きっと どこかで
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最近、家の中の片づけをする事を日課にしている私。(年明けから)去年は仕事が終わって家に帰って慣れない家族の夕食作りが終わるとヤレヤレ・・と言う感じで、平日はあまり家の事もしていない状態だったので、かなり家の中が散らかっていた。
実は、この家に引っ越して来てからは、実母に夕食を作ってもらっていたんだよね。家がちょうど実家の隣にあるので。実母が、私が帰ってから夕食を作っていると、出来上がりが遅くなってしまうので、子供がかわいそう、ということで、作ってくれていた。それも、実母が、体調を悪くするちょっと前あたりから、もう、そっちの分の夕食は、ライム(HN)が作ってくれ、というような事を言われた。それから、作るようになったのだが。しばらくして、実母は、入院してしまったのだが。
それで、片づけをしていてふと手にした「マミークラン」9月号(森永牛乳宅配の家に配られる冊子)に載っていたこと。
「日野原重明」さんとの対談記事が心に残ったので、書く。
「新老人の会」というのを作って活動されているということ、そこには3つのスローガンがあるということ。
まず第一に、「愛し愛されることの大切さを感じること」それは、「無償の愛、代償を望まない愛」とのこと。無償の愛が幸せをもたらすのだという。
あと二つは、「75歳から新しいことをやること」「耐え忍ぶこと」どういうことかというと、「ただひとりの孫が死ぬとか、会社の倒産といったつらい経験をすると、自分よりもっとつらい人の心が感じられる深い人間になるんです」とのこと。
「そういった生き方をして、与えられた人生の最後にね、『生まれてきてよかったな』という感謝を誰か近親者に伝えることができれば、これ以上の幸せはないですよ」と締めくくられていた。
私の場合は「耐え忍ぶ」というのを毎日実感する日々である。確かに、つらいけど、似たような事で悩んでいる人の気持ちに寄り添ってあげることくらいは出来るような気がしている。アドバイスなんて、たいそうなことは出来ないけど、自分の経験も話して、同じような事をライムさんも考えていたことあったのね、と思って、自分も頑張ろうと思ってもらえるとうれしい。
人と接するときは、基本的に私は無償の愛、である場合が多い。相手に何かを期待して、というような接し方はしていない。そういうのは、苦手だし、期待しても、何かしてもらえることは、ないことの方が多かったので、相手には期待しないことにしている。
でも、人と接する時は、常に相手の立場に立って、考えて行動する、と言う事を心がけている。(相手にはそう見えてないかもしれないけど)話しする時でも、一方的に話すのでなく、相手の反応を見ながら話すように心がけているつもり。これは、上司に対してもそれ以外の人に対しても同じ。
私のまわりでも、上司と話す時と、それ以外の人と話す時で、明らかに話し方の違う人がいるが、そういう人間は、私は信用できない気がする。でも、そういう人間の方が、上司受けはいいんだから、不思議なものだ。私はそういう人間にはなれないなあー。
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