きっと どこかで
DiaryINDEXpastwill


2005年09月05日(月) 実母の葬式当日(その2)

(その1)で火葬場までの話を書いたので、その続きを。

葬議場を出るとき、木の札(何ていうんでしょう?)を持つ人(喪主)遺影を持つ人(私ー故人の長女)骨壷を持つ人(妹ー故人の次女)という順番で出て行く。

棺は、故人と血のつながった男性が担ぐのだと、聞かされていたが、葬祭場の男性が担いでくださった。

火葬場までは、何台かの車とマイクロバスで行く。その順番もある程度決められている。

車の運転手さんからは、「遺影が外からも見えるように前向きにしてください。」と言われ、しばらくそのままに。しかし、葬祭場から離れ、街中を走っている時、いかにも・・という感じだったので、途中から、遺影を掲げるのをやめた。

父や母の親戚の方々が火葬場まで見送りに来てくださった。そして、そこでも簡単に焼香などして、点火台の方まで棺を運ぶ。点火のスイッチを押すのは喪主なんだとか。

そこまでの見送りで、ほとんどの方は帰ってしまわれた。葬祭場へ戻った方もいるけど。後残ったのは、父の兄弟、母の兄弟、そして娘である私達と孫である私達の子供。

私の住んでいるところの火葬場は、近代的な雰囲気で、建物もきれい。中に喫茶コーナーもあって、待っている間に、ジュースやサンドイッチやビール名ど、好きな物が注文出来る。葬儀の時間が12時と、ちょうどお昼と重なってしまって、あまりきちんとしたお昼ご飯が食べられなかったので、私は、サンドイッチを注文。子供達も、ざるうどんやジュースなどを注文していた。

どのくらいの時間がかかったのか覚えていないのだが、もう焼きあがったとのことで、骨を拾いに・・。

持参していた骨壷の中に、割り箸のような箸で、骨をつかんで何人かで回し箸をしながら入れていく。だいたい3人くらい。1回すると他の人と交代して、そこにいる人で希望する人みんなが出来るようにする。でも、骨壷は小さく骨は全部は入らない。そんなものだとは、今まで気がつかなかった。何度かここへは、他の人の葬儀でも来ているはずなのに・・。残った骨は、どこか遠方のお寺に運ばれるのだと、その時初めて知った。

さて、それが済んだら、急ぎ、葬祭場へ戻った。すぐ、初七日の法要をする為。初七日というのは、本来は、葬儀の一週間後にするのだが、繰り上げて、葬儀の当日にするのが、恒例になっているのだとか。

初七日の法要も、葬祭場で行われた。その後、みんなで会食をするのがしきたりとなっている。母の死から、葬儀当日まで、ずっと、忙しかったので、お疲れ様、とでもいう感じだろうか?

会食が終わり、親戚の方々が帰った後、荷物を家まで運ぶ。結構荷物は多い。車2台くらいに分けて、荷物を運ぶ。私や、妹の車に荷物を載せる。車で来ていなかった父は、私の旦那の車か何かで乗って帰れると思っていたが、予想外に荷物が多く、父と、子供達数人はタクシーで帰ることに。

葬祭場を出ようとしているところ、もう次の、利用者が入ってきていた。そう、ここは、そういう施設なんだ。

実家に帰って、明日、お参りに来る人がいるかもしれないと、急ぎ、祭壇を準備した。(これは正解でした。)

その後、夜遅く、父、私達娘達、旦那と一緒に、ビールを飲みながら、まあ「お疲れ様会」といったところか。ずっと、お酒も飲めなかったので。


↑エンピツ投票ボタン
My追加


ライム |MAIL

My追加