日々日記
いちらんふるいあたらしい


2009年01月01日(木) 死人に口無し

いきなり物騒なタイトルで新年がスタート。


今日は靖国神社に行って来た。
参拝こそしないけど、様々な国籍、年齢層の人々で賑わう境内でたくさん写真を撮った。

手水場の屋根がきれいだったなぁ。
ふちを保護する新品の銅がキラキラしてた。


んで、縁日で磯辺焼き食べて、せっかくなので遊就館も見て来た。


遊就館の神々を見て来たよ。
遺影がたくさんあったけど、どの人の顔を見ても「死にたくなかった」って聞こえた気がした。

言いたいこともいっぱいあっただろうけど、天皇が神で、
そして目的を持って戦争を行っている以上、絶対言わなきゃならない言葉と、
絶対言ってはならない言葉が、きっとあったんじゃないかなぁ。

これから死んで行く人の書いた遺書の、
天皇を讃える言葉を読んでも「わたしは死にたくないよ」って読めた。

泣けたよ。本気で。


平時だったらやりたいこともいっぱいあったと思うの。
みんな若くていい年頃なんだもん。
でもね、あの時代にそれは無理だったよなぁ。

その悔しさを思うと、こうしてなんらかの形で慰霊することは大事だと思う。
その場所が靖国神社でいいのかどうかという問題は別としてね。


あと、すごくリアルな恐怖として伝わってきたのが以下のこと。

戦争を続けるために人々は国から徴兵されたり、銃後の妻になったり、学徒動員されたりと、
各自それぞれの立場でいろいろ役目を与えられる。

そんで、その役目を喜んで受けて、しっかり遂行する人は褒められる。
死んでなお英雄であるよ。
(同時に、戦争に反対した「英雄」もいることを知っとかなきゃと思う)


日本の場合は海や空から他国に出かけて行ってたくさん人を殺して、
その領土や住民を自分たちのものにしちゃおうっていう目的に向かって、
みんなが頑張ってしまった。

人道的にいって、戦争ってどうなの?なんて口を挟む隙はなかっただろうなー。
そんなこと言ったら殺されるわ。非国民だよー。

この状態って、やはりうんと危ないと思った。
もしそうなったらわたし抗えないかもーーー。


そういうことを考えるにはすごくいい場所だった。

わたしは彼ら「英霊」の死を、
そして生き残ったがゆえに戦後も様々な記憶や思いを抱えて日々を暮らしてきた人々のこと、
この先近い将来、確実にこの世からいなくなる元日本兵たちのことを、
もっときちんと考えて受け止めていかなきゃなぁと思った。

お正月から濃いワタシですが、充実しています。
明日は一般参賀に行てくるくよーん。


inu-chan