リュカの日記

2006年04月11日(火)

今日は午前8時前に目が覚めた。
12時間くらい眠っていたように思う。
相変わらず、寝起きから気持ちがモヤモヤしている。

左上の親知らずで、まだ歯茎が被っているいる部分があって、そこを押したらまた痛み出した。
歯が、この歯茎を押し出そうと、めくり上げようとしているのだろう。
これが出てしまったら、もうこの先一生、「歯が生える」という体験は出来ないんだろうな。少し寂しくもある。

学校へ行ってきた。
1時限目の「日本文化基礎演習��A」が行われる教室は、俺がいつも「トゥルー・コーリング」を観ていた図書館の3階だ。
この建物で授業を受けるのは、今日が初めて。
さっそく、教室に向かった。
しかし、教室はガランとしている。
俺が教室に到着したのは、午前9時50分頃。
授業が始まって、約30分後だ。
この30分の間に、授業説明等が全て終わってしまったのだろうか。
その教室で、読みかけの「ベルセルク」を読みながら時間を潰した。
2時限目になった。
2時限目は「西洋美術史」だ。
先生が自己紹介をしていた。
「もしも学校外で私を見かけても、見なかった事にしてください。レストランでくつろいだりしている時に、自分の生徒に声をかけられたりすると、そわそわしてくつろげなくなってしまいます。私は、どの店に入っても『この店員はうちの教え子じゃないだろうか』と思ってしまって、気が気でなくなってしまう事が多いのです」みたいな説明を真顔で延々と続けていた。
気持ちは分からんでもないけど、変わった先生だな、と思った。
普通は、あまりそういう事は生徒に主張やお願いしたりしないものだ。
2時限目が終わり、昼休みになった。
弁当を食べた。
それから、タバコを吸いに、建物の外に出た。
そこには、いつも弁当売りの業者が着ている。
俺は金が無かったので、弁当を買った事は一度も無い。
でも、今は金があるので、見るだけ見てみる事にした。
せっかく着ている業者が居るのに、一度も利用しないまま卒業してしまうのも寂しいなと思ったからだ。
カツ丼やしょうが焼き丼みたいな弁当が売られていた。
その中には、紙コップの中に、から揚げとポテトを詰めた物もあった。
親が作った弁当をすでに食べていたので、とりあえずから揚げとポテトのセットだけ買う事にした。100円だった。
冷めていたけど、美味しかったと思う。
教室でそれを食べながら、「呪われし者の女王」の続きを読んだ。
3時限目が始まった。
3時限目は「彫刻��A」だ。
美芸院という場所に行った。
そこは、美術の実技を教える時に使われる建物だ。
俺がこの場所に入るのも1年ぶりだ。
去年は卒業単位が足りず、実技の授業が取れなかった。
建物の中に入ってみた。
記憶はあるけど、自分がかつてそこを利用していたのだ、という実感があまり沸かない。
他人の記憶の中に見ていた景色のように思えた。
幻想の中から抜け出てきたような風景にも感じられる。
同じ学校内に居ながらも、1年間利用する事が無かったらこんなものなのだろうか。以前は、日常的に、当たり前のようにこの建物に通っていたのに。
それから、彫刻の授業が行われる教室に向かった。
この教室に来るのも1年ぶりだ。
顔見知りの先生が現れた。
「ひっさしぶりやな〜、何してたん?」とか言われた。
単位が足りず、彫刻の授業を受ける事が出来なかった事を説明した。
他にも2人、彫刻の先生が現れた。合計3人。
「また色白なったな〜、もっと外出た方がいいで」とか「髪伸びたな〜」とか、色々言われた。
しばらくし、タバコを吸いに行く為に教室を出た。
教室を出た所に、以前自分が利用していたロッカーがあるのだが、そのロッカーの鍵を俺はいつも身に付けている。
何となく、ロッカーを開けてみた。
中には、1.2回生の頃に使っていた油絵のセットや、スケッチブック等が入っていた。あと、3回生の頃に使用したノコギリも。
この先使う事も無いだろうから家に持って帰っても良いのだが、何となく卒業までこのロッカーに仕舞い続けて置いておこう、という気持ちになった。
これも、『せっかくだから』だ。
それから、外でタバコを吸って、教室に戻った。
先生に「卒業単位が足りないから、卒業制作は来年にした方が良い」と言われた。なので、今年も卒業制作は取らない事になった。
そして、この授業『彫刻��A』だが、
この授業は、卒業制作と平行して行われるべき授業だそうだ。
なので、「この授業も取るべきではない」、と言われた。
俺が、「でも、この授業は単位が足りなくても取れるんですか?」と質問すると、「取れる」と言われた。
そして、「じゃあ、彫刻��Aだけ今年取っておくか?この授業の内容は、卒業制作の授業で作るものに取り掛かる、というものだから、本当なら卒業制作の授業と一緒に取る。でも、この授業だけを今年取るなら、卒業制作に2年がかりで取り掛かる、という事になるんだけど」と、説明された。
「それでも取れる事は取れるから、取っておくか?」と言われたので、これに同意し、俺は今年からまた彫刻の授業を受ける事になった。
午後15時30分頃になり、する事も無くなったので、そのまま教室を後にし、家に帰ってきた。
授業時間が終わる50分前だ。
なんか、大学を1回生からやり直したい。
1回生なら、あまり単位とか時間とかを気にしなくていいから。

久しぶりに風呂に入った。
最後に入ったのが3月20日。
まだあの子が10代の少年だった頃だな。
俺は極端な程の物臭で、滅多に風呂に入る事が無いので、
自分にとっての区切りが行われる時間の前には、必ず風呂に入る事にしている。
自分の誕生日の前だったり、卒業式の前だったり、そういう日には。
汚れだろうが何だろうが、区切られる前に存在していた物を、区切られた後の世界にまで持ち込みたい、という気持ちがあって。
風呂に入っている間は、いつも頭がボーっとしてくる。
何を考えている、という訳でなくても。
湯船に浸かってボーっとしていた。
だんだん苦しくなってくる。
これも別に、何かを考え、という訳ではなくて。
今でも、俺は日常的に心痛を患っている。
以前のようにハッキリと、「〜に対して」という風に、意識と連動してはいないけど。
上の方からグ・グ・グーー、、っと心が抑え付けられているような気分になって、だんだん呼吸が荒くなる。
この状態になった時、精神だけでなく、物理的にも圧力がかかって、自分の身も破壊されてしまえばいいのにな、といつも感じる。
解放されたい、とか。
時計仕掛けのオレンジという映画の台詞で言うなら、「ぶっ裂きたい」だ。
本当に、そういう気持ちが強くなる。
精神的な痛みや疲れは、肉体的なそれと違って、横になって安静にしてれば治ってくれるというものではないし。そうする事によって、ますます苦痛になっていく事だって多いのだ。
自分が何に対して苦痛を感じているのかと考えると、
決して、被害に遭わされた少年を悼んでとか、同情してという訳ではないのだ、という事は歴然だ。
独りよがりで独善的な意識に基づいての苦しみなのだ、という事も、充分過ぎるほど自覚している。
ただ、少年自身も「そういう目に遭わされたくない」と感じているのが普通だろう。汚い奴らに犯され続け、「やられる」という事が自分の性癖として定着してしまったような、ショタコン野郎に都合の良い人格に変えられてしまった少年も多いが。
そうでない少年の、「そういう目に遭わされたくない」という意識と、俺の独りよがり的な「そういう目に遭って欲しくない」という気持ちは平行してるから、自分の持つこの意識は「正当化されてもいいものだ」と思ってる。
「だから、誰にも否定される筋合いはない」とも感じてる。
なんか、そんな"まとめ"みたいな事を考えていた。


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