きっと どこかで
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2005年10月09日(日) |
母の葬儀翌日以降(その3) |
母の葬儀関連の話に戻ります。
母が亡くなった日に、私は、研修に行く予定だった事は前に書いた。直属の上司や、東京の業務担当部長さんが、いろいろ気を使ってくださって、私の他にも、研修に来れなかった人がいること、後、東京の人の研修がまだであったことなどで、もう1回、同じような内容の研修をするから、それに出席したらいい、という話をしてくれた。
実際にいくはずだった日の分の飛行機のチケットのキャンセル料、また、次の研修の飛行機代と研修の時に取っていたチケットの差額代、全部、職場で負担してくれた。
その、代わりの研修は、1ヵ月後くらいに行われた。
来れなかった人がだいぶいたのかと思ったが、実際来ていたのは、東京以外で来ていたのは、私の他に一人だけだった。
かなりていねいに教えていただいた。後から聞いた話だが、実際の研修の時は、それほどていねいに教えてもらってなかったようで、私はちょっと得したみたいだった。
研修は2泊2日のスケジュールで行われた。主に東京の方向けの研修ということだったので、1日目、朝9時から5時まで、2日目、朝9時から5時までということだったが、旅費は3泊分もは出せないということを言われ、2日目の飛行機に間に合う時間に帰るように言われた。
1日目は宿泊した場所の近くの、いつもいく本部事務所だった。歩いても行ける場所に宿をとった。2日目は、地下鉄や電車を乗り継いで1時間くらいのところ。
パニック障害の持病のある私は、この朝の地下鉄がちょっと心配だったのだが・・。実際、乗っている時、気分が悪くなりかけたが、なんとかやりすごすことが出来た。外の風景が見えない、閉鎖された鉄道、というのを考えただけで不安になるのだ。
ついた駅で、1日目に一緒だった方と偶然一緒になり、研修場所まで一緒に歩いていく事にした。なぜ研修に行けなかったのか話してあったので、この日私の顔色が朝ちょっと悪いのを察したのか、「お母さんが亡くなってしばらく大変だったでしょうね」と話しかけてきた。いや、それじゃないんだけど・・これはいつもの持病の不安発作のようなもんなんだけど・・。
他のところでも、この後も、いろんな人に出会うわけなんだけど、母親が亡くなったことを話題にしてくれたのは、ある程度年齢のいった方ばかりだった。そうでない方は、まだ、そういう経験をしていない(身近な人が亡くなったという)から、わからないのかなと思ったりもした。
私の年代でも、母親を亡くしたのはそう多くはないだろう・・。母はまだ69歳だった。
2日目の研修は、2日目の午後に来る予定だった方が、急病で来れなくなったとかで、代理の方の研修で、講義のみで、ちょうど私が帰る予定だった、午後3時くらいにはほぼ終わっていた。
飛行機は、上司から、もし私が、乗り遅れても大丈夫なように、最終便のひとつ前の便を予約するように言われていた。後、おみやげ買う時間もちょっと欲しい、ということで、実は、羽田空港についてから、1時間くらいは余裕があった。でも羽田空港は広いし、荷物チェックも時間のかかる時があったりするので、このくらい余裕を見ておかないと、危ないと思う。
で、予定どおりの時間に研修場所を出られたので、羽田空港でも余裕をもって、手続きをすることが出来た。
なんだか、別の日に、研修を受けて、もしかしてちょっと得したのかも、と思いながら、帰途についた私だった。
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