机上の空論、と言われた。
言葉を失った。なぜなら私はそこで、現実ではなく理想を語っていたからだ。そして、それに対する胃の腑が焼けるほどのもどかしさに気付いていなかったからだ。 しかし、たった一人のために話しかけることが認められない場で、無垢なままこれから航海に出ようとするその他の多くの者を前にして、限られた時間で私にできるのは、今ある姿よりも本来あるべき姿を語ること、そしてそのように振る舞うよう期待すること、それが精一杯だった。それは今でもそう思う。 それでも、そのたった一人の現実への怒りと虚無感に気づけなかったことが、悔やまれてならない。自分の鈍さと無力さに、むなしくさえなる。
諏訪緑の漫画『玄奘西域記』に、こんな言葉がある。戦争難民の生活を懸命に助ける女性に対して、宗教の存在意義に迷う玄奘が心情を吐露する言葉だ。
「ぬくぬくと大学で仏教を学問することよりも、あなたのように市井で人びとに尽くすことのほうが、実はもっと大変で立派で尊いことのように思えてなりません」
今、同じことを思う。
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