独り言をつらつらと | old day days list new day |
出逢いと別れ 泣くも笑うも 好きも嫌いも 仮通夜。→→→2002年08月27日(火) 独り言にはさらさら書けない、絶対に書くまいと思っていたことを、 今から公の場で披露します。 27という数字に縁があるのかと私は思う。 昨日、近所の88箇所のお遍路を回ってみた。 だんだん周りが暗くなってきたので帰ろうと思って進むのを止めたのが 27番目のおじぞうさん。 私の誕生日、10月27日。 私の敬愛する白玉雅己の誕生日、4月27日。 そして 私の父ちゃんがこの世から姿を消した日、8月27日。 実家は私が小学校1年生のときに焼き鳥屋をはじめた。 脱サラした父ちゃんが始めた焼き鳥屋。 私の父ちゃんに関連する思い出で一番最初に浮かぶのはその店だ。 私と父ちゃんはとても似ている。 すぐキレるところも、没頭して周りが見えなくなるところも、 人に頼まれると断りきれないところも、突拍子もないところも。 最期には間に合わず、私が鹿児島へ帰ってきたときには 実家の大広間に父ちゃんが寝かされていた。 考えられないが、父ちゃんが死んでいた。 丸坊主で、髭が生えてて、背が高くて、でかい父ちゃんが 焼き鳥屋のはっぴをかけられ、そこに寝ていた。 親戚のおばさんに引っ張られて離されるまで、私は父ちゃんに叫びつづけた。 私の大きな声を聞けば、起き上がってくるんじゃないかと思って。 起き上がってくると思っていた。 『おう、何ね?帰ってきたんね?』って笑ってくれると思って。 遺影には、私の撮った写真を使ってもらうことにした。 既に斎場に出来上がった写真があったのだけど 10年前の太っていた頃にスーツが着せられていて、お世辞にもその姿は父ちゃんではなかった。 おまけにその写真の撮影者は私も父ちゃんも好かん人だった。 遺影には私がこの夏休み中に撮った写真をと懇願し、 大急ぎで斎場に持っていき、『最高に男前に加工してくれ』と言って預けてきた。 生きている父ちゃんを最後に見たのは夏休みに東京に帰る空港で。 空港のレストランに入って私はコーヒーだけ頼んだ。 離陸の時間が近づいていたから足早に家族と別れて私一人だけ東京に向かった。 父ちゃんとの会話はなかったけど バックに入れてた狼のzippoを『本当に貰っていいの?』と聞くと 父ちゃんは何も言わずにうなづいた。 あんなに気に入っていた狼のzippoを父ちゃんは私にくれた。 ひょっとしたら、その時点でもう長くはないと自覚してたんだろうか。 zippoやジーンズや時計が好きで、思わず買ってきては母ちゃんに問いただされて 『(値段)本当はもっとしたんだけど言うなよ。』ってこっそり笑って言ったり。 夜中3時過ぎまで起きてネットしてると父ちゃんが起きてきて 『まだ起きてんのか?!いいかげん寝ろよ!』ってこの年になってもやっぱり怒られて。 今の時刻は午前3時30分。 もう、怒ってくれる人がいない。 帰ってきた日は仮通夜。 予想していなかったくらいの人が家にやってきた。 父ちゃんの枕もとでずっと泣いている知り合いのお姉ちゃん。 私のことを心配して気遣ってくれるお兄ちゃん。 東京から父ちゃんの為に駆けつけてきてくれた人もいる父ちゃんの同級生達。 連絡を入れていなかったのに来てくれた私の高校の同級生や先生。 店のバイトをしてくれてたお兄ちゃんやお姉ちゃん達。 明日からの式の心配をしてくれている店の通りの人達。 明日はどうなるんだ。それより まだ父ちゃんは生きていると思っている私。 でももうこの時点で父ちゃんはこの世には存在しなかった。 家の祭壇のろうそくは次の日、本通夜の日の朝まで灯っていた。 |
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