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2001年06月30日(土)    人は老いるにつれて、何を手に入れるのか

先週末に両親に会い、自分の親に予想以上の老いを感じたせいだろうか。
ずっと本棚に置かれていたままだった標題の本を取り出して読んでいる。

『人は老いるにつれて、何を手に入れるか』
メアリー・C・モリソン=著/香川じゅんこ=訳/ディスカヴァー21発行

1999年1月に発売された書籍で、たしか発売直後に店頭で手に取り購入した本。
表紙の装丁が気に入ったのと、「人生とは何か?」「自分とは何か?」「自分は
一体どういう人生を歩みたいのか?」などについて模索していた時期だったので
買ってしまったように思う。

しかし、その時は、買ったものの時間に忙殺されて読むこともなく、こうして
2年以上の月日を本棚の片隅で送っていたというわけだ。でも、その本の存在は
常に漠然と頭の何処かに記憶されていて、両親と会ったことがキッカケとなって
本棚から取り出してみたというわけ。買った時には、まだ読む必要のない時期で
大した縁はなかったけれど、今こうして読み時に至ったということか。

著者のメアリー・モリソン女史は、アメリカに住むクエーカー教徒である。
原書は、モリソン女史が87歳の時に書かれた。当初、クエーカー教徒向けの
パンフレットとして配布されたのだが、その評判が宗派を超えて口コミで広がり、
購読希望者が殺到。それを受けて1998年2月に米国で単行本として出版され、
現在もロングセラーを続けているようだ。

内容は、大きく3章に分かれて構成されている。
第1章 始まりの時  、  第2章 実りの時  、  第3章 終わりの時
各章は8〜12ほどのショートエッセイで構成され、「思い出」「感謝」「疲労」「孤独」
「祈り」「仲間」などのタイトルで簡潔に書かれている。

まだ途中までしか読んでいないが、個人的には「思い出」というのが好きだ。
かつてたどった道を、老いたわたしたちは別のところから眺めている。
無我夢中で歩んでいるうちは、けっして見ることのない全景の、美しい眺めの
ひとつとして・・・。


”人生を謳歌し、思い出の中にそれを浮き上がらせる時、私たちは英知を得る。
まとまりある全体として人生を眺めるようになる。偶然とも思えるひとつひとつの
出来事は、いまや筋の通った全体を形づくり、知らず知らずのうちに下してきた
決定が、意義深いものとなって姿を現す。”

著者に比べれば、まだまだ人生という山を登り始めたばかりのひよっこにも、
その意味は分かる気がする。人生を大きな山に喩えれば、頂上に至るまでの道程
には、小さなアップダウンがあるだろうし、幾つかの分岐点や小さな頂があるの
だろう。今、私はちょうど1つの頂を越え、割合に平坦な道を歩いている所なの
かもしれない。そう思う日々だ。

”心が安らぎ、思い出を十分に刈り入れたならば、若者たちを見るまなざしにも
愛が宿る。若者たちは、かつて私が歩み、今もはっきりと思い出すことのできる、
その同じ道を歩んでいるのだから。
そして、老いた私たちは、その道を、いまや別のところから眺めている。
無我夢中で歩んでいるうちは、けっして見ることのない全景の、美しい眺めの
ひとつとして・・・。”

ここの部分を反芻して読めば読むほど、自分とテニス部の後輩たちの関係を思い
出さずにはいられない。テニスに関していえば、私は既に老兵だ。現役を退き、
老いた者として後輩に接する時、これと同じ気持ちになる。

ちなみに、日本版のブックデザインは鈴木成一デザイン室が担当している。
そう、前田京子さんのテキストブックと同じところである。

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