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2003年03月22日(土) |
アンビリーバボーな話 |
私には、両親がいません。 で、一人っ子なので兄弟もいません。 厳密には、父の家庭に異母兄弟が3人いるようですが、会ったことも見たことも煮たことも焼いたこともありません。 ですが、血を分けた兄弟がひとりいます。 私が自分の骨髄液を提供した相手です。
骨髄バンクを通しての提供なので、相手が誰なのかは分かりません。 分かるのは、私より3つ年下の関西在住の弟ということだけ。 この弟には、私と同じ血が流れています。 私は血液型がB型なので、弟が骨髄移植前にそれ以外の血液型だったとしたらB型に変わっています。 今回は違いますが、もしこれが妹なら染色体上は♀ですが、血液上は♂に変わります。 患者さんは提供を受けるにあたり、自分の造血機能を全くのゼロにします。血液を造らなくするわけです。 ゼロにするためには、限界を超える放射線照射と抗がん剤を併用するので、一歩間違えばそこには死があります。 それを前処置といい、造血機能ゼロになった時点で提供者からの骨髄液を点滴で体に取り込みます。 その後、提供された骨髄液が細胞分裂を繰り返し、一つ、二つ、四つ、八つとその細胞を増やし、やがて赤血球や白血球、血小板に成長していきます。 これがあるラインまで行くと、生着といい後はめきめきと元気が出てきます。 私の弟は無事生着し、新しい血液の元に社会復帰しました。 なぜ分かるかというと、当時は患者、提供者双方から1度だけ手紙のやり取りが許されており、(現在は2回)その手紙にそう書いてあったのです。 やった、良かったと思えた、私の宝物の手紙です。
正直、弟の顔も名前も分からないので実感が湧かないのですが、それでも、私と同じ血を持つ弟がいると思えるのは私を強くしてくれます。 子供は両親から半分ずつ遺伝子を貰い誕生します。 だから、母親とも父親とも同じ血が流れている確率はきわめて低いのです。 なのに、私と弟は同じ血なのです。 不思議です。とてもわくわくします。 そんな気持ちになれるチャンスを与えてもらえたことに感謝します。 弟が苦しんだから出来た経験。だから、とても不謹慎だけど。
でも、手紙が届いてからこれまでの弟の状況は全く分かりません。 でも、元気に生活していると信じています。 私の骨髄液はそんなに軟ではないから。
外国では、提供後1年を経過し、双方が希望すれば公的な場での対面が許されています。 日本では対面完全禁止の緩和は期待出来そうにありません。 でも日本では過去に、公式な場でイレギュラー的に2件の対面が実現し、非公式な場で1件の対面が実現しています。
こんな偶然があるのですね。 本当に、本当に二人は一緒なのですから。
ある本の最後の部分を読んで、このアンビリーバボーな話を思い出してしまいました。
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