2005年01月21日(金) カナダの小さな島の話
久々に「BMGファンハウス」さんにお邪魔して、宣伝女子部の方々と「アッシャーは“黒いヨン様”だ」とか「オカジュンとヨン様に対抗できるのはアッシャーしかいない」などとアッシャー談義を、キャピキャピ・ギャル・トーク調で盛りあげまくってきました。いまどきのギャルが愛するイケメンはアッシャーなんですね、アッシャー。和田としてはかなりのカルチャー・ショックでした。
で。そんなギャル・トークの後にかつて洋楽にいらしたFさんにも偶然にお会いしました。このFさんの「お父さんの従兄弟」という人を和田は1997年に遠くカナダ、バンクーバー沖の小さな島に訪ねたことがあります。
なんでそんな「遠い、見ず知らずの人」をいきなり訪ねたのか?今となると分らないのですが(笑)しかし。そのときカナダをブ〜ラブラして遊んでいた和田は暇だったので、Fさんが「ボクの父の従兄弟がバンクーバーから船で行ったメイン・アイランドという島にひとりで住んでいる。今90歳くらい」とか言うので興味を持って、行ってきたのでした。本当に理由もなく!行きます!とか言って。
しか〜し。本当に遠かった(笑)。バンクーバーから車で1時間くらい乗ってやっとこフェリー乗り場に着き(それはそのとき仲良くなった日本人の夫妻が送ってくれた)。そこから観光地であるビクトリア(バンクーバー島という大きな島にあります)行きの大型フェリーに乗って、まるで瀬戸内海のように島が点在する間をすりぬけること1時間くらい。その途中で止まる島の1つがメイン・アイランドなんですね。でもってそんな島で降りる人はほんの数人で。日本人なんてもちろん和田一人。だいたいそのフェリーにも和田くらいしか日本人はいなかったのですが…。
で。やっとこ着いたメイン・アイランドの港には、Fさんの親戚のそのおじいさんが、ひとり、和田を待っていてくれました。見ず知らずの和田をです。おじいさんは戦前にカナダに移民をした日系カナダ人の一世で、後からおじいさんがポツリポツリと語ってくれたお話では「第二次大戦が始まった日のことは良く覚えてます。僕は表にいて。妻が家にひとりでいたので、戦争が始まったことを知って慌てて自転車を漕いで家に行って、おい、戦争が始まったぞ!と言ったんです」という時代を経てきた人です。おじいさん夫婦はその後強制収容所に入れられて、持っていた財産もすべて没収されてしまったそうです。カナダでも日本人は強制収容所に入れられたって、そのとき初めて知りました。
でもおじいさんはその後、スーパーを経営して子供も出来て。でもって和田が訪ねたときはもう奥さんは亡くなって、もちろんリタイアして。その島で夏の間はひとりで住んでいたのです。絵を描いていて、その絵がたくさん飾ってある、海が本当に目の前の(って海の上に立ってる家と言えるほど海の側なの)きれいなお家でした。和田はその家が気に入って、帰ってからFさんに「あそこでB&Bやってくれ!んで。和田を雇って!」などとワケのわからんことを言って、しかしそれでずいぶんと盛り上がり、今もまたそれで盛り上がっちゃったりする私らでありました。
それにしても。メイン・アイランドは日本人観光客が何があっても行かない、本当に本当に小さな、な〜〜〜んにもない島です。1997年当時、その島には小さな食料品店が1つと、病院が1つあるだけ。後はリタイアした老人が住んでいて。夏になると彼らを訪ねてきた子供たちがブラブラ歩いていて。それからアメリカのワシントン州(すぐ近くです!)から小さなボートでポポポッとやってきたアメリカ人が静かに静かに釣り糸を垂れているだけ。時間が止まったような島で、和田は子供達の後姿に、映画『スタンド・バイ・ミー』の世界をすごく思い出したりしました。
きっともうあの島に行くことはないかもしれませんが。でも生涯忘れることのない島です。メイン・アイランドは。ちなみに地元バンクーバーの人に言ってもそんな島、み〜〜んな知りません。後から地元ぃの人々にそこに行ったと言ったらすげええ不思議がられました。「なんでそんな所行ったの?」って。でもその2年後に行った観光地のビクトリアの数倍もステキな島でした。
ちなみにそのおじいさんは今もご存命だ!と聞いて嬉しくなりました。今はバンクーバーの老人ホームでニッコニコ暮らしてるそうです。