ひとりびっち・R...びーち

 

 

レンズ交換 - 2001年03月26日(月)

 一昨日、図書館で借りてきた写真集『星野道夫の仕事 第1巻 カリブーの旅』(朝日新聞社)と、昨日、近所の本屋さんで見つけた『イニュニック[生命]アラスカの原野を旅する』と『ノーザンライツ』(新潮文庫)を見たり読んだりしていた。
 
 どうしてこんなに惹かれるのかわからないけれど、とにかくアラスカの大地と、そこに生きるもの(人間を含む)に感動している。

 十数年前、はじめて海外に行き、ロスからアリゾナのフェニックスまでドライブしたことがある。
 延々とまっすぐに続く砂漠の中の道を何時間も走った時、自分の中の「広さ」の概念が更新されるのを感じた。
 自分の目のレンズを、真新しい広角レンズに替えて物を見ているような気持ちだった。
 映画やTVで見たことのある風景ではあるけれど、ライブで感じた空間の広がりは、想像を絶するものだったのだ。

 その経験を反芻しながら、アラスカの広がりを思うとき、自分の目のレンズの限界を遥かに越える広がりなんだろう、と想像するより他ない。
 いつの日か、アラスカの大地に立つことを夢見ていると、想像のうちにも、レンズはどんどん広角になっていく。

 というところで、ふと、TVをつけて見ると大相撲をやっていた。

 アラスカサイズ(想像値)のレンズのままで相撲を見ると、とっても奇異なものに感じる。
 小さな円の中の変な髪型の裸の大男も、真中に立っている人形のような小さな人物も、正気の沙汰ではない映像に見えてくるのだった。

 普通なら、本を閉じ、TVをつけた段階で、頭の中でレンズが切り替わるのだろうが、ほんの少しそのタイミングがズレた。

 ほんの少し見る目がズレただけで、狐につままれたような感覚になってしまう。
 あたりまえと思って見ていたことが、とんでもなく有難いことに見えることもあれば、奇怪なものにも見えることもある。

 昨秋、オリンピックを見ていて、時々その感覚に襲われた。
 シンクロナイズドスイミングを見ていて、解説者が「綺麗です、すばらしいです」と言うのだけれど、水面で大股開きをしている脚の列は、どうにも美しいものには見えないし、作り込んだ笑顔で水中に没して行くラストは不気味だ。
 やはり、正気の沙汰とは思えなかったのだった。
 
 なんてことを考えているうちに、立行司の木村庄之助さんが50年の勤めを終える旨のアナウンスが聞こえてきた。

 あの丸の中で、半世紀もの間ジャッジメントしてきたのか、と思うと、こんどはズームレンズのように、時間軸をぎゅーーーんと動かされた。

 極北の自然の大きな営みから、土俵の上の細かい約束事を司る人の人生まで。
 
 今日はホントにレンズ交換の忙しい日だった。
 
 


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