余裕のない人は心がすさむ。そんなことを聞いたり。 何の余裕だったか。時間かな? うん、時間として話を進めようか。 時間的に余裕があるということは… 自由な時間があるということ。 自由な時間とは… 何をするのも自分次第。 多くは、自分の好きなことをする ―それは心を潤すことになったり―…くさいけど…。 それはともかく自由な時間のない人は 実に楽しむことが少ない…のかもしれない。 一概にはいえないけど。 で、勉強を考えてみたり。僕は物理が結構好きかな。 高校のとき(受験のとき)結構楽しんでやってたし。 でも大学に入ってから 物理の講義がなかった(取れなかった)わけで。 そんなこともあって少しやりたくなったり。 だからこの前本を読んだ。 正直ビックリしたのが、間違いではないけど 高校のものとは考え方が違う。 最初の数ページでそれに気づくほどに。 受験のため、それが高校の一つの勉強方針。 あとは基礎を教える。 一つ。受験のための勉強は無駄が必要ない。 …無駄は敵でしょう。 受ける学校(大学)のレベルによって 求められる到達学力は違う。 当然偏差値の高い学校はそれに見合った学力を求められる。 高い学力とは広い範囲のことを指すのではなく 深い範囲を指すのだと思う。 どの高校も基本的には無駄なく教えるというのが必要。 ちなみにここで指す無駄とは意味のないものではない。 受験では役立たないという観点から無駄という表現を使う。 この場合「物理に関するまめ知識」といった語句に置き換えても。 ゆとりのない人生はすさみ、つまらない。(個人的偏見?) 無駄のない授業はつまらない。 悪いとは言わないけどね。悪いとすれば 深く知ろうとしないその人かな。 基礎を学ぶというのはいいかな。 基礎がないと本を読んでも面白くない。 いきなり難しいのはやっぱりやる気もなくなるしね。 基礎を知った上で自分で学びたいと思う。 そういう考えはあって欲しい、というか僕が欲しい。 何か好きなことを考える。 ある程度知るともっと知りたくなるでしょう。 それが受験なんかじゃなく自分のためならどんなに幸せか。
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