今ここにいる可能性…というか この場所で書いていることの確率というか。
今…うん、例えば席替え。多分多くの人が経験してる。 じゃあ、その席になったときの確率って…。 40人いたら(今はもっと少ないのかな?) 簡単に考えて40!(40の階乗)分の1なわけ。 つまり40×39×38×………×3×2×1。 大体8×10の47乗。(計算が間違ってなければ) つまり8のあとに0が47個つく。 そんな中でたった1通りが…決まる。 1回の席替えならね。 2回やったら4×10の47乗。まぁすごい数だよね。 たった1回の席替えですらここまでの可能性があるわけで。 いままで生きてきた中で分岐を数えると―数えられるならばだが― とんでもない数、少なくとも表現できないほどの数あるわけ。 そのうちの1つを通って今ここに在る。 結構すごいことだよね。
例えば今、二者択一をせまられたとする。 そのとき一方を選んだとして、その中で人生が先に進む。 例えこれがたいした選択でなくても。 するともう一方は…選ばれなかったものとして 一生、選ばなかったものとして、記憶される。 だけど、その選ばなかった方を選んだ世界も存在する。 自分のいる世界とは別に。 この選択がたいしたものでなくても 違った世界として別に存在する。 (無論見えないし、行けない。存在の可能性だけはあるが) 各々の人において、このように可能性ごとの分岐を作れば 次の瞬間には数え切れないほどの世界が存在するわけ。 そんななかの一つにいるわけだからやっぱりすごいと思う。 その一方で…これらの世界に自由に行くことができたら 人生をやり直したいっていう 願望もかなうんじゃないだろうか? 正確に言えばやり直した後の世界を見ることができる、 行くことができる。 でも、今ここに在るのは偶然だけじゃなく 必然によるところが大きい。 もう一度同じ選択を迫られたら やっぱり同じ答えを選ぶんじゃないだろうか。 例えそのとき違った答えを選んでも 結局来るところ(行き着くところ)は そんなに変わらない世界なんじゃないだろうか。 そうすると、ここに在るのは…必然かな? 多少の違いはあるにしても。
結局僕は何を言いたかったのだろう?
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