ラスベク変換
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前回の続きです。
なぜ、鷺沢萌と俺はシンクロしたのか?(いや、俺が勝手に思っているだけのこと)
次の文章を読んで、コレですよコレ!と俺は自分の膝を打った。
***** これは、周囲のいろんな方々から、「ソレ、あんまり知らない人には言わないほうがいいと思うよ……」などと遠慮がちな助言をいただいている話である。 (中略) 私は入浴が嫌いである。 (中略) 水恐怖症とか、熱いのがイヤだ、とかいうのではまったくない。いったん入ってしまえば、人並みに「あああア」などと声を出しもするし「あー、やっぱお風呂ってキモチいいなあ」などと思いもする。でも、入るまでがイヤなの。さあ、お風呂入るぞ、と決心するまでに、たぶん人の三倍くらいの勇気というか根性というかが必要になるの。だってさ、メンドくさいじゃん。 私ももう大人であるので、一応の社会的規則みたいなものに自分も合わせなきゃならない、というくらいのことは理解している。だから、誰かと会うことが決まっているときは必ず入浴もしくはシャワーを使うようにしているからご安心下さい。 *****
「だってさ、メンドくさいじゃん。」 そうなのだ。メンドくさいのだ。入るまでが葛藤なのだ。 今日はもうくたくたで眠いからとか、ちょっと風邪気味だからとか、もう遅くてこんな時間に風呂に入ったらご近所迷惑だからとか、なにか理由をつけて出来れば入りたくないのだ。 ホントにそうなのだ。 ただ、いまはさ、お客様とお会いして至近距離で喋ることが仕事だから毎朝出動前にシャワーを浴びるし、現場では汗をかいた後できちんと着替えもしますよ。 でも、誰にも会わず過ごせる日があったら(残念ながらこの仕事を始めてからは休日がないのでそんな日はないけど)俺は風呂になんて入りたくない。入らなくても死にはしないし。
風呂が嫌いなんじゃないのです。 入るのがメンドくさいだけなのです。 だってね、結婚前に住んでいた家はボロボロボロボロの家だったから、冬場の風呂なんて外で入っているくらいに寒かった。というより、体中痛かった。 だから、湯舟に浸かったときの感動は、「おおぉ、この風呂という仕組みを考え出してくれた先人には人類の救世主大賞を授与してやらねば!」と、いつも思っていました。 けど、その真っ裸になるまでの逡巡と葛藤に負けてしまうことが多かったのです。
この感覚、これこそ鷺沢萌に愛を感じる所以なのです。 同じ匂いを(臭いを)感じる所以なのです。笑
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