2001年10月09日(火) |
戦争反対、だけれど。。。 |
夕方のラジオでこんな話をしていた。 千葉県のある女性グループが、ニューヨークタイムズの1面に、 報復攻撃反対の広告を掲載してもらうことになっている。 この広告料は千数百万円かかるそうだが、交渉して千二百何十万円かにしてもらえた。 そのための資金は、インターネットなどを通じてのカンパで、 たったの2週間ですでに1900万円以上集まっているそうである。 もう支払いも済ませ、9日のニューヨークタイムズに載る予定だそうだ。
タイミングがよくないけれど、この運動自体はすばらしい力である。 この運動の中心となっている女性が電話のインタビューに答えていたけれど、 (それにしても、このヤマダトオルというアナウンサーの応対はひどい。 呼び出しておいて、相手の意見をしっかり聞かずに、自分の意見をかぶせてしまう) アメリカの世論は94%空爆を支持というのも怪しい、という。 なぜなら、自分の100人近いアメリカの知人が、みな反対しているから。。。 (確かに、少なからぬマスコミ操作が働いているに違いない) そして、貧富の格差是正と、裁判による公正な判断が先決だという。 ・・・そこまでしか主張が聞けなかった。アナウンサーが遮るようにしてしまったので。
私自身、「目には目を」には目もくれず「左の頬も」に心酔した人間である。 「汝を迫害するもののために祈れ」に心酔した人間である。 どんな形であれ、戦争というもの、武力というものを根絶して欲しいと願っている。
けれども、裁判・・・麻原の裁判でさえ、もう何年続いていることだろう。 幸いにも、オウムは本来テロを目的として集団ではないので、事なきを得ている。 非常に懸念するのは、たとえビンラディンの身柄を拘束し、裁判へと向かうにしても、 その公正さを保証する条件づくりのためだけでも、どれだけの時間を費やすことか。。。 そして、裁判に何年を費やすかわからない。 その間に、ビンラディンやアルカイダ幹部の解放を求めて、 世界中でどれだけのテロが行われるかわからない。 オウムと違って、彼らはテロを目的とした集団なのである。
難民支援、経済支援、、、こういったものを地道に続けて理解を得ることは大切だ。 けれども、現状ではそれ自体も危険をはらんでいる。 もっともっと以前からすべきことだったのだろうけれど、 問題は、現状からどうすべきか、なのである。 仮にそれがうまく行ったとしても、孤立するテロ集団は、 ますます「聖戦」を展開するのではないだろうか。
報復攻撃にも決して賛成はできない。 けれども、話し合い、裁判、支援、という理想論も、現状では甚だ無責任に思われる。 ただ、報復攻撃反対を唱えるのも、無責任に思われる。 どの道を選んでも、報復テロは避けられないのではないか、とそんな気がする。 そして、どうあがいても、攻撃は、とにもかくにも始まってしまったのだ。
それでは、どうすればいいのか。。。 そんなことがわかるなら、報復攻撃には最初から断固反対している。 むしろ、今までの歴史が、平和的解決を拒否させているのではないか、と。。。 日本が戦争放棄するために、半世紀余り前に泥沼を経験せざるを得なかったように、 今回のこの泥沼が、最後の「聖戦」になることを祈るしかないのではないか。。。 そうして、その後で、多くの犠牲者たちのために、 昨日引用したような「負の連鎖を断ち切る努力」なるものを世界中ですべきだろう。
・・・しかし、そう願うにも、中東の対立の構造はあまりにも複雑で根が深すぎる。。。
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