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壱カ月昨日明日


2005年02月11日(金) exodus+exile

 「安井仲治展」のため、名古屋へ行く。バスで。高速バス。往復で4600円と、新幹線の半額だ。安い。くたびれるけど、片道3時間くらいなのでまだ耐えられる。浮いた交通費で図録と、名古屋近辺の古書店でなんか安い古本でも買うつもり。

 名古屋市美術館で「安井仲治展」を観る。充実してて、本当に良かった。遠くまで来たかいがあった。安井仲治の写真『流氓ユダヤ』を初めて観て、衝撃を受けてから早や10年。いつか写真展が開催されるはず、と心待ちにしていた。美術館に入る前、白川公園の入り口に『犬』を引き延ばしたポスターが掲げられていて、これを見ただけでも胸がいっぱい。私が写真を追いかけて観るようになったきっかけは安井仲治だったなあ、と感慨もひとしおだ。ようやくここで原点回帰。
 こぼれた水、ちぎられたデモのポスター、破れた帽子、囚われた犬、労働者、朝鮮集落の人々、貧しくも明るい子どもたち、サーカスの団員、ユダヤ難民…、戦前の日本で最も見過ごされ、最も辛い毎日を強いられた人々やモノたちを、感傷を交えずひたすらクールに、しかし「撮られる側」に寄り添いつつ撮る。安井仲治の写真を見ていると、人々の顔、皺、筋肉の影とか、骨の輪郭や血管の隆起が、今にも動きだしそうな感じがして少し怖くなる。初めて安井仲治の写真を見た時、怖い、と思った。こんなに怖い写真は見たことがない、と思った。その気持ちは今も変わらない。怖くて、だからこそもっと見たくなる。 
 チラシにも書かれている安井仲治の言葉。
 『見る者と見られる者、その間には何の関係もない様で、しかし又、目には見へぬ何か大きな糸でも結ばれてゐる思ふ。』

 同時開催の「他者へのまなざし展」も観る。安井仲治が所属した「丹平写真倶楽部」が、1941年ヨーロッパを追われ神戸の居留地に流れ着いたユダヤ人難民を取材し連作として発表された『流氓ユダヤ』が展示されている。この作品には切なくて哀しいドラマがあって、心が揺さぶられる。「丹平写真倶楽部」には手塚治虫の父親も所属しており、メンバーのひとりである河野徹が撮った写真には、父について撮影現場にやってきた中学生の手塚治虫も写っている。ここで見聞きしたことが「アドルフに告ぐ」の下地になっているのだとか。

 名古屋には午前11時頃着いて、ほとんど美術館で過ごした。写真展の前に「yummy」という韓国料理のファーストフードみたいな店でごはんを食べた。こんな店は大阪にはない。美味しくなくもなかったが、少々味が濃くて、後から喉が乾いた。写真を見た後、フラフラと行き当たりばったりに歩いて、鶴舞駅の近くにかたまっていた古本屋さんをいくつか見て回ったけれど何も買うものがなく(値付けが総体的に高いようであった。天牛書店みたいな古本屋はなかなかないもんだ)、幸か不幸か手ぶらで名古屋駅まで地下鉄で戻り、駅前の高島屋で食料を調達して最終のバスで帰阪した。
 名古屋には何度か行ったことがあるし、行ってみればわかるだろ、と地図も持たず歩いたため、どこへ行くのも道に迷い、何度もいろんな人に道を聞いた。みんな親切に教えてくれた。道を聞く時は自転車に乗っている人を狙えばほぼ確実に教えてくれる。自転車に乗っている、ということは、その辺りを生活圏内にしているということだ。日頃私がよく道を尋ねられるのは自転車に乗っているからだと、今日はじめて気がついた。
 美術館もガラガラ、街中も名古屋駅周辺を離れれば閑散としていて、道幅が広いこともあってか、なんとなく寂しい感じがした。でも道路はゴミが少なくて、変な匂いもないし、公園もきれいに整備されてて、散策していても快適であった。大阪と比べると雲泥の差だ。Tは、カワイイ女の子が少ない、特に女子高生がひどい、とブツブツ文句を言っていたが、それに関して私はノーコメント。
 名神を走っている時、バスの窓から見えていた細い三日月がキレイであった。彦根あたりにさしかかった時にだけ月が隠れて、フワフワと雪が舞っているのを見た。

 午後10時すぎ帰宅。風呂に入って、ぐっすりと寝る。

・購入物:「安井仲治展」図録

・朝食:ツナとポテトのサンドイッチ、ドーナツ、珈琲
 昼食:yummyにて。レギュラープレートのポーク。韓国豆腐、キムチ、ポテト、春雨のサラダ、ライス
 夕食:帰りのバスの中で。チキン南蛮弁当と麦酒


フクダ |MAIL

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