日々日記
いちらんふるいあたらしい


2007年10月10日(水) 子供の絵 心ひとつ

大学祭で、東南アジアの国で
貧しい暮らしを強いられている子供たちが描いた絵を買った。

絵は何十枚とあったんだけど、どれも素晴らしくて、
微笑ましくて、ほんとうに素敵だったの。

名刺2枚ぶんくらいの小さな紙面いっぱいに溢れている、
描き手の子供の息づかい。

楽しんで、工夫して、あるいは思うままに走らせた筆致。

描きたいものを描きたいように描いた喜びがそのまんま伝わってくる絵で
もう本当に感動した。



あれやこれやいっぱいやりたいことのあるわたしだけど、
いつか実際に絵本を創ろうと決めている。

もうずっとそれはわたしの人生における目標で、
でもなんとなくまだ描き時じゃないな、ってのは思ってて。

じゃぁなんでまだ描き時じゃないのかなって思ってたんだけど、
今回それがわかった気がした。

無垢なたましいと、そのたましいが持つあの美しい感性に向かい
「どうぞご覧になってください」と捧げても恥ずかしくないほどに、
わたしの人間性と感性が育ってなきゃだめだと。


わたしにとっての絵本創りは、ただの自己満足になったり、
ましてや自己実現のための手段などでは絶対にいけない。

それが、今回子供達の絵を買ってきて部屋の壁に貼ってずっと見てたら、
すこーん!と腑に落ちてきた。

わかったぞ。

というわけで、今後も修行だ。
今すぐ描けなくたって全然心配ないし焦る必要もないんだ。
でもいつか絶対創る。



おとといからこうやって絵本についていろいろ考えていたんだけど、
そしたら徐々にこんなことにまで波及していった。

つまりね、こうよ。

人生は誰もが一回しか経験できなくて、やり直したくてももうそれはできない。

そんなことは分かりきってるけど、じゃぁどう生きようかってのは
自由に決められそうでいて実はわたし、決めてこなかったんじゃないか?

だからみんながどうやってるのか、そればっかり気になってて
自分にはどういうやり方がフィットするのか、
どう生きたら気持いいのかってことを、自分の心と体で
しっかり考えてこなかった。

そして「みんなのやりかたをする」ってのが「自分の判断」であると
どっかで思い込んでた。
すっごく居心地悪いのにさ。

実体を持たない「人」や「世間」というものが
圧倒的な力でもって押し付けてくる生き方にそぐわなくても、
別にどってことないんだわー。

ふむふむ。
ひとつクリアになった。

大学にきてよかったなぁって思うことの一つは、
自分のことをじっくり考える時間がたくさんあるということ。

ああでもない、こうでもないと言いながら、
いろいろな材料を集めてきて比較検討しながらとことん思案できる。

もともと思案できる素地は自分の中にあったと思う。
でもそれを発揮できたのはこの大学にきたおかげだと思う。

求めたように生きればいいんだ。
望んだように、願ったように実現していけばいいんだ。
南十字星はいつだってそうしてるじゃない。
師匠だってそうして生きてこられたじゃん。

そっかー、そっかー。
自由かどうかを決めるのは環境じゃなくって心なんだ。
全てを決めるのも変えるのも心一つなんだ。

なんだかあったかい気持ちだ。


inu-chan