日々日記
いちらん…ふるい…あたらしい
2008年10月20日(月) |
考える葦、折れても枯れはしません。 |
秋だ!
朝、自分が寝ている布団の中の温度が、暖房なしで全くちょうどよくて快適で、 「このままずぅっとこうしていたい…」って毎朝心から思う。
いっそこのまま、寝死んでもいい。
新しい言葉「寝死ぬ」誕生。
というのは冗談ですヨ☆
日曜日は市の非営利団体が主催するサイクリング大会に出場して、 往復40km、多摩川沿いをのんびり走った。
風が気持ちよかったし、スピードがほんとにゆっくりだったので疲れなくつるつる走れた。 長い距離を愛車とじっくり走れて、楽しかったにゃー。
堤防の草を刈って乾燥した香りとか、銀杏の香りとか、焼き鳥屋の香りとか、 動物園の動物の香りとか、いろんな匂いがしていた。
堤防では、散歩する人、マラソンする人、犬の散歩する人、小さい子を連れた夫婦、 訳ありげな組み合わせの2人、などなど、様々な人を見たよ。
あ、堤防沿いの雑木林で枇杷の葉っぱを、市のごみ袋の一番でっかいサイズいっぱいに、 盗…もとい、収穫しているおじさんもいた。
でさ、走りながら自分のことを考えたんだけど、
今私が日々自転車に乗っているのは、大学に通うための時間短縮と、 早朝バスが走ってない時間にバイトに行くためと、健康のためと、
維持費を捻出してまで車に乗りたくないということと、 学生の立場で車を運転して万が一、事故の加害者になったりしたくないということと、
化石燃料を使わない移動を実践したかった、といったような理由による。
でも、日曜日に自分が自転車で走ったのは、 移動手段としてではないし、時間短縮のためでもない。
自転車に乗ること、それを楽しむために乗った。
自分の余暇をですよ、生活のために働くこともせず、自転車に乗ることに費やせるんだよ。
お金のない人はそもそも余暇を楽しめないかもしれない。 日曜日をツブして多摩川沿いを自転車で走ろうと思わないかもしれない。 いや、自転車を持ってないかもしれない。 日曜日だろうがウイークデーだろうが、働かなくてはいけないかもしれない。
そうか、自分はそういうのには困らない立ち位置に今いるんだな、と思った。 でも、大半は自分の金じゃないからね。親のおかげ。
おい、いつ自分のことを自分で養えるようになるんだよと、暗澹としちゃったり。 生きていけんのかしら、あたい。とか弱気になったり。
コラしっかりして!33歳!!
今日の社会学の講義で、まさにこの話に通ずるところの内容をやった。
ピエール・ブルデュの『ディスタンクシオンー社会的判断力批判』。 「文化資本」と「社会関係資本」の話。
こーれーがー、なんだか泣きたくなるような内容で。
様々ショックだったわけよ。もちろん社会学を学びたいと志すくらいだから面白いとも思った。 だからブルデュの本をちゃんと読もうとも思ったけど、
まぁほとんどが衝撃とかショックとか驚きとか落胆とか脱力とかへし折れるというような、 そういうマイナス感情に支配され尽くした90分間だった。
そーだったのかー。 自分って、そーだったのかぁーーーー。って、思った。
どんなんか、まだここではうまく説明できないんだけど。 (てかそもそも日記書いてる場合じゃなくて、英文和訳やんないとなのに何やってんの自分)
社会学って、すごいなぁ。 15年前の自分なんて文系の学問に全く興味なかったから、社会学なんて存在すら知らなかった。
知ってたらなぁ、もっと別の生き方があったかもしれない。 と思っちゃうほどに衝撃的な内容だった。
こういうショックを味わえることをむしろ悦びにしながら生きてやるぅー。と 結局のところ、今日も叫んだのでしたー。
ほぼ日で、原丈人さんと糸井さんの対談がまた始まった。三部作の最終回。 わーい、この日を、待ってたんだよー。
inu-chan
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