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| 2005年02月20日(日) ■ |
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| 学会 |
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昨日、今日と教授のパシリで学会に参加してきました。 精神医学の学会で、メインテーマは鬱病についてです。 最終日の今日は一般公開講演ということで、鬱病の話をわかりやすく解説していました。 会場のセッティングをした後、勉強になるからと教授の計らいでその講演を聞くことができたのですが、なにしろプライベートが忙しく、寝るヒマもないため、講演は眠気との戦いでした(^^;
というか、専門の学生が聞いてもおもしろくない、というかもう知っている話ばっかりでした。 唯一意外に思ったのが「いのちの電話」。 要するに電話をかけるだけで見ず知らずの人が色々悩みを聞いてくれるっていうものです。 そんなところに誰が電話かけてくるのかと思っていれば、毎日鳴りっぱなしらしいですね。 しかも、いのちの電話が設置してある地域は自殺率が低いという統計まで出ているそうです。 うーむ、眉唾かと思っていたら効果はあるんだなあ。 カタルシスってことかなあ。
でも、公にそう言っているうちはまだ安全なんですよ。 本当にそう思っている人は誰にも言わずに行ってしまいますから。 そこを救い上げるという点では確かに効果は高いかもしれませんね。 太宰治なんかもそうみたいだったし。
学会の最後で、生きるということは何だろうかという話になりました。 ミもフタもない事を言えば、生きるということは自分の遺伝子を後世に伝えるまでの猶予期間であるということになるでしょうが、それで済まないのが人間というもので、さすがの教授も詳しいコメントは控えていました。 さすが心理屋の言うことですから、「死ぬまで生きること」という答えでした。
人間は2度死ぬと言われています。 一度目は寿命が尽きてその肉体が生体としての機能を失ったとき。 二度目は、その人の生きていた証が失われたとき。 葬式というものが存在する理由はそこにあるのです。 命を絶つだけで完全に「死ぬ」ことにはならないのです。
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