きっと どこかで
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2004年06月20日(日) 障害者の過ごす社会は・・

昨日の話の続きのようになるけど、私は、養護学校や、障害児学級を否定するものではない。それが、普通の人達と、離れていて、そういう人達が存在する事すら、私は、子供の頃は知らずにいたのだ。私の小学校にも、障害児学級はあったが、卒業するまで知らなかった。卒業写真のアルバムに、そのクラスの子供達の写真が載っていて、初めて、そういうクラスがあったことを知ったのだ。

そういうのでなく、障害を持っている人を特別な人と考えるのでなく、うまく言えないけど、ごく自然に側にいてもおかしくない、そんな社会になればいいのになあと思うのだ。

障害者扱いすることには、ある問題点も指摘されている。自分は障害者なんだから、出来なくてもいい、となげやりな気持ちになる人もいるらしい。ある意味、それは正しいことなのかもしれない。出来ないこともある、と認めることはつらいけど、しかたないこと。でも、自分にも、できる事があるんだ、ということに気づく事、それにより、自信を取り戻すことが出来るし、それを利用して、社会貢献が出来るし、場合によっては、それを仕事にして、自活することが出来るかもしれない。

結婚前、私の父と旦那は、ある論争をした。不妊治療して子供を持つ事はどうなのか。自然に反する事、と旦那は反対した。父は、子供が欲しいという気持ちがあり、それを助けるために、考えられた事なのだから、と正当化した考えを持っていた。

今障害者が生きていくためには、医学の力の助けを借りていることも多い。それで、障害者が幸せに生きていけるなら、いいのではないのだろうか。人は誰でも、幸せになりたいと思っているし、そうなる権利も、あるのではないだろうか。

なんだか、障害者について考える人みたいになってしまっているけど(最近の日記)そんなに重度の障害者が近くにいないから、そんなのんきなことを言っていられるのだと思っている人がいるかもしれない。

昔、病院で栄養士として働いていた頃、植物状態の方とか、重度の症状の方の食事を作るのは、栄養士の担当だった。経管栄養食とかは、まだ理解できたが、ミキサー食については、どうも理解できなかった。ミキサー食をどのようにして、食するのか。ここの病院のミキサー食は、食事全部をミキサーにかけるというもので、とても食べられるものではない。(味も全部混じってしまっていて)他の方は、そういう指示だから、という答え。私には、こんなものをどうやって食べるのか・・。考えただけで、気の毒になってしまった。おいしくもない・・。

その後、病棟へ行かせてもらった。植物状態で、全く動かず、でも、目だけは開いている方もいた。植物状態とはいえ、感情もある程度あるのではないか、とも思えた。ただ、言ったり態度にしたり出来ないだけで。

植物状態の方は、飲みこむことすら出来ないため、口から管を入れそこに栄養物を流し込み、胃まで送り込む。直接胃に入るのだから、味など関係ないと思っているのか、とその時思った。

看護婦さんたちが、その方達の側に付き添っていたのだけれど、何かをするたびに、話しかけながらしていたのが印象的だった。物言わぬ人に向かって、話しかける、でも、それは、本人にも聞こえていて、何か感じているんだろうなと、思わずにはいられなかった。

看護婦さんに「この状態から、回復することはあるんですか?」というようなことを、その時、聞いた気がする。そしたら、「いや、ほとんどないんですよ。」と答えた。その時、ある植物状態の患者さんが、涙を流したように見えた。やはり、感情のある方もいるんだなあと思って、切なかった。そうでない、ほとんど、眠っているような感じの方がほとんどだったけど。

命の尊厳という言葉がある。植物状態の方についてはどうなのか・・。よくわからない・・今でも・・。やりたいこと、出来ずに生きていくのは、つらすぎる・・。


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