たりたの日記
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2018年02月26日(月) |
石牟礼道子「苦海浄土」のこと |
この日、月一度の正津文学ゼミ。テキストは石牟礼道子著「苦海浄土」。残念ながら参加はできなかったが、私とこの本のかかわりについて書いておこう。
この本がテキストに決まったのは1ヶ月前。 私は、持っているはずの「苦海浄土」の初版版を書架に探した。学生の頃に手に入れたものだ。それ以来、引っ越しする度に持ち運び、団地で家庭文庫を開いていた時は文庫の本棚に並べ、アメリカ滞在にも持っていき、当然今の家にも運んできた。捨てられない本だった。一旦そこを開けば、そこには水俣の苦しみがあり、そこにしかない特別な世界がある。けれど重い。へらへらとした日常の日々の中でそれを開くことはできない。けれども忘れてはいけないと思っていた。石牟礼道子という尊敬する作家と繋がるための一冊でもあった。
ところが、その本がないのである。もしかして捨てた⁉ 昨年の暮れあたりに夫と口論した夜、怒りにまかせて断捨離モードに走り、持ち続けてきた本の多くを段ボールの箱に詰め込み処分してしまった。もう長くはない残り時間の中で開くことはないだろう本、残しておいても誰も読まないだろう本、古くて虫がわきそうな本は迷わず詰め込んだ。あの中に入れてしまったのだ。石牟礼道子著の「あやとりの記」も一緒に。その時の気分は、もう「苦海浄土」は手放してもよい本になっていたのだろう。 その浅はかさを後悔しつつ、講談社庫版をアマゾンから取り寄せた。新しい文庫本というのが、未知の本に会うようでもあり、再会を気楽にした。 身体の具合が悪い時だったので、この本は、ほぼベッドの中で読んでいた。石牟礼道子が語るその世界に入り込み、彼女と共に水俣の海を眺め、彼女が見つめる水俣患者をまたわたしもその同じ距離で見つめていた。自分が抱えている病気が、そうする事を以前よりも軽く、しかも親密にしている気がした。そんなふうにその本を読み進めていた最中、20日未明に石牟礼さんが亡くなったという事を知った。不思議な気持ちに打たれた。
20代のわたしがこの本を手にする前に、1人の若い詩人が描く水俣の詩を通して水俣が自分の内側に入って来るという出来があった。その時の事は、たりたの日記 2001年6月30日に書いてあるが、その後、「苦海浄土」を読み、ユージン・ スミスの写真に打たれ、砂田明さんの 一人芝居「海の魚」に掴まれた。水俣の言葉は佐賀に住む祖母や伯父や従姉妹達の言葉づかいとよく似ていることもあり、訪ねる事もなかったのに、水俣は親しい特別な場所として「苦海浄土」の本と共に、いつも傍らにあった。
公害や環境破壊に対する警戒や怒り。持てる者が持たないものを食い物にしてさらに肥え太っていくといういつまでも変わることのない社会の構造への批判はそこから養われてきたのかもしれない。
けれど、多くの影響を受けながら、その本を開かないまま書架に並べておくのと同じように、水俣の事には耳そばだてながらも、石牟礼さん達の戦いに参加する事もなく、何の行動も起こすことができなかった。他の社会的な事がらにも行動らしい行動を起こさず、加わらずに日々が過ぎていった。その後ろめたさもずっと持ち続けてきた。
この日、まだ少し残っていたこの本を読了したが、読了!といった感覚はなかった。少なくとも、あの断捨離モードの時に本を迷わず捨ててしまったところにはもう戻れない。 新たな、そして必要な再会が始まったという気持ちがあった。
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