一致するところであろう。

 で、これで終わりかと思ったら、またメール。
 ああ、今度はハカセからだった! 何かホッとしてしまったが、昨日の日記を読んで、「ご祝儀少なくてもいいですよ。生活大事にしてください」という心遣いだったのである。まあ、こうなることは分かっていたのだが、昨日も書いた通り、恥曝しを覚悟して日記を書いているので、ゲルピンを隠しておくことなどできないのである。
 ハカセハカセ、今んとこ、ガスは止められてないからまだ大丈夫です(笑)。


 マンガ、星野之宣『宗像教授異考録』第一集(小学館)。
 いったん連載終了した作品が再開されることは決して珍しいことではないが、『サルまん』の「パート2ものは当たらない」法則は、本作に関しては杞憂だろう。星野ファンの(もしかしたら、高橋英樹ファンもいるかな)ほとんどが、民俗学の泰斗、歴史上の様々な謎について「異説」を唱え続ける宗像伝奇(むなかた・ただくす)の再登場を待ち望んでいたのである。
前作『宗像教授伝奇考』では、当初、宗像教授が伝説の巨人に遭遇するなど、SF色が濃かったものが、後半になればなるほど、かなり本気で歴史の謎に踏み込んで行くことになり、ミステリーとしての特色を強めていくことになる。今回も、遮光器土偶、山本勘助、聖徳太子、インド原始仏教の謎が、宗像教授のフィールドワークによって解かれていく。しかし、やはり本作のベースはSFであって、ミステリーであれば読者が憤然とするだろう宗像教授の「幻視」によって、解答が提示されることも多い。
 しかし、その解決の瞬間 ―― ネタバラシになることを避けるなら、ある人物が遮光器土偶を手にして呟く言葉 ―― のシーンを見たときに、たとえそれが「幻視」であろうと、それが土偶の真実であったに違いないと感じさせる説得力がある。もちろんそれは、星野さんの画力、構成力があればこそだ。
今巻では、『神南火』の主人公、忌部神奈も登場し、宗像と推理バトルを繰り広げる。ファンサービスとして嬉しい趣向であるが、バトルの題材となった聖徳太子の謎が、ほかのエピソードに比べてややインパクトに欠けるのが残念であった。

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