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| 2005年06月22日(水) ■ |
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| 過去の遺物 |
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過去の自分の文章というのはひどく恥ずかしいものです。 自分の文章でまともに読み返せるのはつい最近の芝居の台本くらいなもので、後はもう恥ずかしすぎて封印してあります。 ホームページにも過去の駄文がいまだに掲載されているけど、恥ずかしくて仕方がない。 よくもまああんな文章が書けたものだと諦め半分。 しかし彼女は、過去の文章を時折読み返してみるらしく、特に初めて自分が書いた芝居の脚本の、自分の台詞を何度も読み返すのです。 もう恥ずかしくてたまらないので捨ててくれと何度頼んでも嫌だと言う。 「これ読んでるとね、ゆうって純情だったんだなあって思うの」 と言って手放さない。
しかし、彼女の言うことももっともなのだ。 昔の文章を読んでいると、なんて自分は純だったんだと思う。 今はあんなもの二度と書けないな。うーん、いつのまにピュアな自分を失ってしまったのか。 今の文章が巧いのかと言われれば別に大したモノは書いちゃいないんですけどね。 最近の本を読んだ人からは 「ゆうって以外と色々考えているんだね」 と言われました。その人は特に 「運命っていうのにはさ、逆らえないんだよ。だけど、その運命って奴が僕らを捕らえるまでは、それは自分次第なんだ」 というセリフが大のお気に入りらしく、折に触れ読み返すのだとか。 そんなに俺がアタマ空っぽだと思ったか。
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