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2000年07月01日(土) 男の死場所

在日米軍厚木基地航空祭に行く。
天気予報ではせいぜい薄曇りとのことだったが、実際はカンカン照り。
飛行場では砂漠のごとし。紫外線で肌が真っ赤に焼ける。
地上展示は昨年に続いてU-2が来ていた他、それほど例年と変わらない。
昼頃まで、米軍のC-130輸送機の翼の影でじっとしている。
来場者は大きく分けて、マニア、家族連れ、地元の年輩者。たまにカップルとか若い女性だけのグループがいるが、かなり少数派。男女比は7:3位で男だが、一眼レフを持ってマニア装備の若い女性もたまに見かける。男のマニアは大抵が独り単独で来ている。連立って来る知り合いがいないのか、単独の方が動きやすいのか?
かつて、1975年頃の航空祭では、大半が家族連れ、学生グループで占められ、一眼レフや、無線機や脚立を持ったマニアなど、珍しがられるほど僅かしかいなかった。ましてや、20〜30代の飛行隊キャップを冠った単独独身航空マニアの群れなど、想像もつかなかった。
いずれにしろ寂しい存在がこんなに増殖するとは誰が予想したか?
一方で、25年前、最新鋭戦闘機にしか搭載されていなかったハイテク機器がいまや来場者のデジタルカメラ、ビデオ、携帯などに広く活用されているのをみるとなんとも不思議である。
午後から、米海軍第5空母航空団によるデモフライトが始まる。
アフターバーナーの炎と爆音は聖なる戦士の魂の鼓動。
F-14やFA-18の天を切り裂く爆音は、男達に生きる喜びを与える。
カメラのファインダーから覗き込むのではなく、裸眼で見るのが基本だ。
文明と科学技術の勝利の具現化の一つがF-14だ。どうせ死ぬならF-14の墜落に巻き込まれて死ぬのがよい。
そのために寂しい男達がここに集っているのかもしれぬ。
16時過ぎ、航空祭に参加していた海自の救難用ヘリUH-60Jが単独で南に飛び去った。どうやら、伊豆諸島での震度6の地震に対応するためか?


絶望皇太子