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2003年03月24日(月) |
バビロン河のほとりで |
「哀しい歌」
それは哀しい歌だった 戦いに負けた人たちの哀しみを ありのまま伝えてくる歌だった 曲名は、スーペル・フルーミナ・バビロニス 和名は、バビロン河のほとりで 旧約聖書詩篇第136篇をもとに描かれた とても哀しい歌だった
僕は高校生の時その歌を唄った 特別キリスト教信者ではないけれど 詩篇第136篇を読んでみた ---バビロン河のほとりに座り シオンを思いつつ我らは泣き その辺りの柳の木に 竪琴を立てかけた--- 虐げる者に唄うことを強要されてもなお 唄うことを拒否した人間がそこにはいた
暴力や不正で上に立とうとする者は 他からの暴力や不正によって倒される そんな気持ちを込め僕らは唄い 僕らは哀しい歌で金賞をとり 笑った
これは、私が平成2年9月14日に書いた詩です。 詩というより文ですけど。
もし、北朝鮮がノドンなり、テポドンなりを日本に発射したら。 今のレーダー技術では、日本国内での爆発を回避できないそうです。 北朝鮮の発射したミサイルは確実に日本を破壊します。 アメリカは当然のように北朝鮮を攻撃するでしょう。 日本に、お前らも戦えと言うことでしょう。 いや、当然戦うものと考えているでしょう。
私はそれでも戦わない日本を期待します。 それが理不尽であっても。 殺戮に殺戮で応戦してほしくはないです。 その時にならなければ分からないことではなく。 大事な人が粉々になってもそんなことを言えるかでもなく。 その時、動じないために今があるから。
反戦デモに参加する人を揶揄する文章や言葉を見聞きします。 デモはもっともっと悲壮感が溢れていなければならない。とか、 平和面の日本のデモはデモではない。とか、 そんな表現とも出合います。 日本は平和なのだから、ありのままの姿を出して戦争反対と言えばいいと思う。 平和な日本だからできる表現を、大事にすればいいと思う。
そんな簡単なことでないのは分かります。 侵攻されたらどうする? 降伏するのか?逃げるのか?犬死するのか? 理不尽です。 でも、地球市民として、戦争はしてほしくないのです。
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