独り言をつらつらと | old day days list new day |
出逢いと別れ 泣くも笑うも 好きも嫌いも 本通夜。→→→2002年08月28日(水) 葬式に慣れてしまうのは、本当に悲しい。 5月のばあちゃんの葬式をまだ覚えていたから 父ちゃんの葬式への準備もなんだか皆すらすらと手際よく事が進んでいった。 ばあちゃんの葬式は家でやったが、父ちゃんの葬式は斎場を借りてやることになった。 父ちゃんと一緒に斎場へ向かう途中、店に寄ってもらうことになった。 店で車を停めてもらって、父ちゃんが使っていたうちわを持ってきた。 その後、市内を一周して斎場に到着した。 斎場に入ってすぐに母ちゃんと父ちゃんの2ショットの写真が飾られて、 『いままでほんとうにありがとう』の言葉が書かれていた。 出来上がっていた父ちゃんの祭壇は考えられないほど豪華で、 棺の横に父ちゃんの着ていたベストとウェスタンブーツ、テンガロンハット、 いつも使っていたバッグとうちわを飾った。 遺族の控え室はこれまた考えられないほど豪華で、 綺麗な広い風呂に洗面台、冷蔵庫冷暖房金庫つきの2LDK。 父ちゃんがくれた滅多にないことだから、思う存分この控え室も使おうと母ちゃんは言った。 昼にはお坊さんが来て本通夜のお経を唱えて貰った。 夜になれば来てくれる人が多くなる。その前にとすぐ近くのスーパーまで買い物に出かけた。 出た後に気づいたが、今の今まで私はポルノグラフィティの白いツアーTシャツを着ていた。 大急ぎで東京から帰ってきた荷物のなかに、服は下着とそれしかなかった。 お客さんへの仕出しの材料、お茶菓子、 喪服用の黒いストッキング、 記録用のカメラフィルム3本、 今日はみんな眠れないのでリポビタン6本。 その日の夜はひっきりなしにお客さんが来た。 普通21時前には客足が止み、ゆっくりできるはず。が、 24時過ぎまで弔問客は止まなかった。 深夜1時ごろにようやく夜ご飯を食べた気がする。 既に妹と母ちゃんは寝ていた。 コンタクトつけっぱなし、涙流しっぱなしの私の目は限界だった。 コンタクトの洗浄液を持ってきていなかったので 知り合いのお兄ちゃんにうちの店に行くついでについてタクシーで向かった。 私が撮った最後の父ちゃんの写真には母ちゃんとそのお兄ちゃんも写っていた。 兄ちゃんにその写真を見せると何も言わずに、でも覚えててくれてたようだった。 店にあるお札に神封じをしないととそのお兄ちゃんが言い、 している間に私は誰もいない焼き鳥屋の中を見渡した。 平成元年12月1日から13年半、この店にはたくさんのお客さんが来てくれた。 私にはお兄ちゃんやお姉ちゃんがいなかったけど ここで出会ったお兄ちゃんやお姉ちゃんが可愛がってくれて 今も家族ぐるみで仲良くしてくれる人がたくさんいる。 それは父ちゃんと母ちゃんの人柄を好きでいてくれて、うちの焼き鳥を愛してくれてたからだと思っている。 連れてきてくれたお兄ちゃんも元はいちお客さんだった。 いつしか仲良くなって、お兄ちゃんの結婚式の仲人を父ちゃんと母ちゃんがしたり 子供達連れて家に遊びに来てくれたり、 父ちゃんちっちゃい子供達好きだったから可愛がるのに、顔が怖いから逃げられてたり。 お店から貰ったものはたくさんある。たくさんの思い出を時間が過ぎるのを忘れてずっと兄ちゃんと話し込んでいた。 斎場に帰りたくなかった。ずっと店にいたいと思った。 『店で葬式したかったな・・・』って言ったら、笑ってどつかれた。 団扇は持っていったけど他にももっていきたいものはたくさんあって 店の暖簾と、地元の大綱引きで押大将やったときの 飾ってあった鉢巻きと太鼓のバチを外して持ってきた。 斎場に帰ってきて、ようやくコンタクトを洗浄した後も眠らずに兄ちゃんと長々と話していた。 眠ってしまうとすぐ朝が来て、式が来る。 そう思うと眠れず、 あと、リポビタン2本飲んでたから眠れず。 結局明け方6時過ぎまで起きていた。 |
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