2001年10月08日(月) |
アメリカの空爆始まる |
橋本さんちでeichan の「ついに始まりました」のカキコを見て知って、 午前11時のニュースを見た。 夕方、午後5時のニュースも見たけれど、報道内容にあまり進展はなかった。 日本時間で午前1時30分(アフガンあたりでは昨日の午後9時ごろだとか)ごろに、 空爆を開始したそうである。 湾岸戦争の時のような、実況中継のようなことはやらなかった。 ニュースステーションで、「空爆は大成功だった」との記者会見が映された。 アフガニスタン側は、20数名の市民が死亡したと伝えている。 ただ、攻撃方法は、テロ組織の拠点とタリバンの軍事施設に対して、 かなり精度の高いピンポイント攻撃に限定しているようだ。 一方で、難民向けの食糧等の支援物資の投下も始めているという。 むしろ、それを可能にするための対空攻撃の拠点を潰すのも空爆の目的のひとつという。 パキスタンの反米デモが激しくなっている。
いつどこで映したのか定かでないビンラディンの声明を収録したビデオが放映された。 「神に導かれた何人かのものが、アメリカを攻撃した。 アメリカの人民はそれに怯えているが、彼らにとっては一時のもので、 イスラムは80年もの間、その苦しみの中に置かれている。 アメリカが我々に軍隊を向けているが、イスラムはアメリカと徹底的に闘う」 ・・・というような趣旨の演説ではなかったかと思う。 イスラム社会全体との戦争なんてことは大変なことなので、 アメリカとしては、あくまでも対テロリズムということで国際理解を得たいところだが、 ビンラディン側としては、イスラム対アメリカという図式を作りたいようである。 この声明とパキスタンの暴動やイランなどの反米感情の高まる様子を見ると、 堂々めぐりの蟻地獄的な様相といったものを感じてしまうのだが。。。
昨日の新聞の「私の視点」欄の豊下楢彦氏の文章を引いておこう。 「米国はイラン封じ込めのために80年代からクウェート侵攻の前夜まで 膨大な軍事援助をイラクに供与し、 生物化学兵器を含む軍事技術関連の輸出総額だけでも15億ドルに上った。 この結果、制御不能の地域軍事大国が建設されて、 それは今なお米軍のサウジアラビア駐留の根拠とされ、 その駐留がビンラディンの卑劣なテロ宣言の口実とされているのである。
米国は同じ轍をアフガニスタンでも踏んだ。 86年、米中央情報局はソ連に対抗すべく、世界中からイスラム急進派を パキスタンに結集させてテロ活動のノウハウと武器を全面的に供与することにした。 結集した3万5千人の急進派の中にビンラディンがいたことはよく知られている。 さらに米国は、94年にタリバーンが登場して以来4年近くに渡り、 イラン封じ込めとパキスタンに抜ける石油パイプライン構想という思惑から、 抑圧的な同政権を支え続けたのである。 将来の脅威を育成するという誤りが再び犯された。
ところが、同様の事態は今もくり返されつつある。 コソボ問題で米国は、ミロシェビッチに対抗すべく、マフィアと結んだ テロ集団と認定していたコソボ解放軍に援助を与えて軍事的に利用した。 こうして勢力拡大したこのテロ集団の浸透によって、 今や隣国マケドニアがバルカンの新たな火種になりつつあるのである。
米国市民の大半はこうした非公式の軍事活動を知らないであろう。 しかし、敵の敵は友、といった場当たり的な対応が結局は反米感情を生み出し、 反作用として米国に跳ね返ってくるという構図を断ち切らない限り、 それこそ悲劇は無限にくり返されることになるであろう」
だから、「途上国の民衆の反米感情を取り除く方策」と、 「負の連鎖を生み出す米国の外交政策の再考」を直言することこそ、 湾岸戦争の轍を踏まないように心がける日本が本当にやるべきことだ、と言う。
|